◆410 無力
「は、はぁはぁはぁはぁ…………な、何なんだ一体……!」
アズリーが肩で息をしながら、ルシファーを睨む。
「どうだ? 楽しいか?」
ルシファーの言葉は、アズリーの肩に重くのし掛かる。
「う、うるせぇ!」
「余はとても満足している。貴様の苦しむ顔が見られてな……!」
言葉通り、ルシファーは嬉々とした表情をしていた。それに腹を立てるより、アズリーには先の疑問の方が優先事項だった。
「超越者ノ覇道とか言ったな!? あれは一体何だ!?」
「面白い事を言う? 余が 瞬間転移魔法の公式を聞いたところで、貴様が余に全てを語るとは思えぬが?」
「……そりゃ、まぁ……そうだな」
「くくくく、それに、貴様はもう気付いているのだろう? この術の力に……」
ルシファーの言葉は正しく、アズリーには確信があった。先にあったルシファーの言葉が全てだったと、そう理解してしまっていたのだ。
「……っ!」
「くくく、語らぬか。確かに、その感情は人間として当たり前だ」
しかし、それを言葉にしたところで、アズリーに勝機が見えるはずもなかった。
切り札として用意したはずの瞬間転移魔法は、ルシファーの切り札からの脱出用と化してしまった。
そこに現れる確かで、現実的で、無慈悲な結論は――――人間の敗北を意味していた。
アズリーの瞳に、その答えが見え隠れするも、ルシファーはそれを気にする事なく続ける。
「さて、もう少しであろう。それまでは余の遊びに付き合ってもらうぞ、アズリー?」
「……くっ、これ以上何をするってんだ!?」
「決まっているだろう? 魔王がするのは、弱者を……いたぶり、虐げ、地獄に落とす事だ」
アズリーを指差すルシファー。
その顔は、口が裂けそうになる程、笑いに満ちている。
「……余程の暇人だな」
アズリーの虚勢も、
「であろう? さっさと構えろ。そして絶望しろ」
ルシファーは嬉々として受け流す。
「今貴様は、余の玩具だ。何せ、余が本気を出して壊れないモノなど、探しても見つからないからな……!」
「へ、へへ……」
既に満身創痍のアズリーを前に、ルシファーが腰を落とす。
一切の油断を見せぬ、魔王ルシファーの本気の構え。それは、一個の人間が受けるには、余りに大きな重圧だった。
「さて、出し尽くした貴様が、何を背に戦うか、戦い抜くか……楽しみだ」
「……くっ!」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
エッドの神殿跡。
穿たれた大地、削られた神山、膝を突き力を使い果たして俯く――愚者。
その瞳は焦点が定まらず、激戦で荒いはずの呼吸もまともに出来ず、両の手は空を握る力すらなかった。
「魔力が切れたか。一度でさえ魔力が過分に必要な瞬間転移魔法。余に近い魔力を有していても、無数の攻撃魔法をかわす手段に用いれば枯渇して当然……か」
ルシファーがアズリーの頭の上に跳び乗り、ぐちゃりと踏み潰す。足元でピクリと動くアズリーに、満悦した様子のルシファー。
地面に顔を付けたアズリーの眼鏡は割れ、ボロボロになる。
ルシファーは腕を組み、足下のアズリーに向かって一言だけ言い放つ。
「無様だな」
ルシファーはアズリーの頭から降り、空間転移魔法陣を地面に刻み付ける。
それはやはり宙図や読み上げなどを介さない、超越者ノ覇道を用いた特殊な発動方法。
「そうだ、言い忘れていた」
虚空に響くルシファーの声。
「余は、貴様の死を望んでいない。そう言ったと記憶している。……余は、貴様の絶望と地獄を望んでいる。そうも言ったはずだ」
空間転移魔法陣に乗る直前、ルシファーは少しだけアズリーに振り返り言った。
「余がここで行っていたのは時間稼ぎ。クリートでは貴様の相手は荷が重い。奴にはある魔術をくれてやった。あれさえあれば、天獣とトゥースを相手にするには十分。倒せなくとも、拮抗する力があればいい。間も無く奴も切り上げるであろう」
「……ど、どう……いう…………意味……だ?」
ルシファーに顔を向ける力すらないアズリーは、口だけを動かして聞いた。
「言ったであろう? 余が望むのはアズリー、貴様の生き地獄だと……? くくくく。さて、今回の戦闘、死者が出ていないといいな、アズリー? 貴様を信じ、付き従う若き命……枯れていないといいな?」
嬉しそうに語るルシファー。
そう、今回、ルシファーがクリートに指示した内容は、アズリーの仲間の命を狙う事にあった。
それを聞いた瞬間、アズリーの目に激しい動揺が生まれた。
震える瞳、拭えぬ不安、そして、魔王ルシファーに対する……激しい怒り。
「……ほう?」
振り返るルシファー。
そこに見たのは、複雑な感情が入り混じった、アズリーの瞳。宙に浮かぶ、愚者の精一杯の虚勢だった。
「空中浮遊魔法か。どこから魔力を持って来た? 感情か? なるほど、人間の恐ろしさはここにあるな。確かに貴様の魔力は枯渇していたはずだ。……ふむ、まぁ、その程度の魔力では空中浮遊魔法くらいがせいぜい。立つ力もなく、魔力のみで浮いたはいいが、さてその後はどうする?」
「はぁ……はぁはぁ……はぁ……っ!」
「ハハハハッ! 睨むか! それしか出来ぬか! そうだ! 貴様が出来る事なぞ高が知れている! 己の無力を呪い、余を憎め! それが余の極上の喜びだ!! ハハハハハッ!!」
ルシファーの言葉は高らかに響き、アズリーの瞳は涙に溢れる。返す言葉も、力もなく、アズリーはただただルシファーを睨むだけ。それしか出来ないのだ。
「ハハハハハハハハッ!! 良い顔だ! 素晴らしい!! だが頼むアズリー! これで終わってくれるなよ!? 余の復讐はまだ終わっておらぬ!! 最期の時まで踠き続けろ!! そして……両の足を切り落とされ、両の腕を捻り切られて、芋虫のように這い蹲って、また余を睨め!! …………さすれば、余はその頭を踏み砕いて終わりにしてやろう」
空間転移魔法陣に乗り、消え行く魔王は最後は静かにそう語った。
一瞬だけ噴き出たアズリーの魔力はついに底を突き、消えたルシファーの笑い声の余韻が響く中、ゆっくりと身体を落とし、大地に身体を倒した。
「みん…………な……」
極度の疲労と魔力の枯渇、何よりルシファーから仲間の危機を聞いたショックから、アズリーは、気を失うという逃げ道を選択するしかなかった。
――トウエッドの首都エッド。
その象徴とも呼べる双子の巫女の神殿。既にそれは神殿とは呼び難く、およそ一個の存在同士が起こしたとは思えぬ災害跡のような戦場。
そこに残されたのは、全てを出し切った愚者の――力無き姿だけだった。
次話で十二章が終わります。
本当は今回で終えるつもりでしたが、文字数が膨らみ過ぎたので、次で終わりとします。




