プロローグ:世界終焉の日
「…人生ってあっけねーもんだよな」
厚く垂れ込めた黒い雲に覆われた空を見上げながら、
色黒の男は、どこか名残惜しそうに呟いていた。
雲の切れ間はどこにもない。
陽の光さえ届かない空は、まるでこの街そのものを映しているかのように重く、暗かった。
「どんだけ金を持ってても、地位と名声を築き上げても思い出を作っても…どんだけ誰かを愛しても。死んだら全部パーになるんだもんな」
冷たい風が、男の頬を撫でていく。
その風は荒廃したビルの隙間を抜け、瓦礫の山を転がり、
長い年月の間に人の気配を失った街を静かに吹き抜けていた。
これから自ら命を投げ出すことになるかもしれない男への、自然からの最後の慰めなのか。
そんな馬鹿げた考えが、ふと頭をよぎる。
男はゆっくりと視線を落とし、目を細めた。
目の前に広がっているのは、かつて多くの人間が暮らしていた都市だった。
人々が消えてから、十五年。
高層ビルは無残に崩れ、道路には亀裂が走り、あちこちに瓦礫が積み上がっている。
かつては車や人で溢れていた大通りにも、今では風が吹き抜けるばかりだった。
そこに確かに存在していた人々の生活は、
もうどこにもない。
街は死んでいた。
そんな死んだ街の一角。
崩れかけた建物の影に、二機の人型ロボットが身を潜めていた。
一機は、男が搭乗する量産型ロボット――MRX-Z1。
白を基調としたカラーリングに、角の少ない丸みを帯びた装甲。
頭部には一つのモノアイが備えられており、
機体の視線を追うように左右へ、そして上下へと機械的に動いている。
しかし、
その白い機体は見る影もないほど傷ついていた。
右腕は肘から先が大きく破壊され内部のフレームや配線がむき出しになっている。
装甲のあちこちには弾痕が刻まれ、白かったはずのボディには泥と煤がこびりついていた。
残された左腕も無傷ではない。
握られているのは、
もはや標準装備のマガジンを装着した銃だけだった。
弾薬も、そう多くは残っていない。
「…オメーはどうだ?」
男は顔を上げた。
その視線の先。
瓦礫を挟んだ向かい側には、もう一機のロボットが鎮座していた。
MRX-Z1よりも一回り大きな巨体。
光さえ吸い込んでしまいそうな、深い漆黒のボディ。
両腕はMRX-Z1よりも太く、分厚い。
胸部は大きく張り出し、腰回りを支える二本の骨格フレームだけが、
漆黒の装甲の中で鈍い金色に輝いている。
全身を覆う厚い装甲は幾度もの戦闘を耐え抜いた証のように傷だらけで、
頭部には黄色く透き通ったアーマーが取り付けられていた。
顔の下半分を覆うフェイスカバー。
その上にある二つの目、モノアイには、
今はまだ光が灯っていない。
無機質な巨体は、
まるで息を潜めて眠っているようだった。
「……なんだ、まだ死ぬつもりはねぇって顔してるよな」
男の言葉に、
黒い機体のパイロットは視線を向けるように頭部を動かした。
そして、口を開く。
「あたりめーだろ。死んでも首だけで連中に噛みついてやるよ」
帰還する場所などない。
今こうして身を潜めている場所でさえ、いつ敵に発見されてもおかしくない。
司令部との通信も途絶え、周囲には味方の姿すらない。
それでも、彼の声には恐怖らしいものが微塵も感じられなかった。
むしろ、口元をニィっと歪め、楽しそうに笑っている。
絶望的な状況そのものを面白がっているかのようだった。
「ウジウジ死ぬこと考えるより、この後の事を考えろ。司令部もやられて救援も増援も見込めない、ならどうする?」
「どうするんだよ?」
男に尋ねられ、彼の口元が鋭く綻ぶ。
「暴れるのよ。まだ手足と首は繋がってる、十分だ」
「…その強気な考え、どっから出てくるんだよ。ありえねー…」
「あぁ?」
「オメーはいつもどっか頭のネジがぶっとんでるよな。入隊の時も教官半殺しにして懲罰受けてたっけ、普通あそこまでやるか?」
「弱いやつが悪い。死ぬ気でやらねーで、いざ命のやり取りをしたときに泣きを見るのはどっちだよ」
「おっかねぇ…まぁ」
男は苦笑するように息を吐き、再び空を見上げた。
雲は相変わらず厚く、どこまでも暗い。
ふと、男の表情から笑みが消えた。
「その教官も、とっくに支部で敵を巻き添えにして死んじまったけどな。どんだけ罵声や怒号を浴びせてきた年上のやつらも、いつかは骨になって土にかえる」
その言葉には、
先ほどまでの軽口とは違う静かな重みがあった。
十五年。
長いようでいて、振り返ればあまりにも短い時間だった。
