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第九話 冠紋衆

 例外    原紋



 原紋とは――


 全身が黒いあざに覆われながらも暴走せず、紋を完全に制御下に置いた存在。

 ただし蝕紋体と同じく全ての紋を吸収したいという欲望は変わらない。

 制御できるがゆえに紋を無制限に吸収でき、目撃例は極めて少ない。

 さらに全身を覆う紋を六センチ四方に圧縮することで人間に擬態することもできる。

 原紋は蝕紋体の上位分類ではなく、制御できるか否かという別軸の存在だ。

 そのため原紋より強い蝕紋体も存在する。ただし吸収上限のない原紋は最終的に全ての蝕紋体を上回る。



◇◇◇



戦場は泥と怒号に満ちていた。


 紋理帝国と紋皇国、二つの軍が入り乱れている。紋の光が飛び交い、地面が抉れ、煙が上がる。どちらが優勢とも言えない膠着状態が続いていた。


 その男が現れたのは、そんな最中だった。


 最初に気づいたのは最前線にいた騎士団の隊員だった。


 白に近い金髪を短く整えた、彫刻のような顔立ちの男。軽装で、武器も持っていない。戦場の真ん中に、ただ立っていた。


 圧倒的な存在感があった、怒号が止んだ、戦いが止んだ。


 騎士団も紋士団も、気づけば動きを止めて男を見ていた。理由は分からない。ただ、見ずにはいられなかった。


 隊員の一人が息を呑んだ。男の右半身が、黒く染まっていた。


「――――原紋だ!! 全員構えろ!!」


 騎士団の隊長が叫んだ。戦場が一瞬で緊張する。騎士団が一斉に男へと向き直り、紋士団は原紋と騎士団双方からの攻撃に備えるように防御態勢を取った。


 騎士団隊長が号令をかける。隊員たちが一斉に紋を発動させた。光が男へと殺到する。


 男の左半身、白く残った肌に刻まれた基礎紋が光った。太い弧状の曲線。


 次の瞬間、全ての攻撃が弾き返された。光が逆流し、隊員たちが自らの攻撃を受けて吹き飛ぶ。隊長は咄嗟にバリアを張ったが間に合わなかった。


 土煙が晴れた。騎士団は誰一人動いていなかった。男も動いていなかった。立っている場所すら変えていなかった。


 紋士団の幹部は男を見た。男も幹部を見た。幹部は動かなかった。


 ――反射か……攻撃しなければ安全……か?


 幹部は男の紋を見た。基礎紋。シンプルな構造。しかし今見たものは単純な反射ではなかった。幹部は腰の武装に手をかける。


 ――私にはあの銃がある……だがアレすらも反射するのか?


 紋士団の幹部は「紋破壊武装」と呼ばれる特殊な武装を持っている。


 剣であったり、銃であったり――それぞれの幹部に合った武器に加工されたその武装は、紋そのものを破壊する力を持つ。


 男が視線を落とした。足元に、戦闘で落ちた剣が転がっている。男はそれを拾い上げた。


 男は剣を自分の体に向けた。自らの腹に、刃先を当てようとした。


 その瞬間だった。刃が体に触れる直前、剣がぐわんと跳ねた。男の体の周囲で、何かが反応している。弧を描くように、剣が不規則に揺れる。ぐわん、ぐわん、と。まるで磁石に弾かれるように、刃が体に近づけない。


