9:死ヲ狙ウ病
神帝歴45年――オーリ10年
終の月
キルシュリーゲンが俺に「トラップがくるぞー、防げないぞー、おまえヤバイぞー」と不愉快な忠告をした数日後、俺はトルオル島にいた。
キルシュリーゲンの言いつけに逆らうのはなかなか覚悟が必要であったが、息子がさらわれたとあっては致し方ない。
そろそろシーマにも伝わって、ブチ切れながらこちらに向かっていることだろう。
トルオル島にいまの俺が辿りつけたことは、30%くらいの幸運があった。
これを正確に言い表すとすれば、7:3でトルオル島に上陸成功する程度の魔力しか俺にはないとも言える。
魔力消費による疲れと潮に濡れたカラダは不快そのものだった。
問題は、その程度の俺で世界最強が来るまで、対処ができるかどうかということだ。
キルシュリーゲンのお墨付きでジビルガフがいることは確定している。
いま、この島に上陸することすら精一杯だった俺に、いくら魔法が使えないとは言え、ジビルガフに対抗することができるかどうかは怪しい。
万全の状態でさえ、俺はアレにトドメをさせたことはない。
「無様なものですね、神帝」と辛辣なことばを吐くやつがいた。
世界広しといえども、俺にそんな辛辣なことばを吐くヤツは数人しかいない。
「なんでおまえがここにいる?」
トゥーリはそれを無視して、背負っているルーファーに視線を向けた。
「おい、トゥーリ、なぜ子供をおぶっている?」
「オーリがおぶりたいですか? いいでしょう。交代しましょう。たまにはルーファーにかまってやってください」
「そういう話じゃないだろ。なんでさらわれた子供をおまえが背負っているのか、という話だ」
「可能性はいくつかあると思いますが。たとえば誘拐が狂言だった、というのはどうでしょう?」
「そうなのか?」
「いいえ。この子は誘拐されました」
「ほかには?」
「私が賊からこの子を救い出した」
「そうなのか?」
「ノー、ですね」
「だとすると俺にはもうひとつしか思いつかない」
「私はそのほかにいくつか思いつきますが。たとえば私が犯人だとか」
「いや、俺はそれを思いついたよ、むしろそれしか思いつかねえよ、この状況」
「辛辣ですね。なんらかの策があってそのために、こういう状況になっていると思ってくれていると思ったのですが」
「それならそんなに物々しい雰囲気を出さない」
「オーリに気取られるほどの空気を自分が出せていることは発見ですね」
「単独犯か?」
「そう見えますか?」
「ルーファーをわざわざ自分でおぶわないだろ」
「……どういうことです?」
「……もしかして、いつもおぶってるのか?」
「当然でしょう。私を越える養育係などありえません。乳母は乳だけ出してくれればそれでよいのです」
なんだろう。
シューゼンやイルギィスが言ったらツッコミどころしかないセリフだが、トゥーリが言うとすこし狂気を感じる。
「女の子に嫌われるぞ」
「女性を軽視しているわけではありませんよ。男だろうが、女だろうが、私を越える養育係はありえないという論理的な結論を述べたまでです。性別はいっさい関係ありません」
言い切った。
言い切りやがったよ、世界の叡智。
さすが世界の叡智。
だいたい世界の叡智なんて大仰で小っ恥ずかしい二つ名を否定もしないあたりから、トゥーリはトゥーリで問題があるに決まっていることは確定的にあきらかだ。
「安心していいですよ」とトゥーリが言った。「ルーファーは無事です」
「それはつまりルーファーをさらったのはおまえということだな、トゥーリ」
「ええ、私です」
「なぜ?」
「私にも野心というものはあるんですよ。出会いからして、意外と好戦的だと思いませんでしたか?」とトゥーリは言い切った。
「思わなかったし、いまも思わない」
「それは見誤りましたね」
トゥーリはいつもと変わらない口調だが、いつもとはなにもかもが違う。
かつてヤームポートやグレムやチェインキーを滅ぼしたときの首長と雰囲気が似ている。
勝てる気がしないが覚悟を決めるしかなかった者の雰囲気だ。
「理由を訊いたほうがいいか?」
「まず、ルーファーはどんなカタチであれ無事です。それは約束しましょう」
「つまり、俺はおまえに殺されるのか?」
「そうなります。まだ大丈夫なハズだという結論に私は至りました」
「まだ?」
「ええ。正確なところははシーマとジビルガフとキルシュリーゲンさまくらいしかご存知ないでしょうが、たぶん大丈夫です」
「イマイチ、話が見えない」
「あなたにもしシーマを殺すことができれば、理解できるでしょう」
「穏やかなじゃないな、世界の叡智」