昨日まで生きていた人間が死に、昨日まで動いていた機械が壊れ、
昨日まで当たり前だった日常が瓦礫の下へ消えていく。
敵も味方も関係ない。
最後に残るものは、土に還る骨だけだ。
「酒もってって墓にぶっかけてやろうぜ」
「オメーな…」
男は呆れたように笑った。
だが、その表情はすぐに消える。
何かを思い出したように男は顔を向けた。
「アニャとは連絡取れたのか?」
「……」
返事はない。
彼はコックピットハッチ越しに見える街の景色を眺めていた。
遠くに並ぶ廃ビル、崩れ落ちた道路。
風に舞う砂埃。
その向こうに、
かつて誰かが生きていた痕跡だけが残されている。
やがて彼は、目を細めた。
「…さぁな」
呟いた声は、風に紛れて消えた。
その直後だった。
廃墟となった建物の隙間から、冷たい風が吹き抜けてくる。
男の頬を撫でた風は、そのまま二人の機体の間を通り抜け、
瓦礫の向こうへと消えていった。
薄暗い景色の中に、何かが浮かび上がる。
赤い光。
一つ。
男は眉を寄せた。
「ん?」
赤い光が、もう一つ。
さらに一つ。
また一つ。
荒廃したビル群の向こう側で、次々と赤い光が灯っていく。
それは一つの集団だった。
巨大な影が、瓦礫を押し退けながら蠢いている。
ビルの向こうから姿を現し始めたそれらは、建物の隙間から赤い目だけを覗かせながら、
ゆっくりとこちらへ近づいていた。
男は額に手を当て、目を凝らす。
その数を確認した瞬間、男の目が大きく見開かれた。
「チィ、きやがったな!」
「はっ!上等だ!!」
声を上げると同時に、
彼はコックピットへ飛び込んだ。
ハッチが閉じられ、外界の冷たい風と音が遮断される。
狭いコックピットの中へ身体を滑り込ませると、彼は座席へ飛び込むように腰を下ろした。
すぐさま右手を伸ばし、脇に設置されたスイッチコンソールを操作する。
カチッ。
複数のスイッチが切り替わる。
次の瞬間、コックピット内に一斉に明かりが灯った。
目の前には、全方位を覆うように配置された真っ白なスクリーン。
そこへ無数の光が走り、
機体の外部カメラが捉えた景色が次々と投影されていく。
周囲の荒廃した街並みが、まるで実際にその場に立っているかのような臨場感で映し出される。
足元から低い駆動音が響いた。
ゴゴゴゴ……。
コックピットの床面が開き、
操縦席の正面へモニターがせり上がってくる。
同時に左右のパネルが展開し、その内部から二本の操縦レバーがゆっくりと立ち上がった。
彼は両手でそれを掴む。
目の前のディスプレイに、
機体各部の状態が次々と表示されていく。
動力エネルギー供給――正常。
関節駆動系――正常。
武装駆動――起動。
機体管制制御システム――起動。
そして。
彼は、リュウガは叫んだ。
「ギガントム!!発進!!!」
ゴゥンッ!!
深い駆動音が響き渡る。
漆黒の頭部に、一筋の光が走った。
それまで消えていたモノアイが、鮮烈な光を灯す。
巨人が、ゆっくりと顔を上げる。
ズズン……。
片膝をついていた巨大な機体が、
地面を踏み締めながら立ち上がった。
ダクトや関節、各部から呼吸かの如く冷却霧が噴き出す。
足元から伝わってくる振動が、次第に強くなる。
内部のエンジンが唸りを上げ、各部の駆動機構が一斉に稼働を開始する。
目の前のディスプレイには、
機体各部の制御システムが次々とオールクリアへ切り替わっていく。
眠っていた巨人が、目を覚ます。
全身に刻まれた無数の傷は、
これまで幾度となく死線を潜り抜けてきた証だった。
それでも、その巨体は止まることをやめない。
駆動音を響かせながら、一歩。
大地を踏み締める。
その足元で瓦礫が跳ね、
ひび割れた路面が大きく軋んだ。
漆黒の巨人――ギガントムは、再び息を吹き返した。
そして今。
死にかけた街の中へ、再び戦場へと降り立つ。
「ん?!」
真横に広がっていた赤い視線の群れが、一斉に動いた。
無数の赤い光の中から、いくつもの輝きが走る。
次の瞬間。
ミサイルが飛び出した。
続いて、幾筋もの光線が荒廃した街を切り裂いていく。
それらは別々の方向から放たれながらも、狙いだけは一つ。
ギガントム。
「チッ!」
リュウガが操縦レバーを握り込む。
だが、回避するにはあまりにも数が多かった。
ミサイルの群れと無数のビームが、まるで巨大な濁流のようにギガントムへ押し寄せる。
一発。
二発。
三発。
次々と着弾し、爆発が連鎖していく。
ドゴォォォンッ!!
