第四話 王国の秘密
「……もう一度だけ言う」
「救魂官、アルト・アルヴェン」
女騎士は一歩、礼拝堂へ踏み込む。
白銀の鎧が小さく鳴った。
「王命だ」
その瞳は鋭い。
「改めて、儀式を行え」
沈黙が落ちる。
外ではまだ村人のざわめきが聞こえていた。
礼拝堂から漏れる光に気づいたのだろう。
アルトはゆっくりと息を吐いた。
「なら、俺ももう一度言おう。
王命なんて、糞食らえだ」
短杖をわずかに振る。
先端に重なった金属の輪が、シャリーンと礼拝堂に澄んだ音を響かせた。
次の瞬間、赤白い光が刃の形に伸びる。
アルトは、光の剣と化した短杖を構えた。
「……見事な赤だ。
さすがは、赤を冠するアルヴェン家」
「ならば……。礼装で応えよう」
女騎士は、ゆるりと剣を抜いた。
針のように細い突剣だった。
その切っ先が、鞭のようにしなると、刀身が黒い光に染まった。
「黒っ!?」
「そう、噂にくらい聞いたことがあるだろう。
どんな色も塗りつぶす黒の家。
王家直属の闇を……。」
女騎士の声音には、怒りよりも、どこか諦めに似た響きがあった。
「断罪者として、逝く者に名乗ろう。
我が名は、レイナ……。レイナ・カシュガル」
「逃げろ!」
アルトは女騎士を睨んだまま叫ぶ。
「あぅぅっ……。」
しかし、少女は情けない声を出すと、その場に腰を抜かした。
少女の足元に水が広がる。
それはアルトの靴の踵まで流れてきた。
「ちぃっ……。」
アルトは舌打ちした。
「我が名は、アルト!
ただのアルトだ! 家名はさっき捨てた!」
そして、一足飛びで間合いを詰める。
赤い残光を引いて、光剣が斜めに振り上がる。
「……甘いな」
「くっ!?」
だが、その一撃はあっさりと受け止められてしまう。
女騎士は動かない。
ただ右腕をわずかに動かしただけだった。
赤と黒の光がせめぎ合う。
しかし、赤はみるみる黒に飲まれていく。
「くそっ!」
アルトは悟った。
勝てない。時間稼ぎも出来ない。
残る手は一つ。
少女の手を掴んで逃げるしかない。
「甘いと……。言った」
だが、それすらも女騎士は読んでいた。
アルトが少女の元へバックステップで飛ぶ。
それに先んじ、女騎士は突き出した左掌を握りしめた。
「ぐっ!?」
アルトの周囲に闇の渦が開く。
そこから五本の黒い鎖が飛び出した。
鎖がジャラリと鳴る。
アルトの両手両足に巻き付き、きつく縛った。
残った一本は首。
しかし、それは巻き付いただけだった。
締め付けはない。
「さあ、お前の罪を教えろ」
アルトの眉がわずかに動く。
「……どういう意味だ」
女騎士は答えない。
代わりに、少女へ視線を向けた。
自身が失禁したことにも気づかず、腰を抜かしたままの少女。
女騎士の目が細くなる。
「聖女の魂に触れた救魂官は」
ぽつりと言った。
「必ず一度、迷う」
アルトは黙ったままだった。
「六百年前から、この儀式は続いている」
女騎士の声は低い。
「そして、何人もの救魂官が……。今のお前と同じ顔をした」
礼拝堂の空気が、重く沈んだ。
アルトの喉がわずかに動く。
「……何人だ」
「さてな……。お前は今まで食べたパンの数を覚えているのか?」
即答だった。
一瞬の迷いもない。
女騎士の自虐的な笑みを見た瞬間、アルトの胸の奥に冷たいものが落ちた。
「だが、お前は赤のアルヴェン家の者……。
……知っているのだろう?」
女騎士は続けた。
鎖がわずかに軋んだ。
「王国は建国以来、聖女の魂を魔法炉に捧げている」
アルトの視線が鋭くなる。
「それが王国を支え、人々を支え、戦争を支えてきたと」
そう、アルトは知っていた。
救魂官に選ばれたとき、秘伝として、父から教えられていた。
人の魂は、薪。
王都深部にある魔法炉に薪を焚べるほど、王国は明るく照らされる。
特に聖女と呼ばれる存在は、王国を眩いほどに照らす。
そして、聖女は一人ではない。
少女のように、聖女候補は何人もいる。
王国にとって、必要な聖女は一人。
あとは全て高品質な薪でしかなかった。
「……どうした? 今更の事実だろ?」
アルトの胸の奥で、何かが軋む。
そのときだった。
何かが震え、熱が溢れ出す。
同時に少女の身体から眩い光が放たれ、礼拝堂を満たす。
それを寄越せと言わんばかりに、光はアルトの胸に吸い込まれてゆく。
アルトが息を呑む。
「何をした!」
女騎士の目が大きく開いた。
「何もしていない。……これは」
少女が怯えるように目を瞑り、両手を力強く組む。
礼拝堂の壁が微かに震える。
窓の外で、村人の声が大きくなる。
誰かが叫んでいる。
「光だ!」
「教会が光ってる!」
少女が震える声を上げた。
「わ、わたし……。し、死にたくない! ま、まだ生きたい!」
光はさらに強くなる。
やれる。
アルトは直感した。
心を奮い立たせ、己の命を燃やす。
バキリという音と鳴り、アルトを拘束していた鎖が千々に砕け散った。
女騎士の表情が変わる。
「まさか、聖女と対をなす……。」
アルトが女騎士の茫然とした呟きを拾い、視線を向ける。
だが、女騎士はそれ以上の言葉を紡がなかった。
少女を見て、アルトを見る。
その視線には、初めて驚きが浮かんでいた。
一呼吸おいて、女騎士の剣から黒い光が霧散した。
「……いいだろう」
低い声だった。
アルトの眉が寄る。
「……何?」
女騎士は短く言った。
「行け」
アルトは一瞬、言葉を失った。
「ここから先は……。」
女騎士は扉の方へ視線を向ける。
外では村人たちの足音が近づいてきていた。
「見なかったことにする」
少女が驚いた顔で女騎士を見る。
「で、でも……」
女騎士は少女を見た。
その目は、先ほどまでとは違っていた。
ほんのわずかに、柔らかい。
「だが……。覚悟しろ」
そしてアルトを見る。
「その光が強ければ強いほど……。
王国は、取り戻そうとする」
礼拝堂の光が、再び揺れ、ゆっくりと消えていく。
アルトは、少女の手を取った。
小さく、冷たい手だった。
少女は戸惑いながらも、手を離さなかった。
アルトは女騎士を見る。
女騎士は、ただ静かに頷いた。
******
その日。
救魂官アルト・アルヴェンは、王国を裏切った。
――第一部、完。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。




