◆144 あれから半月
―― 戦魔暦九十四年 五月十一日 午前六時 ――
「戻って来ないな、アズリー」
屈んでいるララが、作物の周りに生える雑草を抜きながら言った。
「戻ってこないですねー」
「「念話連絡でも連絡がつかないとなると、余程遠いところか……。もしくは何らかの理由で遮断されていると考えた方がよいだろう」」
イツキがララに同意して言うと、尻尾を器用に使ってプチプチと雑草を抜くツァルがその理由を答えた。
「そうねー、まだ発って間もないし、そこまで気にする事はないと思うわよ?」
「だがよベティー、リナは大丈夫なのかよ?」
「あら兄貴、あの子は強いわよ。心も、力もね。昨日だって体術でエッグに勝ったんだから」
「げっ、マジかよ!?」
「それは凄いな」
目を開いてブルーツが驚き、ブレイザーが感嘆の息を漏らす。
戦士であるエッグが、魔法士のリナに体術勝負で負けたというのは意外だったのだ。
エッグをそこまで知らないララだが、皆にのっかるように「おー」と呟く。
「ま、相手があのリナじゃ、エッグも集中出来なかったでしょうけどね。あ、兄貴、そこ雑草抜き残しあるわよ!」
「あー、わりぃ」
「さーて、私の分は終わったわ。そろそろご飯だからナツと春華を手伝ってくるわね。兄貴たちはそれが終わったら皆を起こしてきてー」
すっと立ち上がったベティーは、そう言い残して家に入っていく。
時を同じくしてブレイザー、イツキ、ツァルと仕事を終え、皆一日の仕事の準備にかかる。
「ったく、こういうのは本当に苦手だぜ……」
「ブルーツ、そこ」
「あいよー」
「そこも」
「へいへい…………って、ララもそろそろライアンたちを呼びに行く時間じゃねぇのか?」
「今日はブルーツ号で行く予定だぞ」
「………………」
淡々と答えるララの言葉は、最新型人力車ブルーツ号から溜め息を生ませる力を有していた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「戻って来ないわね、アイツ」
同日、午前七時。
徹夜で学生自治会の雑務を行っていたリナに、顧問のアイリーンが呟くように言った。
「そうですねー……」
「流石に今回は連絡があると思ったんだけど、半月も連絡ないと、心配になるわね」
「そうですか?」
思いがけない言葉に、アイリーンは咥えていた筆をピコリと止める。
同じ気持ちだと思っていたはずのリナから出た言葉だとは思えなかったのだ。
「何よ、驚いたわね」
「へ? あ、変でした……か?」
「変じゃないけど……意外だっただけよ」
鼻をすんと鳴らして椅子の背もたれに寄り掛かったアイリーンは、再び咥えていた筆をピコピコと動かし始めた。
「アイリーン先生。それ、私が前に注意されたやつですよ」
「ぅぉ?」
今年の一月に自分がリナに注意した事を思い出すアイリーン。
その事を振り返りながら筆を口から離す。
「なんだかんだで、アイツ三ヶ月しかここにいなかったのね」
「ランクSの昇格審査で少し離れた期間もありましたしねー。でも、その三ヶ月で色々起きましたし、沢山勉強も出来ましたよっ」
ぐっと両手を握って成長をアピールするリナの顔を見て、アイリーンが苦笑する。
「まったく、目の下のクマをなんとかしないと締まらないわね」
「あ、え? す、すみませんっ」
手で目を覆い、恥ずかしそうにするリナに再び苦笑すると、アイリーンは遠くから聞こえる靴音に耳を傾けた。
「重さ、振動、歩幅からいってオルネルかしら?」
「だ、だと思います……」
二人の予想は的中し、勢いよく開かれた扉から息を切らせたオルネルが現れた。
ずり下がった眼鏡を直し、息が整わないうちにオルネルが言う。
「はぁ、はぁ……すまん、リナ。遅れたっ」
「ほぇ? 引継ぎの約束の時間までまだ時間がありますよ?」
「あらあら、教員の私より早くリナに挨拶かしら?」
からかうように皮肉を伝え、オルネルの顔が少し引きつる。やってしまった、そんな様子で焦り、自身を正そうとするオルネルは、勢いよく頭を下げる。
「おはようございます、アイリーン先生!」
「はい、おはよう」
生徒の慌てる姿に満足したのか、アイリーンは笑みを作ってそう答えた。
未だ頭を上げないオルネルは、ちらりと顔だけ見せ、伺うように聞く。
「……あの」
「ん?」
アイリーンが不思議に思い首を傾げる。リナも首を少し傾けている。
「何故リナは目を覆い隠してるのでしょうか?」
「……ふふふ、内緒……」
