◆310 エルフの秘法
「……そうですか。ジョルノさんが……」
リーリアの言葉を受けたブライトは、リーリアの目から見ても冷静だった。
後ろでそれを見守るフェリスとチャッピーは顔を見合わせる程だ。
「痩せたわね。それにその髭。とても貴族の家柄とは思えないわ……」
「…………リーリアさんは、綺麗になりましたね。まるで僕やフェリスより年下みたいだ」
リーリアはエルフ。人間より長寿な種族だ。
ブライトは少しだけリーリアを見て、すぐに目を背けた。
その目は、どこか羨ましそうだった。
フェリスもチャッピーも、その意味を知っている。ブライトは常に叶わぬ夢を追っているのだ。エルフ程の寿命があれば、それが多少なりとも緩和されるのではないかと思ったのだろう。
「ジョルノの事、聞かないのね」
「それが人間ですからね。エルフと違って寿命も短く病気にも弱い。それが、人間なんです……!」
ブライトの拳が強く握られる。
そんなブライトの震える身体を見て、今度はリーリアが俯く。
種族の違いそのものが、かつての仲間を傷付けている。
だが、リーリアはかつて聖戦士に選ばれた程の存在。そう思ったのはほんの少しの間だった。
リーリアが懐から取り出した羊皮紙。それをブライトの前にあった机に置く。
「……これは?」
「エルフの秘法……とでも言った方がいいかしらね」
ブライトは丸められた羊皮紙を開く。
それは、高度な魔術式が書かれた羊皮紙だった。
それを黙読するブライトの目が徐々に見開かれていく。
「これは、まさか!? リーリアさん、あなた……!」
ブライトは驚愕した目でリーリアを見る。
異様なブライトを見てフェリスが近付く。そしてブライトが持つ羊皮紙を覗き込んだ。
ブライト程ではないが、フェリスもポーアに魔法や魔術を学んだ人間である。ある程度の公式を読み解く事は出来た。
「……これは絶対零度の公式? いえ、違う? 結界の魔術公式も組み込まれているわね? これは一体……?」
「冷凍結界の魔術よ」
フェリスの疑問に、リーリアが静かに答える。
「これを使って僕にどうしろと……?」
「ジョルノは……ジョルノは長い時間を掛けてアズリーを助けようとしたわ。けれどそれじゃ彼の助けになるかわからない。だから決断しただけ……」
「成功するかもわからない魔術ですよ? 見てくださいっ。これはまだ未完成の魔術です! 魔術公式が途中で止まってる!」
「だから――」
語気を強めてブライトの言葉を止めるリーリア。
「――だからここへ来たの」
「……っ! 何故……ここなんですか……!」
「私が知る中で、ブライトが一番魔に精通しているからよ。偉大なる聖戦士ポーアの一番弟子。まぁ、この肩書はブライトには重荷かもしれないけど……」
ブライトは俯くばかり。
リーリアはそんなブライトの背中を見つめ、フェリスはブライトの肩を支えた。
「……お願い。私もブライトと同じでアズリーを助けたいの」
「こんな魔術公式…………」
羊皮紙を持つ手に力が籠められる。
そして、その場は止まったように動かなくなってしまった。
天井を見つめ、小さな息を吐くと共に、リーリアは目の端に映ったチャッピーを見た。
すると、チャッピーはリーリアが自分の方へ向くのを待っていたかのようにクイと顔を上げたのだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
チャッピーと共に外に出てきたリーリア。
外ではウェルダンがすやすやと眠っていた。
「呑気なものだな」
「ここまでとばして来てくれたのよ。疲れて当然だわ」
「そうか、それは悪い事を言った」
チャッピーは寝ているウェルダンに頭を下げる。
「ふふ、真摯なのね」
「……難しい言葉はわからん」
「嘘、それは知ってる顔よ」
「……ふん、付き合いが長いというのも何かと不便なのだな」
「ふふふ。それで? 何故私を外へ?」
リーリアがチャッピーに連れ出した理由を問いかける。
「ブライトには頭を冷やす時間が必要だ。そしてそれにはリーリア、お前が邪魔なだけだ」
「あら、随分ね。フェリスならいいの?」
「お前は知らないだろうが、フェリスはブライトの中で大きな存在となっている」
「いえ、見ていればわかるわ」