「それですよ。その『世界の叡智』という名がまわりまわってこの犯行に結びついています」
さっぱりわからなかった。
「わかるようには説明してくれないのか?」
「いつも私が親切だとは限りません」
「おまえに親切さを感じたことはそうはなかったがな」
「それはいささか残念ですね」とトゥーリは笑った。「さて、すこし核心的な話をしましょうか」
「核心的?」
「いささかジビルガフとの表面上のやり取りにも飽いできたところですから」とトゥーリは言った。「この世界の根源的な問題です」
「世界の根源的な問題」と俺は妙な意識の高さにいささか中てられながら問うた。
「このトルオル島は、かつては地上最後の楽園と呼ばれ、いまは地上最低の空地と呼ばれています」
かつては地上最後の楽園と呼ばれ、
いまは地上最低の空地と呼ばれる。
「いや、それすらも呼ぶ人間はいませんかね。ここは意図的に消された土地です。不思議そうにしていますね。あるじゃないか、と思ったでしょう。ここが消えたのは、ひとびとの意識から、ですよ。ここはどことも繋がらない。本来、あるものをないとは言えないのです。あるものはあるのですから。でも、変だと思いませんか? どう考えてもこんなところに住む人間なんているわけないと思いませんか? あなただって新婚旅行で誰とも会わなかったでしょう? 今回だって、誰かと会いましたか? 会ってないでしょう? ああ、着いたばかりでしたか。まあ、でも、探して見てください。誰とも会えません。ジビルガフの隠れ方がヘタだった場合には、見つけられるでしょうけれど。ええ、まあ、ここは広いから、誰にも会わないだけだとそう思っているかもしれません。しかし、ここが広大な無人島だと思いますか? 無人島に近いけれども、ひとが住んではいると誰もが思っている。誰もここの住人なんて見たことがないのに」
「ここには誰も住んでないのか?」
「それはそうでしょう。こんな不便で魔法も満足に使えない土地に誰が住みますか? ここにいるのはジビルガフたったひとりです」
「ここが無人島じゃないというのはウソなのか?」
「その通りです。しかし、ヤポニアで病が流行るというウソとは性質が違います。こちらのウソは歪さを生み出すという目的は強くありません。無人だと誰かが気にしますから、無人ではないという空気だけを主張しているにすぎません」
島根と鳥取を間違えるのに似ている。似たようなものなのに、本州の端っこというだけで山口や青森は意外と覚えられている。
まあ、全然違うが、とにかく目立たないことが大事なのだ、という話かもしれない。
「誰が流した?」
「無論、そんな大々的なウソを信じこませるのはジビルガフだけです。厳密に言えば、キルシュリーゲンさまの力と言えますが」
この世界においてはチートの俺よりもチートくさいことを言っている気がするが、難しすぎてよくわからない。
難しすぎるというよりも、簡単に言えば俺が避け続けているたぐいの仮説ばかりだった。
シーマはもしかしたら、俺のそういうところが気に入らないのかもしれない、と俺は思った。
「私はトルオル島はかつてのクムズポートであるという結論に至りました」
「かつて? いつの話だ? 大陸はかつてひとつだったみたいな話か?」
「いえ。大陸がかつていくつあったかなんて、わかりもしません」
「なあ、トゥーリ、大丈夫か?」
「どういう意味です?」
「疲れてるんだろう。少々、論理の飛躍が見られる」
「あなたにお気遣いいただく日が来るとは思いもしませんでしたが、あいにく至って意識はしっかりとしています。ここにはかつて、神留地があった、のだろうと思います」
「なら、いつ神留地はクムズポートになった? トルオル島はいつウソの無人島になった?」
「あなたが生まれる前日でしょうね。それを前日と言っていいのかはわかりませんが」
そういう大きな話はキライだ。
小学生くらいのときに宇宙の果てについて考えて不安になって泣き出したことを思い出す。
いまはもうどうしろというのだ、俺に、みたいな投げやりな感情が優先される。
「あなた、なにを知っていますか、ジビルガフについて」
「あれを忘れたとは言わせないし、説明したくもない」と俺は卑近な感想を述べる。
「我々との個人的な話はしていません。世間一般で言うジビルガフについて、です」
「名前も知られてないやつだぞ、世間一般なんてあるかよ」
「では、なぜ元神なんですか」
「元神でもおかしくないだろ、あんな魔法が使えるくらいだ。神々も言ってるし、信じられるだろ。疑う理由がない」
