表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
セツナレンサ  作者: uta
2/20



 僕の通う東桜学園は、幼稚園から大学院まで都心の中心部という一等地にある。それにも関わらず、林立するビルが緑の向こうの景色に生えてこなければ、ここが都心だということを忘れてしまうほど、静けさに満ちている。校舎を囲むようにして広がる緑地が、外の喧騒を遮断してくれるのだ。僕が今通っている高等部は、付属の中学と隣り合わせに建っており、学内の広さと設備の良さには、寄付金の額や歳月の重みというものを否応なしに感じさせられてしまう。


 しかし、この学園は非常にむさ苦しいことに、高校までは男子校なのである。正直言って、こんな所まで古き良き伝統を引きずらなくても良いと思う。一駅先にあるお嬢様学校の生徒と足して二で割ればちょうど良いのに、学園側は男子校で運営を続けていくことを決めている。有名私学が生き残りを賭けて次々と共学化に踏み切るという昨今なのに、うちの学校は随分と頑張っているものだ。


 中学までは地元にある共学の公立校に通っていたので、それほど意識をせずに済んだのだが、男子校に通うにようになって、自分が可愛い部類に入るという信じ難い事実を思い知らされた。まったくもって、屈辱的な新事実だ。


 入学式の時、受付をしていた上級生に「この出逢いは、運命だと思わないか?」と両手を包むように握られながら言われた。男から告白されるなんて、悪夢としか思えない。或いは、性質の悪い罰ゲームだ。愛の戯言を紡ぐ相手は、ただひたすらに薄気味悪いだけだった。その時の虚しさと、寒気と、沸々とこみ上げる怒りは筆舌に尽くしがたいものであった。ピカピカのブレザーとカッターシャツに包まれた僕の腕に鳥肌が立ってしまったのは、言うまでもないだろう。この息苦しさは、馴れないネクタイを絞め過ぎたことだけが、原因ではなかったはずだ。


 期待と不安を胸に抱いてやってきた入学式。さんさんと光輝く太陽に向けて、僕は早々に新生活への期待を投げ捨てた。その代わりなのだろうか、重苦しい不安が僕の頭上目掛けて土砂降りに落ちてきた。


 同性愛って、案外普通にあることなんだということを、僕は身を持って教えられた。他人の話なら、自分に被害が及ばない限りでは、別に否定はしなかった。これだけ地球上に人間が溢れかえっているのだから、そういう普通と違った性癖を持つ人種がいてもおかしくはないと思っていた。ただ、それは、テレビの中の芸能人やアーティストといった特殊な生業をしている人物に限られていた。あくまでも、作り事の中で起こる話だった。


 ただし、自分の身に降りかかったら、意見は一八〇度変わることもある。確かに同性愛に対して、拒否感をすべて拭い去れた訳ではない。ただ、好く方も好かれる方も経験してしまった今となっては、同性愛なんてありふれた日常の中では普通のことなんだと思えるようになった。


 初めてされた告白の相手が男だったなんて、いつかネタとして笑い話に出来る日が来るのだろうか。自分のことは棚に上げて、男に抱かれる男も、男に告白する男も気味が悪いと思った。


 好きでもない僕から行為を寄せられたすばるさんは、一体どんな気持ちだったのだろうか、と考えて深い溜め息を漏らした。有り得ない、気持ち悪い、頭おかしいんじゃないか。自分を責める言葉が次々に浮かびあがった。


 すばるさんのことは本当に大好きだが、断じて男が好きな訳ではない。女顔をしているからといって、男から愛されたいという、世間一般的な女性のような恋愛を望んでいるわけではないのだ。すばるさん以外の男に抱かれるなんて、考えただけでも吐き気がしそうだ。


 すばるさんだから、好きになったのだ。しかし、哀しいかな、好きな男性からはそっぽを向かれ、好きでもない男からは嫌がらせとしか思えないラブコールを受ける。若宮優、受難の時代だ。





 そんな鬱屈した想いを抱えながら、高校生活をスタートした春。窓から見える校内の木々が、ようやく思い出したように新緑を芽吹き始めた頃だった。入学式からまだ数日しか経っていない麗らかな四月の午後に行われたHRの時間のことだった。


 クラスの担任で国語担当の広小路先生が、黒板にずらっと委員会の名前を書き、「早い者勝ちでやりたい所に自分の名前を書け」という言葉と共にチョークを置いて、手のひらをパンパンと軽く払った。要するに、後は自分らで勝手にやれというお達しである。それを合図にして、クラス委員争奪戦の火蓋は切って落とされた。


