-1-
机の上には、放り投げられたままの書類。その合間に、転がったハンコと半分埋もれたステープラー。
あとは業務用のスマホとノートPC。
雑多に散らかった業務用デスクは、ひどく狭苦しい。
その隅に、鉢植えがぽつんと置かれている。
ヘタクソな口笛。
調子はずれで、掠れて消えそうな、震えるような音。
霧吹きの音。一回、二回。
三回。
細かい水滴が葉の表面を飾り、窓から見える早朝の景色の中に消えていく。
"鉢植えの土は乾燥させないこと"
一瞬、優しい声が脳裏をよぎる。
──地面を照らす赤い光。転がったサンダル。
口笛が、止む。
篠崎壮真は、ゆっくりと霧吹きを机に置いた。
軽い音を立てて、椅子を引く。
それからPCの電源を入れる。のん気な起動音が室内に広がる。
手が無意識に机の上に伸びる。指先に空の缶があたり、乾いた音が鳴った。
篠崎はわずかに眉を寄せて、ゆっくりと立ち上がった。
◇◆◇◆◇◆◇
合同庁舎のエントランスフロア。
ここは、朝からさまざまな人が行き交い、にぎわっている。
スーツ姿の人間。耳の尖ったエルフ族。
ハローワークの窓口では、犬のような頭のコボルト族が全身うろこのリザードマン族に、パンフを見せながら丁寧に説明をしている。
アズは、通り過ぎる人を器用に避けながら、奥の通路へと歩いていく。
慣れないネクタイが胸元で揺れる。
革靴の硬い足音がタイルに響く。
ヤギのような黒い角。うろこのついた尻尾。どちらも魔人族の特徴。この街では、特に珍しいものでもない。
歩きながら、掲示板にちらっと目を向ける。
『亜人雇用推奨月間』『水棲種族向け求人窓口新設のご案内』。
壁に貼られたポスターには、タコのような足を持つスキュラ族の写真が使われている。
アズがこの亜人特区労働局で働き始めてから、数か月。まだ戸惑うことは多いが、どうにかやっていけている。
エレベーターホールに向かう途中で、アズは足を止めた。
誰かがうずくまるように座り込んでいる。
大きな黄色い花が、髪のあいだから顔をのぞかせている。アルラウネ種族──植物系の亜人だ。服装から見て、ここの職員だろうか。
その隣に、見知った顔があった。
いつものように猫背気味。癖の強そうな短髪があちこち飛び跳ねている。
シャツのボタンを上まで留めればもうすこししゃきっとして見えるのに、と見るたびに思う。
「篠崎さん」
篠崎はちらっとアズに目を向けると、あからさまに渋い顔をした。
篠崎は、ちょうど水の入ったペットボトルを差し出したところだった。
アルラウネの職員は両手でそれを受け取り、ちいさく頭を下げる。
足早に窓口へ戻っていく背中を見送ってから、アズは篠崎に顔を向けた。
「なにをしていたのですか?」
「なんでもねえよ」
篠崎は視線を横にそらした。そのまま、エレベーターへ歩き始める。
「他の奴らには言うなよ」
一歩遅れてついていきながら、アズは首をかしげる。
水を、渡していただけだ。
前後の事情はわからないが、見とがめられるような行為には思えない。
それなのに篠崎は、見られたこと自体を気にするように、足を速めている。
エレベーターの呼び出しボタンを押す。十階にいたエレベーターが、ゆっくりと降りてくる。階数の数字が減っていく。
アズは黙ったまま、篠崎を見ていた。
篠崎の手には、缶コーヒーだけ。
一階のエレベーターホールの自販機で売っている銘柄だ。指が、ふたの縁を落ち着かなげになぞっている。
これを買いに降りてきた、といったところか。
「……頭の」
少しして、篠崎は口を開いた。
アズは篠崎の横顔に目を向ける。
「葉っぱが、乾いていたからな」
「葉っぱ、ですか」
アズは、小さく首をかしげた。
