◆150 ただの魔法兵団
―― 戦魔暦九十四年 六月一日 午前八時 ――
(何だ……コレは…………?)
王都守護魔法兵団の鍛錬場で、雷光とも称されるジャンヌは巨大な黒い影に覆われていた。
それは鍛錬場の八分の一が影に染まる程だ。
幹部席の石畳をコツコツと鳴らす小さな男は、呆然と立ち尽くす兵たちの前まで歩く。
焔の大魔法士ガストン。魔法兵団の長たる彼が、兵たちに見向きもされない。彼を心酔しているヴィオラ団長でさえもだ。
「窮屈でしたかな?」
ガストンが言葉を発した時、全ての視線を彼に集めた。
「……そりゃな」
そして再び視線が戻る。
ガストンが放った言葉。それは相手を敬う発言だった。
それに対し、やる気のなさそうな返事で返した男は、影の正体から発せられた言葉だった。
知肉のトゥース。極東の荒野を出て、はるばるここ王都レガリアまでやってきたのだ。
(ったく、まさか本当に一週間でアレをモノにするとは思わなかったぜ。こうなるなら手なんか抜かなきゃ良かったってもんだ……)
胡坐をかいて座るトゥースの隣に立つガストン。
並べてしまうと、豆粒にも見えるガストンに、兵たちは溜まっていた唾で喉を鳴らした。
「まぁーったく、ここに来るなら来るでちゃんと教えて欲しいものよね!」
ツンと張る声を、トゥースに掛けた女が一人……観覧席から現れた。
知っている声だけに、皆の動きは迅速だった。振り返った兵の一人がその名を叫ぶ。
「アイリーン様!」
即座に控える兵たちにアイリーンは軽く手を上げて起立させた。
「出たな、糞婆……」
「五月蠅いわよ糞賢者。ガストンから知らせが入らなかったら、気付かないで終わってたでしょうね」
「はんっ、苦労したぜ。ここまで来るのにな」
「アナタが?」
アイリーンが小首を捻る。賢者と言われる程の男が、レガリアへの移動に、苦労という言葉を使ったのが理解出来なかったのだ。
単純に、トゥースがここまでくるのは非常に簡単だ。
しかし、トゥースにはトゥースの事情がある。王都に存在する灰色の師であるからして、王都に近づきたくないのだ。近づけば死なないにしろ面倒が起こる。それ故、トゥースの王都接近という報を、グレイに知られてはならない、という障害があったのだ。
そのため、トゥースはガストンにアズリー発案のストアルームを教え、かつてメルキィがアズリーに頼んだように、ガストンへここまで運んでもらったのだ。
そして、身体に宿る巨大な魔力を抑えるという事も行っていた。アイリーンやアズリーが常時身体に施している魔力循環の法を少し弄り、空間転移魔法の公式を応用して、極東の荒野にその噴き出る魔力を送っているのだ。
これにより、トゥースはガスパーに察知される事なく王都レガリアへ入ったのだ。
無論それは…………ガスパーには気付かれないというだけで、野生に潜む者は当然に気付くのだった。
一人、兵たちが並ぶ最後列で尻もちを突いた女兵がいた。
前に並んでいた男兵がその女兵を睨む。トゥースという大事なれど、規律を乱す事は王都守護魔法兵団の恥であるからだ。
しかし、男兵は気付いたのだ。女兵が見上げたその先に、鍛え上げられた正規兵が取り乱す原因を。
「あ…………あ……」
女兵とともに尻もちを突いた男兵は空に見た。
次々と強制的に腰を落とされる兵たちの波が、ついにトゥース、アイリーン、ガストン、ヴィオラの下へ届く。
トゥースが見上げ、黒い点を捉えた。
空で止まり、その圧倒的魔力で兵たち、そして隣にいるガストン、アイリーン、ヴィオラに強烈なプレッシャーを掛けたのは――――
「なんでぇ、紫死鳥か」
頭を掻きながら、空を見つめた先には、先日アズリーたちを苦しめた紫死鳥が飛んでいた。
トゥース程の人物が王都レガリアに近づけば、レガリア近辺を縄張りにしている紫死鳥が気付かない訳がない。
相手に害があれば、身の危険にも繋がるからだ。
「……お知り合いでしたかな?」
「なぁに、二回程喧嘩した事があるだけだよ」
「天獣相手に喧嘩ぁ? ふざけた男ね」
平静を装いながらもガストンもアイリーンも気付いていた。紫死鳥の圧力に。
その気になれば、自身を含むこの場の全員が死んでしまうという事実に。