 面倒臭そうに腕を組んだ彼は、押し寄せてくる生徒の波を避けるようにして、背中を出入口の扉に預けた。線が細く、華奢な体躯の広小路先生は、口元をクラス名簿で申し訳程度に隠しながら、その儚い姿を裏切るような大欠伸をひとつした。


 元々反応が鈍い上に優柔不断な僕は、一番後ろの席で何にしようか迷っているうちに完全に出遅れてしまった。そうこうしている間に、黒板の前には砂糖に群がるアリのような人だかりが出来あがっていた。いや、「アリのようだ」と言ってしまったら、アリに失礼である。黒板にわらわらと群がる彼等は、怠けるべく努力をするという非常に矛盾した行動にエネルギーを注いでいるのだ。取りあえず、黒板の前まで行こうと、皆に遅れてようやく僕も重い腰を上げた。


 黒板の前で繰り広げられるじゃんけん大会からは、勝者の力強い雄叫びと、敗者の悲痛な嘆きが響き渡る。僕の前の席に座っていた奴が、まさにその前者のようだった。遠目からでも解るほど綺麗な字で、黒板に自分の名前を書いている久屋英太という奴だ。外部から入学して来て、尚且つ、酷い人見知りのため愛想の一つも絞り出せない僕に対して、毎日飽きもせずフレンドリーに話しかけてくれる奇特なクラスメイトである。そんな彼の零れるような笑顔を見て、本当、嬉しそうにガッツポーズをするなぁ、と感心していた。


 僕は今、黒板から距離のある所にぼんやりと立ち尽している。身長が低く力もない僕は、当然のごとく、何度も何度も男一色の人混みから弾き飛ばされた。三回目の挑戦で諦めを悟った僕は、黒板に次々と書かれていく名前を眺めることに徹していた。カツカツと小気味の良い硬質な音を立てて、チョークが各々の名を黒板に埋めて行く様を見つめながら、人間、挑戦する事に意義があるのだ、と思った。残り物には福があるのだ、とも思った。完全な白旗宣言だ。


 時間と共に黒山の人だかりが空いてきたので、僕はやっと黒板の前にたどり着くことが出来た。その頃には、皆、教室の中で思い思いに固まって、戦いを終えた後の楽しい雑談を繰り広げていた。黒板に名前を書いている生徒たちの隙間から、随分と短くなった白いチョークを手に取って、まだ決まっていないクラス委員を目で探す。


「あれ……『若宮』」


 しかし、なぜか図書委員のスペースに、小学校の先生を思わすような、やけに整った字面で『若宮』という名前が書いてある。まだ、クラスの名前は全員覚えていないが、若宮という苗字は僕一人だったはずだ。チョークを握ったまま、ポカンと口を開けて『若宮』の文字を見つめながら、僕は考えた。入学したばかりの僕らは、名簿順で席に座っているのだが、「わ」から始まる苗字をもつ生徒は僕以外いない。当然、五十音の最後の行である『若宮』の後ろは誰もいないし、前の席に座って、やけに人懐っこく話しかけて来る奴の名字は『久屋』だった。


 軽く首を傾げてから、クラス名簿で口元を覆いながら、欠伸を噛み殺そうとしない広小路先生に視線をやる。誰かが何か面白いことを言ったのか、どっと教室内に笑い声が上がった。


「広小路先生、『若宮』って僕以外に……いるんですか?」


「いや、うちのクラスの若宮は、お前一人だけだと思うけど」


「ですよねー……」


 手にした名簿を開き、一度目を落とした後、広小路先生はぱたんと片手で名簿を閉じた。あっさりと言葉を返されて、僕は途方に暮れてしまった。そのまま彼を見つめていると、黒板の方にちらりと目をやった先生は、縁のない薄い眼鏡を指先で上げて、すべてを理解したかのように、唇で綺麗な弧を描いた。


 まだ、学校に馴染めていない僕は、友達はおろか、知り合いすらいないため、誰かが気を利かせて代わりに書いてくれたとは思えなかった。高校から入って来たばかりの新入りだし、人見知りが酷いから愛想笑いも失敗ばかりだし、口下手だから言葉がつっかえてばかりだし。マイナス要素しか挙げられない根暗で地味な僕なんか、何も解っていないと思われて、大変な仕事を押し付けられたのかもしれない。図書委員って、実は酷い貧乏くじなのか、と訊きたくても訊ける相手がいない。まだ名を知らない誰かが、体育委員の所に名前を書く音が隣から聞こえてくる。心がくしゃりと潰れそうになった。





