8:由々しき事態であることは誠に遺憾である
神帝歴44年――オーリ9年
盛の月
3歳(知能は成人並)になったルーファーは走るとすぐこける。
痛いのだろうが、務めて理路整然たる様を見せようとしているところがじつにいじらしい。
ぽてん、とこけて、すまし顔を作って、
「父上、この度はお疲れのところ、ありがとうございました」とルーファーは言った。
「とくに疲れることもなかったが、なにかあったか?」と俺はなるべくルーファーのプライドを損ねないようにコケたことには触れずに訊いてやる。
が、痛そうなので、頭は撫でてやる。
うるさそうにせずに、素直に撫でられているあたりが厳密な成人男性とは大きな違いである。
思考や言語はハタチでも、経験や立ち居振る舞いはやはり子供である。
「先日の北伐での族長との交渉ですよ」
「あれはほとんどトゥーリの仕事だ。俺は指示通りに動いただけだ。改めて話し合いで解決できるあたりに俺のこれまでの無意味な雪山遠征が思い起こされて、思い起こされるとなんだかいま腹が立ってきたからここでその話はおしまいにしよう」
「師父も悪気はないんですよ。それに父上はいまそれほどの力をお持ちではありません。話し合う以外に解決の道がないと師父が判断したのでしょう。母上のこともそうですが、父上、もう少しみんなを信頼してあげてください」と頭を撫でられながらルーファーは言った。
「そうだな」と俺はとりあえず満足したのでルーファーの頭を撫でるのをやめた。
今日はそんなことでヤポニアまでたいした速度も出ない風魔法で移動してきたわけではない。
前は数時間で来られたのに、いまは半日仕事で、魔力の低下は不便極まりないと言えるが、それをおしても来なければならなかったのは、トゥーリ直々の呼び出しだからである。
戦闘の可能性がある、と物々しい連絡を寄越した。
「それで、戦闘になるかもしれない、って言うのは、あのウワサが原因か?」
「はい。お恥ずかしながら、私と師父でもジビルガフの策を防げませんでした。ひとの口に戸は立てられない。なかなか悪趣味で不愉快な魔力攻撃ですよ」とルーファーは忌々しそうに将来が心配な悪い顔で吐き捨てた。
そのウワサを初めて聞いたのは、去年の暮だった。
ヤポニアにて病流行のきざし。
その程度のもので、実際には病は流行っていなかった。
たしか魔力が込められたウソだとルーファーやトゥーリは言ったはずだ。
いや、正確には魔力が込められているかもしれないウソ、だったか。
なんの意味があるのか、そもそもそのウソに魔力がこもっていたらそれは魔法ではないのか、というまっとうな問いを俺は持った
が、まあ、理屈はわからなかったが、とりあえずウワサをするのをやめろと言われて、素直な俺はあっさりそれから口にすることはなかった。
というかよくわからなくてすぐにウワサごと忘れることにした。
「忘れろ、って言っただろ、たしか」
「言いましたね。そして、父上は忘れてくださったのでしょう。ですが、国民はそうもいきませんでした」
俺が謎なのだから、それを聞いた魔法の理解が俺より拙い民衆がわかるわけがない。
世の中には2種類の人間がいて、わからなかったら忘れるタイプと、わからなかったら聞きまわるタイプに大別されるかもしれないというオーリ学説を唱えてみよう。
「でも、被害はないんだろう?」と俺は問うた。
「ヤパニアで流行している病は、病ではありませんが流行はしています」とルーファーは言い切った。
「どういうことだ?」と俺はもちろん尋ねる。
「師父が連絡したと言っていましたが?」
「トゥーリは肝心なところは教えてくれない」
「それは父上が理解されないからですね」と言い切った。「師父は決して口がうまくない上に、さして作戦も固まっていません。ノリで決めます。なので意外と間違う」
「おい、待て。ルーファー、バカにしすぎた」
「むしろ最上級の賛辞ですよ。にも関わらず、師父は世界イチの参謀なのです。これがどれだけ不自然で歪なことかおわかりですか? 欠点が数えきれないほどあるにも関わらず、師父の策は群を抜いて結果を残しているのです」
「とてつもない幸運の持ち主に思えるな」
「そうとも言えます。あるいは他人の力を類推するのがドヘタなだけとも言えます。もし師父がもう少し他人に興味を持てるタチだったなら、おそらく父上たちとは対立したでしょう。師父は父上たちにしか興味を持てなかったので、ずっと父上たちといっしょにいる。それだけのことです」
