第五話|『再始動/リスタート』
二年前――
2024年、春。
その日、わたしは久しぶりに品都家を訪ねた。
不登校が続いていた彩凛に会うため。……ある約束を果たすために。
そして、わたしは出会う。
本物の“バケモノ”に。
「すみません、長門海音子です。彩凛に用事があって来ました」
都内某所の高層マンション。小学生のころは、毎日のようにひとりで電車に乗って遊びに来た、彩凛の家だ。インターホンを鳴らしてしばらくすると、男の声が返ってきた。――品都東明。彩凛の父親。なにが気に入らないのか、昔からいつも、わたしを高いところから見下ろすような人だった。
東明は少し間を置いてから言った。
「あぁ、長門家の妹さんだね。どうぞ」
エントランスのオートロックが解除される。
わたしはエレベーターに乗り、最上階へ向かった。
“品都”のプレートが掲げられた玄関の前で、もう一度インターホンを鳴らす。東明に招かれ、部屋の中へ足を踏み入れた。……最初に感じた異変は、においだった。肉の焦げるような、鼻を刺す悪臭。次いで、物が散乱した廊下が目に飛び込んでくる。――異変を問いただそうと、わたしは唇を開いた。
けれど――
「……、え?」
黒焦げになって沈黙する、幼なじみの“抜け殻”を見て。
わたしは、言葉を失った。
壁一面の大きな窓ガラス。
その向こうに広がる東京の【青】と、変わり果てた幼なじみの姿が、ひとつの悪夢みたいに溶け合っていた。……脳が、理解を拒んでいた。
立ち尽くすわたしの隣で、
品都東明は狂ったように笑っていた。
「私はずっと、お前ら長門家のことが大ッ嫌いだった……!! あの忌まわしき長門渦人も、長門海音子、お前も。だからこういう筋書きを用意してやった。――テロリストの妹もやはり犯罪者。長門海音子は、仲の良かった幼なじみの品都彩凛を怨恨の末に感電死させ、父親である私まで危害を加えられそうになった……どうだッ!」
東明は、演説でもぶつみたいに一息に叫ぶと、
手にしていた包丁で自分の腕を傷つけ始めた。――刹那。わたしの中に噴き上がったのが怒りだったのか、絶望だったのか、今でも分からない。
ただひとつ覚えているのは、あの時。あの瞬間。
“透明な電撃”が、たしかにわたしの名を呼んだことだけだった。
「――私の名は、雷天渦。――長門海音子、さぁ選べ。私と契約し修羅と化すか、罪人に落ちるか。……さぁ、選べ」
「誰でもいい。いますぐ、こいつを殺して」
「では――契約だ」
青いプラズマを纏った風が室内を荒れ狂う。
次の瞬間、窓ガラスを突き破って品都東明を穿ったのは、一条の“雷”。――感電した東明は、苦痛に顔を歪めながら、最期にある存在の名を呼んだ。
「……来い……罪以離。私を……助けろ……」
あとに残ったのは、
黒焦げになった品都東明の抜け殻――。
そこへ、突如として現れたのが、あの人だった。
「おやおや。これは、大惨事だね」
鴉の面を被った、黒衣の女。
葬儀会会長、水傘。
「わたし……逮捕されるのかな……お兄ちゃんみたいに……」
「大丈夫だよ、海音子くん。君のことは、我々が守る。後始末はしておくから心配しなくてもいい。――さて、あとは任せたよ。有島先生」
そして、もう一人。
穏やかな笑みを浮かべた甚平姿の男が、
「えぇ、会長」
そう答えて、部屋の中へ入ってきた。
――漫画家の有島偽語だ。
*
あの日から、
わたし、長門海音子の物語は始まった。
嘘だらけで、偽りだらけの、
化けの皮を被った“偽物”の物語が――
第五話|『再始動/リスタート』
葬儀会本部、会議室。
中央に鎮座する重厚な机の上には、湯気の立つお茶とドーナツが並べられていた。入り口で緊張して立ち尽くしていたウチを、水傘さんが「こっちへ」と手招く。
今日から、ウチは……
品都彩凛じゃなくなる。
前の人生の戸籍はすでに抹消されている。だから、すべての黄泉人には、新たな名前が与えられる。――そうやって、二度目の人生を生き直すらしい。
新しく契約したスマホをひらいて、
ロック画面の壁紙に設定した写真を指で撫でる。
そこには、ウチと、海音子が並んで映っていた。
(……海音子のことは、ウチが助けるから)
心の中でそう誓ってから、ふかふかの椅子に座る。
「ではでは、さっそく。品都彩凛あらため、名無しになった君の、新たな名前を決めようか」
向かいに座った水傘さんが話し始める。
この人、いつもお面を被っててちょっと不気味だけど、声はやさしくて好きだ。
