◆エピローグ11:極東の荒野
「ん~……あ~……こうか? こんな感じか?」
王都レガリアから東の果て。
極東の荒野と呼ばれる場所で、知肉のトゥースは身体中の魔力を操作しながらうんうんと唸っていた。複雑難解な魔術式を前に苦戦するトゥースの目は真剣そのものである。
それを見ていたトゥースの前で正座する男。
「……師匠、先程から一体何をされてるのでしょう?」
トゥースの男を見る視線は非常に鋭かった。まるで刃物のような鋭利な視線が、男を怯ませる。
「あぁ? いつ喋っていいっつった? お?」
開口の許可をしていないと指摘するトゥースに、男が慌てて自身の口を押さえる。
「ん! んにむぁんぇん!」
焦り、手の中で謝罪を述べる男の名はガスパー。
現在、師であるトゥースによるお説教の真っ最中である。
その理由が悪魔に身体を乗っ取られた事にあるのは、自明の理である。
そこへスキップしながらやって来るのはメルキィ。
ガスパーを横目で見つつ、ニシシと嬉しそうに笑うのは、この地へ戻ってから毎日の事である。
「毎度毎度、何がそんなに嬉しいんだかね……ったく」
トゥースの言葉にメルキィが反応する。
「師匠だってずーっとガスパー独占じゃないですかねぃ?」
ジトリとトゥースを見るメルキィ。
「俺は師匠としてコイツの馬鹿な部分を治してやらんといけねぇの」
「それってつまり…………独占って事ですよねぃ?」
カタリと小首を傾げるメルキィに、トゥースがワナワナと震える。
「わーったよ! ったく、面倒臭ぇ! てめぇで面倒見ろぃ!」
「なはははは! 今回は僕の粘り勝ちだねぃ!」
と、嬉しそうに拳を作り、ガスパーに向ける。
アズリーの手によりガスパーが救われてから毎日、メルキィはずっとトゥースに対し、遠回しに言っていたのだ。「さっさとガスパーをよこせ」と。
「はぁ~、壊すんじゃねぇぞ」
トゥースがガスパーの事をまるで玩具のように言い、
「ぬふふふふふ、ガスパァ? 私の番だよぃ……!」
メルキィもまたガスパーの事を玩具のように言った。
「く……っ! 殺せっ!」
「ふふふふふ、殺さないよぃ……煮て……焼くんだよぃ……」
うにうにと動くメルキィの細指たちは、まるでモンスターの触手のようだった。
びくびくと震えるガスパーに抗う術はない。
何故ならガスパーは…………、
「魔王ルシファーが全部持っていっちまった弊害……か。レベル一のガスパー君。万事休すってとこだな」
そう、正にトゥースの言葉通りだった。
現在メルキィの手によってひんむかれ、メイド服を強制的に着させられているガスパーは、魔王ルシファーが取り憑いた事で、その身に宿した全てをルシファーに奪われた。
今のガスパーは、一般人とほぼ同じ戦力と言える。
勿論、ガスパーが培った技術だけは頭に残っている。しかし、相手が限界突破をしているメルキィでは太刀打ち出来るはずがない。
強引に煮、焼かれる事となったガスパーは、終始顔を歪ませ、師であるトゥースに助けを求めている。
「し、師しょ――――ひぃいぁあああああっ!?」
「次はこれ! 良い感じのスリットが魅力のこのスカートにしようねぃ! ガスパーちゃん!」
「やめろぉ……やめろぉお……っ!」
声にならない悲鳴をあげるガスパーを見るトゥースの目は、変わらず冷たいままである。
本来であれば極刑という事態を救ったアズリーに、感謝はしている。しかし、トゥースはガスパーの師である。過ちを犯したガスパーに対し、罰を課すのもトゥースの仕事なのだ。
ガスパーちゃんの着せ替え地獄刑がひとしきり終わったところで、先程のガスパーの疑問をメルキィが再度トゥースに聞く。
何故なら、ガスパーは既に精神的に虫の息だからだ。
「それで、師匠はさっきから何をしてるんですかよぃ?」
「ん? 決まってるだろう。光闇ノ儀の究明だよ」
