◆055 それぞれの道
アズリー、ポチ、メルキィがベイラネーアを旅立ってから、八時間程の時間が流れた。
魔法大学の一年生の教室では、トレースの口からアズリーの退学とその理由が告げられた。
騒然とするクラス内で、唯一事件の内容とその真相を知っていたリナは、毅然とした様子で椅子に腰掛けていた。
しかし昨晩泣いたせいか、目の周りが少し赤く腫れている事に気付かない親友のアンリとクラリスではない。
「リナ……」
「リナさん……」
「……うん、大丈夫」
二人の掛けた優しさだったが、それに甘えようとしないリナの態度にオルネルやミドルスが目を見張った。
リナとアズリーの仲を知るクラスメイト(主に反対派閥の白の派閥)も感嘆の息を漏らした。
「まったく、こんな可愛いリナを泣かせるなんて、最悪だなアズリーの野郎」
そう言ったのは、リナの机に腰を寄り掛けるイデアだった。
彼女が言った事はアズリーを卑下する内容だったが、自分の為に言ってくれたと理解したリナは苦笑して返答した。
そしてその後間も無くだった。
講義中にアイリーンの口から『アズリーの死』が告げられたのは。
一瞬、リナを除くクラス全員が凍りついたが、検死したビリーの名前、死因が自殺だという事を聞いた時、アズリーをよく知るオルネルの顔が変わった。
そして、それを見たアイリーンがニヤリと微笑む。
アイリーンがこの怪しい笑みを浮かべた事で、遅れてミドルスとイデアが気付いた。アズリーが生きているという事実を。
オルネルの小さな笑い声。これを不謹慎だと思う者は少なかった。クラリスやアンリもそれに釣られて笑ってしまっているのだから。
リナは改めて知った。アズリーがクラスに与えていた強烈なインパクトを。その影響力はクラスの大半を占め、自分の死という情報でさえも笑いに変えるその魔法はリナを奮い立たせるには十分過ぎる程の力を有していた。
「せ、先生!」
リナが立ち上がって言った。
「何かしらリナ?」
クラス全員が気付く。アイリーンが、公の場でアズリー以外の名前を確認せず呼んだ事に。
「今日の講義……どうしてもしたい事があります!」
「自分もですアイリーン先生!」
オルネルが立ち上がって言った。
「オルネル、言ってみなさい」
「はい。魔力拘束具の解錠、および密室からの脱走の考察、そして自身を白骨化させる魔法の考察です!」
「自分からもお願いします!」
「アタシからも!」
ミドルス、イデアが続き立ち上がる。
この時、先程の笑い声の意味を理解してなかった者たちの目が変わった。
「あー、くそっ」
「ったく、そういう事かよ……」
そんな声が漏れると、笑みを零したアイリーンが杖で床に魔法陣を描き始めた。
誰も見た事のない、設置型の魔法陣だった。
やがて魔法陣が淡い光を放ち、正しく起動した事を知らせる。
全員が立ち上がってその動向を見守っていると、アイリーンが小さな息を一つ吐いた。
「……これが、この前私が公開した空間転移魔法よ」
ドッとなって皆が立ち上がる。
公開されたといってもあくまで発表のみ。国の機関に提出しただけである。
魔法に携わる者にとって未知の魔法との出会いは衝撃的なものである。それが魔法大学一年生という立場ならば尚更の事だろう。
感嘆の声を漏らす者、口を開きながら驚きを隠せない者までその感動は様々だ。
(こ、これって……)
一番最初に気付いたのはリナだった。リナはこの魔法陣を一度見ていたのだ。
あれは新学期、アズリーに化粧を見せたくて行った研究室。床に座っていた親しみやすい犬狼。その床には確かに魔法陣が描かれていた。この魔法陣が二つ。
そう思ったリナは即座に理解したのだ。これはアズリーが発明した魔法だと。
(やっぱり……アズリーさんは……先生は凄いですっ!)
