022 愚者の秘密
―― 四月十七日 午後三時 学生自治会室 ――
「アズリーくぅん、それはこっちよ~」
「あぁはいはい……」
「ここはー、適当に書いちゃえばいいから~」
「い、意外に簡単なんですね……」
「私はー、簡単に落ちる女じゃないけどね~」
俺は今、学生自治会室で孤立無援のまま窮地に立たせられている。
胸元や腰が肌蹴、特殊な仕様のピンク色の派手なローブ……それに身を包んだ、とても魅力的な女性、それがこの《ディネイア》だ。その動きは妖しく、そして周囲に過剰なまでのフェロモンを振り撒いている。
落とした男は百を超えるという噂だ。ファンも多いという話だが、そういった会は存在せず、ディネイア自身がその僕達を管理しているそうだ。
「はははは」
「けどー、アズリーくんが入ってくれてー、本当に良かったわ〜。白派閥が私とあの無言男だからね〜」
「はははは」
「あ、ねえねえ、アズリーくんは好きな子とかいるの〜?」
「はははは」
「ちょっとー、聞いてるの〜?」
わざとらしく谷間を寄せ、アピールしながらディネイアが聞く。
メロンが二つ、そんなたわわな果実に、男は全面降伏をするしかないのかもしれない。
「どうですかねー、今は色々忙しくて……はは」
「あらーん、それは丁度いいわ〜」
「あ、あの、なんで触るんですか?」
「えー、私わからな〜い」
隣に座るディネイアは筆を持つ俺の手と、机に隠れている俺の太ももに手を添え、人差し指で撫で始める。
「ちょ、丁度いいって、な、なんでしょ?」
上半身を逃げるように反対側に逸らすが、ディネイアはそれに合わせて付いて来る。
手を触っていた右手が、二足歩行可能な形に変形し、人差し指と中指を使い俺の左腕をゆっくり歩き、そして上がって来る。
そしてその指が肩まで到達した時、ウォーカーこと、ディネイアの右手は、俺の胸元へとダイブした。
「あっ、ちょ、ちょっと、ディ、ディネイアさんっ?」
「だめー、ディネイアって呼びなさ〜い」
右手で胸を弄りながら、左手はついに俺のエデンへとっ!!
その瞬間――
「ディネイアーっ! あなた何やってるのよっ!!」
学生自治会室、そして廊下に物凄い音が響き、扉が開いた。
俺の緊急脱出装置……アイリーンが……救世主が現れた。
「やだ、アイリーンちゃん来ちゃったわ〜。ゴメンねアズリーくん、続きはまた今度ね〜」
去り際に投げキスを放ち、ディネイアは学生自治会室から出て行った。
番犬のように吠えるアイリーンは、廊下の窓が振動する程の声でディネイアの背中を押した……のだろう。
「アズリーもアズリーよ、何で抵抗しないのよっ!」
「い、一応先輩ですし?」
「……まさか、ああいうのが好みなの?」
「魅力的だとは思いますけどね、挑発的な誘い方をしてくる女性はちょっと……」
アイリーンは俺の前半部分の言葉を聞き、自分の胸を触って少し考えた様子だったが、すぐにまた頭を振った。
「しかし助かりました。危うく俺のエデンの果実が、熟した果実になるところでした」
「……そ、その表現はどうなの?」
紅潮気味にアイリーンが話す。
「払拭したいが為に少し盛って言ってるんですよ」
「そ、そう……ディネイアも、もっと真面目なら大学からの評価も高いのだけど……」
「多感な年頃なんでしょうね」
「……アズリーって、たまに年寄り臭い事言うわよね。ディネイアはアズリーの二歳も上なのよ?」
確かにディネイアは実質年齢より大人っぽく見えるが、俺の16歳(嘘)という設定より、二つ年が上なだけだ。
全ての人間が年下という現象に戸惑いもするが、外界での生活が浅い俺には丁度いいのかもしれない。
「ところで……」
「どうしたの?」
「アイリーンさんっておいくつなんです? ビリーさんとも普通に話してるので……いってぇっ!?」
「愚か者、レディーに年齢を聞くとは失礼な奴だな」
アイリーンの踵を利用した踏み潰しが、俺の右足の甲に炸裂した。
あのビリーと対等に話す程の人物ならば、相当な年齢だと思うのだが……聞ける訳もないか。
「あたたた……いや、すみませんでした」
「わ、わかればいいのよっ。それより……今夜、だったかしら?」
「えぇ、これに関しては大学に届け出を出して、受理されてますから問題ないでしょう」
「私も行きたいところだったけど、今夜から《十二士会》の会議があって外せないのよね」
誰も、付いて来てくれなんて言っていない事は黙っておこう。
「《帰らずの迷宮》……だったかしら? 誰一人戻らないって曰く付きの迷宮。一度攻略したら、潜る者はいないはずの迷宮に名前が付くのも珍しい話だけどね。ランクB以上の合同パーティでの攻略……アズリーなら大丈夫だと思うけど……死んだら許さないわよっ?」
「死んだらアイリーンさんの枕元に立って、耳に息吹きかけてやりますよ」
「ふんっ、口が減らないわね!」
ツンとまた腕を組み、アイリーンは俺から顔を背けた。耳が赤くなっている……今こそ吹きかけるべきだろうか?
