日光が似合わない人
開け放たれた掃き出しの窓から吹きぬける風にカーテンが揺れる。遮断されていたはずの太陽光は動いたカーテンの隙間も目敏く見つけては入り込んでくる。
あんたは前へ前へがモットーの芸人か。
七海はうんざりする晴天に溜め息を吐き、しゃ、とカーテンを全開にする。もう片方の手に持たれた洗濯カゴの中には水に濡れ重量の増した衣類達。リビングから外に出ればすぐそこに物干し竿がある。
何故七海が家事の手伝いをしているのかと言えば自主的に動いたのではなく、美弥子に散々嫌味を言われた末、手伝いをせざるを得なくなったというわけだ。
ちらりと見やれば、勇人は興味があまりなさそうな顔で高校野球をぼんやりと眺めていた。
サンダルをつっかける。これだけの天気なら昼には乾くだろうと早くも取り入れるときの事を考えながら干していく。二階の開け放たれた窓から微かに掃除機の音が聞こえてくるのは、姉の部屋を再度美弥子が急ピッチで掃除しているからだろう。
向けられる視線に気付いたのは、ほぼカゴの中がなくなってから。
「何? あんま見られたら恥ずかしいんだけど」
父親の物とはいえ男物の下着を持っているところをまじまじと観察されるのは、あまりいい気がしない。
ウッドデッキにしゃがみ込んで七海を見詰める勇人はそれでもやめなかった。「なんなの」と小さく零す。
「あんたさ、キャラ違いすぎ」
足元にカゴを置いた七海は勇人の隣に座る。最初はふざけていても油断すれば喉元に喰らいついてきそうな獰猛さが見え隠れする威勢の良さがあったというのに、今では縁側で日向ぼっこが板についた老人のようにぼんやりとしている。
指摘されて勇人はそっぽを向いた。即反論してくると踏んでいた七海はそのリアクションの差におやと目を見張った。これはもしかして、もしかするんじゃないだろうか。好奇心を抑え切れず勇人の肩を掴んで顔を覗き込んだ。
「あっはははは!」
赤くなっている勇人の顔を見た途端に、自制も出来ぬ間に笑い声を上げた。指を差して。
勇人はこの家に来てからというもの自分の態度がおかしいという自覚があり、それをまんまと指摘されたのが悔しくて恥ずかしい。
一向に笑いが引っ込まない七海に段々と不機嫌さを顕にしていく。それに気付いた七海は取ってつけたように「ごめんごめん」と謝りながらも肩を震わせ続けた。急に引っ込むものではない。
「べつに、馬鹿にしてるんじゃないから、全然。ぜんっぜんそんな、つもりは。可愛いとこあるんじゃんって思っただけで」
「それのどこが馬鹿にしてないんだ」
年下の、しかも女の七海に言われるなど勇人にとっては侮辱されているに等しい。
「元はと言えばお前等家族のせいだろうが!」
勇人にとって藤岡家の面々は尋常ではなかった。会話だけを取ってみても一切勇人の入る余地のないスピードでどんどんと展開していき、一言も発せないまま行動を決定されてしまう。これらは全部美弥子の独断だが、後の三人も驚きはしても実にすんなりと受け入れた。
そして何より質問がない。不法侵入してきても夕食に同席しても、狐に襲われても娘が気絶して帰ってきても。朝リビングを独占していても、誰も彼も一切何も訊いて来ないのだ。
こいつ等の頭はどうなってんだ。
自分は棚に上げて何度そう思った事か。勇人がこの家族に色々と迷惑を掛けているというのに。尋ねられても応え難いくせに、放っておかれても居心地が悪く感じてしまう。
黙ったままここに居座ってもいいのだろうかなんて、柄にも無く思った。
「何時まで笑ってる気だ!」
勇人とは逆側に身体を捻り、デッキに突っ伏している七海がまだツボにはまったままだというのは一目瞭然。
「七海」
「はいはい……、と」
笑いすぎて目尻に溜まった涙をふき取りながら起き上がると、夏の暑さを吹き飛ばすような冷たい眼差しの勇人に出くわし頬を引きつらせた。
相手が大人しくなっていたからと、つい調子に乗りすぎたようだ。
「だからっ! 拗ねるなんて可愛……」
ズイと勇人の顔が近くなって息を止めた。勇人が寄って来たのではなく、乱暴に七海のシャツの胸元を掴んで引き寄せられたからだ。
「お前男の事なんも解ってないな」
「あんたは女の扱いがなってないわね」
負けてたまるかと咄嗟に言い返してきた七海にクツリと喉を鳴らした。
「七海とは一度ちょっと話し合った方がいいか? 優しさ以外の半分が何で出来てんのかもまだ教えてもらってないしなぁ」
昌也と美弥子が抑止力になっていて鳴りを潜めていた勇人の本性がひょこりと顔を覗かせている。これは完全に七海が下に見られているからで。悔しいが仕方ないと思うし、そんなことよりも今は一秒でも早く逃れたい。必死で上体を退いても服を掴まれているのだから限界がある。熱射の中だというのに冷や汗が頬を伝った。