「この魔法の発明者の名前を聞いたら、さぞかしあなたたちは驚くんでしょうね」
「なっ、アイリーン先生が発明したんじゃないんですか!?」
オルネルの問いにアイリーンが頷く。
「権利を買い取ったのよ。勿論合法的にね。そしてそのお金で発明者が何をしたかわかる?」
皆が思考を巡らせる中、唯一解答に辿りついていたリナが俯きながら小さな声で言った。
「し、色食街の……子供たちの保護……」
このリナの言葉に、全員の思考が一致する。
空間転移魔法の発明者の名前をアイリーンが伏せている理由。その人物の特定。
そして何よりも、この偉業を成した事による名誉など手放しにして、人間の尊厳を保護しようとするその意識に驚愕した。
「……あの野郎……」
ミドルスが肩を震わせ憤りを零し、リナの瞳から一つ、また一つと涙を零し始めた。
皆、彼の名前を口にしない。それはアイリーンの意図を汲み取り、彼の意志を汲み取ったからだ。
「白黒の連鎖の契約、その一を覚えている者はいるかしら?」
「甲……私は、心身共に鍛錬し、戦士、または魔法士として相応しい姿勢を心がける……ですね」
クラリスがそう呟き、アンリが頷く。
「……彼を退学にした大学長、そして彼。果たしてその契約内容に一番近い行動と意志を示していたのはどちらかしらね?」
六法士といえどこれは問題発言だった。けれどアイリーンは躊躇いなく言い、そして魔法大学の象徴である大学長テンガロンを否定した。
誰もが息を呑み、事の重大さにも気付いていた。しかし、それでもアイリーンの言葉から耳を背けなかった。
「私も気付かされたわよ。魔法士としての素質の違いにね。魔法士は魔法の才だけでなれるものではないわ。この事実を別に誰に触れまわっても結構よ。けれども未来あるあなたたちがすべき事はそういう事ではないはずよ……契約なんか無くても構わないわ、今一度胸に刻みなさい! 心身共に鍛錬し、魔法士として相応しい姿勢を心がけるという事をね!」
魔育館が揺れる。
一糸乱れぬ大きな返事が、血流に雷が流れるような衝撃が、アイリーンの胸を叩き、彼等の心に響いた。
「……ふ、では、まず魔力拘束具の説明をなさい。イデア!」
「はい! 魔力拘束具は魔力を持つ者の力を制限し――」
…………――。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
その日の夜、銀のメンバーのブルーツは冒険者ギルドで、ベティー、春華と一緒に円形のテーブルの前に座っていた。
ブレイザーは各方面に手を回し、色食街の暗部の情報をかき集めている最中で、一時的にギルドにいる子供たちの保護の為、二人はこうして座っている事しか出来ないのだ。
「あー、ポチズリー商店が警備から解放されねぇとナツやフユたちの宿もままならねぇぜ」
「大丈夫よ、アズリーの偽装のおかげで、向こうもこれ以上を波風立たせたくはないでしょうからね。数日から一週間もあれば解放されるわよ」
「アズリーさん……大丈夫でありんしょうか?」
「そんな心配、するだけ損だぞ春華。あいつ最後俺と別れる前になんて言ったと思う?」
春華が小首を傾げブルーツの説明を待っていると、ベティーが横からその説明を加えた。
「『外の世界のドキドキワクワクが俺を待ってるんですよ!』だってさ」
「あり、なんでお前が知ってんだよ?」
「連絡が来たのよ、あれはおそらく魔法だと思うけど、脳に直接声が届いた時はビックリしたわ」
「にゃろう……まだまだ隠し事がありそうだな……」
「ふふふふ、アズリーさんらしいでありんすね」
「まったく……とんでもない野郎だ。今度会った時あいつを――」
そう言い掛けた時、丸くくるまれた紙を持ったダンカンがブルーツの前に立った。
その威圧感と神妙さからブルーツは思わず息を呑んだ。
「な、なんだよダンカン?」
「ブルーツ、こんな時に申し訳ないけど通達がきたわ。すぐに準備をして頂戴」
「え……通達ってなんだよ?」
「外でダラスも待ってるわ。いいから行って」
ダンカンは手に持っていた紙をブルーツに渡し、その背中をどんと押した。もの凄い力にブルーツがギルド入口付近まで飛ばされるが、うまく着地したブルーツはその紙を怪訝な表情で開いてみた。
「えーっと……冒険者ギルド……ランクS昇格審査ぁっ!? え、ちょっ、これまじかよ!?」
ギルド内が騒然とする。
そしてベティーが持っていたグラスを落とす。事をわかっていたかのようにダンカンがすっとキャッチしてテーブルへ戻す。
「兄貴……そんなにレベル上がってたの?」
