62.見慣れたはずの姿
世界大会が終わってから、少しずつ日常が戻りつつあった、ある日の配信。俺はいつも通り、防衛戦の通知をゆっくりと確認していた。
あの発表からしばらく経ち、周囲の空気も、少しずつ、ようやく落ち着きを取り戻しつつあるようだった。それでも、登録者数の伸びだけは、相変わらず、まったく衰える気配を見せなかった。
それでも、その日の通知欄には、見慣れないアイコンが、ぽつんと一つだけ紛れ込んでいた。
「あれ、これ……何のイベントなんだろ」
これまで見たこともない、見慣れないアイコンの周りには、キラキラと輝く特別なエフェクトが施されていた。タップしてみると、これまで一度も見たことのない、派手な演出付きの告知画面が表示された。画面全体が、細かな光の粒子でぐるりと縁取られている。
『【特別開催】GMボスイベント「鏡合わせの戦場」開催決定』
タイトルの下には、これまで一度も見たことのないような、豪華な装飾付きの説明文が続いていた。文字の一つ一つにまで、丁寧な演出が施されている。
「うわ、なんかすごく大層な名前……」
思わず、そう呟いてしまう。これまでのどんなイベント告知とも、明らかに規模も気合いも違うようだった。視聴者たちのコメント欄にも、一斉に驚きの声が溢れた。
【コメント】GMイベントってなんだ
【コメント】運営が直接介入するやつだっけ
【コメント】滅多に開催されないやつじゃなかった?
「これ、そんなにも本当に珍しいイベントなんですか?」
正直に言うと、GMイベントというもの自体、俺はこれまで一度も耳にしたことがなかった。運営が直接介入する、というだけでも、なんだか特別感が、ひしひしと伝わってくる。俺の問いかけに答えるように、コメント欄には、知識のありそうな視聴者からの説明が、次々と流れ込んできた。
【コメント】GMボスイベントは開発側が直接演出組む特別枠だよ
【コメント】ARESって前作でもこの手のイベント年イチくらいの激レア枠だったんだよな
【コメント】今回は世界大会の記念イベント的なやつかもね
【コメント】演出も凝ってるって噂だぞ
【コメント】見逃したら後悔するやつだ
「へー、そうなんですね。それじゃあ、詳細、読んでみますね」
滅多にないイベントらしいと聞いて、俺は自然と、背筋を伸ばし、姿勢を正していた。俺は、画面に表示された説明文に、目を通していった。
『本イベントでは、ランダムに選出されたプレイヤーの機体データを基に生成された「ミラーユニット」が、期間限定で各地に出現します。対象となったプレイヤーの詳細は、一切公開されません。どの機体のミラーユニットが、どこに出現するかは、実際に遭遇するまで、誰にもわかりません』
一文一文、俺は声に出して丁寧に読み上げていった。まだ、この時点では、どこか他人事のような気持ちで受け止めていた。
「へー、完全にランダムなんですね。誰が選ばれるとか、そういうのもわからないんだ」
【コメント】これは楽しみだな
【コメント】自分が選ばれてたら面白いな
【コメント】確率的にはほぼないと思うけどw
「あ、それと、これ大事そうなので読みますね」
『なお、ミラーユニットは、通常の防衛戦とは比較にならないほどの強さを誇ります。単独での攻略は極めて困難であり、複数プレイヤーによる協力プレイが前提となります』
「敵一体に、何人かで挑む感じなんですね」
俺は、少し安堵したような、それでいて少し残念なような、複雑な気持ちになった。防衛戦はいつも、担当エリアにいる他のプレイヤーたちと、自然な形で助け合いながら進めるものだった。それでも、これほどまでに強さを強調されるイベントは、これまで経験したことがなかった。今日も、いつも通りの流れで、このイベントに挑むことになった。
こうして誰かと一緒に戦うのは、いつものハチさんとの防衛戦とはまた違う、独特の緊張感があった。
「それじゃあ、行きますか」
近くにいたプレイヤーの一人が、そう声をかけてくれる。俺は素直に頷きながら、いつも通り、防衛戦の通知に従って歩き出した。歩きながらも、頭の中では、これから何に遭遇するのか、まったく想像がつかずにいた。今日の担当エリアには、いつもと違う、独特の緊張感が漂っているような気がした。
歩いている最中にも、周囲の状況を伝える通知が、次々と画面に流れ込んできた。
『パーティ「クロガネ」、るかミラーユニットの瓦礫攻撃を受け、全滅しました』
『パーティ「ミナヅキ」、パーティ「クロガネ」との接触により、全滅しました』
「え、るかミラーユニットって……もしかして、私のこと、ですよね……?」
思わず、そう呟く。自分の名前が、こんな形で通知に表示されていることに、なんとも言えない気恥ずかしさを覚える。それでも、次々と表示される、全滅報告。その数の多さに、じわじわと、確かな焦りが込み上げてきた。
【コメント】これ相当ヤバい状況じゃない?