何かを含んだ笑みを見せて答えたアイリーンに、ようやく頭を上げるオルネルはそのまま首を傾げた。
照れながら紅潮するリナの顔が元の色に戻る頃、オルネルは自身の席へと腰を下ろしていた。
「それで、今年の一年からは一名の補充だったな。学生自治会入会生徒の精査、どうなんだ?」
「うーん、候補は決まったんだけど、やっぱり絞り切れなくて……」
「何でだ? 実力的にはまだまだだが、結構な人材は揃ってるんじゃないか? その中からバランスの良い人間を選ぶだけだろう?」
資料を見ながらオルネルが聞く。
リナが答えるより早くアイリーンがムスっとしながら反応する。
「白の派閥からだと……偏り過ぎてるのよ。実力は平凡だけど向上心があり、性格が良いと評判のマッシュって男生徒。それに実力は底辺だけど活発で人望だけはあるティミーという女生徒。最後に…………」
そう言いかけて止めたアイリーンに、オルネルは何かに気付く。
「ティファです……か」
学生自治会副会長の席に就いているオルネルが知らないはずがない。
アズリーの生徒ティファは今年の首席入学者なのだから。
入学後も噂を耳にしているし、リナから、アズリーに教わった生徒だとも聞いている。
そして何より、アイリーンが実技授業の度に愚痴を漏らすワースト一位が彼女なのだ。
「実力だけならそりゃ群を抜いているわ。正直、驚きを隠せない程にね。でも、内面は大問題よ。ま、これに関してはどこかの誰かを思い出さずにはいられないわよね……」
「そんな、アズリーさんはそんな事――」
「アイツは違う意味で大問題だったわよ」
遮るように言うアイリーン。
「入学情報の細工、契約書の細工、クラスの問題を起こし、色食街に手を出し、空間転移魔法の権利を私に売りつけたのよっ? まったく、アイツ関係でまともなのはリナだけよっ」
鼻息を荒くして吐くアイリーンに、リナとオルネルの顔が引きつる。
(確か、アズリーさんの件って……)
(アイリーン先生はそのほとんどに関係してたはずじゃ……?)
二人の顔の変化に気付いたアイリーンがジロリと見る目を変えると、二人はさっと目を逸らした。
しばらくの沈黙の後、資料を見返していたオルネルが顔を上げる。
「俺はティファを押しますよ。人望や性格以上の実力が、彼女にはありますからね。実力がないと無理ですよ、学生自治会は」
「でもねぇ……それならマッシュはどう? 先を見据えるなら学生自治会で叩く手はあるわよ? それなりに伸びるだろうし、空いてる席から考えて、庶務なら出来るわよ」
「んー……リナはどうなんだ? さっきから発言してないじゃないか?」
「えっと、アンリに交渉してみようかな……って……」
オルネルが副会長になる事で空いた枠である学生自治会風紀の席に就いたアンリ。
その存在と交渉という言葉にアイリーンが気付く。
「もしかして、アンリを庶務に移し、空いた風紀にティファを?」
「ダメ…………ですかね?」
「ダメ、と言うより無理ね。風紀なんて重要ポストを一年の前期で……しかもティファに任せるなんて。私たちが許可を出しても、他の自治会メンバーが許さないわよ」
うーんと喉を鳴らし、腕を組んで考えるリナ。
どうやらリナの頭の中ではそのプランが最有力候補なのだろう。アイリーンのやや否定的な意見を受け入れられずにいる。
これを理解したアイリーンは小さな鼻息を吐いた。
「……でもま、最終的な意見はオルネルとリナで出す事だからね。会長と副会長が黒の派閥の今、実力的にティファの名前が挙がるのは必然だと思うわ。リナが言えばアンリも納得するでしょうから…………やるだけやってみなさい」
顔の前で手を合わせ、顔に明るさが灯るリナは、嬉しそうに息を吸った。
「ありがとうございますっ」
溢れる感情と笑顔を零し、眩い光をリナに見たオルネルの顔が綻ぶ。
話が一つまとまったと見たアイリーンは、席を立ち再びリナを見る。
「さ、午前は休んで構わないから少し休んでらっしゃい。講師には私から話を通しておくから」
「あ、はいっ」
早朝の学生自治会室に声が響く。
アイリーンの言葉に甘え、リナも席を立ち、二人で部屋を出て行く。その間際、アイリーンがオルネルに言った。
「オルネル、ここを頼むわね」
「はい!」
二人の足音が遠くで消え、静寂に包まれる学生自治会室。
先程まで会長席に座っていたリナの顔を思い返す青髪の青年。
「…………可愛い」
ほっと息を吐くように緊張を体外へと排出した言葉は、誰にも言えない彼だけの秘密である。
次回からまたアズリー回です。