「そうか。凄い洞察力だな」
チャッピーが羽を広げてリーリアを褒める。
「そう? 大抵の人はわかると思うわ」
「ふむ……人とは凄いものだな」
「ふふふ、ブライトは否定するでしょうけどね」
「おぉ、凄いぞ! この前言ってやったら魔王が復活したかのような顔をして否定してたぞ!」
目を丸くするリーリアは、直後、すぐに噴き出してしまった。
余りに笑うリーリアにチャッピーが目を丸くする。
「この空気……久しぶりだ」
「ほぉ?」
「アズリーを思い出す」
「父上をか!」
チャッピーは嬉しそうに尾羽を振った。まるでポチのように。
「やっぱりポチを思い出すかな?」
「母上もか!」
目を輝かせ、羽をバタつかせるチャッピーに、リーリアは微笑み続けた。
「会いたいわね」
「あぁ、いつか必ず父上と母上に会うのだ! そして褒めてもらうのだ! 頭を! 首を! 身体を! あの温かい手で撫でてもらいたいのだ! だから私は、その時までに……胸を張って父上と母上に会えるように! 精一杯頑張って生きるのだ!」
沈みゆく太陽に向かって大きく羽を広げるチャッピーの背中。太陽の中で誓いを述べるように笑うチャッピーを見て、リーリアはやはり笑った。
やがて陽が落ち、肌寒くなってくる頃、ダンジョンの中からフェリスが歩いて来た。
「ブライト君が呼んでるわ」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ダンジョンの中に入ると、ブライトの表情は少しだけ明るくなっているように見えた。
そして丸めた羊皮紙を持ち、リーリアに向ける。
「こんな膨大な情報量の魔術。僕にしか扱えないですよ」
「知っているわ。だからここに来たのよ」
「失敗すれば命を失う可能性もあります。リーリアさんの願いが叶わないかもしれません……!」
ブライトが魔術の危険性について強く言う。
しかし、リーリアの顔が変わる事はなかった。
「……だからここに来たのよ」
そして、先程と同じ言葉を、先程とは違った意味で言った。
まるで、「信頼出来るブライトがいるからここに来た」と言いたそうな表情で。
それに気付いたブライトが、少しだけ目を丸くする。しかし彼はブライト。アズリーに黒帝と言わせた男である。
そんな自分の表情はすぐに消し去ってしまう。
「ウェルダンはどうするつもりです?」
「アズリーとの繋がりを使う……」
リーリアが見せたのは魔王戦が終わり、アズリーが消えゆく中、リーリアがもらった一枚の羊皮紙。
「それは……羊皮紙に高度な魔力印字を施していますね?」
「ハウスという使い魔を自由に出し入れ出来る魔法よ。これにウェルダンを入れて私を封じれば――」
「――封印から解けた時、ハウス内にいるウェルダンも出す事が出来る……!」
ブライトは、近くにあった手拭いを取り、両手で顔を擦り、汚れを落とした後、静かに言った。
「……結構です」
黒帝が笑う。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
――数年後。
「……ここは?」
「師匠がドリニウム鉱石を取って来た場所です。ガルムさんに聞きました」
「それにしてはドリニウム鉱石が見当たらないわね」
「異常な魔力で削り取ったようです。もっとも、私には皆目見当がつきませんけどね」
「ここに私を?」
リーリアが振り返りながらブライトに聞く。
「そうです。ここにリーリアさんを封じ、更に道すらも閉じます。師匠だけが見つけられるように……」
「アズリーだけに?」
「ここに空間転移魔法陣を置き、ソドムの街跡近辺と繋ぎます。チャッピーか薫さんたちからこの場所を伝えるようにします。聖戦士の力が無くなったとはいえ、師匠の魔力ならあるいは……」
「私のこの冷凍結界を解けるのはアズリーだけって事ね。……いえ……」
リーリアは自分の言葉を否定するように呟いた。
「ブライト、あなたなら可能なのでしょう?」
「……僕は――」
「――これだけ短い時間であの魔術を完成させたあなたよ? 言わせて頂戴」
「何をです?」
「……先に行ってるわ」
リーリアはウィンクをしてブライトに言った。
ムッとしつつも恥ずかしそうにするブライトは顔を背ける。