「いや、85だが……それでも早いだろっ!」
「呆れた。ブレイザーより6も上じゃない。一人で突っ走り過ぎなのよ。もうっ」
「ランクSに申請出来る最低レベルだけどね、依頼をこなした回数もしっかりと超えてるから問題ないわよ。それに、アタシがしてあげれるのはこれくらいだし♪」
「で、でもよぉ……」
そんな兄の優柔不断ぶりにベティーが机を叩く。瞬間、大きな振動でまたもグラスが落ちるが、これもダンカンは難なく受け止めた。
春華は小さく拍手し、ダンカンがウインクで返す。
「いいからさっさと行って合格して来なさいよ! 兄貴がランクSになったらこれからの事だって楽になるんだから! むしろ合格するまで帰ってくるんじゃないわよ!」
「ベ、ベティー……」
「こ、こっちはなんとかするわよっ。気を付けてね!」
ベティーの檄にブルーツが微笑む。
軽く手を上げてベティーと春華、そしてダンカンに「行ってくる」と伝えると、ブルーツはギルドの扉を開けて出て行った。
「ブルーツさん、嬉しそうでありんした……」
「ふん、あんな脳筋馬鹿、あれくらいしか取り柄がないのよっ」
「でも、実際大したものよ? あの若さでランクSになれるだけの素質、そして弛まぬ努力は充分評価出来るわよ?」
ダンカンがそうベティーに問いかけると、ベティーもそれはわかっているようで、「知ってるわよ、そんな事」とだけ言って、ダンカンが拾ったグラスを奪ってエールを飲み干した。
春華とダンカンは互いに見合って笑った。一部始終を見守っていた冒険者たちがそれをからかうと、ベティー必殺のテーブル乱舞が建物の寿命を縮めた。
そんな乱闘騒ぎが落ち着き、ずっと笑っていた春華に眠気がきた頃、ギルドの扉が開いた。
小さな身体に小さな顔、火に照らされ火色に染まるその白髪は、常成無敗のアイリーンのトレードマークだった。
「ベティー、今宿が無くて困ってるらしいわね?」
「えぇ……しかし、アイリーン様が気になさる程ではないかと……」
「アナタが気にしなくても子供は大変よ」
その通りだった。ベティーは核心を突かれ、アイリーンに何も返せなかった。
返答に困っているベティーを前にアイリーンが腕を組みながら小声で尋ねる。
「そ、その……な、何人いるのよ」
「は?」
意外な問い掛けにベティーが聞き返す。
「こ、子供は何人いるのかって聞いてるのっ」
「え、じゅ、十七人ですが……」
「そう、それじゃあ銀がいても二十人って訳ね」
ベティーはアイリーンの言葉の意図が読めずに、近くにいたダンカンと顔を見合わせる。
「あの店が解放されるまでの間大変なんでしょう? だったらしばらくはうちの屋敷を使いなさい」
六法士からのこの提案に、ダンカンでさえも一瞬思考が停止した。
ならば周りの屈強な冒険者たちは尚更である。いつものアイリーンでは考えもつかない意表を突いた提案。
この沈黙に、ツンとしていたアイリーンが耐えれなくなったのか、片目を開いて様子を窺う。だが、それでも返答はなかった。
「ちょっと! 来るのっ!? 来ないのっ!? どっちなのっ!」
痺れを切らし、アイリーンが喚くと、ようやく状況に理解が追いついたベティーが動いた。
「ほ、本当に宜しいのですか……?」
「ろ、六法士が一人、常成無敗のアイリーンに二言はないわよっ」
「是非お願いします!」
ベティーが深々と頭を下げ、続いて春華も頭を下げた。
「ふふふふ、それじゃあ奥にいる子たちを連れて来るわね~♪」
ベティーが何度も礼を言う中、ダンカンが奥の部屋にいたナツ、フユたちを連れて来た。
春華がアイリーンの屋敷の話をナツたちにすると、家が見つかった事に皆が歓喜する。
騒がしいギルド内にアイリーンが一喝するも、その喜びを消す事は出来なかった。
「ふん、まったく……いいわ、礼儀から指導してやるわよっ」
「あははは、宜しくねアイリーンちゃん!」
ナツのこの一言は、冒険者ギルドを絶対零度まで凍り付かせた。
これにて第二章が幕になります。
次章は時が少し経ってからのお話です。
【書籍化情報】
イラストレーターさんが決まりました。
武藤 此史先生です。
小説家になろう内の作品では【まのわ ~魔物倒す・能力奪う・私強くなる~(著:紫炎先生)】のイラストを担当されてますね。
その他【スカイ・ワールド(著:瀬尾つかさ先生)】、【城下町は今日も魔法事件であふれている(著:井上悠宇先生)】等多数の作品を担当していらっしゃる素晴らしい方です。
また新たに情報解禁されましたらご報告させて頂きます。




