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ZERO-DAY ONLINE ~チュートリアルを飛ばしたら不人気機体で世界最強になってました~  作者: 白い鴉


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1/22

1.引きこもり配信者、始めます

 カーテンの隙間から差し込む光の角度で、もう昼を過ぎたことだけはわかった。


 俺――上比留楓かみひる かえでは、ベッドの上で半分だけ体を起こし、スマホの画面を眺めていた。通知は、ゲームアプリのセール情報がひとつ。それだけだった。友達からの連絡も、学校関係の通知も、もう長いこと届いていない。画面の中は静かで、それが心地よくもあり、少しだけ寂しくもあった。


 部屋の中は、物が少ない。壁際に積まれた漫画、電源の入りっぱなしのゲーム機、脱ぎっぱなしのパーカー。カーテンは昼過ぎまで開けないのが習慣になっていて、時間の感覚は日によってバラバラだ。夜更かしして明け方に眠り、昼過ぎに起きる。そんな生活が、もう一年近く続いている。


 高校を中退してから、もうすぐ一年になる。


 理由を聞かれても、うまく説明できたことがない。人混みが苦手で、教室の空気が苦しくて、朝になると理由もなく体が重くなって、気づいたら足が学校に向かなくなっていた。それだけのことだ。誰かに強くいじめられたわけでも、決定的な事件があったわけでもない。


 もっとも、こういう説明を誰かにしたことは、実はほとんどない。聞かれること自体が少ないし、聞かれても答えられる自信がなかった。うまく言葉にできないもどかしさは、いつも喉の奥に沈殿したままだった。


 強いて言うなら――二年の秋、グループ発表の授業。あの日のことは、今でもたまに夢に見る。


 頭の中では言葉が並んでいた。何を話すかも決めていた。なのに、班のメンバーの前に立った瞬間、喉の奥が固まって、何も出てこなかった。教室中の視線が、針みたいに肌に刺さる感覚。時計の秒針の音だけがやけに大きく聞こえて、俺はただ、突っ立っていた。


 結局その日は、班の別のやつが代わりに発表してくれた。「上比留、緊張しちゃったみたいなんで」――そのフォローの一言すら、あの時の俺には刃物みたいに聞こえた。


 誰も俺を責めなかった。それが逆にきつかった。「大丈夫?」と気遣う声も、そっと目を逸らす仕草も、全部が「できなかったやつ」への反応に見えた。翌日から、教室に入るたびに、あの日の空気を思い出すようになった。誰も覚えてないかもしれない些細な出来事を、俺だけがずっと引きずってる。その自覚があるから、余計に苦しかった。教室という場所そのものが、少しずつ怖くなっていった。


 もう一つ、今でもふとした瞬間に蘇る記憶がある。中退してから三ヶ月ほど経った頃、俺は一度だけ、玄関の外に出てみようとしたことがあった。


 きっかけは覚えていない。ただ、このままじゃだめだという焦りだけが、その日はやけに強かった。


 靴を履き、玄関のドアに手をかける。ドアを開けた瞬間、外の空気が頬を撫でた。家の中とは明らかに違う匂い――排気ガスと、隣の家の洗濯物と、季節の匂いが入り混じった、あの独特の空気。まぶしいくらいの日差しに、思わず目を細めた。


 一歩、踏み出す。それだけのことなのに、心臓が急に早鐘を打ち始めた。


 近所の誰かに見られているんじゃないか。制服も着ずに、平日の昼間からふらふら歩いている自分を、誰かが変な目で見ているんじゃないか。そんな考えが、次から次へと押し寄せてくる。実際には、道に人影なんてほとんどなかったのに。


 息が、うまく吸えなくなった。吸っても吸っても、酸素が足りない気がする。視界の端が白く滲んで、地面が近づいたり遠のいたりする感覚があった。


 気づいたときには、玄関の三和土に座り込んでいた。母さんが、慌てた様子で駆け寄ってくる声だけが、やけに遠くから聞こえた。


「大丈夫? ゆっくり、ゆっくり息して」


 背中をさすられながら、俺は震える呼吸を必死に整えようとした。しばらくして、ようやく落ち着いてきた頃、母さんはそっと俺の頭を撫でながら、こう言った。


「そんなに急がなくてもいいんじゃない?」


 その言葉は、間違いなく優しさだった。責めるでも、急かすでもない、ただの気遣い。それなのに、俺はその優しさに、余計に打ちのめされた気がした。


 急がなくていい――それはつまり、今の自分には、玄関を出ることすらできないという事実を、そのまま受け入れられてしまったということだ。母さんの優しさが、俺の「できなさ」を、静かに、けれど確かに肯定していた。責められるより、ずっと苦しかった。