【コメント】パーティ全滅の速報とか久しぶりに見たわ
【コメント】個人の撃墜くらいじゃ普通速報なんて出ないもんな、それだけ異常事態ってことか
【コメント】でもパーティ全滅すると、最後に落ちた人の名前で速報来るやつだよね、あれ
【コメント】あの仕様、地味に紛らわしいから嫌いなんだよなー。直接の原因じゃない人が表示されること多いし
【コメント】鳩しに来ただけなんだけど、これクソイベかもしれんぞ! るか、皇帝牙、レンのミラーユニットがいるっぽいから、一般プレイヤーじゃ相手にもならないみたい
「え、他の2機って、レンさんと皇帝牙さんなんですか!?」
思わず、大きな声が出た。まさか、自分だけでなく、あの二人までもが、この状況に巻き込まれているとは、想像もしていなかった。
【コメント】まじかよ、最強格3人まとめて出るとか鬼畜すぎる
【コメント】そもそも複数人推奨のレイド仕様だもんな、これ
【コメント】初日の敵もレイド系じゃなかったっけ?
【コメント】あ、この子単独撃破してるのか
【コメント】るか、急いだ方がいいんじゃ
【コメント】徒歩だから急ぎようもないんだよなぁ
視聴者たちのコメントに、俺は思わず、苦笑いを浮かべた。急がなきゃ、という焦りだけが、胸の中で膨らんでいく。それでも、この足では、どうやっても、それ以上の速さでは進めなかった。もどかしさを抱えながらも、俺はただ、一歩、また一歩と、自分の足で進み続けるしかなかった。
しばらく歩いていくと、遠くに、見覚えのあるシルエットが見えてきた。
「あ、あれ……」
あの丸みを帯びた黄色い巨体。太く頼もしい脚部。無骨な巨腕。紛れもなく、自分の機体と、瓜二つそのままの姿だった。装甲の傷一つ、色の剥げ具合一つまで、忠実に再現されているようだった。あの時の防衛戦でついた小さな凹みまで、そっくりそのまま再現されている。まさか、そんな細部にまでこだわって作り込まれているとは、正直思ってもみなかった。技術者たちの並々ならぬこだわりを、感じずにはいられなかった。
【コメント】うわ、本当にそっくり
【コメント】色まで完全再現かよ
【コメント】これは絵面がシュールすぎる
【コメント】潜水艦二隻並んでるの草生える
【コメント】どっちが本物か一瞬わからなくなる
「うわ、これ、まじで私だ……なんか、すごく変な感じです」
自分自身を、鏡越しに見ているかのような、不思議な感覚だった。これまで、自分の機体を外から眺める機会なんて、ほとんどなかった。改めて見てみると、想像していた以上に、間の抜けた愛嬌のある佇まいをしていた。視聴者たちから「不沈艦」と呼ばれてきた、あの巨体の存在感を、俺は今、初めて客観的に実感していた。
【コメント】本人と対峙するとかレアすぎる
【コメント】これは絶対配信映えするやつ
【コメント】頑張れ、るか!