「か、簡単に言わないでください! さぁ、始めますよ!」
「偉大なる魔法士ポーアの……いえ、偉大なる魔法士ブライトに感謝を…………!」
「まったく、口が減らない元聖戦士ですね! ほいのほいの……ほいの……っ! ほい! 冷凍結界!」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
それから十数年の時が流れる。
ブライトは変わらず悠久の雫の研究をしたが、やはりそれが叶う事はなかった。
冷凍結界の魔術もブライト以外に扱う事が出来ない。そしてそれは、ブライトの本意でもなかった。
だからブライトは――――
「何よ話って?」
「フェリスさん、いい年のおばさんなんですから少しは口調直したらどうです?」
「口調から若さが失われていくのよ」
「ものは言いようですね」
「それで? 何か吹っ切れたような顔はしてるけど、何かいい事でもあったの?」
するとブライトはフェリスの首にかかっている銀のキーペンダントを指差した。
「答えは……最初からここにありました」
「な、何?」
ブライトはフェリスのキーペンダントを外し、机の上に置く。
これはアズリーという師匠からの贈り物。
カタチと魔力を遺した、アズリーからの贈り物。
「この中に眠る魔力と、リーリアさんのあの冷凍結界の魔術を応用すれば…………全ては完成したんです」
「どういう事なの? ブライト君っ」
ブライトのもどかしい説明に、フェリスが問い詰める。
チャッピーは首を傾げるばかりだ。
しかし、ブライトはフェリスに告げた。静かに、そして優しく。
「お別れです、フェリスさん」
「ど、どういう意味なのよっ」
突然の別れの言葉に、フェリスが声を荒げる。
「僕は……肉体を捨てます」
「ちょっと! ちゃんと説明しなさいよ!」
「肉体を捨て、魂魄のみの存在となってそのキーペンダントに僕自身を封じ込めるんです。そうすれば僕に時間という制限は消える。大丈夫、フェリスさんが死ぬまではご一緒しますよ」
「そ、そんなの納得出来る訳ないじゃない!」
フェリスがブライトの胸倉を掴み、凄まじい勢いで肉薄する。
しかし、ブライトは淡々と言うだけである。
「知っているはずですよフェリスさん? 僕は……こういう人間なんです」
笑みすら伴って言ったブライトの言葉に、フェリスの目が見開かれる。
「っ!」
部屋に響く衝撃音。
フェリスは息を切らせながらブライトの頬を叩いたのだ。
だが、それでもやはり、ブライトの顔が変わる事はなかった。
そして――――
「――――ほい、十角結界」
「なっ!?」
いつの間にかフェリスの足下に置かれていた十角結界。
瞬く間に、フェリスは結界の中に閉じ込められてしまう。
「何するのよ!」
「安心してください。時限解除式のコードが組み込まれていますから」
「そ、そんな事聞いてるんじゃないわよ!」
「これでも、僕なりに譲歩したつもりなんですよ? フェリスさんからキーペンダントを借り、勝手にやってしまうという案も勿論ありました。けど、ちゃんとお別れを言ってからの方がいいと思ったんです。どうです? 成長したでしょう?」
「そんな捻じ曲がった成長はお断りよ! ねぇブライト君! 思い直してよ! ほらそこのチキン! この結界何とかしなさい!」
フェリスは黙って見ているチャッピーを怒鳴りつける。
しかし、ブライトは微笑む。
「無駄ですよフェリスさん。スウィンドルマジックです。幻術によってチャッピーの目には僕とフェリスさんの日常的な光景が見えているはずです。先程からチャッピーが口を挟まないのはそういう事です」
彼は初代黒帝ブライト。
その才は全ての聖戦士が認める程である。師匠アズリーが見せたスウィンドルマジックを真似出来ないはずがなかった。
「まぁ、これでも中々難しかったんですけどね」
「一緒にアイツを助けるんじゃなかったの!? 肉体を捨てたら助けるなんて出来ないんじゃないの!?」
「僕はねフェリスさん。ちゃんと言ったはずです。旅立つ前に――――」
ブライトの言葉。
そう、あれは魔王討伐に向かった聖戦士一行を追いかけるため、ブライト、フェリス、チャッピーでフルブライド家を飛び出した時。
ブライトは言った。
――――僕は見たいんです。世界の行く末を!