いや、また踏み潰されてはかなわないか。
俺は、オーガを倒したあの日、ランクBに昇格した。
ある程度は安定して稼げるようになったので、ここ最近ギルドに行く機会も減ってきていたところだった。
先日ギルドへ行くと、ダンカンからギルド受付員の逆指名仕事依頼が入った。この制度は、ギルド受付員に信頼された冒険者を指名し、特殊な仕事を依頼する制度だ。
今回の依頼は迷宮探索。先月、ランクBの四人パーティが潜り、その後、報告に戻って来なかったという迷宮だ。
今回の仕事の依頼は、最近ベイラネーアに来たランクAの新規パーティ三人組と共に行動するという話だ。
初期メンバーの俺は予め決まっていて、ランクAの人材を三名募集していたところ、そのパーティが現れたという話だ。
慣れない仕事だが、これを攻略すれば、ギルドから一万五千ゴルドもの大金を頂ける。勿論、一人ずつだ。
しかし、迷宮内にあったものは依頼主に渡すように決まっている。依頼書に魔法が掛かっており、迷宮を攻略すると最深部にある財宝がこれに記録されるようになっている。ギルドにある複製依頼書にも同じ事が書かれる便利魔法……従って、黙って財宝をくすねる事等は出来ない。
もっとも、迷宮の最深部は財宝がない事も間々あり、ギルドの報酬の方が大きいケースも多く、そちらを優先する冒険者も多いとの事だ。
「それじゃあ、準備もあるので、そろそろ失礼します」
「あ……うん、気を付けて行きなさい」
少し元気がなさそうな声でアイリーンは言ったが、俺にはその理由がわからなかった。
部屋へと戻り、準備が完了した所で、俺はいつものようにリナへの定期連絡を入れた。
手のひらに、指で魔術陣を描き、リナを呼び出す。
『リナ、今大丈夫かい?』
『……あ、はい、大丈夫ですっ。いよいよ出発ですか?』
『うん、ちょっとだけ行って来るよ』
『ポチさんと仲良くしてくださいね』
『あぁ、出来るだけね』
『あははは……頑張ってください』
『リナだって、今度の実技も頑張るんだよ?』
『はいっ!』
『じゃあ、迷宮内でももしかしたら連絡するかもしれないけど……行ってきます』
『はい、行ってらっしゃい』
リナは最後に「気を付けて」とだけ言い、念話は終わった。
俺は一つ息を吐くと、出発ギリギリまで惰眠を貪るポチの鼻を、マントの端を使ってくすぐった。
「へ、へっ……へぶしっ! ぬ、は、へ!? 敵襲ですか!?」
「大魔王の襲来だ!」
「な、何ですって!?」
「現れたなハックション大魔王め!」
「……あ、はい! フハハハハ、現れたな出来損ないよ!」
「おい、それは酷くないか?」
「おっと、つい本音が」
片目を閉じて舌を出し、愛嬌をアピールするポチ。
何故かそれが許せなかった俺は、ポチを無駄にくすぐり倒した。
「アハハハハッ、やめ、マスタ……プァッ、アハハハハハッ!!」
「こいつめ、最近気付いたんだよ! 俺に愚者の称号が付いてるのは、ポチが八百年近くそう思い続けてきたからじゃないかってな! こんにゃろ、そんな長い想い、そうそう外れる訳ねーだろ! このこのこのこのこのー!」
「アハハハハッ! や、あひっ、フフフフフハハハハッ! き、きっとそうですー! ハハハハハッ!」
「ふぅ、まあこんなとこで許してやるか」
息絶え絶えのポチがぐったりしている。とても寝起きとは思えない疲労度だ。
「はぁ……はぁ……はぁ、ふぅ……もう、マスターにも責任があるんですからねっ」
「えーっと、人間とは責任転嫁をしたがる生き物である……っと!」
「……なんか、その《賢者のすゝめ》に書いてある事を正反対に行えば、賢者になれる気がしてきましたよ」
「おぉ、それは盲点だったな……ふむ、一理ある……」
「はぁ……大変な人をマスターに持ったものです」
ポチは呆れた様子でこちらを見る。
なんて憐れんだ眼をするんだお前は……。
「それじゃあ気を取り直して……出発だ!」
「アウッ!」
俺とポチは、学生寮から離れ、今回の仕事の合流地点である、ベイラネーアの北門へと向かった。