 マイナス思考の堂々巡りである。こんな自分がすごく嫌いだ。嫌いなのに、僕は何も変える事が出来ない。口先だけの言い訳を吐いて、現実から逃げ出してしまう。


 初対面の男から、いきなり至近距離で嫌がらせとしか思えない告白をされた上に、まだ気持ちの整理が出来ていないのにすばるさんと再会してしまう。そうかと思ったら、今度は勝手にクラス委員を決められてしまう。踏んだり蹴ったりとは、まさにこのことだ。


「も……こんながっこ……嫌だ」


 周りに聞こえないように小さく泣き言を口にする。学校で弱音を吐いたのは初めてだった。手にしたチョークを黒板消しに取り替えて、自分の名前を消そうとした。


 はたと気付いて、黒板消しを手にしたまま、左右にキョロキョロと視線を動かす。いつのまにか、黒板の前にいるのは僕だけになってしまっていた。黒板には、クラス全員の名前が書かれている。つまり僕は誰かが勝手に決めた図書委員をやるより他はないのである。滲みそうになる涙を、喉元にせり上がってきた苦しさと共に、ぐっと押し戻した。胃袋の中が鉛でいっぱいになるような、重苦しさを感じた。


「あっ、若宮! お前の名前、書いといたから! 一番楽な図書委員取ったぜ!」


 突然、後ろから弾むような声音で名前を呼ばれた。ぐるぐると悪いことしか考えられない僕の心の中に、ポンと勢い良く風が吹きこんで来た気がした。こんな風に僕の名前を呼ぶ奴なんて誰か決まっている。彼、一人しかいない。振り向かなくても、それが誰だか解る。


 案の定、僕の名前の横には、僕の名を書いたものと全く同じ筆跡で『久屋』と書いてある。まじまじと彼と自分の名前を見つめてから、声のする方をゆっくりと振り向いた。ふざけながらも、バカ丁寧に名前を書いている彼の後ろ姿を思い出して、強張った頬が自然と緩んだ。視線の先は迷わず彼へと向けられた。久屋は僕の前の席に座っている。


 にこにこと満面の笑みを浮かべて、雑談に興じる輪の中心にいる久屋が、僕の方を真っ直ぐに見つめている。その視線が僕のものとぶつかった瞬間、満面の笑みと共に大きく手を振られる。彼の真っ直ぐな好意に戸惑いを拭い切れない僕は曖昧な笑顔を浮かべながら、黒板消しを手にしてない方で遠慮がちに手を振り返した。


 久屋はいわゆるクラスのムードメーカーだ。明るくて人懐っこい笑顔を、彼はいつだってその頬に優しく浮かべている。笑うのが苦手な僕とは違って、彼の周りには絶えることなく明るい笑いがある。まるであたたかい光のような存在だった。


 慣れないことをした僕は、振った手を下ろすタイミングを失ってしまい、伸ばした指先を軽く曲げて、黒板の前で突っ立っていた。そんな僕の方へ歩いてくる久屋にクラス中の視線が集中していることが解った。ざわついていた教室の中、さぁっと涼やかな風が抜けて行くように、静寂が広がっていく。


「あ……えと、ありがとう。その……久屋くん」


 その沈黙に耐えきれず、耳まで真っ赤になった顔を横にそらしながら、僕は精一杯の感謝を口にした。


「いーって。……それよりさ、若宮のこと『優』って呼んでもいいか?」


 僕が手にしていた黒板消しを抜き取りながら、久屋は小首を傾げながら言った。その表情は、昔飼っていた豆柴が、散歩に連れて行って欲しいとねだる時のものと、よく似ていた。懐旧の念に引きずられそうになっていた気持ちを現実に戻しつつ、僕は言うべき言葉を喉奥から手繰るようにして口の外へと引き出した。


「……うん、いいよ」


「よっしゃ! 俺のことは、名字なんてよそよそしいの無しにして、英太って読んでくれよな!」


 彼の大袈裟な反応に驚きを覚えつつ、僕は掻き消えてしまいそうな声量で言葉を紡ぐ。クラス中に注目されて、逃げ出したいくらいに恥ずかしくてしょうがなかった。


 英太にありがとうと伝えたかった。いてもいなくても変わらないような僕の生活が変化したことに対して、僕が負担に思わないよう、そっと気を遣ってくれた。口下手な僕の言葉や人見知りで上手く笑えない僕の笑顔が、自然に出てくるまで、傍でずっと待っていてくれた。それが本当に嬉しかったから、柄にもなく僅かな勇気を必死にかき集めて、僕は不器用な言葉で想いを彼に伝えた。