「そんな強大な力を持ちながら、なぜジビルガフは一般に知られていないのです? サクサやカカ、フレアムなどの高名な神々はもちろん、レグラやヴィオやベスカを知っているひとはいるでしょう? 神帝オーリも高名ではないにしろ、神留地に入れるころには名前はいくぶんか知れていました。なぜ最低でもそのクラスのジビルガフがまったく名前を知られていないのです?」
「元神だからだろ」
「いいえ、ちがいます。そんなことはありえません。神から外れたことで名を口にすることを避けられているのだとしたら、名前は知れ渡っているはずです。マイナスだろうとプラスだろうと知れ渡っていることに変わりありません。元神とひとびとが蔑んだとしても、その名を知らないなんてことはありえません」
「だったら、なんだって言うんだよ」
「よくないクセです。もう答えは出ているんでしょう?」
「さっぱりだね」
「まあ、いいでしょう」とトゥーリは言った。「では、なぜ彼は神の資格を失い、ひとびとから忘れ去られたのでしょう?」
俺はもちろんその答えを口にできない。
満足できる仮説を用意できない(フリをする)からだ。
「そんな魔法をご存知ですか? この世界で最強の――いえ、この場合は元とつけるべきですかね? まあ、なんだって構いませんが、神帝オーリはそんな魔法を知っていますか?」
俺はもちろんその答えを口にできない。
そんなことは知らない(フリをする)からだ。
「答えはカンタンです。そのようなペナルティをジビルガフは負ったのですよ。なにかと引き換えにして。では、さいごの質問です。なにかと引き換えにして効果を得られるような事例がこの世界にはひとつでもあるでしょうか? 取引と呼べるようなことができるでしょうか?」
俺はもちろんその答えを口にできない。
その答えはひとつしかないことを知っているからだ。
「さて。オシマイです、神帝オーリ」とトゥーリは言った。「このままでは我々はジビルガフとの勝負に勝てません。私があなたを倒せばもしかしたら勝てるかもしれません」
「勝者は俺たちだとキルシュリーゲンも言っていた」
「それはいまの話でしょう。この世界にこれからなにが起こるか、もっともよく見えているのは強大なイケニエを捧げたジビルガフであることは明白です。そして、我々はここに集められた。崩せるとすればいましかありません」
「それがジビルガフの策かもしれない」
「そうかもしれませんし、そうではないかもしれません」とトゥーリは言った。
キルシュリーゲンの言う最悪のカタチのジビルガフの侵攻はこれかもしれないと思いはしたが、いやもっとあとの話だと言ってなかったか、なんだキルシュリーゲン、読み違えか、どういうことだこのやろう、と俺は若干毒づいたが、でもやっぱりキルシュリーゲンがハズすことなどありえないので、たぶんこれすら最悪ではないということになって、むしろそっちのほうが最悪じゃねえか、とやっぱり毒づくことになった。
残念。
「思案の最中に恐縮ですが、私の目的はあなたからの略奪です。いえ、正確に言えば略奪自体は目的ではありませんかね。あなたから略奪できるという事実を確認したいのです」
「……まあ、おまえの裏切りは想定外だったよ」
「絶対的な力をなくしたあなたは、ただの暴君ですからね。神と呼ぶのもおこがましい」とわざとらしくトゥーリは悪役ぶった。
「ヘタクソすぎるぞ」
「私の芝居がうまくないのはご存知でしょう。多少悪人ぶっておかないと、神は殺せませんから」
「まあ、なんだ……世話になったな……? 違うな、なんだ、覚えてろよ、とかかな」
「お任せしますよ。これはひとつの賭けですが。あなたは私に殺されても死にません。きっと神留地に戻る。そうでなければ、私たちは負けます」
そんなことはないだろうというのが俺の認識だが、世界の叡智がそう言うのなら。
「理由は知らんが賭けてみるさ。任せた。俺を殺す方法はあるんだろうな?」
「このために秘策を用意しています。他に漏れたらコトですから、誰にも言っていません。ですが、きっといまのあなたなら倒せるでしょう」とトゥーリがなにかをしようと構えた瞬間。
真後ろから、俺を貫いたのはシーマだった。
「トゥーリ、残念ね。私が先よ」と笑顔で彼女は言った。
「……参りました。シーマ、あなたどうやってたどりついたんです? 結構な妨害をしていたはずですが」
「あなたはいつも一歩足りないのよ、世界の叡智。恋する女の子はいつだって予測不可能だから。妨害なんて役に立たないわ」とシーマは笑って、俺にトドメをさした。
「……これは、抜かりましたね」とトゥーリが苦笑いした。
いや、笑えねえ。