視聴者たちのコメント欄も、これまでにない勢いで沸き立った。まさか、こんな形で自分自身と対峙することになるとは、俺自身、想像すらしていなかった。
「あの、皆さんにお願いがあるんですけど」
俺は、周りのプレイヤーたちに向き直って、そう切り出した。
「これ、たぶん、俺が全力で向き合わないといけない相手だと思うんです。だから、コアの方は、皆さんにお任せしてもいいですか」
「もちろんです! こっちは任せてください!」
力強い返事に、俺は、少しだけ、安堵の息を漏らした。それでも、本当にこれでいいのだろうかという、小さな迷いも、心のどこかに、確かに残り続けていた。
「それじゃあ、行きますか」
周りのプレイヤーたちと頷き合いながら、俺は、目の前のミラーユニットへと向き直った。ミラーユニットは、こちらに気づいた様子もなく、ゆっくりとした足取りで、その場に佇んでいた。まだ静かなその立ち姿からも、これから何が起きるのか、まったく想像がつかなかった。
「えーと、それじゃあ、とりあえず、行ってみますね」
いつも通り、両腕を構えながら、俺はゆっくりと距離を詰めていった。それでも、心のどこかで、これまでとは違う緊張感が、確かに芽生えていた。
歩き出してすぐ、ミラーユニットが、こちらへとはっきりと向き直った。次の瞬間、その両腕が、近くに転がっていた瓦礫を、勢いよく掴み上げる。
「あ、それ、私の……」
思わず、そう呟いてしまう。あの、苛立ち紛れに編み出した、我流の遠距離攻撃。まさか、自分自身から、それを見せつけられることになるとは、想像もしていなかった。
投げつけられた瓦礫を、俺は両腕を交差させてガードした。轟音と共に、衝撃が全身を駆け抜ける。それでも、いつも通り、ダメージらしいダメージは一切感じなかった。
【コメント】瓦礫投げてくるの草
【コメント】完全にるかの戦法じゃん
【コメント】これ潜水判定入ってるからノーダメージのはずだよな
視聴者たちのコメントに、俺は思わず苦笑いを浮かべた。何度も何度も、瓦礫が投げつけられる。その一つ一つを、俺はガードしながら、着実に距離を詰めていった。
やがて、投げつけられた瓦礫の一つ――ビルの残骸らしき、ひときわ大きな塊が、俺の目の前に、横倒しになって転がった。行く手を、完全に塞ぐ形だった。
「え、これ、どかさないと進めない……」
面倒だな、と思いながらも、俺は、選択肢の一つを、迷わず選び取った。
「インパクトスマッシャー!」
拳を叩き込むと、行く手を塞いでいたビルの残骸が、粉々に砕け散った。開けた視界の先に、ミラーユニットの姿が、はっきりと見えた。
【コメント】道を塞ぐビルをぶっ壊すとか贅沢な使い方で草
【コメント】必殺技を障害物除去に使うな
視聴者たちのツッコミに、俺は思わず、また苦笑いを浮かべた。それでも、他に思いつく方法もなかった。
思い返してみれば、これほどまでに相手の動きを事前に予測できる戦いは、これまで一度もなかった。それだけに、この対戦には、いつもとは違う奇妙な安心感すら覚えていた。
コックピットのレバーを握る両手にも、いつも以上に、自然と力がこもった。十分に距離が詰まったところで、ミラーユニットの動きが、はっきりと変わった。瓦礫を投げる手を止め、ゆっくりと構えを取り、拳を握りしめる。その動きは、これまで何百回と繰り返してきた、自分自身の構えと、寸分違わなかった。
視聴者たちのコメント欄も、この不思議な光景に、静かにどよめいているようだった。誰もが固唾を呑んで、この前代未聞の奇妙な対決の行方を見守っているのが伝わってきた。
「うわ、これ、本当に動きまでそっくり……」
半ば呆然としながら、俺はそう呟いた。まるで、鏡に映る自分と、戦おうとしているかのような、奇妙な感覚だった。これまで、自分自身の戦い方を、こうして客観的に眺めたことは、一度もなかった。改めて見返してみると、なんとも不格好で、それでいて、どこか憎めない動きだった。
ミラーユニットが、大きく踏み込んでくる。拳を構え、真正面から突撃してくるその動きは、いつも自分がやっている、あの単純な戦法そのものだった。技術も工夫もない、ただがむしゃらに突っ込んでくるだけの動き。それでも、なぜか妙な説得力があった。飾らないその一直線な動きに、俺は思わず、懐かしさにも似た気持ちを覚えていた。
「これくらいなら、絶対受け止められる――」
そう思いながら、俺はいつも通り、両腕を構えて、真正面から受け止めようとした。これまで、何百回、何千回と繰り返してきた、いつもの防御姿勢だった。何一つ、疑う理由はなかった。この体勢さえ取れば、どんな一撃も怖くない。そんな確信めいた安心感が、いつも通り、胸の中にあった。
――しかし、次の瞬間、コックピット全体が、これまでにないほど激しく突き上げられた。両手で握るレバーが、凄まじい勢いで跳ね返り、手のひらから肩の付け根まで、鋭い痺れが駆け抜ける。体ごと、座席の拘束ベルトに強く叩きつけられた。両手でレバーを強く握りしめていなければ、そのまま座席から投げ出されていたかもしれない。
「痛っ……!? え、なんで!?」
思わず、声が漏れる。これまで、どんな一撃を受けても、感じたことのなかった、確かな痛みだった。レバーを握る手のひらに、じんじんとした鈍い痛みが、確かに広がっていく。これが、普通のプレイヤーたちが日々感じている感覚なのだろうか。そう考えると、なんとも言えない奇妙な気持ちになった。
【コメント】え、今「痛い」って言った?