 それ以来、外に出ようとする気力そのものが、どこかに消えてしまった気がする。


 小さな「しんどい」が積み重なって、ある日、動けなくなった。


 後悔は、していない。……たぶん、していないと思う。ただ、漠然とした焦りだけが、いつも部屋の隅にうっすらと転がっている。


 中退してからしばらくは、何をするにも罪悪感がついて回った。昼過ぎまで寝ていることも、一日中ゲームをしていることも、誰にも咎められないのに、なぜか自分で自分を責めてしまう。友達とも、いつの間にか連絡を取らなくなった。既読をつけるのが怖くて、メッセージを開かないまま放置しているうちに、向こうからの連絡も自然と減っていった。今となっては、誰が何をしているのかもよくわからない。


 同級生たちはとっくに三年生になって、進路の話をしている頃だろう。そのことを考えると胃の奥が重くなるから、俺はできるだけ考えないようにしていた。


「――楓、ご飯できてるよー」


 階下から、母さんの声。


「はーい」


 返事だけして、しばらく動かない。すぐには降りられない。降りたところで、何を話せばいいのかわからないからだ。


 のろのろと体を起こし、パーカーを一枚羽織って階段を下りる。リビングには、いつも通りの湯気の立つ味噌汁と、簡単な炒め物が並んでいた。母さんはテレビを見ながら、「おかえり」でも「おはよう」でもない、ただの「座りな」だけ言って席を指した。


 学校の話も、将来の話も、母さんは何も聞いてこない。放任主義というより、聞いても答えが返ってこないことを、もう何年も前から知っているんだと思う。それが優しさなのか、諦めなのか、俺にもよくわからない。ただ、こうして黙って飯を用意してくれることに、感謝はしている。うまく言葉にできないだけで。


 テレビでは、昼のワイドショーが流れていた。母さんは画面を眺めながら、時々「へえ」とか「あらまあ」とか、独り言みたいな相槌を打っている。俺はその横で、黙って味噌汁をすする。会話らしい会話はないのに、この時間が嫌いじゃない自分もいた。何も聞かれない、何も答えなくていい。その距離感に、ずっと甘えてきた。


 でも、甘えてるだけじゃだめだってことも、本当はわかってる。父さんが単身赴任でほとんど家にいない分、この家の空気は母さんが一人で支えてる。高校を辞めた息子を、責めもせず、急かしもせず、ただ毎日飯を作って待ってる。その静かな我慢の上に、俺の「何もしない一年」が乗っかってるんだ。


 箸を止めて、ふと考える。もし今、「配信を始めようと思う」なんて言ったら、母さんはどんな顔をするだろう。喜ぶだろうか。それとも「そんなことより」って苦い顔をするだろうか。想像しただけで、喉の奥がまた重くなった。結局、何も言わないまま、俺は黙々と飯を食い終えた。


「……ごちそうさま」


 立ち上がりかけたところで、母さんがふと口を開いた。


「楓、最近ちゃんと寝てる? 顔色、あんまり良くないよ」


「あ……うん、大丈夫」


 それだけ言って、目を逸らす。心配してくれてるのはわかってる。わかってるのに、それにどう応えればいいのか、いつまで経ってもわからない。母さんもそれ以上は追及せず、ただ小さく頷いただけだった。


 逃げるように自室へ戻る。部屋の隅の学生カバンが目に入った。埃をかぶったまま、もう何ヶ月も動かしていない。捨てる決心もつかないくせに、視界に入るたびに胸のどこかがちくりとする。