カツリ、と靴の音がした。
「そこまでです、ルーファー。身内の自慢は恥ですからおやめなさい」
「師父、相手は父上です」
「たとえだれであっても、身内の自慢をするものではありません。妬まれるか、警戒されるか、どちらにしてもロクなものじゃありません」
完全に性悪説に則った言い方がトゥーリらしかった。
「久しぶりだな」
「そうでもないですよ」
「ヤポニアで会うのは、久しぶりだろ」
「それはあなたがヤポニアに姿を見せないからです。私はすでに国家元首ですから、本来はおいそれと出歩くわけにもいかないんですがね。国内のことはなかなかできませんよ。メカリアまで船だと移動に時間もかかりますし、できれば私離れをしてもらいたいものです」
「高速魔法路は繋げただろ」
「あれが海の上を渡るのがどうにも許せません」
「師父は泳げないですからね」
「いいですか、ルーファー。身内の恥を晒すのはおやめなさい。私が傷つきます」
「安心しろ、おまえのカナヅチは有名だ」と俺は言ってやった。
なにしろ、昔は泳げないことと、牢に繋がれていたことから陰で石の宰相などと呼ばれていたこともある。
まあ、俺もトゥーリもいまよりずっと若かったころのことだ。
「話が散らかりましたね」と自らの恥部を隠すべく世界の叡智はわざとらしい重々しさで言った。「今日は国民に説明するその保険としてご助力いただきたい、と思いましてね」
「目的は、ウワサを止める、か?」
「そうなります。ウソの広がりをすこしでも抑えます。どれだけ効果があるかわかりませんが」
「そこからどうやって戦闘の可能性が出て来るんだよ」
「まだ先の話ですが、拗ねるでしょう。カヤの外に置かれていると」とトゥーリは言った。
俺が北伐でさんざん愚痴ったことを言っているらしい。
度重なる雪山遠征は無意味で、話し合いで即解決したとあれば、それは文句も言いたくなるだろ。
「程度の問題だ、程度の」
「なにより、あなたがさっぱり理解しておられないようなので」
「まあ、正直、よくわかってないからな。なんでウワサごときがダメなのか、イマイチわからない」
「父上は似たことをやっておられるんですけどね。まあ、それは国民の何割かにわかるように説明しますから」とルーファーが話を引き継ぐ。
「何割か?」
「魔法に精通し、魔力への教養がなければ理解は根本的に不可能ですから、ある程度はこぼれます」
「意味があるのか?」
「効果が弱くなりますから。完全に防げはしませんけど、一定の効果はあります」とルーファーは言い切った。
改めて説明を、とトゥーリに促され、ルーファーが可愛らしい咳払いをして言った。
「そもそも魔法というものは、魔力とは厳密に言えばちがいます。魔力の中に魔法があるのです。言い換えます。魔力の出現形式のなかでもっとも一般的なものが魔法です。
魔力の出力形式のうちで、名前がついたものが魔法だと言うことです。初級攻撃魔法や透明な切っ先、押し寄せる球体はもちろん魔法です。
移動魔法などは、現在は魔法と呼ばれていますが風属性の防御魔法だったり、土属性の攻撃魔法だったりとさまざまな応用によってその移動速度を得ていますので、魔法とは言いがたいです。土の攻撃魔法の結果高速で移動しているだけですから、厳密には移動魔法ではありません。唱えたときに同じ効果を違う人間が得られるか、という再現性が魔法か否かをわけると言ってもいいかもしれません。
鍛冶や薬師もその傾向はありますね。
このあたりは現在のところ明確な区分がないのですが、オルドラ魔術大学の創設までには体系化を進めます。とにかく、魔力でできることは魔法を使うことだけではない、とおわかりいただければいいかと思います。
そして、ウソという魔法はありません。まず効果がわかりませんし、誰に言っても使っている本人以外は理解できないでしょう。ですから、これは魔法ではないのです」
ハラショー! ハラショー! と俺の拍手と歓喜が部屋にこだまする。
若干周りから見たときの視線は怖いが、なに、奇異の目など慣れればむしろ快感ですらある。
息子を褒め称えてなにが悪い。
「オーリ、あなた、理解できていますか」と褒め称えている俺に水を差す男がいた。
もちろんトゥーリである。
「魔法と魔力の違いはよくわかった。俺はつまりほぼ魔力だったというわけだな」
なにしろ、俺が使っている魔法はほぼカスタマイズされている。