「……はい。ウチ、新しい名前になるんですね……」
「寂しい?」
「はい……。品都って苗字は父のこともあって大嫌いだけど、でもやっぱり……海音子との思い出がいっぱい詰まっている名前なので……」
「だったら。その思い出をにおいとして、色として、そして音として。ずっと記憶しておくんだ。君が忘れなければ、過去は無かったことにはならないよ」
「そう、ですよね。……忘れるなんて絶対にありえませんから」
水傘さんは私の言葉にうなずいて、
机の上に一枚の半紙をそっと置いた。
そこには、“煤航”の二文字が墨で書かれている。
すごくきれいで、お手本のような字だ。
「これは……すす……こう……? なんて読むんですか、水傘さん」
「すすわたり、君の新しい苗字だ。苗字はね、大人の都合で勝手に決めることはできないんだ。だから、こっちで用意させてもらったよ」
「……煤航。……じゃあ、名前は?」
「自由」
「えっ、急に突き放された。……え、どうしよう。……なまえ……なまえ……」
メガネを探すみたいに名前を探すウチのことを眺めながら、水傘さんは、お面をすこし持ち上げて、ドーナツを口へと運ぶ。
見えそうで見えない口元……ちょっとセクシー。
いやいや、彩凛。じゃない、いまは名無しのウチ。
いまはそんなことを考えてる場合じゃなくって。
そこで、思い出す。
――海音子もウチも大好きだった、とあるアニメのことを。
「……リッカ。……あの、魔法少女ミラクル・リッカってアニメが昔あったんですけど……その主人公の女の子がすごくカッコよくて……」
「リッカ、良いじゃないか。漢字はどうしようか」
「いやいや、でもでも。……ウチなんかがリッカを名乗るなんて、それはおこがましいというか……」
「ふふっ。随分と思い入れがあるんだね、そのアニメ。今度私も見てみようかな」
水傘さんが女児向けアニメを……?
想像できない。けど、そのギャップが……。
いやいや、 彩凛。じゃない、名前はまだない。
いまはそんなことを考えてる場合じゃなくって。
水傘さんは、ひとりでせわしなくしているウチのことを放置しながら、何も言わずに、筆と墨、すずりと半紙、さかなの形をした醤油入れを取り出す。――そして、醬油入れの水を使って墨を磨り、筆の先につけて半紙に何か書き始める。
……それ、水が入ってたんだ。再利用してるのかな。
驚くほど丁寧な筆運び。
しかも、めちゃくちゃ達筆。
「――よし、できた」
数十秒後。
水傘さんは半紙を、ゆっくりと持ち上げて掲げた。
「六花……?」
「あぁ、そうだ。君の名前は今日から、煤航六花だっ!!」
突然の大声。
そのまま立ち上がって、水傘さんは、ウチの手を取った。
「よろしく、六花くん。君は今日から、黄泉阿代のヒーローだ」
こうして。ウチ、品都彩凛の二度目の人生、
煤航六花としての物語が始まった――
*
神奈川県横須賀市にある、とある霊園。
遠くには、雲一つない春の青空を反射した東京湾。さらにその奥には、かすかに房総半島の輪郭が見えている。――わたしは、“品都彩凛”と刻まれた墓石の前で腰を下ろして、その墓石の前にそっと菊の花束を供えた。
そんなわたしのとなりで、静かに水傘さんも腰を下ろす。
「今日から彩凛くんが正式に黄泉阿代に入ったよ。新しい名前は、煤航六花だ」
六花。――魔法少女ミラクル・リッカ。
彩凛はまだ覚えててくれたんだね、わたしたちが好きだったアニメ。
「……そうですか。教えてくれてありがとうございます」
「それにしても。有島先生、警察署を機関銃で襲撃とは、なかなか派手にやってくれたね。――まぁ、警察官はみんな、襲撃される“幻”を見ながら、ぐっすり眠っていただけなんだけど。それでも、後始末はなかなかに骨が折れたよ」
「いろいろと迷惑をかけます、水傘さん」
「いや、いいんだ。それより、君はこれで立派な犯罪者。世間から見れば、脱獄中のテロリストだ。――ほんとうにこれで良かったのかい?」
「えぇ。悲劇の主人公にも、ヒーローにもなれないわたしには、嫌われ者のヴィランの方がお似合いなので」
――立ち去ろうとするわたしに、
水傘さんは言う。
「いつか本当の意味で君たち二人が再会できることを、私は切に願っているよ。もちろん、バッドエンドではなく、ハッピーエンドでね」
「…………」
奇跡なんて、起こるはずがない。
わたしは、きっとこのまま――
この世界の“渦”に呑まれて、呆気なく忘れ去られていくんだ。