隅に控えていたフユは、杖を抱きかかえながらガタガタと震えている。姿形がまともに捉えられない距離にいる小さな黒点に、場の皆は恐怖し、そして震えた。
天獣が現れてはトゥースも身を隠した意味がない。
早々にこの場から去って欲しいと思ったトゥースは、紫死鳥に念話連絡の魔術を発動した。
『よぉ、久しぶりじゃねぇか』
『……やはりお前だったか』
『今やり合う気はねぇよ。お家へ帰んな』
『…………最近はよく人に会う』
『へぇ、珍しいじゃねぇか? だが、ここから先は色んな人間に会うだろうぜ』
『どういう事だ?』
『ま、そいつぁまた今度教えてやる。今は帰れ。てめぇの視線が俺の敵を呼んじまうからな』
『……………………いいだろう。渓谷で待つ』
『あいよ』
目を瞑ったまま念話していたトゥースは、懐かしさからか少し口を緩ませると、紫死鳥は北へと戻って行った。
天獣を前にする。それだけの短い時間が、兵たちの顔を白くさせてしまった。彼らが、いつの間にか出ていた大量の汗に気付き、冷たさを感じる頃、いち早く平時に戻ったガストンは、小さな咳払いをした。
それに後押しされるように、地に付けていた腰が上がり、再び兵に規律が戻る。
ガストンはトゥースを手で差し、言った。
「トゥース殿だ。極東の賢者と呼ばれる知る人ぞ知る偉人である」
「へっ、爺が持ち上げやがる……」
「先日より皆に課した鍛錬メニュー。誰一人として最後まで行えた者はいないと聞く。無論、このヴィオラもだ」
この言葉に俯くヴィオラだが、誰も彼女を非難する事はない。
アズリーが行ってきたトレーニングは、兵たちに「不可能」だと思われていたからだ。
少なからずそう思っていた兵たちは、この鍛錬メニューを出したガストンに不信感を持っていた。「戦士でもない我々に何故これほどの肉体鍛錬を課すのか」と。
だからこそ、この話を聞いて俯く者はいなかった。
この時、兵たちの顔に苛立ちを覚えたアイリーンが一歩前に出たのだ。
「ぬっるいわ! そんな顔してるからいつまでたっても弱いままなのよ!」
兵たちの顔が凍りついた。
それなりの強さを自負する兵たちが、弱いと宣言されたからだ。
いくら六法士のアイリーンといえど、この事態を飲み込むには時間がかかったのだろう。
「おめーもな」
「アンタは黙ってらっしゃい!」
ボソりと呟いたトゥースに噛みつくように言うと、アイリーンは再び兵を睨んだ。
「あの程度のメニュー、十時間もあれば楽勝よ! 私もガストンも当然クリアしてるわ! 魔法技術や魔力じゃなく、私たちとアナタたちの単純な差はこれよ! 意思の弱さ、わかる!? 爺も爺よ! こいつら全員、甘やかしすぎなのよ!」
吠えるように喚き散らし、言いたい事だけ言ったアイリーンは、最後にそっぽを向いて荒い鼻息を吐いた。
兵たちはただただ驚きを隠せずにいる。もしアイリーンの放った言葉が全て事実であれば、自分たちは何なのだ、と。
意思の弱さを指摘された。しかし、彼らには自信があった。そこらの冒険者には決して負けないという自信が。
言葉の意味を理解出来ている者はいない。
トゥースが溜め息を吐き、アイリーンがそれに続くと、ガストンが一歩前へ出る。
「……日々の鍛錬、まことに結構。だが、それで終わっている者がお主らだ。飽く事なき鍛錬の先に真の力がある。そういう事だ」
「ま、口で言ってもわからないヤツばっかりだから、こんな糞賢者を呼んだってわけよ」
「糞は余計だ、糞婆」
「これより先! 付いて来れぬ者は置いてゆく! 皆の者、心せよ!」
ガストンが太くしゃがれた声を鍛錬場に響かせる。
状況を理解出来ない兵たちの気遅れした返事に、トゥースが再び深い溜め息を吐く。
(まったく、何人持つ事やら…………。アズリー、こんな面倒な仕事押しつけやがって……帰って来たら…………いや、それも面倒だな)
大きく長い欠伸を出し、足下で喚いているアイリーンにいつまでも気付かないトゥースであった。
皆様の応援のおかげもあり、ようやく150話です。
終わりという先が見えな過ぎて不安ですが、もっと魅力的に書けるように努力します。
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