【コメント】まさか、ダメージ入ってる?
【コメント】不沈艦に効いてるってどういうことだ
【コメント】バグ発生?それとも仕様変更?
【コメント】これ大丈夫なやつなのか
視聴者たちの困惑の声が、一気に、そして激しく、コメント欄を埋め尽くしていく。俺自身、何が起きたのか、すぐには理解できずにいた。実況の声さえ、一瞬言葉を失ったかのように、静まり返っていた。周囲の空気そのものが、この予想外の展開に、固唾を呑んでいるようだった。じんじんと痺れる手のひらを、もう片方の手でそっと押さえながら、俺はしばらくの間、その場に立ち尽くしてしまった。これまでの戦いの中で、こんなふうに立ち止まってしまったことは、一度もなかった気がする。どんな相手を前にしても、迷わず突き進んできたはずの自分が、今、確かに足を止めていた。皇帝牙さんとの決勝ですら、恐怖を乗り越えて前に進めたはずなのに。それなのに、なぜ今、こんなにも動けずにいるのだろう。
「え、え……? なんで、こんな……」
震える声で、俺はそう呟いた。これまで、当たり前のように受け止め続けてきたあの安心感が、今、確かに揺らいでいた。
目の前のミラーユニットは、依然として、同じ構えのまま、静かにこちらを見据えていた。まるで、俺自身の内側にある何かを、静かに映し出しているかのようだった。その無機質な視線が、今はやけに不気味に感じられた。
どうして、いつもと同じ、あの受け止め方をしただけなのに、こんなにも違う結果になったのか。頭の中が、疑問符でいっぱいになっていく。それでも、答えを探し出すよりも先に、次の一撃が、既に迫ってきていた。
これまで培ってきた「受け止めればいい」という戦い方そのものが、今、根本から通用しなくなっている。この事実に、俺は改めて、正面から向き合わなければならなかった。逃げることも、目を逸らすこともできない、そんな確かな現実だった。
それでも、いつまでもここで立ち尽くしているわけにはいかない。震える足を、俺は無理やり前へと踏み出した。今この瞬間だけは、いつも通りの「なんとかなるっしょ」という開き直りにも、正直、簡単には辿り着けそうになかった。
痛みという感覚そのものが、あまりにも久しぶりで、体がどう反応すればいいのか、うまく判断できずにいた。防御の姿勢を取り直そうとする手が、わずかに震えているのがわかった。
これまでずっと当たり前だと思っていた「無敵」という感覚が、根底から揺らいでいく。この揺らぎこそが、今の自分にとって、一番の恐怖だった。
【コメント】るか、大丈夫か!?