激しい爆炎がギガントムの巨体を飲み込んだ。
衝撃波が周囲へ広がり、
道路に積もっていた砂埃や瓦礫の欠片が一斉に吹き飛ばされる。
炎が幾重にも重なり、その向こうにあったギガントムの姿は完全に見えなくなった。
だが、攻撃は終わらない。
さらに上空から、新たなミサイルが降り注ぐ。
黒い空を埋め尽くすように飛来したミサイル群が、先ほどの爆炎へ次々と突っ込んでいく。
連続する爆発が街を揺らす。
灰色の煙が一気に膨れ上がり、ギガントムを中心に広がっていく。
ビルの残骸さえ見えなくなるほどの濃密な煙。
視界は完全に閉ざされた。
だが。
キィィィィィン――。
甲高い音が、戦場に響いた。
爆発音とは明らかに違う。
機械の駆動音でもない。
何かが空気そのものを震わせるような、不気味な高音だった。
煙の中で、光が生まれる。
一つ。
また一つ。
漂っていた爆炎が、
まるで何かに引き寄せられるように動き始めた。
煙が渦を巻く。
残されていた熱が、光の粒となって一点へ集まっていく。
先ほどまでギガントムを包み込んでいた爆炎も、
空中に残っていたビームの残光も、すべてが吸い込まれていく。
まるで、巨大な何かが戦場そのものからエネルギーを喰らっているかのようだった。
やがて、煙が晴れる。
その中心に、ギガントムは立っていた。
傷一つ増えていない。
漆黒の巨体は微動だにせず、ただ敵の群れを見据えている。
そして、その右腕。
肩から伸びた太い腕の先で、
肘から先の機構が高速で回転していた。
ギュィィィィン……!
回転する腕の周囲には、先ほどまでギガントムを襲っていた爆発やビームのエネルギーが凝縮され、
幾重もの光のリングとなって渦巻いている。
攻撃を受けたはずのギガントムが、その攻撃を力へと変えていた。
コックピットの中で、リュウガが口元を吊り上げる。
「ギガントナックル!!」
叫びと同時に、
右腕を包んでいたエネルギーが一気に収束した。
ギュオォォォンッ!!
漆黒の腕が、肩からではなく――その先だけを残して射出される。
ドゴォンッ!!
大地を揺らすほどの射出音とともに、右腕が飛翔した。
拳を正面へ突き出したまま、高速回転。
周囲に纏ったエネルギーリングがさらに回転速度を増し、巨大な光の螺旋となって敵へ迫っていく。
それはただの拳ではない、
先ほど敵が放った攻撃。
そのすべてを喰らい、力へと変えた一撃。
漆黒の鉄拳――ギガントナックルが、荒廃した街を一直線に突き抜けていく。
直撃を受けた敵機が、次々と吹き飛んだ。
ドゴォンッ!!
遅れて複数の爆発が連鎖する。
赤い目を光らせていた黒い機体群が、
爆炎に飲み込まれながら次々と宙へ弾き飛ばされ、瓦礫の中へと落下していった。
「ん?!」
リュウガが顔を上げる。
背後。
頭上から、明らかな殺意が迫っていた。
コックピットに警告音が響き、正面のモニターへ複数の機影が映し出される。
リュウガは操縦レバーを引きながら、上空を睨みつけた。
見上げた先。
荒廃したビルの屋上から、三機の黒い機体が飛び降りてくる。
その手には、それぞれ異なる形状の武器が握られていた。
まるで獲物を仕留める瞬間を待ち構えていた狩人のように、
三機が一斉にギガントムへと迫る。
「ブリッドミサイル!!」
ギガントムの両肩に備えられたハッチが左右同時に開いた。
内部に格納されていた発射装置が姿を現す。
直後。
ドドドドドドッ!!