「あ~、アズ君が使ってたっていう、魔術です?」
「あぁ」
トゥースが肯定すると、メルキィから呆れた声が返ってくる。
「いや……アズ君に教えてもらえばいいじゃないですかよぃ! あの子ならきっとぽんぽん教えてくれますよぃ?」
そんなメルキィの助言が、トゥースの耳に届く事はない。
「はっ! 絶対嫌だねっ!」
噛みつくように言い返すトゥースに、メルキィは肩を竦める。
「考証してる時点でお察しですけどねぃ……」
「あぁっ? 何か言ったか?」
ボソりと言ったメルキィの言葉も、トゥースは拾う。
「まったく、どうしようもない地獄耳だねぃ。それで? 光闇ノ儀を覚えてどうするんですかぃ?」
「あぁ? その後は悠久の愚者を覚えるんだよ」
さらっと言った重大な一言に、メルキィが驚愕する。
「ちょちょちょっ! 師匠!? 一体どれだけ強くなるつもりですかっ!? それに、あれは滅茶苦茶危険な魔技だってアズ君も言ってたじゃないですかっ!」
「アイツに出来て俺様に出来ないはずがねぇ。それに、その二つが出来りゃガスパーだって……」
瞬間、言葉に詰まるトゥース。
メルキィと目が合い、神速で顔を背けるのは、何故か師匠の方だった。
「な、何でもねぇよ!」
そして、メルキィは目を三日月型にし、ニタリと師匠を見たのだった。
「はっはっはっは……なーんだ、師匠もちゃんと考えてるって事じゃないですか~? うんうん、僕は師匠の愛を最初から知ってましたからねぃ。いや、別にいいんですよ? 師匠なら何だかんだ言って色々成功させちゃうんですしぃ? そうですかそうですか、ガスパーの事もちゃんと考えてるんですねぃ? あの師匠がぁ?」
と、目を瞑りながらふんふん頷きながら言ったところで、メルキィの瞼の裏が更に深く、暗くなる。ちらりと目を開けた時にはもう遅かった。
巨大なエルフの巨大な拳が、メルキィの頭部を的確に捉える。
そして、パカンという音が荒野中に響き渡るのだった。
「っっっっっっっ~~~~~~~っ!?」
悶絶しながら脚をバタつかせるメルキィは、ガスパーと違い、身体的に虫の息である。
メルキィが痛がり、転がりながら極東の荒野を横断した頃、ガスパーの意識が戻る。
そして、何度も魔技を試行錯誤しているトゥースに目を向け、言ったのだ。
「師匠……何故私なんかのために……?」
身体を起こし、再び正座するガスパー。
「ちげーっつーの。俺様は俺様のやりたいようにやってるだけだ。お前ぇのレベルの事なんて、ついでだついで」
「師匠の……やりたい事…………?」
「そら勿論、あのアズリーをぶっ飛ばす事に決まってるだろうがっ! ははははっ!」
快活な笑みを浮かべ、トゥースは語る。
事実トゥースの優しさは、本人が語るように、メルキィやガスパーが思う程、深いものではなかった。
子供のような無邪気な笑顔を浮かべ、更なる魔を求めるその飽くなき探究心は、ガスパーの瞳を大きく見開かせた。
高揚感をありありと見せつけ、昂ぶらせる感情はいかほどのものか。
愚者と呼ばれるアズリーと、賢者と呼ばれるトゥースの違いは些細なものである。
誰しも求める頂。しかし、その道中で必ず訪れる挫折。
アズリーはただひたすら追い掛け……いつの間にか追い越す愚者。
トゥースはただひたすら走り続け……超えられると確信している賢者。
ガスパーが見上げる賢者の姿――正に威風堂々。
――――ガスパーはついで。
その言葉が真実だと悟ったガスパーは、深々と溜め息を吐き静かに言った。
「まったく……この頑固師匠には、生涯掛けても敵わないな」
「あぁっ? 何か言ったか? 観賞用の置物がよぉ?」
当然、極東の賢者は地獄耳。ガスパーの小言に近い言葉は、簡単に拾われてしまう。
真っ赤な口紅、真っ赤なドレス姿のガスパーの顔がヒクつくも、その瞳だけは明るく輝いていたのだった。
 




