第7話 花舞櫻と凍宮椿
『結婚、ありがとうございます。春の神様』
『わたくしのことは気軽に胡春とお呼びください』
『ええと、胡春…様』
『慣れていったらでいいですよ』
そんな夫婦の時間は4年で崩れた。
胡春の夫・葉葉明也の家が裏切ったからだ。
その時まだ2歳だった葉葉風吹を連れて家を出た。葉葉胡春と葉葉風吹は胡春の旧姓で花舞胡春、花舞風吹として冬の神に嫁いだ。風吹は春から出ることを許されず、春の国管理委員会委員長に任せた。
それから数年が経つと凍宮白城と凍宮椿を産んだ。
冬の神と春の神の子供達は世間に知られ渡った。
椿を産んでから1年後、胡春はこの世を去った。
それを機に椿はどんどんお兄ちゃんっ子になっていった。
そして今、あんなに幼かった女の子が目の前にいた。
「はなまい、さくらです」
あんなに小さかった凍宮椿は大きくなって花舞櫻として戻ってきたのだ。
* * *
その2日前、櫻は婚約者の咲谷夕月と会った。
「しょうぶをしましょう。さくらがかったら、こんやくはなしにしてください」
「俺が勝ったら即結婚だ」
「おうけいたします」
この婚約は春の国管理委員会が勝手に決めたものだ。好きで婚約しているわけではない。それは双方共にだ。
「ゆうげつさまにとって、こんやくとはどのようなものですか?」
家のための義務。
そうだ。義務だ。それでも、櫻は信じたかった。何かしら考えはないのかと。
しかし、そんな希望はすぐに断たれた。
「義務だ」
その気持ちは櫻だって同じ。
同じ痛みを分け合っている味方なのだから、少しくらいよくしたいのに。
少しでも仲良くしようとすると、初恋の青年との関係が壊れてしまう気がする。それがこんなにも悲しい。
「さくらもぎむ、だとおもってます。でも、それがうんめいです」
「せめて…せめて読み書きくらい練習してくれ…」
そう、櫻は読み書きができない。
それは昔、誘拐されたからだ。
「わかりました。ゆうげつさまもかんがえをあらためていただきたいです」
「あんなに抗ったのは君なのに?」
「そのことはあやまります!さくらも、あらためます」
「寄り添わないのではなかったか?」
「ゆめは…かないそうにありません…。あやめちゃんがいなくなっちゃったから、きっとごちょうおにいさまもかわっちゃうだろうな…って…」
諦めたくない。でも、諦めないといけない。
嗚呼、この世界がこんなにも無情だったなんて。
「俺は捨て駒か?」
「ちがう…ちがうんです。かわりなんかじゃ、ないんです」
「その言い方だと代わりということだろう」
「ちがうんです。あれは、もうしんじゃった椿ちゃんのきもちなんです」
もう、【凍宮椿】の気持ちなんていらない。【花舞櫻】の気持ちだけでいい。
なのに、捨てられない。屑籠に簡単に捨ててしまえれば楽なのに。春の神の気持ちなんて無下にされるだけなのに。ずっと持っていてもいらないのに。
「つばきちゃんは、つよくて、ごちょうおにいさまをよくしたっていました。櫻になってもかわらないんです」
椿は兄を守った。連れていかれたのは椿だった。強くて五朝をよく慕い、惚れて。
でも、過去と現在に耐えられなくて。それで死んでしまった。死んだ、というより、失踪した、のほうが正しいのかもしれない。
逃げてしまった椿の代わりに櫻がいる。
「つばきちゃんのこと、いろいろいわないでください!」
櫻には使命感があった。
椿が残した気持ち。それが櫻の生き甲斐だ。
* * *
「はなまい、さくらです」
櫻は椿を亡くして、そして兄に会いにきた。
凍宮白城の妹・凍宮椿。
いつか再会したいという椿の気持ちを叶えるのが櫻の運命。椿が帰ってきたら「待ってたよ、貴方の気持ちは全部守ってたよ」って安心させたい。
誘拐されてなくした心ならばいつか見つかるだろう。そして返してあげたい。この体を。
「つばきちゃんのかわりにきました」
* * *
「はなまい、さくらです。つばきちゃんのかわりにきました」
【花舞櫻】と【凍宮椿】は違うのだろうか。
いや、そんなわけない。
見た目は最後見た時より随分と大人びているが、椿だ。
白城はすぐにわかった。
「ひとまず、上がってくれ」
【凍宮椿】ではなく【花舞櫻】。
彼女はそう断言した。
それに関してはきかなければならない。
「しつれいします」
嗚呼、椿だ。
所作が椿のものだった。
「あの、あやめちゃんが、ゆうかいされました…!なぐさあやめちゃんです」
『あの、白城様ですよね?』
『その通り凍宮白城だ』
『何のご用でしょうか?』
『妹が産まれた。椿だ。護衛官になってくれるか?』
『私の主君は花舞風吹様です』
『今日から凍宮椿だ』
『命令でしょうか?』
『命令だ』
『なら、お受けします』
『風吹にはこっちから話を通しておく』
『ありがとうございます』
こうして、菜草あやめは凍宮椿の第一護衛官になった。
『あの、白城様』
『どうした?』
『私…私…』
ードォン
急な銃声。
『椿様っ!』
『白城様、逃げましょう』
話の途中だったが、あやめは椿のもとへ走っていってしまった。
危ない、いくな!
そんな気持ちがあった。
菜草あやめ。昔、恋した少女だ。
それが今、攫われている。
「冷寒!すぐに護衛共を呼べ!」
「はっ」
それならばすぐに動くしかない。
「白城様」
櫻と2人きりだ。
あやめと存分に恋するならこれしかない。
「椿…いや櫻、冬に戻ってこないか?」
しかし、櫻は頷かなかった。
「さくら…ごちょうおにいさまがすき、なんです…。もうすこし、まってくれませんか?」
妹は、帰ってこない。
菜草五朝はあやめの兄だったはずだ。
もう、春と和睦するしかない。
「わかった。いくらでも待つ」
すぐにわかった。櫻は目を輝かせていた。
考える時間がほしい。それは櫻も白城も一緒だ。
だから、今一番言って欲しい言葉をかけた。
「ありがとうございます」
頭を下げる様子は椿を連想させた。
『今年は春はこないのか?』
ある時、毎年来ていた春が急にこなくなった。
しかし、次の年には春がきた。
『あの一年は何だったんだ』
代替わりの一年の修行期間だったのかもしれない。だが、春の神は花舞風吹のままだ。
椿の生存もわからない。
あやめも椿が誘拐されてから2日後には行方不明になっていた。
『あやめ、椿』
先に出てきたのは護衛官の名前だった。
昔恋した少女はどうなっただろうか?
守り抜けなかった妹は生きているだろうか?
そんな過去の疑問が全て晴らされた。
守り抜けなかった妹は生きていて、昔恋した少女は誘拐された。
嗚呼、耳を傾けなければあやめの誘拐も知らずに生きられたのに。聞いたからこそ何か行動に移したくなる。
守り抜けなかった妹と昔恋した少女が一番辛い。
そんな世界を作った神様が、悔しい。憎い。
この世界なんて死んでしまえばいいのに。