 男は剣から手を離した。狙いを定めるように一拍置いて、離した。


 剣が飛んだ。ただの落下ではなかった。凄まじい勢いで、一直線に、紋士団の幹部へと向かう。幹部は紙一重で身を逸らした。剣が耳をかすめ、後方の岩に深々と刺さった。


 幹部は息を整えながら、男を見た。


 ――こいつ……ただ反射するだけではなく、出力を乗せられるのか。


 紋士団の幹部が号令を出した。


「全隊、後退!」


 紋士団は原紋から目を離さず、じりじりと距離を取る。幹部の目が男を捉え続けていた。一定の距離を取った瞬間、幹部が声を上げた。


「駆けろ!」


 紋士団が踵を返し、一気に駆け抜けた。男は手を出さなかった。じっと、遠ざかる背中を見ていた。


 そして、消えた。



◇◇◇



 戦場にいた原紋の男は屋敷にいた。


 外観は古びた石造りで、手入れがされているのかいないのか判断のつかない佇まいだ。内部は広く、天井が高い。人が集まるには十分な空間だった。


 ヴァンが扉を開けて中に入った。廊下の奥から足音が響く。


「ヴァンだー! どこ行ってたの?」


 駆け寄ってきたのは小柄な少女だった。見た目は八歳ほど。丸い目と屈託のない笑顔で、どこからどう見ても人間の子供だった。ただし笑うたびに、首筋に黒い模様が見え隠れした。ティアだった。


「外だ」


「また人間狩ってたの?」

 ティアは首を傾けた。笑顔のままだった。


 廊下の奥から、重い足音がした。


「またこそこそと人間を狩っていたのか」


 がっしりした体格の男が現れた。顔だけは完全に人間のものだが、両腕が肘から先で黒く染まっており、常に長袖を着ている。表情がほとんど動かない。ゴッフだった。


「蝕紋体を狩る方が効率的だ」

「人間も蝕紋体も同じだ。紋があれば関係ない」


 ゴッフは何も言わなかった。それ以上話す気がない顔だった。


 広間に入ると、すでに何人かがいた。


 窓際の椅子に、膝まである白い髪を垂らした女が座っていた。薄い金色の瞳が窓の外を向いており、素足が床についている。こちらを見ようともしない。シャロだった。話しかけても返ってくるかどうか分からない雰囲気があった。


 その向かいのソファに、銀髪を片側だけ編んだ長身の女が寝転んでいた。背中だけが黒く染まっており、寝転んでいるせいでそれが見えていた。本人は気にしていない様子だった。天井を見ながら何かを考えているような、考えていないような顔をしていた。ルーカだった。ヴァンが入ってきたのに気づくと、ちらりと視線を向けて、また天井に戻す。


「どうだった?」

「戦場に出た」

「へえ」


ルーカは少し身を起こした。


「騎士団と紋士団どっちもいた?」

「いた」

「面白いね」


 ルーカはまた寝転んだ。興味が続かない顔だった。


 部屋の隅、壁に背中を預けて立っている男がいた。中背で物腰が柔らかそうな雰囲気だが、常にサングラスをかけており目が見えない。足が地面についておらず、わずかに浮いている。床に落ちるはずの影が、複数に分裂していた。セルジだった。


「お帰り」


 愛想よく言った。本音が見えない笑顔だった。


 階段の上から声がした。


「遅かったじゃないですか」


 上から眺めていたのは、明るい茶髪の癖毛の男だった。人懐っこい笑顔で、左腕だけが黒く染まっている。それを隠すでもなく、手すりに腕を乗せてこちらを見下ろしていた。カイエンだった。


「何か面白いことありました?」


「お前には関係ない」


「冷たいなあ」

 カイエンは笑った。


 シャロだけが、窓の外を見たまま何も言わなかった。



◇◇◇



 原紋の集団―――――冠紋衆―――――


 原紋が別の原紋を倒せば、その力は倒した側に全て流れ込む。原紋は無制限に吸収できるため、最初に動いた一人が雪だるま式に強くなり最終的に全てを独占する。それを防ぐために作られたのが冠紋衆だ。

 ルールは一つ――構成員同士の討伐を禁止する。これだけだ。破った場合は全員でその者を討伐する。

 このルールには大きな欠点がある。

 構成員の誰か一人が「残りの全構成員を合わせた力を上回った」と判断した瞬間、協定は意味を失う。その時点でその一人が動く。構成員を一人ずつ狩って力を吸収し、最終的に世界の紋を独占する――それが冠紋衆という組織の、誰も口にしない終着点だ。構成員全員がその可能性を理解した上で協定に従っている。自分が臨界点に達するまでの時間稼ぎとして。

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