聖女、メイドになる
お屋敷から急な呼び出しがあり、水穂は急遽二つ離れた王都へと買い付けに向かうことになった。本来なら他の使用人が行う所だが、なんでも急な来客への対応で他の使用人達の手も一杯で、空いている者がいなかったらしい。
水穂はまだ勉めだして一年と日が浅い。しかしこの世界では、メイドは花嫁修行もかねた奉公先として勤める者が多い。例に漏れず伯爵家のメイド達もそうした娘達が多かった。そんな中、他の娘達とは異なり社畜魂の抜けない仕事熱心なところがメイド長の目に留まったのである。浮わついた様子なく、遣い用の大金を渡してもネコババしないだろうと判断されたのだ。
王都までは業者と馬車も用意されている。その為モンスターを恐れる不安もなく、そもそも上司からの命令である。染み付いたはい喜んで!精神で水穂は気がつけば二つ返事で頷いた。しかし満足そうなメイド長マーサの表情を見て、今更ながら水穂ははっとした。エルの事だ。
昨夜様子の可笑しかったエルだが、夕食の時はいつも通りで朝も朝食の支度も手伝ってくれていたから、機嫌はもう大丈夫だろうがーーー
小柄な見た目から年は一桁かと思っていたが、実際は十代であったエル。とはいってもまだまだ彼女は若い。昨夜の様子から、もしかしたら、これが反抗期だろうか?水穂は不安に駆られてたが、頷いた手前反意するのは憚られる。しかし病み上がりであるエルを一人にする訳にもいかないし、急な呼び出しもあって、まだ屋敷にエルの存在を知らせてもいないのだ。
悩んだ結果、水穂は屋敷で一番仲良い木こりのサニエルにだけ事情を話して、水穂がいない間のエルの面倒を見てもらうことにした。
顎に白い髭をたっぷり生やし、反面後頭部は少し薄っすらしているサニエルは面倒見がとても良く、水穂が屋敷で勤めだした不慣れな頃からよく面倒を観てくれていた。
文字が分からないと不便だからと、この世界の文字の基本もサニエルから教わったり彼から本を借りて覚えたのだ。
エルの鎖をとるために斧も彼から借りたのだが、その時も不振に問いかけることもなく渡してくれたのである。水穂がこの世界で唯一信頼している相手だ。彼ならばエルも安心して預けることが出来る。
早速、サニエルに事情を説明すると彼は快く頷いてくれた。
夜になり、水穂はサニエルを連れたって小屋へと戻った。そこでエルに買い出しに向かわなければならない事、その間はサニエルが面倒を観てくれると説明した。
エルは驚いたようだったが、笑顔で了承してくれた。出立の前もわざわざ早くに起きて見送りもしてくれて、水穂はほっとした。
サニエルはよく気が効き、とても頼りになる。そう思うものの、けれど道中どうしても数日前の突然のエルの不機嫌な様子が思い起こされた。
このまま、ぐれてしまったらどうしよう。なにせ、水穂は天使なようなエルを天使のまま育てて見せると誓ったのである。名付けてエル天使計画である。まんまだ。
徐々に懐いてきた様子のエルに、内心ツンデレ天使と呼んでいる水穂は、このままツンドラになったらーーいや、まあ、それはそれでありだが、非行にだけ走らせたくはなかった。
長い銀色の髪を靡かせながら、水穂の後をヒヨコのようについてくる様子が見れなくなるのは、想像しただけでつい真顔になってしまう程辛い。水穂は旅先も度々不安に駆られ、2日程の旅路で王都に辿り付いた先でも気がそぞろとなる。ついつい、エルと同じ年頃の子供にも目がいって、構ってしまうほどだ。僅か数週間しか暮らしていないにも関わらず、水穂は驚くほどエル欠乏症であった。
目的のもの、王都でしか買えないというレア物の酒を予約し、一週間たった所で実物を手にすると水穂は翌日には帰路へ着く。
水穂が王都まで遣いに出された理由は、伯爵の命の源・酒であったのだ。急な申し付けに構えはしたが、何て事はない。さすがアル中である。伯爵は金のあるアル中なので、酒に厭目がなかった。
内心呆れつつも、伯爵領に戻る頃には屋敷を離れて二週間がたっていた。
屋敷で例の物を渡すと、水穂は小屋へと戻る。長旅で疲れた肩をほぐし、早速荷ほどきをしているとサニエルから話を聞いたのだろう。二週間前には見慣れていた子供が息を切らして小屋の扉を開いた。
銀色の髪が僅かに乱れている様子から、走ってきたのだろう。突然開け放たれた扉に驚いた水穂を見て、少女、エルは一瞬顔を歪めた後次の瞬間、水穂に勢いよく抱きつくのだった。
「・・・お帰りなさい」
華奢な体で痛くはないが強く抱きつかれ、水穂は目を瞬かせたものの、ややあって呟かれたエルの言葉に顔を綻ばせた。
「ただいま、エル」
***
「俺・・・・私も、働く」
サニエルは面倒見が良い。いない間に水穂より彼が良いと思われたらどうしよう。そうした水穂の不安はいらぬ徒労であったようだ。
