第21話
月面都市ダイダロス、巨大なクレーター跡地に建設された一大居住区域である。
宇宙法の新規定に抵触する為に月面への入植者はほとんど居らず、定住している者達は少ない。
月は地球の公転軌道に乗っており、年間3㎝程地球から離れている。
月面に多くの資材を投入して質量が増える事で地球に落下する可能性が危惧され、大規模な入植を禁じているのだ。
しかしながら重力が6分の1という環境条件は戦艦等の建造には適しており、各企業の支社等が犇いている。
「ボス、コスモポリタンから連絡はありました?」
コスモポリタン支社にある仮想訓練室。インド系の女性がシミュレーターから頭だけを出し、通りがかる船長に声をかける。
「昨日今日の話だ、チャンドニー。
早くても到着するのは1ヵ月後」
チャンドニーと呼ばれた少女は目を細めると再びシミュレーターの中へと入り込んだ。
宇宙空間でEVCを動かせると聞いてから、ここ数週間の間に彼女はシミュレーター内部に引き篭もっていた。
彼女は元々EVCのパイロットとして民間貨物運搬船キュニコス号で勤務している。
「バズ船長、コスモポリタンから通信です」
「あぁ、回線を回してくれ」
資源採掘宇宙船の主な業務は小隕石を捉えて火星まで曳航後、軌道エレベーター内のファクトリーで資源に加工する。
火星の質量が増える事に問題はない為に、資源の多くは火星へと運ばれていく。
貨物運搬船の業務は一部月へ持ち込んだ資源を加工して、完成品を惑星圏の軌道上まで運搬する事にある。
『こちらFCSSコスモポリタン、当艦は只今 月から3000万㎞付近を航行中。
本社にて積荷目録に記された貨物を搭載後、本艦との合流へ向けて月を出発されたし』
「何の冗談だ? まだ出航して1ヶ月も経っていない筈だが……」
『尚これはジョークでも、エイプリルフールでもない。
……誰だこんなことを書いた奴は?』
録音通信に念を押されたバズは笑いながら頬を掻くと、暗号化された積荷目録を解析機に通した。
コスモポリタン本社にある格納庫からEVCの受け取りと運搬に関する依頼のようだ。
キュニコス号はコングロマリット企業コスモポリタンの下請企業とは言え、社員は片手で数えられるほどしかいない。
宇宙空間の航行は危険業務である故に報酬も多額、少なくとも中小にも満たないバズにとっては断る理由も無かった。
戦争特需で多くが出払っている貨物運搬船の格納庫を抜け、コスモポリタンの出張所へと向かう。
部屋に入ると室内は理知騒然と片付けられており、眼鏡をかけた女性と犬型ロボットの姿が見えた。
「あらバズ、随分と早かったわね?」
「事業整理の対象にはなりたくないからね。
キュニコス号のローンだってまだ払い終わってないんだよ」
「それはお気の毒……はい、請負契約書を送信してね。
ライカ、コンテナの準備はどう?」
「現在積載中です」
そういうなり、ロボット犬のライカは尻尾をゆらゆらと揺らした。
とても仕事をしているようには見えないが、遠隔操作ユニットを用いて積荷をキュニコス号ヘ運搬中だ。
コスモポリタンではロボットを自費で購入する事は可能だが、所有できるのは1人1台に限られている。
「俺も秘書が欲しいな」
「それは良い考えかもしれないわね。
貴方との仕事も早く終わりそうだし……」
地球圏では個人のロボットの所有を規制、企業の所有だけを認めた結果。企業が軍以上の力を持つに到った。
何しろどんな愚かな政策を強制執行しようが、国民の叛乱という抑止力を失ったのだ。
法は人を守るという機能性を失いロボットが国家を守る世界になった以上、人間は不要になりつつある。
地球の工場では連日のように殺人機械がオートメーションで生産され、デモ隊の虐殺も日常茶飯事となった。
「でもやっぱりロボットはな、モーリーは……」
「もう止めましょう、地球の頃の話」
モーリーは薬指に嵌めた指輪に目を落として、元夫の言葉を聞き流した。
彼等夫婦は地球で結婚し1人の子供がいた、愛娘はある日デモ隊の居る公園付近で遊んでいた。
そこに自動走行車両が現れ、デモ隊に発砲したのだ。
彼等夫婦が病院に駆けつけた時に見たものは、無数の銃弾を全身に浴びた娘の変わり果てた姿だった。
バズは企業の手に落ちた政府に対して反政府活動を行い、活動が公になるとテロリストとして地球を追われたのである。
宇宙に住む人々は皆一様にそうした事情を抱えていた。
月の宇宙港から緩やかに出発したキュニコス号は、コスモポリタンの航路に向かって舵を切る。
代わり映えのしない宇宙の景色を眺めながら、RS・13km/sという非常な低速で合流地点へと向かった。
貨物船その物の船体は大きいがほとんどが空洞になっており、戦闘艦と比較した防御性能や加速性能は期待できない。
「船長、コスモポリタンの船影を捉えました。しかし……」
「ん? 何か問題でもあったかい?」
「戦闘中のようです」
キュニコス号のレーダーでも、高速の弾体がコスモポリタンに複数投射されているのが確認できた。
バズは頭に手を添えながらボリボリと掻くと、意を決したようにコスモポリタンと合流するべく船速を合わせる。
船長の思わぬ行動に船員達は戸惑っている中、チャンドニーは早速格納庫へ向かうとツィガーヌに乗り込んだ。
『チャンドニー! 何をやってる!?』
「キュニコス号には碌な迎撃手段がないです。
ツィガーヌを少しお借りしましょう」
『ん……確かにそうだが納入する積荷なんだ、絶対に壊すなよ!』
「जी हाँ!」
コスモポリタン側もキュニコス号と合流する為に相対速度を合わせていた所を狙われたようだ。
チャンドニーが船外のガイドポール上に姿を現す頃には、キュニコス号に向かった弾体が幾つか飛来してきていた。
ツィガーヌに搭乗したチャンドニーはスムースボアキャノンを放つと、殆どの弾体は問題なく迎撃する事が出来た。
「余裕、余裕」
『あまり気を抜くなよ、チャンドニー。
しかし、やっこさんはどこから撃ってきているんだ?』
「キュニコス号のオンボロレーダーじゃ無理です。
10万㎞以上離れているみたい」
キュニコス号のレーダーでは捉えられなかったが、ツィガーヌのレーダーでは3機の機影を捉えている。
コスモポリタン側からも数機の機体が格納庫から現れると、ツィゴイネルワイゼンが迎撃に飛んだ。
「ツィゴイネルワイゼン! 初めて見ました!」
『呑気に鑑賞してる場合じゃないよ、チャンドニー』
キュニコス号に次々と撃ち込まれ続ける弾体はコスモポリタンのフォローがなければ、既に落ちているほど苛烈だ。
両艦は接続可能な位置までようやく接近に成功、コスモポリタン下部にキュニコス号がドッキングする。
微かな反作用によってキュニコス号が揺れ、ドッキングベイから一組の男女が乗り込んできた。
「ハルはここに残って、キュニコス号にデータ中継」
「コウキはどうするんですか?」
「船長!? バズ船長!」
「おぉ、ここだよコウキ君、随分と久しぶりだね。
積荷のロックはもう外してあるよ」
ハルはキュニコス号のコンソールにジャックイン、コスモポリタンからの情報を受信することで迎撃をサポートする。
バズはEVCの起動キーをコウキに投げ渡すと、青年は壁を蹴り貨物室へと向かった。