 俺は視線を逸らして、スマホを手に取った。


 昨日の夜、なんとなく開いた動画サイトで、ゲーム配信を見た。特別上手いわけでもない配信者が、ただ楽しそうにゲームをやっていて、コメント欄が賑わっていた。時折、画面の端を投げ銭の通知が流れていく。数百円、時々千円超え。大した額じゃない。でも、それが十分、二十分と積み重なっていく様子を眺めているうちに、ふと思ったのだ。


(これ、月に数万円くらいなら……いけたりしないかな)


 月数万円。世間的には小遣いレベルの額かもしれない。でも、俺にとっては意味が違う。自分の力で稼いだ金なら、たとえ千円でも、母さんに「これ、少ないけど」って渡せる。何もしてない息子から、何かをしてる息子に、ほんの少しだけ変われる。バイトすらできない俺にとって、それはたぶん、唯一手が届きそうな「まとも」への入り口だった。


 気になって、他の配信者もいくつか覗いてみた。ハイテンションで喋り倒すタイプ。ぼそぼそと落ち着いた声でゲームだけに没頭するタイプ。視聴者と延々と雑談するタイプ。共通しているのは、どの配信者も、画面の向こうに「特定の誰かの顔」があるわけじゃない、ということだった。カメラの先にあるのは無数の匿名の視線だけで、教室のあの視線とは、たぶん別物だ。


 その中の一人、駆け出しっぽい配信者が、ホラーゲームで大袈裟に驚きながら、視聴者の一言一言にちゃんと反応を返しているのが印象的だった。上手いとか下手とか、そういう評価軸とは別のところで、その人は「楽しそうにやってる」だけで人を惹きつけていた。


(別に、すごい実力とか、面白いトークとかなくてもいいのかも)


 そう思ったら、少しだけ気が楽になった。完璧に喋れる必要はない。ただ、俺がゲームをやってる様子を、誰かがなんとなく眺めていてくれる。それだけでも、成立するものらしい。


 バイトの面接は無理だ。電話も無理。初対面の人と話すのも無理。人と目を合わせるだけで、頭の中が真っ白になる。あの教室の記憶が、いつも喉の奥にへばりついている。でも、画面の向こうに向かって喋るだけなら――誰の顔も、直接見ずに済むなら、もしかしたら。


 それが、すべての始まりだった。


 深い決意でも、燃えるような情熱でもない。「まあ、ダメでもいいか」ってくらいの、驚くほど軽い気持ちだった。失敗しても、誰かに迷惑をかけるわけじゃない。その気楽さが、逆に俺の背中を押した。


 試しに、誰もいない部屋で、鏡に向かって「はじめまして」と言ってみる。


「……は、はじめまして」


 声はかすれ、語尾は消え入りそうだった。


「だめだ、全然だめ」


 自分の声にすら、まだ慣れていなかった。


 それでも、その日から俺は、部屋で一人、喋る練習を始めた。「こんにちは」「今日はこのゲームをやっていきます」「コメントありがとうございます」――配信で使いそうなフレーズを、鏡に向かって繰り返す。最初は蚊の鳴くような声しか出なかったのが、三日も続けると、少しだけ声にハリが出てきた気がした。誰も見ていない部屋で一人芝居をしている自分が、ふと滑稽に思えて笑ってしまうこともあったけど、その笑いすら、なんだか久しぶりの感覚だった。


 思えば、俺の人生でゲームだけは、ずっと裏切らなかった。学校に行けなくなっても、友達と疎遠になっても、ゲームの中の世界だけは、いつでも同じ場所で待っていてくれた。攻略サイトも説明書も読まずに、手探りで進めるのが俺のやり方だ。効率は悪いけど、自分で見つけた抜け道や隠し要素に出会えた瞬間の嬉しさは、何にも代えがたい。母さんには「また徹夜したの」と呆れられてばかりだったけど、あの没頭している時間だけは、余計なことを何も考えずに済んだ。


 だから、ゲームで飯を食えたら――なんて、都合のいい夢だってことはわかってる。それでも、俺にとって唯一「続けられてきたもの」がゲームなんだから、賭けるならそこしかなかった。