荷ほどきをエルに手伝ってもらう最中、唐突にエルがそう言い出した。
目を瞬かせて彼女を見る。エルは僅かに二週間離れただけでも、随分と健康的な肌艶になってきた。体格も今では少し痩せて見える程度だ。
その分美しさに拍車がかかり、染み一つない雪のような肌もあいまって、ますます将来が楽しみな美少女である。
すらりと弧を描く柳眉を潜めて、エルは言う。
「あんたに甘えてるだけなんて、情けないだろ。
自分の食い扶持は自分で稼ぐ。」
誰だ、反抗期なんて思ったやつ。私だわ、バカか。
エルの言葉に、水穂は酷く心打たれた。ぐっと込み上げる目頭に力を入れるが衝動は止まらず、堪らず小さな体を抱き締める。
「エル~~~!!なんていい子なの・・・!!」
「ちょ・・・離れてよ!!」
腕の中のエルがぎょっとして声を上げるが、水穂はしばらく、このいじらしい銀髪の天使を離す気はなかった。
エルも最初は抵抗していたものの、水穂が離れる気がないと悟ると暴れるのをやめた。
小さくため息を吐いて水穂の好きなようにさせる。こうなってしまった彼女は中々離れないのだ。
共に暮らしていく内に、エルもまた、彼女に気に入られていると感じ取っていた。
幼い振りをしてつけ込んだのはエルだ。だからこそ、順調だと思っていたのだがーー
彼女が仕事熱心であることを失念していた。
屋敷つとめなのだから、命じられれば買い出しにもいくだろう。木こりのサニエルに預けられ、初めはエルはそう自身を納得させた。
水穂が屋敷を離れて一日目。
買い出し先は二つ離れた王都だという。王都は数年前の政変でごたついていたが、今は大分よくなってきた。けれど道中にはモンスターや荒くれ者もいる。業者がついているといっても、年下に騙されるような呑気な女が無事か、ふとした時不安がよぎった。
二日目、目が覚めて部屋を出ると、へらりと笑って「おはよう、エル」と挨拶する女の姿が無意識に浮かんだ。
代わりに、面倒を見ることになった髪が随分と後退している白髭のじいさんが、茶をすすっていた。
その日はなんだか無性に苛ついて、木こりの仕事を手伝うがてら薪割りで意識をそらした。大分戻ったといっても、体の筋力は随分と落ちていて夜は夢を見ることなく泥のように眠った。
三日目、目が覚めて扉を開ける前に覚悟することにした。
お陰で女の幻影を見ることはなかったが、ふとした時やはり女の影がちらついてしまった。
無性に腹が立ったのでこの日も薪割りに専念する。
夜はすぐに寝て、夢は見なかった。
四日目、そろそろ女が帰ってくるかと考えていると、察したサニエルからやたらと微笑ましい目で、まだまだかかるだろうと教えられる。王都の用事はすぐには終わらないらしい。「まあ、土産を楽しみに待っておれ」そう言ってほのぼのと笑う爺。
ムカついたので薪割りをする。夜はすぐに寝た。
五日目、今朝は寝起きが悪かった。女が帰ってきてリビングにいる夢を見たのだ。
女はこの日も帰ってこない。
じいさんが木の株に腰を掛けて茶を飲む傍ら、ひたすら薪を割った。
ーーー結局、女が帰ってくるまで二週間が経った。
ひたすら行っていた薪割りのお陰で筋力も少し取り戻され、今では以前のように立ち眩みを起こすこともない。
軽くなる体とは反対に、腹の底が靄がかっていく。さすがに、ここまでくれば気のせいだとは片付けられなかった。
水穂が離れていくのは、気にくわない。
水穂と離れ、サニエルのもとにいた二週間でエルは思い直さなければならなかった。
初めは利用するだけ、利用しようと考え付いた。
けれど、この女を信頼し始めている。
あれだけ信頼していた者に手酷く裏切られたというのに。また性懲りもなく、心が傾き初めていたのだ。
自覚したときは呆れ、このまま女と縁を切るべきかとエルは考えた。
けれど、それもまた嫌なのだと、彼女と離れている数日でエルは実感した。無心に割った薪は二週間で小山五つ程になったのだから、まあ、無理だな。とすぐに思い直したのである。
彼女への感情は、まだどうしたものかはわからないが。
これだけはエルは自覚した。彼女から離れるのはなんだか分からないがムカムカするので阻止しよう、と。
そこまで自覚すれば、あとは行動を起こすのみだった。
彼女から離れるつもりはない。あと、サニエルはまあ、いいが。以前彼女が話していたダンとかいう奴が彼女に近づくのも、想像しただけで無性にむしゃくしゃする。以前彼女の前で苛ついたのはこれが原因だったのだろう。
ならば、徹底的に阻止してしまえば良い。害虫は削除するに限る。
水穂の腕の中で大人しくしながら、エルは水面下で画策した。
自覚したエルの行動は早く、
翌日から、エルは水穂と同じ屋敷のメイド見習いとなるのだった。
次のお話は大分先に飛びます。