「うん、その……ありがとう。え、英太……」


 はにかんだ表情を隠すようにして俯きながら、そっと息をつく。慣れないことをしたので、こめかみの辺りに心臓が移動したのではないかと思うくらいに、どきどきする。きっと呼吸することを、忘れてしまっていたのだろう。あれほどにうるさかったはずの教室が静まりかえって、開け放した窓から春風と共に鳥の鳴き声が舞い込んできた。


 僕と英太に突き刺さるクラス全員の視線にたじろぎながらも僕は考える。こういう場合、僕は一体どういうリアクションをすれば良いのだろうか、と。


 そう一人で頭を悩ましながら、俯いたまま視線だけを上に向けて、英太の表情を伺おうとした時だった。いきなり正面から、英太に両肩を掴まれた。ビクッと肩が大きく跳ねて、体が硬くなる。何か、僕はまずいことをしてしまったのだろうか、と心配になり、引きつった表情でおずおずと探るように彼と視線を合わせようとした。


 彼と目が合うか、合わないかという瞬間、緊張で泣きそうになる僕の耳にスパーァァァン! と胸のすくような音が聞こえてきた。結局、顔を上げた僕と、顔を下げざるを得なかった英太の視線が合わさることはなかった。突然の出来事に目を白黒させながら、大きく瞬きをする。何が起こったのか理解するには、数秒の時間が必要であった。


 英太の後ろに視線をやると、眉間に皺を寄せ、不機嫌そうに溜め息を吐き出す広小路先生の姿が見えた。彼の手にしている黒いクラス名簿が、英太の後頭部を背後から鮮やかに襲ったのだ。その細腕から考えられないような力強い響きで、この奇妙な静寂を破りながら。


「はいはい、若宮が可愛いのは解るが、後は二人でやっとけなー。二人のために世界はないぞー」


「ってぇな、瑞希ちゃん! 後ろからは反則だぞ!」


 頭を両手で擦りながら、英太が振り向きざまに悪態をつく。しれっと鼻で笑いながら、広小路先生が言葉を返した。


「痛いのが嫌なら、頑張って避けろ」


「無茶言うなって! 女みたいな細っせえ腕で、どうやってそんな力出すんだよ!」


「ああそーか、そーなのか? じゃあ、久屋は図書委員じゃなくて、風紀委員になるか?

 一番、充実した学校生活が楽しめるぞー」


 高校生活は一回しかないからな、存分に楽しめ、と笑ってない笑顔を浮かべながら、広小路先生は黒板消しを手に取った。心底楽しそうな笑みを浮かべて、黒板に書かれた英太の名前を消そうとする。


「げっ……。綺麗な顔して、やること汚ねーぞ! 職権濫用ー!」


「うーるーさーい。大好きな『優ちゃん』と一緒の委員になりたいですぅーって正直に」


「――ちょっ! 何言ってんだよ、先生っ!」


 わぁわぁと言い合う二人をぼんやりと見つめていると、誰かが僕を「優ちゃぁ~ん!」と呼ぶ声が聞こえてきたので、つい「あっ、はい!」と、まごまごしながら返事をしてしまった。


 その瞬間、二人の言い争いがピタリと止んだ。窓の外に広がる、青々と春の緑を茂らせた楠から、小鳥が数羽、軽やかな鳴き声と共に空へと飛び立った。嫌な予感がして、引きつった笑顔を浮かべながら彼等の方を見ると、含み笑いを浮かべる二人の視線が、僕に向けられていた。


「なるほど、若宮じゃなくて『優ちゃん』な?」


「若宮ってよりも、優って名前の方がしっくり来るよな。ほら、自分でもさっき認めたじゃん!」


「え……、ちょっ!」


 二人のやり取りにつられるようにして、「優ちゃん」の大合唱がクラス中に鳴り響く。高校に入学してから今までの数日間、僕の呼び名は普通に「若宮」であった。それがこの瞬間、いきなりファーストネームに、しかも女の子のように「ちゃん」付けにされてしまったのである。一難去って、また一難。僕は、生まれて初めて眩暈というものを経験した。


 図書委員に誘われたというか、強制的に入れられたことをきっかけに、こんな不本意な形であるが、彼やクラスの皆とようやく打ち解けることが出来た気がする。平凡な僕の、平穏とは程遠い日々が、どうにか始まろうとしていた。が、しかし、下の名前を「ちゃん」付けで呼ばれ、可愛い可愛いと揶揄されるといういらないオプション付きで、軽やかにスタートを切ってしまった。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