初級攻撃魔法からしてすでに10段階くらい威力調整ができる。
「あなたやイルやシーマは規格外ですから、あまり関係ない話ですがね。あなたがたに関しては当人がそう言うのなら、魔法でいいのだと思いますよ」
「それでウソが魔力だとなにがまずいんだ?」
「魔法ではないんですよ」とトゥーリは言った。
そして、ここからは少々キナ臭い話ですから、とルーファーを部屋の外に出した。
「ルーファーには聞かせられないのか?」
「少々、我々とジビルガフに深く関わりすぎていますから。国民への説明はルーファー王子からさせますので、いちおうの知識をつけさせて、あなたで練習しただけです。あの子もなぜ魔法と魔力を区別する必要があるのか、詳しいことはわかっていません」
「それにしては、なかなか全部理解していそうな口ぶりだったが」
「どの国の王子だと思ってるんです?」と自信ありげにトゥーリは言った。
「なるほど」と俺は言った。「それで、いまのところとくに危機を感じないのだが」
「ジビルガフの魔法攻撃ではないということです。つまり、アレでも他人を害せるわけです」
「そんなのアリか?」
「アリでしょうね。おそらく。そしてマズいことにもうヤパニアでは病が流行し始めています」とトゥーリ。
「待て。事実無根のウワサだろう? ただの」
「残念ながら、魔力がこもったウソはウワサではありません。信じる者が多ければ、事実として病が流行ったのと変わりないんです」
「待て。待て待て。話がさっぱりわからん」
「おそらく、このウソはなにかの引き金になっています。ほかの魔力と組み合わさって、我々に害を及ぼすことになるでしょう」
「害ってなんだよ」
「単純にこの魔力の起こったウソに限って言えば、病が起こったとされる場所で魔力に歪な働きを起こすことが目的と考えられます。事実との乖離が生まれるわけですから、いかにも歪になりそうでしょう?」
「歪になるとどうなる?」
「そのあとなにが起こるか、世界の叡智である私にさえもわかりません」
パルプンテみたいなもんか、とシーマがいたら尋ねていただろう。
「こっちに有利なことも起こりうるし、向こうに有利なことも起こりうる?」
「そうなりますね。なにが起こるか、おそらくジビルガフにも正確にはわかっていないと思われます。逆に言えば、彼がいまとれる最善策がその程度ということです」とトゥーリは言い切った。「まっとうならば」
「まっとうじゃないだろ、アレは」
「ですから、広めたくなかったんです。なにを狙っているかはわかりませんが、歪な魔力空間を作り出すことが目的なのは明白です。たとえば魔力高圧化のような現象が起こるかもしれません」
「それはそれで問題があるか?」
「いまの弱ったあなたにとっては死活問題でしょう。魔力高圧化状態で上級攻撃魔法でも撃てる相手ならかなりの危機のはずですが。それに魔力高圧化は一例です。何度も言いますが、なにが起こるかわからないというのが正確なところですから」
「アレにしては嫌に運任せだな」
「そう見えますよね?」
「ああ」
「だから、とてつもなく限定的な魔法をすでに打っているのだろうと思います」
「攻撃的ではない魔法か?」
「いえ、制限がかかる前に攻撃魔法をすでに打っているのかもしれないじゃないですか」
「アレと初めて戦ったのは20年以上も前だぞ。そんなに昔から俺たちと戦うつもりだったのか? ただのロッソア帝国の反乱軍だったのに?」
「そうでないかもしれません」
「……どういうことだ?」
「わかってるんでしょう? 私はその可能性をここ数年拭いきれていません。口に出すのはこれが初めてですけどね」
「可能性はない」
「あります。もし、それが前提ならば。アレと初めて戦ったのが我々が考えているずっと前のことなのかもしれません」
「もうアレには捧げるものがないだろ」
「あったのかもしれません」
「なら、それはどれだけの……」
「オーリ。議論はやめましょう。なにが歪むかわかったものではありません。だから私はいままで口を閉ざして来ました。いま、勝っている我々があえて乱してイレギュラー要素を作る必要はありません。それがアレの狙いかもしれませんし。要はその可能性があるということだけを覚えておいていただければ」
「対処法がないだろう」
「ないですね」とトゥーリはあっさり言った。「結局はイチかバチかになります。ただ、ある程度場所は絞れてしまいますね。せいぜい数カ所です。おそらくジビルガフもそこにいます」