「私の一番の願いは師匠を助ける事ではありません。この目で……全てを見る事にあったんです。それがわかった時、肉体の存在理由はなくなりました」
「馬鹿! 馬鹿! 馬鹿! ブライト君の馬鹿っ! 変なところだけあの生意気ポーアに似ちゃってさ! もうちょっとこっちの事を考えてくれたっていいじゃない!」
「散々フェリスさんに振り回された後です。最後くらいいいじゃないですか」
「魔王戦以降はこっちが振り回されっぱなしだったわよ!」
フェリスの言葉は、ブライトに届かない。
天井を見つめるブライトは最後にもう一度フェリスを見る。
「悪いとは……思っていますよ」
そう言って、ブライトは宙図を始めた。
「ほいのほいの……ほいの、ほい……魂魄転送!」
ブライトの魔術が発動する。
「ブライト君の……馬鹿ぁあああああああああああっ!!」
瞬間、フェリスのひび割れんばかりの大声と共にチャッピーの幻術が解かれる。
その異常な事態をすぐに察知したチャッピー。
チャッピーは一足跳びに、正面にいたフェリスの結界を破った。そう、チャッピーが直接ブライトに行けない理由があったからだ。
ブライト、フェリス、チャッピーはほぼ一直線上にいたのだ。
そのため、チャッピーには結界に閉じ込められるフェリスしか視認出来なかったのだ。
「こんのっ!」
破られた結界から抜けたフェリスが駆ける。
既にブライトの魂魄はゆらゆらとキーペンダントに向かっている。
しかしフェリスは諦めなかった。手を伸ばし、咄嗟に籠めたのは……魔力。
「やった!」
魂魄を掴み、そう叫んだフェリス――――だったが、フェリスの身体は、そのまま机に引っ張られていく。
「ちょ、ちょっとちょっとちょっと!?」
「フェリス! 何を遊んでいるんだ! 楽しそうだぞ!」
「う、五月蠅いわね! 手が離れないのよ!」
やがて、フェリスの手と、ブライトの魂魄がキーペンダントに触れる。
「あ」
そんな間の抜けたフェリスの声。それがフェリスの口から聞こえた時……既にフェリスの意識はこの場になかったのだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
真っ暗で濃密な魔力の世界。
「あいたたたたた……」
フェリスの魂魄から声が聞こえる。
「…………痛みはないはずです。ここはそういう世界ですから」
「……確かに痛みはないわね?」
「まったく、これも運命なんですかね。まさかこんな所まで付いて来るとは思いませんでした……」
諦め交じりのブライトの声。
「……もう一回くらい引っ叩ぱたく?」
「構いませんよ、ここは痛みがない世界です」
「えっとー、ブライトが最後にお漏らししたのはー……」
「うわぁあああ!?!? 何て事口にしてるんですかっ!?」
「なるほどね、こっちで痛めつければいい訳か……」
嬉しそうに呟くフェリス。
『ブライト! フェリス! どこへ行った!?』
外から聞こえるチャッピーの声。
結晶化されたキーペンダントの中にいる二人がピクリと反応する。
「……どうやら成功したようですね」
「失敗すればよかったのに」
「それにしても、いやに早いですね? 受け入れるのが?」
ブライトに巻き込まれ、肉体を捨てる事になったフェリス。
しかしフェリスに後悔の色は見えない。
ブライトはそれが不思議でならなかった。
「ブライト君、忘れたの?」
「え?」
「私は……こういう人間なのよ」
先程の意趣返しのようなフェリスの言葉。
無邪気で、しかし偉そうなフェリスの言葉。
「……生意気ですね」
「ふふん、今に始まった事じゃないわ!」
かくして、聖戦士ポーアことアズリーの一番弟子と二番弟子は肉体を捨てた。
全ては初代黒帝の望み。
時間に、世界に、神に抗うブライトの望み。
「あれ? 最後にお漏らししたのって十四歳の時だっけ?」
「十三歳です! あ……」
「あはははははっ!」
小悪魔の如く……いや、悪魔の如く笑うのは、腐れ縁のフェリス。
この悠久の絆は果たしてどこに向かうのか。
しかし、時は巡るのだ。
行き着く先は師匠が生まれた時代。
そう、チャッピーの首に下げられながらリナやオルネルたちを助けるのは……およそ、五千年後のお話。
この話はちょっと駆け足でしたね。
後で気になった部分は修正します。
でも、これでファールタウンに近くにあった空間転移魔法陣の謎が……解けたね╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ
アズリーが教えたからブライトが置いた魔法にアズリーの痕跡のようなものがあったんですね。
ドリニウム鉱石を採った部屋はアズリーのゲートイーターで長方形の部屋になりました。リーリアが結晶化していたのも長方形の部屋。
→「077 封印の地・078 賢者の石?」と「◆248 ドリニウム鉱石」を照らし合せてみてくださいな。
長かったが、これも……繋がった。
因みに今回のブライトの言葉は
→「◆246 影、始動」の最後の方の台詞ですね。
【書籍化のご報告】
「なろうラジオ」、観て頂いた方、ありがとうございました!
一週間はタイムシフトで観られるそうなので、気が向いたら観てください(~・w・)~
中恵さんのアズリーと、さいとうさんのポチの「聖戦士ごっこ」は最高でしたね!
さて、そのなろうラジオで初の情報公開でしたね!
小説家になろう公式WEB連載小説N-Starで連載している私の『がけっぷち冒険者の魔王体験』
→ ncode.syosetu.com/n7920ei/
の【書籍化】が決定致しました!
2018年の初夏頃、MFブックス様より発売予定となっております!
イラストレーターさんはまだ未公開なので、編集さんからOKもらい次第公開させて頂きます!
皆様、是非チェックしてみてください!
さぁ!
次回はアズリーのターンだぞ!
アズリーのターンだぞ!
ようやく現代だぞ!
長かったぁああああああああああ!!!!
おまたせ。