大量のミサイルが一斉に放たれた。
白い噴煙を引きながら飛翔するミサイル群が、上空から迫る三機へ殺到する。
回避する暇など与えない。
ミサイルは次々と敵機へ迫り――三機すべてに直撃した。
頭上で爆炎が弾け黒煙が大きく膨れ上がる。
炎と煙が空を覆い、三機の姿が完全に見えなくなる。
「……!」
リュウガが目を細める。
だが、爆炎の向こうから機影が飛び出した。
一機。
ミサイルの直撃を受けながらも、その機体は落下していない。
黒煙を突き破り、焼けた装甲を晒しながらギガントムへと急降下してくる。
両手には、小型の鎌。
刃を横へ振り抜きながら、ギガントムの首元を狙って襲い掛かる。
「チッ!」
リュウガが操縦レバーを動かす。
だが、敵機の接近速度は速い。
鎌が振り抜かれる――。
ガゴンッ!!
鈍い金属音が響いた。
敵機の動きが止まる。
その顔面には、一本の金属製の鎖が突き刺さっていた。
敵機の頭部を貫いたのは、ギガントムの左腕。
正確には、左腕の手首に設けられた射出口から射出されたチェーンだった。
鎖は空中で大きくしなりながら伸び、敵機の顔面を正確に捉えている。
「しゃらくせぇ!!」
リュウガが左の操縦レバーを大きく引く。
ギュンッ!!
鎖が一気に巻き取られた。
敵機の巨体が引っ張られ、空中で姿勢を崩す。
それでも止まらない。
ギガントムは左腕を大きく振り抜いた。
鎖に繋がれた敵機が、まるで振り回される鉄球のように宙を舞う。
グォンッ!!
一回。
二回。
勢いを増しながら敵機の巨体が円を描く。
そして――
「オラァッ!!」
ギガントムが腕を振り抜いた。
ドガァァンッ!!
敵機が荒廃したビルの壁面へ叩きつけられた。
コンクリートの壁が大きく陥没し、無数の瓦礫が周囲へ飛び散る。
砕けた外壁の向こうへ敵機の巨体がめり込み、建物全体が激しく揺れた。
ギガントムの左手首から伸びたチェーンだけが、瓦礫の中へ向かって真っ直ぐに伸びている。
リュウガは操縦席からその光景を見据え、口元を吊り上げた。
「びっくりするじゃねぇか」
『ひゃああ!!』
コックピット内に響いた通信音声。
リュウガは反射的に振り向く。
正面モニターに映っていたのは、先ほどまで自分のすぐ近くにいたMRX-Z1だった。
だが、その姿は見る影もない。
六機もの敵機に取り囲まれ、白い装甲のあちこちへ黒い機体が取りついている。
残されていた左腕は根元から吹き飛ばされ、内部の機械構造を剥き出しにしていた。
さらに二機が胴体へしがみつき、機体を押さえ込んでいる。
そのうちの一機がMRX-Z1の頭部を掴んだ。
ギギギギ……。
軋むような金属音。
そして――
バギィンッ!!
白い機体の首が、無理やり捥ぎ取られた。
『うわああああ!!』
通信越しに男の悲鳴が響き渡る。
「チィ!!」
リュウガの表情から笑みが消えた。
先ほど飛ばしたギガントムの右腕が、高速回転しながら戻ってくる。
ギュンッ!!
肘の接続部で受け取ると、
リュウガは操縦レバーを握り直した。
「こいつら……!」
レバーを大きく振る。
ギガントムが身体ごと旋回した。
漆黒の巨体が地面を踏み砕きながら向きを変え、周囲の瓦礫を大きく巻き上げる。
その巨大な眼が敵機群へ向いた。
これまで淡く光っていた二つの目が、強烈な輝きを放ち始める。
キィィィィィン……。
高密度のエネルギーが集束していく。
光が膨れ上がり、
ギガントムの目そのものが白く染まっていくほどの凄まじい出力だった。
「レカロビーム!!」
咆哮と同時に、ギガントムの両目から高出力の光線が放たれた。
ズバァァァッ!!
二条の光が空間を切り裂く。
リュウガはレバーを振り回すように操作し、ギガントムの頭部を大きく旋回。
それに合わせてビームも弧を描く。
地面をなぞった光線がアスファルトを一瞬で削り取り、
溶けた地面が赤熱したまま周囲へ飛び散る。
そのまま光線は建物へと走った。
ドロォッ!!