 そんな数日を経て、俺はスマホで配信プラットフォームを本格的に調べ始めた。


 世界最大手の「LiveGate」は、初心者でも急上昇ランキングに乗るチャンスがあると評判らしい。おすすめ掲載アルゴリズムが新規配信者にも一定の露出を与えてくれること。三十秒のクリップ機能で、見どころだけが切り抜かれて拡散されやすいこと。投げ銭の仕組みが視聴者側にも定着していること。調べれば調べるほど、まったくの無名から始めても、何かのきっかけひとつで一気に伸びる可能性があるらしいことがわかってきた。


 配信ジャンルはゲーム実況。これはすぐ決まった。喋りだけで場を持たせる自信はないが、ゲームをやりながらなら、多少の沈黙もごまかせる気がした。


 その夜、俺はネット通販でVR用のヘッドセットを物色し始めた。フルダイブ対応の機種にも、驚くほど価格の幅がある。高級機は感覚の再現度が段違いという評判だったが、値段を見て即座に候補から外した。逆に極端に安いモデルは「酔いやすい」「装着感が悪い」というレビューが目立つ。


 結局、真ん中くらいの価格帯で、初心者向けと評判のモデルに落ち着いた。レビュー欄を何度も読み返して、「初心者にもおすすめ」「セットアップが簡単」という一文に背中を押されるように、注文ボタンを押す。配送予定は二日後。届くまでの間、何を配信するかをぼんやり考えた。


 好きなのはRPGやファンタジー系だ。魔法とか、剣とか、そういうものにずっと憧れていた。できることなら、そっち系のゲームで始めたかった。


 けど、ちょうどヘッドセットの到着予定日に合わせたみたいに、あるゲームが世界中で話題になっていた。


『ZERO-DAY』。


 フルダイブ型のVRMMO。西暦2148年、突如出現したワームホールから地球に襲来した機械生命体「INVADER」と戦う――そんな設定のロボットバトル系ゲームらしい。プレイヤーは地球防衛組織「EDF」の傭兵として登録され、各メーカー製の対抗兵器「FRAME」を自由に改造しながら戦場に立つんだそうだ。SNSでは連日トレンド入りし、有名配信者たちがこぞって取り上げていた。


 トレンドのタイムラインには、「事前ダウンロード開始、データ容量がとにかくデカい」「発売前にごく一部だけ遊べた先行体験いわゆるベータテストの時点で、もう同接がすごいことになってたらしい」「巨大ロボが暴れ回るPV映像がバズってる」「INVADERとの戦闘、迫力えぐい」「フレームのカスタム要素が沼すぎるって前評判」――そんな投稿が延々と流れてくる。ハッシュタグを軽く追っただけでも、この一週間、ネット中が発売前のこのゲームの話題で持ちきりだということが伝わってきた。有名配信者による先行プレイ動画には、既に数十万回再生がついているものもあった。


 正直、ロボットに特別興味があったわけじゃない。ただ、配信を始めようと決めたタイミングと、ヘッドセットの到着予定日と、ゲームの発売日が、数日のうちに都合よく重なっただけだ。


(別にロボットじゃなくてもよかったんだけどな……)


 そんな本音を胸の内で呟きながら、俺はストアページを何度もスクロールした。紹介動画の中で、巨大な機体たちが光を反射しながら戦場を駆け抜けていく。ファンタジーへの未練は少し残っていたけど、「まあ、これも面白そうだしいっか」と、あっさり気持ちを切り替えた。昔から、こういう切り替えの早さだけは自信がある。


 二日後。その日の俺は、珍しく午前中に目が覚めた。配達予定の通知が気になって、夜中に何度も目が覚めたせいだ。遠足の前の日に眠れない小学生かよ、と自分にツッコミを入れながら、それでも顔がにやけるのを止められなかった。何かを楽しみに朝を迎えるなんて、いつ以来だろう。


 昼前、インターホンが鳴った。母さんが応対する声が聞こえて、少しして「楓ー、荷物ー」と呼ばれる。階段を降りて受け取った小包は、想像していたより小さくて軽かった。


「なに買ったの?」


「あ、えっと……ゲームの、機械」


「ふうん。楽しみだね」


 母さんはそれだけ言って、台所に戻っていった。詮索しない。いつも通りだ。でも、その「楽しみだね」の一言が、なぜか妙に胸に残った。


 届いた小包を抱えて部屋に戻る。ちょうどこの日は、ZERO-DAYの正式サービスが始まる日でもあった。狙ったわけでもないのに見事に重なったことに、自分でも少し笑ってしまう。箱を開け、緩衝材を取り除いて、ヘッドセットをそっと取り出した。思っていたより軽い。試しに頭に乗せてみると、視界を覆うディスプレイの重みが、これから始まる何かの実感を少しずつ連れてきた。