篠崎の眉が、さらに寄る。視線は、エレベーターの扉に向けられたままだ。
「エアコンのせいでここ乾燥してんだよ。あいつ、我慢してやがったから」
アズの目が、わずかに開かれる。
「よく気づきましたね」
「たまたまだ」
ポーン、と音がして、扉が開いた。
乗り込んでいく篠崎の背中を見ながら、アズはその言葉を頭の中でなぞっていた。
この篠崎壮真という男の言葉には、矛盾が多い。
そのことに気づいたのは、今回が初めてではない。
エレベーターを降りて、七階。
扉が並ぶフロアは静寂に包まれている。
扉の上に『亜人対策課』と書かれた引き戸を、篠崎はカラカラと音をさせながら開けた。
西に向かう大きな窓からは、秩父や奥多摩の山々が目に入ってくる。
まだこのスペースには、他のメンバーは来ていないようだった。
アズは自分のデスクに向かうと、持っていたコンビニの袋を置いた。
「なんだ、今日もコンビニ飯か?」
それを見ながら、篠崎が言った。
「いえ、間食を調達しただけです」
「また新作プリンでも出たのか?」
「それは先月の話です」
言いながら、アズは取り出したプリン入りシュークリームを引き出しへしまう。
篠崎は向かいの机へ。
そして椅子を引くと、机の上に缶コーヒーをコン、と置いた。その振動か、雑に積み上げられた書類の山がざっ、と崩れた。
クリアファイルと封筒が、アズの机に越境して落ちてくる。
アズは、落ちてきた封筒を黙って押し戻した。
いつも自分の机の上はきっちり整理しているのに、篠崎の机からいつもなにかがこちら側に崩れ落ちてくるせいで、小物の位置がズレる。
それなのに、どれだけ言っても篠崎は机を片付けたためしがない。
「わりぃ」
篠崎は悪びれた様子もなく、崩れたファイルを戻していく。
「使い終わったファイルは引き出しか後ろの棚に──」
「すぐ使うんだよ」
めんどくさそうに篠崎は答える。
「片づければ、机をもっと広く使えますよ」
「今の広さで困っちゃいねえよ」
そう言いながら、篠崎は適当に、乱雑にファイルを置いていく。
その片づける手つきを、アズは目で追った。
まだスペースがあるはずなのに、同じ場所にうず高く積んでいる。
まるで机の隅に置かれた鉢植えの周囲にだけ、広く空間を開けているかのように。
放り出されたスマホも、タバコの箱も、転がったままのボールペンでさえ、小さな鉢植えからは自然と距離を取るように置かれている。
……この鉢植えも、そうだ。
葉には細かな水滴が残っている。
今朝も欠かさずに水をやったのだろう。窓からの日があたるように、時々位置を調節しているのも知っている。
しかし篠崎は、これほど鉢植えに気をつかっているのに、種類や名前を尋ねても「知らない」と言う。
それどころか、植物には興味がない、とまで言う。
これも、篠崎の矛盾だ。
アズの視線を感じたのか、篠崎はばつが悪そうに目を横に向けた。
「……だから、たまたまだ」
そして積んだファイルをアズの机から離すように動かす。
この『たまたま』は、なにに対する『たまたま』なのだろうか。
ファイルを崩してしまったことに対してなのか。それとも、鉢植えの周囲だけスペースを開けていることに対してなのか。
……尋ねるようなことでもない気がして、アズは黙った。
アズはゆっくりと椅子を引いて、座る。
そしてPCを起動しながら、朝からの光景を頭の中で並べていく。
ペットボトルを渡す手つき。鉢植えの周囲のスペース。
篠崎の「たまたま」には、いつもなにかの矛盾が付随している気がする。ただの偶然、ではない。
そこには、きっと法則性がある。
アズはキーボードに指を置いた。
──もう少し、この人の『たまたま』を集めてみたい。
そう思いながら、いつものキーを叩いた。