【コメント】これ本当に大丈夫なイベントなのか
【コメント】応援してるからな
視聴者たちの温かい声援に、俺は少しだけ我に返った。一つ一つのコメントが、まるで背中を押してくれるかのようだった。震える手を、もう一度強く握り直す。それでも、目の前のミラーユニットは、既に次の一撃を放つ体勢に入っていた。あの見慣れた構えが、今はどこか、これまでにないほど恐ろしく見えた。皮肉なことに、これまで数え切れないほど自分自身が繰り返してきた、あの単純な突撃の型だった。それが今、これほどまでの脅威として、目の前に立ちはだかっている。自分の弱点を、自分自身が一番よく理解していないという、なんとも滑稽な状況だった。
ミラーユニットの肘の内側で、パイルバンカーの機構が、静かに展開していくのが見えた。
「あ、あれ……」
見覚えのありすぎるその起動音に、俺は思わず息を呑んだ。
「インパクトスマッシャー!」
自分のものとまったく同じ叫び声と共に、拳が繰り出される。それは、これまで自分自身が、数え切れないほど敵に叩き込んできた、あの必殺の一撃だった。
いつも通り、俺は反射的に、両腕を交差させて受け止める姿勢を取った。頭で考えるよりも先に、体が勝手に、いつもの防御姿勢を選んでいた。
――拳が、装甲に叩き込まれる。
これまで感じたどんな衝撃とも、比べ物にならなかった。コックピット全体が、内側から破裂したかのように激しく揺れ、視界が一瞬にして白く飛んだ。体が、座席の上で大きく跳ね上がる。
「うわあああああ!」
悲鳴じみた声を上げる間もなく、機体は後方へと吹き飛ばされていった。凄まじい勢いのまま、周囲に立ち並んでいた建造物の壁を、次々と突き破っていく。鉄骨がひしゃげ、コンクリートの破片が飛び散り、視界のすべてが土煙と瓦礫に覆われていった。
何度目かの激突の後、機体はようやく勢いを失い、崩れ落ちた瓦礫の中に、深々と埋もれる形で停止した。
コックピットの中は、しんと静まり返っていた。降り積もる粉塵の音だけが、やけに大きく響いている。
不思議なことに、あの拳の衝撃以降、新たな痛みは襲ってこなかった。瓦礫に埋もれ、何度も何かにぶつかったはずなのに、その一つ一つの衝突からは、なぜか何も感じない。まるで、あの一撃だけが特別で、それ以外のすべてが、いつも通りの「無敵」に戻ったかのようだった。
それでも、心臓は、これまでにないほど激しく脈打ち続けていた。
【コメント】うそだろ、まじで吹っ飛んだ
【コメント】ビル何棟巻き込んでるんだ
【コメント】るか、無事なのか!?
視聴者たちの悲鳴にも似たコメントが、途切れることなく流れ込んでくる。それでも、俺はまだ、その一つ一つを読む余裕すら持てずにいた。
【敵運用チーム視点】
監視モニターに映し出された光景に、私は思わず、椅子から身を乗り出した。
「マジかよ……よりにもよって、あの決勝の三人が、揃って選ばれるとはな」
同じ画面を覗き込んでいた部下も、絶句したような表情を浮かべていた。ランダム抽選とはいえ、まさか、あの決勝を沸かせた三人分のミラーユニットが、同時に生成されるとは、正直、想定の範囲を大きく超えていた。
「確率的には、限りなく低いはずなんですが……」
「低いはずのことが起きるのが、乱数というものだ。文句を言っても仕方ない」
そう言いながらも、私の頭の中は、既に対応策の検討で埋め尽くされていた。
「それぞれの出現エリアに、強めのサポートを要請しておけ。三人とも、それぞれ単独での対応になる。いくら実力者揃いとはいえ、さすがに荷が重すぎるはずだ」
「了解しました、すぐに手配します」
部下が慌ただしく連絡を取り始めるのを横目に、私はもう一度、モニターに映る戦況を見つめ直した。この予想外の巡り合わせが、参加している彼らにとって、どんな結果をもたらすことになるのか。皮肉にも、開発側としては、なんとも言えない高揚感を覚えずにはいられなかった。
会議室のモニターには、ミラーユニットの仕様書が、大きく映し出されていた。何度も見返してきたはずのその文面を、私は改めて、じっくりと目で追った。
「るかさんの機体データを、そのまま再現するとなると、当然、あのスキルも含まれることになりますよね」
部下の指摘に、私はしばらくの間、腕を組んで考え込んだ。
「そこが、今回の一番の悩みどころだった」
私は、ため息混じりに、そう答えた。対象プレイヤーの機体を忠実に再現する、というのが、ミラーユニットの基本コンセプトだ。それをそのまま適用すれば、るかさんのミラーユニットにも、当然あの異常な耐久力が引き継がれることになる。
完全再現という理念と、イベントとしての公平性。この二つが、真正面からぶつかり合っていた。