 箱の隣にメモ帳を置いて、配信で使う名前を考え始める。


 本名を使う気はさらさらなかった。もし誰かに見つかったら――考えるだけで胃の奥がきゅっと縮む。かといって、まったく無関係な名前をゼロから考えるのも億劫だった。「かえでちゃん」「かーちゃん」「めいぷる」――思いつくまま書いては、線を引いて消す。どれもしっくりこない。キラキラした造語も、なんだか自分には似合わない気がした。


(自分の名前から、何か作れないかな)


 紙に「上比留楓」と書いてみる。じっと眺めているうちに、ふと気づいた。


 苗字の最後の文字、「る」。名前の最初の文字、「か」。


 並べてみると――「るか」。


(あ、これでいいじゃん)


 深く考え抜いたわけじゃない。ただ、自分の名前の欠片を、少しだけ残しておきたかった。それくらいの、ささやかなこだわりだ。


 配信の中の「るか」がどれだけ別人になっても、その名前の中には、上比留楓のかけらがちゃんと入ってる。誰にも気づかれない程度の、小さな符丁。逃げるために作る別人格なのに、完全には自分を捨てたくない――我ながら中途半端だと思う。でも、その中途半端さが、妙にしっくりきた。それでいい、と思った。


 チャンネル名は「ルカちゃんねる」。ひねりゼロ。名前にそのまま「ちゃんねる」をつけただけの、シンプルすぎるくらいシンプルな名前だ。何度か声に出して読んでみる。「るか」「ルカちゃんねる」。……悪くない響きだと思う。


 ゲームのダウンロードを開始して、待っている間に配信用アカウントを作成する。プロフィール画像は未設定のまま。フォロワー数はゼロ。それが逆に、まっさらなスタートって感じがして、少しだけ気持ちが引き締まった。


 メモ帳の新しいページに、初配信で話すことを書き出してみる。「挨拶」「名前の紹介」「今日やるゲームの説明」。三行書いたところで、手が止まった。それ以上、何を書けばいいのかわからない。台本をがちがちに固めたところで、本番でその通りに喋れる気もしなかった。


(まあ……なんとかなるか。なんとかならなかったら、そのとき考えよう)


 メモ帳を閉じる。計画性のなさは自覚してる。でも、あれこれ考えすぎて動けなくなるくらいなら、考えないで飛び込んだ方がまだマシだ。この一年、考えすぎて動けなかった時間なら、もう十分すぎるほど過ごしてきた。


 ダウンロードの進捗バーは、まだ半分を過ぎたあたり。手持ち無沙汰になって、俺はもう一度ZERO-DAYの公式サイトを開いた。世界観の紹介ページには、ワームホールから現れたINVADERの不気味なシルエットと、それに立ち向かう巨大なフレームたちのイラストが並んでいる。「あなたの機体で、あなたの戦い方を。」――そんなキャッチコピーが、ページの一番下に添えられていた。


(自分の戦い方、か……)


 ゲームの中でくらい、好きにやらせてもらおう。誰の目も気にせず、誰と比べられることもなく。そう思うと、少しだけ楽しみになってきた。


 ダウンロード完了の通知音が鳴る。


 俺はヘッドセットを手に取ると、ベッドに横になった。フルダイブ機器は、寝転がった状態で使うのが基本らしい。座ったままでも動作はするそうだが、レビューには「横になった方が没入感が違う」という書き込みが多かった。


 部屋のドアは、いつも通り薄く開けたままにしておいた。完全に閉め切ると、それはそれで落ち着かない。


 配信ソフトの設定画面を、念のためもう一度開く。フルダイブ中は、喋ろうとすれば声はゲームの中のアバターの口から出るし、体を動かそうとすれば、その動きもゲームの中でしか反映されない。神経そのものが接続を乗っ取られるような感覚らしく、現実の体は指一本動かないまま、ベッドに横たわり続けることになる。マイクを気にする必要も、部屋が映り込む心配をする必要もない。配信に映るのは、あくまでゲーム内の「るか」の姿だけだ。それだけは、ありがたい仕様だと思った。


