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第十四話 善意

 久我一家が消えてから、三日が経った。


 まだ見つかっていない。


 警察は事件と事故の両面で捜査を続けていた。


 自宅に争った跡はなく、血痕もない。車も残されている。


 財布。


 衣服。


 妻の携帯電話。


 娘の通学鞄。


 普段使っていたもののほとんどが家に残されていた。


 唯一、手がかりらしいものがあったのは防犯カメラだった。


 午前二時十三分。


 一台の黒い車が久我家の前へ停車している。


 ナンバーは偽造。


 乗っていた人間は確認できない。


 そして午前二時二十一分。


 車はその場を離れた。


 それ以降、久我一家の姿を見た者はいなかった。


「神代さん」


 水城が端末を手に言った。


「もう一度だけ確認します」


「はい」


「久我真人さん、奥様、娘さん。三人の居場所に心当たりは?」


「ありません」


「誰かに何か頼みましたか?」


「頼んでません」


「久我さんについて、誰かと話しました?」


「水城さん以外とは話してないです」


「ネット上では?」


「配信だけ」


「個別のメッセージは?」


「来すぎて見てません」


「返信は?」


「してません」


 水城は無言で端末へ入力する。


 遼は自宅のソファに座っていた。


 警察の事情聴取は昨日終わっている。


 今日は協会側からの確認だった。


「俺、疑われてます?」


「警察からですか?」


「はい」


「当然、調べられています」


「ですよね」


「ただし、神代さん本人が連れ去ったとは考えられていません」


「何で?」


「事件が起きた時間帯、あなたはここにいました」


「一人でしたよ」


「監視があります」


 遼の顔が曇った。


「嫌な顔しないでください」


「こういう時だけ役に立つな」


「でしょう?」


「嬉しくないです」


「私もです」


 少しだけ空気が緩んだ。


 だが、すぐにまた沈黙が戻る。


「じゃあ」


 遼が聞いた。


「誰がやったんです?」


「分かりません」


「俺のファン?」


「その可能性もあります」


「ファンって、人を攫うんですか?」


「普通は攫いません」


「ですよね」


 水城は少し迷うように視線を落とした。


「ただ、神代さん」


「はい」


「あなたの支持者は、もう一つの集団ではありません」


「どういう意味?」


「普通に応援している人もいます」


「はい」


「あなたの境遇に同情している人」


「はい」


「強さに憧れている人」


「はい」


「政府や協会を嫌っていて、あなたをその象徴にしている人」


 遼は黙った。


「強い者が好きなだけの人もいます」


「うん」


「そして」


 水城は遼を見る。


「あなたの名前を使えば、自分のやりたいことを正当化できる人」


「俺の名前?」


「はい」


「俺が頼んでなくても?」


「むしろ、頼んでない方が都合がいい人もいます」


「何で?」


「神代さんは命令していない」


「……」


「だから失敗しても、あなたに直接責任はない」


「意味分かんないです」


「でも成功したら」


 水城は言った。


「あなたのためにやったと言える」


 遼は露骨に嫌な顔をした。


「迷惑ですね」


「そうですね」


「やめさせられない?」


「どうやって?」


「俺が言う」


「前に言いました」


 遼は思い出した。


 家族への攻撃をやめてください。


 あの投稿。


 五十万を超えた反応。


 一度は止まったように見えた。


 それでも久我一家は消えた。


「じゃあ」


 遼は言う。


「俺、何も言わない方がいい?」


「今は、その方がいいです」


「何も?」


「できれば」


「ネットも?」


「見ないでください」


「外出は?」


「必要最低限にしてください」


 遼は眉を寄せた。


「神代さん」


「はい」


「怒らないで聞いてください」


「それ先に言われると嫌だな」


「政府内で、あなたの保護を求める意見が出ています」


「保護?」


「はい」


「どこかの施設に入れってこと?」


「そうです」


「嫌です」