コンクリートの壁面が、まるで熱した蝋のように溶け落ちる。
その向こうにいた敵機が逃げるより早く、二条の光が横薙ぎに走った。
ズバンッ!!
手前にいた三機の胴体が、ほぼ同時に切断された。
上半身と下半身がずれ、切断面から大量の火花を散らしながら地面へ落下していく。
装甲の隙間から煙を噴き上げ、重たい金属音を響かせながら瓦礫の中へ沈んでいった。
「まだ終わってねぇぞ!」
リュウガはレバーを握り直した。
ギガントムの双眼には、なおも強烈な光が灯っている。
頭部が大きく横へ振られる。
残された三機へ、二条の光線が再び走った。
ズバァァッ!!
逃げようとした敵機の胴体をビームが横薙ぎに切り裂く。
一機。
続いて、二機。
そして三機。
黒い機体の胴体が次々と両断され、力を失った機体が地面へ落下していく。
拘束されていたMRX-Z1から敵機が離れた。
支えを失った白い機体が、そのままアスファルトへ落下する。
ガシャァンッ!!
両腕を失い、頭部さえもない。
全身の装甲は剥がれ落ち、内部のフレームや配線がむき出しになっている。
もはや戦闘用ロボットと呼ぶことすら躊躇われるほどの有様だった。
「……」
リュウガはフットペダルを踏み込み操縦レバーを前へ倒す。
ギガントムが重い駆動音を響かせながら歩き出し、
瓦礫と敵機の残骸を踏み越えてMRX-Z1へ接近していく。
一歩。
また一歩。
そのたびに地面が低く震える。
やがてギガントムがMRX-Z1の前まで辿り着いた。
全方位モニターに映し出された白い機体を、リュウガは無言で見下ろす。
両腕も、頭部も、脚部の装甲も。
そのほとんどが失われている。
そして、最も気になったのはコックピット。
MRX-Z1のコックピットブロックは大きく潰されていた。
装甲は内側へひしゃげ、ハッチ周辺には赤黒い血が飛び散っている。
内部の様子を確認することはできない。
「……」
リュウガの顔が僅かに強張った。
先ほどまで通信越しに聞こえていた男の声が、頭の中に蘇る。
あれだけ騒がしく叫んでいた声も、今は聞こえない。
「……ん?」
モニターの端に、妙な光が映った。
リュウガは顔を上げる。
ギガントムの頭部がゆっくりと上を向いた。
視線の先。
厚く空を覆っていた黒雲が、少しずつ動いている。
風に流されているわけではない。
雲そのものが、何かに押し退けられているようだった。
黒い雲の中心に、ぽっかりと巨大な穴が開いていく。
その向こうにあるはずの空は見えない。
見えるのは、底のない暗闇だけだった。
「……あれは……?」
リュウガの声がコックピットの中に落ちる。
暗闇の周囲では、青白い稲妻が幾筋も走っていた。
バチッ……バチバチッ……!
雷鳴が響く。
それに合わせるように、穴の中心から強烈な風が吹き下ろしてきた。
ゴォォォォォ……!!
街中に溜まっていた砂埃が舞い上がる。
瓦礫が揺れ、砕けたビルの外壁が地面から浮き上がった。
「なっ……!」
ギガントムの足元に転がっていた鉄骨が、ズルズルと引きずられていく。
やがて地面から離れた。
巨大なコンクリート片まで浮かび上がり空へ向かって引っ張られていく。
街中に散らばっていた瓦礫やビルの破片、その一つ一つが、
まるで見えない巨大な手に掴まれたように宙へ吸い上げられていく。
ギガントムの装甲にも強烈な風が叩きつけられた。
リュウガは操縦レバーを握り締め、踏ん張るように機体を制御する。
「吸い込んでるのか?!」
巨大な暗闇は、何も答えない。
ただ、街に残されたあらゆるものを飲み込むように、その巨大な口をさらに広げていく。
ゴォォォォォ……!!
空から吹き下ろす風が、荒廃した街を容赦なく巻き上げていた。
「……ん?」
ガグンッ。
ギガントムの機体が、大きく揺れた。
リュウガの身体にも僅かな浮遊感が伝わってくる。
「なんだ……?」
足元へ視線を落とす。
ギガントムの脚部が、ほんの僅かに地面から浮いていた。
大地を踏み締めていたはずの重量感が消えている。
百トン近い巨体が、まるで重量を失ったかのように持ち上げられていた。
「おいおい、百トン近くあるんだぞ? それも吸い上げようってのか?!」
冗談めかした声。
だが、その声には隠しきれない驚きが混じっていた。
浮遊が止まらない。
ギガントムの脚部が完全に地面から離れ、巨体がゆっくりと宙へ持ち上げられていく。
地面が遠ざかる。
「クソッ……!」
リュウガは操縦レバーを握り込んだ。
「アームアンカー!!」
ギガントムの左腕が突き出される。
手首に設けられた射出口が開き、内部から一本のチェーンが勢いよく射出された。
ガシュンッ!!