「それだと、対戦するプレイヤー側が、一方的に何もできないまま終わってしまいます。イベントとして、成立しません」
「わかっている。だからこそ、今回は、あの特殊スキルの効果自体には、一切手を加えないことにした」
部下が、意外そうな表情を見せた。
「効果には触れない、というと……」
「あのスキルの判定ロジックは、潜水判定システムをはじめ、複数のシステムと複雑に絡み合っている。以前の検証でも明らかになった通り、あの部分だけを切り離して除去することは、エンジン全体の再構築に近い規模の改修が必要になる。今回のような期間限定イベントのために、そこまでの手を入れるわけにはいかない」
部下が、なるほど、というように頷いた。
「では、今回はどう対応を?」
「あのスキル自体は、これまで通り、そのまま残す。その代わりに、今回のミラーユニット戦に限り、実際のダメージ判定とは別枠で、疑似的なダメージ演算を上乗せする形にした」
部下が、少し驚いたような表情を見せた。
「本体の判定はそのままに、見かけ上のダメージだけを、別系統で再現する、ということですね」
部下の言葉には、驚きと、わずかな戸惑いが滲んでいた。
「異例なのは承知の上だ。それでも、公平なイベントとして成立させるためには、避けられない判断だった」
この決定に至るまで、開発チーム内でも、かなりの議論があった。あのスキルを含めた完全再現にこだわるべきか、それとも、イベントとしての公平性を優先すべきか。最終的に、私は後者を選んだ。
完全再現に固執すれば、るかさん本人ですら、自分の分身に手も足も出せない、という珍事が起きかねなかった。それでは、イベントとしての面白みも、何もあったものではない。
視聴者たちからしても、「ダメージが一切通らない相手」を延々と見せられるだけでは、盛り上がりに欠けてしまう。運営としては、あくまで見応えのある対戦を演出したかった。
「見た目や基本的な戦闘スタイルは、忠実に再現する。それでいて、あの一点だけは、疑似ダメージ演算による見かけ上の手応えを、追加で発生させる。るかさんの、本当の意味での実力が、そのまま反映される形になるはずだ」
言い切った後、私は自分自身の言葉に、改めて確かな手応えを感じていた。この判断こそが、開発者としての誠実な向き合い方なのだと、そう信じたかった。
部下も、少し考え込むような表情を見せた後、静かに、そして深く頷いてくれた。
言葉にしながら、私はふと、あの子自身が、この事実にどう向き合うのか、考えずにはいられなかった。
「るかさん本人には、この件、伝えていないんですよね」
「ああ、あえて伏せている。実際に対峙してみて、初めて気づいてもらう形にしたかった」
これまで、あの子は、自分の異常な耐久力の理由を、正確には理解していなかった。今回のイベントを通して、その仕組みの一端を、身をもって、直接体験することになるだろう。
皮肉なものだと思う。これまで、自分自身を助け続けてきたあの異常な力は、今も変わらず、あの子の内側で息づいているはずだった。それでも、この一戦の間だけは、その力を覆い隠すように、確かな手応えという名の幻を、上から重ねて見せることになる。
「もし、るかさんが動揺してしまったら――」
部下の心配そうな声に、私はしばらく考えを巡らせてから、ゆっくりと口を開いた。
「それも含めて、見届けるつもりだ」
部下の懸念に、私は静かにそう答えた。あの子がこれまで積み重ねてきたものは、決してあのスキルの効果だけではないはずだ。技術でも、経験でもない、あの子自身の持つ、何か別の強さ。それを、この機会に、確かめてみたい気持ちがあった。
これまで数々の対戦を見守ってきた中で、あの子が見せてきた、あの無心の一撃の数々。あれらは、決してあのスキルだけが生み出したものではないと、私は確信していた。
「モニタリング班には、常時観察態勢を敷かせている。何か問題が起きれば、すぐに対応できる」
「了解しました。それでは、予定通り、イベントを進行させます」
部下が退室した後、私はもう一度、モニターに映るミラーユニットの仕様データを見つめ直した。画面に並ぶ数値の一つ一つが、これから起こる出来事の重みを、静かに物語っているように感じられた。
このイベントが、あの子にとって、どんな意味を持つことになるのか。それは、まだ誰にもわからなかった。
それでも、一つだけ確かなことがある。あの子はこれまで、どんな困難な状況に置かれても、必ず自分なりの答えを見つけ出してきた。今回もまた、きっと同じはずだ。
モニター越しに、次第に緊迫していく戦況を見つめながら、私は静かに、その行方を見守り続けることにした。開発者としての立場を超えて、私自身もまた、一人の観客として、この対戦の結末を、心待ちにしている自分に気づいていた。




