2
祥太朗はベッドの上で目を覚ました。ここはどこだろう、と辺りを見回す。たぶん、ここは病院だろう。ベッドもそれっぽいし、第一、点滴されちゃってるし。倒れたのか、俺は。そういえば朝飯食わなかったもんなぁ。貧血ってやつなのかなぁ。貧血って色白美少女のイメージなんだけど、なーんか恥ずかしいなぁ、俺。
などと考えていると、スーッとドアが開いて看護師が入ってきた。
「あら、気が付いたのね。いま、先生呼ぶわね。もうすぐお母さんもいらっしゃるから」
そう言うと、また出て行ってしまった。やっぱり病院で間違いなかったな。
看護師と入れ違いくらいに、佳菜子が入ってきた。自慢の長い黒髪がバサバサに乱れている。相当あわてて来たんだな。運動嫌いの佳菜子が息を切らし、真っ赤な顔をしているのは新鮮だった。
「祥ちゃん!大丈夫?」
よく見たらうっすら泣いていた。やばい、これマジで心配させちゃってるじゃん。
「今朝からおかしいとは思ってたのよ。朝ご飯も食べていかないし、なんかぼーっとしてるし。病院から電話来て、もうもうびっくりして~!」
「大丈夫だよ。まぁ座りなよ。母さんの方が大変そうだよ」当の息子よりもパニックになっている佳菜子に、ベッドの脇にある簡易椅子を勧めた。
佳菜子が椅子に腰かけると、また、ドアがスーッと開いて、初老の男性とさっきの看護師が入ってきた。佳菜子は立ち上がって丁寧にお辞儀をする。
「気が付きましたか、祥太朗君。ああ、お母さんですね。医師の井上と言います。祥太朗君は脱水症状を起こしていたので、現在点滴をしています。もう秋とはいえ、若い人は活発ですから、汗もかきやすいでしょうし、油断せずに水分補給をすることです。それから、ただ水ばかり飲めばいいというわけでもありませんよ。きちんと塩分もとること。いいですね」
井上医師はすらすらとそう言うと、丁寧にお辞儀をし、点滴後の流れを看護師に引き継いで退室した。点滴はあと一時間もかからずに終わること、その後、特に問題がなければ帰ってもいいが、大事を取って学校は休むようにと言われた。
佳菜子は学校へ連絡して、会計も先に済ませられるか聞いてくる、と部屋から出て行った。
1人になった祥太朗は、右手の指先を左手でさすりながら考えた。
しょっぱくなったコーヒーとコップの水、脱水症状を起こした自分……。これはもう、1つしかないだろ。
コーヒーや水がしょっぱくなったのは、自分の体内の塩分を使ったからだ。
昨日(厳密にはもう『今日』だったと思うけど)、部屋で塩分を使いすぎたんだ。水をこぼしても気付かないほどの深い眠り……あれも気を失ってただけなんじゃないのか?だとしたら、危ないよな。
この夏もだいぶ暑かったから、テレビでは毎日のように熱中症の恐ろしさを特集していた。脱水症状を起こさないようにって、ウチの冷蔵庫にもスポーツドリンクが常備されてたし。重度の脱水症状は死ぬこともあるなんて、自分には関係ないって思ってたけど、めちゃくちゃ関係あったじゃん!
どうにか使いこなせるようにならないとな。ていうか、俺の魔法ってしょっぱくするだけなのか?
「はー、お会計も先に済ませちゃったわ。後は帰るだけねー」
のんきなことを言いながら、佳菜子が戻ってきた。アンタさっき息切らせて泣いてただろ。
「しかし、脱水症状ねぇ。あの後、マラソンでもしてたの?」手には缶コーヒーを持っている。
「マラソンなんかするかよ。例のあれだよ」
「例のあれってなーによぅ」
カツン、カツン。なかなか爪にプルタブが引っかからないようだ。佳菜子は深爪派で、爪先の白い部分がどうにも許せないらしく、少しでも伸びるとすぐに切ってしまう。そのせいで、缶ジュースや缶詰はもちろん、シールをはがしたり、床に落ちた紙切れ1枚を拾うのも一苦労である。だいたい祥太朗が見かねて手伝ってやるのだ。例によって、祥太朗が無言で手を差し出すと、にっこり笑って缶コーヒーを手渡してきた。
「コップの水、本当にしょっぱくなるのかと思って、試してたんだよ。よいしょ。ほら」
コーヒーを開けて、手渡す。飲みやすいように飲み口を向けることも忘れない。
「うふふ。ありがと。で?なったでしょ、やっぱり」
だいぶ喉が乾いていたのだろう、喉を鳴らしてごくごく飲んでいる。コーヒーってそういう飲み物だっけ?
「うん。途中まではね。やりすぎて倒れたみたいだから、最後の方どんだけしょっぱくなったかはわかんないけど。でも、やりすぎたら脱水症状だもんなー。あぶねぇな、魔法って」
コーヒーを一気に飲み干して、佳菜子はニヤッと笑った。
「相当しょっぱいと思うわよ」
「なんでわかんの?」
「さっき干してきたんだけど、お布団、塩吹いてたから」
その布団、使えんの?