「分かってます」


「それ監禁でしょう」


「法的根拠はありません」


「じゃあ無理ですよね」


「現時点では」


「現時点?」


 水城は少し言葉を選んだ。


「神代さんを中心に、社会不安が広がっています」


「俺のせい?」


「原因の一つではあります」


「……」


「でも、責任があると言っているわけではありません」


「またそれですね」


「はい」


「原因だけど責任はない」


「そうです」


「変なの」


「社会って、そういうものです」


 遼は天井を見上げた。


「地下の方が簡単だったな」


「……そうかもしれませんね」


「敵が分かるから」


 魔物なら襲ってくる。


 殺す。


 終わる。


 そこに理由はいらない。


「地上は」


 遼は水城を見る。


「誰を倒せば終わるんです?」


「誰も倒さないでください」


 水城は真顔で答えた。


 遼は少し笑った。


「分かってますよ」


 その日の午後。


 久我一家の失踪と遼との関係を問う報道が過熱し、政府にも対応を求める声が殺到していた。


 そして総理大臣が、定例の記者会見で神代遼について質問を受けた。


『神代遼氏について、政府として現時点で行動を制限する考えはありません』


 会見はテレビ、ネット、街頭モニターを通じて世界中へ流れた。


『神代氏は日本国民であり、法の下に他の国民と同等の権利を有しています』


 記者が手を挙げる。


『しかし神代氏には、国家でも制御できない可能性があるほどの力があるとされています』


『仮定に基づいて国民の自由を制限することはできません』


『久我氏一家の失踪については?』


『警察が捜査中です』


『神代氏の支持者が関与している可能性は?』


『現時点で申し上げられることはありません』


『神代氏本人に責任はないと?』


 総理が一瞬だけ止まった。


『少なくとも、現在までに神代氏本人が違法行為を行った事実は確認されていません』


 会見はそこで終わった。


 十五分後。


 ネットニュースの見出しは、


【政府、神代遼の無罪を認定】


 に変わっていた。


「無罪って」


 遼はテレビを見る。


「裁判すらしてないけど」


「そういう見出しの方が読まれるんです」


 水城が答える。


「適当だな」


「適当です」


「総理も大変ですね」


「誰のせいだと」


「俺?」


 水城が少し考えた。


「……半分くらい」


「ひどい」


 遼は笑った。


 その日の夕方。


 一つの動画が投稿された。


 タイトルは、


【神代遼様へ】


 投稿者は分からない。


 画面の中央に、黒い仮面をつけた男が座っていた。


 声は加工されている。


『神代様』


 遼の笑みが消えた。


『あなたは何もする必要がありません』


 水城も画面へ顔を向ける。


『あなたを傷つける者』


『あなたを利用する者』


『あなたの自由を奪おうとする者』


 仮面の男は静かな口調で続ける。


『それらは我々が排除します』


「……何これ」


 水城がすぐに立ち上がった。


「止めます」


「誰?」


「分かりません」


 動画は続いている。


『あなたは十年間、地下で苦しんだ』


『この国はあなたを救えなかった』


『それなのに今』


『あなたへ責任を押しつけようとしている』


『許されることではありません』


 遼は黙って見ていた。


 やがて仮面の男が、少しだけ顔を上げる。


『久我真人は』


 水城の顔色が変わった。


『最初の一人です』


 遼の身体が止まる。


『安心してください』


『彼と家族は生きています』


「生きてる?」


 遼が立ち上がった。


『あなたが望まない限り』


 仮面の男は言った。


『殺しません』


 遼の表情が消えた。


 画面の中の男は、最後まで穏やかな声を崩さない。


『神代様』


『あなたは何もする必要がありません』


『我々がやります』


 そして。


 仮面の男は、静かに頭を下げた。


『我々は、あなたの剣です』


 画面が暗くなる。


 最後に一つだけ、白い文字が浮かび上がった。


【解放同盟】


 動画はそこで終わった。

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