「ゆ、ゆう……」
取り敢えず何に対してか知らないが謝ってしまおう。そんな打算的な考えから口を開いた瞬間、ガツンと硬質のものがぶつかる音がした。お尻に届いた振動は七海の背後から。そして勇人も七海を越えた後ろを見たまま固まっている。
「なに庭先でキモい事やってくれてんのよ、うざい」
本人達には意外と気付きにくいものだが、それは七海ととてもよく似た声だった。電話越しでなら判別が難しいくらいに。けれど七海よりも大人びた落ち着きがあり、口調と吐き出される言葉は数段冷徹である声の持ち主こそ、姉の朝陽だ。
因みに先ほどの振動は、朝陽がウッドデッキを蹴り付けた事による。
「お姉ちゃんお帰り」
「ただいま。つーかこのクソ暑い中何やってんの? 見事熱中症なったら腹抱えて笑ってやるわよ。んで、そっち誰」
朝陽の方からはちゃんと勇人が見えないらしく、顔を傾けた。自然と勇人の背筋が伸びる。今この瞬間も目が合っているのだろうと思われる。確信が持てないのは、朝陽が顔の半分を覆ってしまうほど大きなサングラスを装着しているせいで、いまいち相手の目が見えないからだ。
明るい栗色の髪は、前は眉のあたりで綺麗に切りそろえられていて、横と後ろは腰に届きそうなほどに長い。サングラスを掛けていてもそのほっそりとした輪郭と通った鼻筋が美人である事を隠しきれていない。
服は上下共に黒で統一され、しかも長袖のカーディガンを羽織っているにも拘らず汗一つ流さず暑苦しさも感じさせないその姿は、端麗と言うよりも「どこの組の姐さんですか」と尋ねたくなるような妖しさを備えている。
雰囲気がありすぎて、堅気とは思えないのだ。
勇人が圧倒されてしまうのも頷ける。七海とて生まれた頃より同じ屋根の下育った姉妹でなければ、似たような反応をしていただろう。街中ですれ違ったのなら「あの人怖ぇ」などという感想を漏らしたに違いない。
だが見慣れている七海はと言えば
「こんなに芝生が似合わない人っているのか」
と妙なところで感心しきりだ。
喪服でもないのに全身黒ずくめで、折れそうなほど細く足裏のほとんどが持ち上げられるほど高いヒールのサンダル。極め付けがサングラスとくれば、洗濯物が風にそよいでいる家の、さほど広くもない庭が似合わない事と言ったらない。
「七海のお友達?」
「そんな感じ」
若干声が高くなっただろうか。目敏く違いを聞き分けた七海は素っ気無く返した。これからの展開が予想できた。
「あんた今までどこに隠してたのよ、こんな友達」
「知り合ったの三日前だから」
「三日!? じゃあその日のうちに携帯で写真送ってくるとか。そしたら即行でこっち帰ってきてたのにー」
「そうですか。あ、因みに榊勇人ね」
「榊? ……あの榊?」
やはり朝陽も七海のときと同じ反応で、即座に言い当てた。
声は出さず縦に頭を振った勇人に、朝陽は顔を綻ばせた。と言っても口元しか見えないのだが。
「顔が良くてお金持ちなんて言う事なしね! これなら性格が多少歪んでても文句言わない。で、何歳?」
「えっと、十八だっけ」
自分よりも一つ年上だったはず。記憶を掘り返す。勇人が答えられれば早いのだが、如何せんまだ朝陽の存在感に圧倒され中で。
「年下かよっ!」
「見るからそうだし」
大学生と高校生。未成年と成人。そこにある差は埋めようがない。
何を期待してか勝手に盛り上がり、また勝手に落胆する朝陽に呆れるしかない。
「あらでも目の保養としては十分でしょ?」
うっとりとした響きを持たせた声は、七海達の背後から飛ばされてきた。デッキとリビングとの境に立つ母がいた。
「そうね、顔が良いってそれだけで財産だものね。私もこの美貌でどれだけ得してきたか分からないわ」
結局のところ誰を褒めたのか。
だがサングラスを外した朝陽は、自画自賛しても文句のつけようのない美しさを放っていた。くっきりとした二重瞼の下にある瞳は意志の強さを示す輝きが強い。
性格のきつさの表れとも取れるが、確固とした自己を確立している証拠だと七海は思う。プライドの高さと自身へ向ける信頼は一級品だ。
「それよりもよ。いつまで私を直射日光に曝す気? 早く家の中入りたいんだけど。日焼けしちゃう」
サンダルを脱ぎ捨てリビングからさっさと家へ入っていった。
「や、お姉ちゃんがずっと喋ってくるから入れなかったんだけど……」
静かな七海の主張は朝陽には届かない。
「ほらね、覚悟しとけって言ったでしょ」
夢から醒めたばかりのように呆然としている勇人の肩に手を置いて、七海も中に入った。