鋭い先端が地面へ突き刺さる。
ギャリギャリギャリッ!!
チェーンが張り詰め、ギガントムの上昇を無理やり食い止めた。
巨体が空中で停止する。
だが、安堵している暇はなかった。
リュウガは全方位モニターへ視線を走らせる。
そして。
「なっ……」
言葉を失う。
目の前に広がっていたのは、現実とは思えない光景だった。
荒廃したビル群が、上空から順番に崩れ始めている。
ドゴゴゴゴゴ……。
建物の先端が砕ける。
外壁が剥がれ、鉄骨が引き千切られる。
巨大な建造物だったものが、まるで積み木を崩したかのように次々と細かな塊へ変わっていく。
そして破片は地面へ落ちることなく、空へ向かって引き上げられていった。
吸い込まれる先は、空に開いた”巨大な穴”へ。
まるで、空に開いた巨大な口が街そのものを喰らっているようだった。
それだけではない。
地面のアスファルトが裂け、道路標識が根元から引き抜かれる。
折れた外灯が宙へ舞い上がっていく。
長い間放置されていた車までもが、地面を擦りながら持ち上げられていた。
瓦礫も、鉄骨も、ガラスも。
この街に残されていたものが、
何一つ例外なく空へ吸い上げられていた。
「冗談だろ……?」
リュウガの額を一筋の汗が伝う。
それでも目を逸らさない。
むしろ、口元が僅かに歪んでいく。
恐怖を感じているはずなのに、表情には奇妙な高揚が浮かんでいた。
リュウガはゆっくりと空を見上げる。
雲を押し退けて開いた巨大な暗闇、遠くから見ても大きさは理解できる。
近づけば、もっと大きい。
街一つを丸ごと飲み込んでしまうほどの、途方もない規模。
「……デケェな」
ギギ……。
金属が軋む音が、コックピットまで伝わってくる。
リュウガは視線を下げた。
地面へ突き刺したアームアンカー。
その先端が、少しずつ引き抜かれている。
ガギ……ギギギ……。
大地に食い込んでいたアンカーが、耐えきれずに動き始めていた。
「……」
リュウガはアンカーの状態を一瞬だけ確認する。
長くは持たない。
やがてギガントムも、あの暗闇へ引きずり込まれる。
逃げようと思えば、まだ間に合うのかもしれない。
だが、リュウガは全方位モニターへ視線を戻す。
「……」
そこに映っているのは、何もなくなった街だった。
人はいない、帰る場所もない。
守るべきものも、もう残されていない。
脳裏に、これまで失った者たちの顔が浮かぶ。
声。
笑顔。
怒鳴り声。
もう二度と聞くことのできない声が、記憶の奥から蘇ってくる。
リュウガは静かに目を細めた。
「……どうせ何もねぇ」
呟きに迷いはなかった。
失うものなど、とうに失っている。
「…ならば!!」
リュウガの瞳に、強い光が宿る。
口元が大きく吊り上がった。
「のってやるよ!!」
操縦桿を引く。
ガギンッ!!
アームアンカーのロックが解除された。
巻き取り機構が一気に作動し、
地面へ突き刺さっていたチェーンがギガントムの左腕へと高速で収納されていく。
自由になった巨体が、再び空へ引っ張られる。
だが、リュウガは操縦桿を握ったまま離さない。
ギガントムの脚部を動かし、空中で機体の向きを変える。
漆黒の巨体が、巨大な暗闇へ正面を向けた。
「地獄だろうとなんだろうと!!」
リュウガの意思に呼応するかのように、ギガントムの双眼が強烈な光を放つ。
「まとめてかかってきやがれッ!!」
魂の咆哮がコックピットの中に響き渡った。
漆黒の巨人は、巨大な穴へ向かってその身を躍らせる。
荒廃し、愛しき者が好きだった街を、星を背にして。
一切の迷いを捨てて。
ギガントムは、
空に開いた巨大な暗闇の中へと消えていった。