 窓の外はもう暗くなり始めていた。今日という日が、少しずつ終わりに近づいている。この一歩を踏み出さなければ、また同じような一日が、明日も明後日も続いていくだけだ。そんな予感だけが、俺の背中を静かに押していた。


 うまくいくかどうかなんて、正直まったくわからない。誰にも見られずに終わる可能性だってある。それでもいい、と思った。ただ、何もしないまま、また一日が過ぎていくことだけは、どうしても嫌だった。動き出す理由なんて、それくらい単純なもので十分だ。


 失敗したらどうしよう、なんて考え始めたらキリがない。だったら、失敗したときに考えればいい。うまくいったら、そのときは素直に喜べばいい。先のことを全部決めてから動くなんて、俺には向いてない。行き当たりばったりでも、進んだ先で「これでよかった」って思えるなら、それで上等だ。


 深呼吸をひとつ。二つ。三つ目で、ようやく心臓の音が少しだけ落ち着いた。


「……いくか」


 誰も見ていない部屋で、俺は静かにヘッドセットを被った。


 被る直前、もう一度だけ部屋を見回した。積まれた漫画、電源の入りっぱなしのゲーム機、埃をかぶった学生カバン。この一年をずっと共にしてきた景色だ。次にこの景色を見るときには、少しは何かが変わってるんだろうか。それとも、何も変わらないまま、また同じ一日を繰り返すだけなんだろうか。


 考えても答えは出ない。だったら、飛び込んでから考えればいい。


 視界が暗転し、次の瞬間、真っ白な光の中にログイン画面が浮かび上がる。


```

ZERO-DAY

――地球を守るのは、あなただ。――

```


 この日、俺は誰も予想しなかった形で、世界を騒がせる存在になる。


 もちろんこのときの俺は、まだそんなこと、まったく知らない。











【相沢陽斗視点】


 高校からの帰り道、俺は今日もなんとなく、上比留の家がある方角に目をやってしまった。


 あいつが学校に来なくなってから、もうすぐ一年になる。最初のうちは、そのうちまた顔を出すんじゃないかと、根拠もなく思っていた。それが気づけば、季節を二つ以上またいでしまっている。


 あいつが学校に来なくなった、あの頃のことを、俺は今でも時々思い出す。


 当時から、あいつはどこか無理をしているように見えた。休み時間、一人で本を読んでいることが多くて、それでいて誰かが困っていれば、さりげなく手を貸すような奴だった。それなのに、自分自身のことになると、途端に何も言わなくなる。そういうところが、危ういと感じたことも、一度や二度じゃなかった。


 それでも、俺は結局、何も聞かなかった。「最近、元気ないけど大丈夫か」――そのくらいの一言すら、かけられなかった。踏み込みすぎるのも変な気がしたし、そのうち向こうから話してくれるだろう、なんて、都合のいい先延ばしをしていた気がする。


 結果として、あいつは誰にも何も言わないまま、学校に来なくなった。担任からそれとなく事情を聞いた時、俺は真っ先に、自分のあの時の判断を悔やんだ。


 あの時、もう少しちゃんと声をかけていたら。無理にでも、飯にでも誘っていたら。何か変わっていたんだろうか。答えの出ない「もしも」を、俺はこれまで、何度も頭の中で繰り返してきた。


 今更、連絡を取るのも変な気がする。一年近くも音沙汰なしにしておいて、いきなり「元気か」なんて送りつけたところで、向こうを困らせるだけかもしれない。そう思うと、余計に一歩が踏み出せなくなる。


 それでも、たまにこうして、あいつの家がある方角を見てしまう。元気にしてるといいけど、というくらいの、漠然とした願いだけを抱えたまま、俺は今日も、いつも通りの帰り道を歩いていた。


 この時の俺は、まだ知らない。あいつが、この日を境に、まったく想像もしていなかった形で、また自分の前に現れることになるとは。


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