7:もうちょっと簡単に言ってもらえませんか?
神帝歴43年――オーリ8年
暮の月
不幸の手紙というものをご存知だろうか。
その歴史を紐解くと、安康天皇の御代にまで遡るというから、それはもう古くからよくある事象のひとつだと言ってもいい。
自分は傷つかず、他人の傷つく姿を見ずに、それでいて不特定多数の誰かをほぼ確実に傷つけるというなんともよくできたシステムである。ウサ晴らしにはもってこいだ。
その実践方法は至極簡単で、証拠が残らぬようにしたためたのち、ぽんと投函すればいい。ああ、今日もだれかは不愉快になったのであろうなあ、とそれを肴に一献。
じつに醜くて反吐が出る趣味だ。
郵便と電話は前々から俺とシーマのあいだでのみ話題になってはいるが、諸般の事情でイマイチ導入に踏み切れない案件でもあるため、この異世界には不幸の手紙もイタズラ電話もない。
が。
電話と郵便制度がなくとも、嫌なウワサは流れてくる。
目下、世界を席巻しているウワサは、
――ヤポニアで疫病が流行る兆候がある。
というものである。
根拠もないし、誰が言ったかも定かではないクソみたいなウワサだが、それでも信じる者は信じる。
だいたい流行る兆候があるというのは曖昧すぎはしないか。なんだよ、流行る兆候って。
と言いたいのはヤマヤマなのであるが、病は広まっておらずウワサは広まっている。
メカリアにある神留地までウワサが届いているので、かなり広まっていると言っていいだろう。
ロッソアでもちらほらと聞いた。
その程度には広まっているのだといういわゆるひとつの世間話をした。
俺は世間話をしたつもりだったのだ。
「どこで広がるっていうんですか?」とルーファーは義父譲りのセリフを吐いた。
「怒るなよ、ルーファー。そういうウワサがあるって話だろ」と俺は言った。
「べつに怒ってはいませんが、父上。神帝であるあなたがそんなことばを軽々しく吹聴しないでください」
吹聴。
ちょっと奥さん、お聞きになりまして? ふいちょう、ですって。広辞苑に載っていそうな素敵なことばじゃないですか。
ほらちょっと、ご覧になって。
小さいでしょう。小さいと言うよりは、可愛らしくて幼いと言ったほうが正確ですね。
ふいちょう、だなんて言ってるタクの息子はね、まだ2歳と少々ですのよ。
ルーファーは天才じゃあああああああ、と叫びたい気持ち92%、でもちょっとやっぱり見た目2歳児に真剣な注意をされるのはこころが折れそうになるよね、という気持ち94%。
合計186%。
いつだって気持ちというやつは、俺が思っているよりずいぶん多い。
キルシュリーゲンさまお手製のチートのおかげで、知能は通常で言うところの14、5歳と言ったところだとは思う。
中2、中3。
難しいことばをとりあえず並べてみたくなる年ごろだ。
俺だってその年のころには、キルケゴールをキェルケゴールと言ってみたり、ハイデガーとか言ってみたり、ペダンティックなどとのたまってみたくなっていた。
ヴェロナール及びジャールの致死量にとてつもない思いを馳せてみたり、フランスに行きたしと飛行機が好きでもないのに思ってみたり、早熟の天才詩人に感化されてみたり、読めもしないニューアカの本を買ったりする。
その一方でレトロを気取ってバイクを盗んで窓ガラスしたくなったりもする。
だいたいにおいてそういう年頃なのだ。
……が、ルーファーが言っていることはそのようなニオイがしない。
つまり、こいつはホンモノだ。
「やっぱり怒ってるじゃないか。しょうがないじゃないくぁ。だって気になるんだから」
「気にするのも控えてもらいたいところですが、それはとめられません。でも、口にしてはダメです」
「なんでだよ。ウワサくらいいだろ」
「ダメです」
「なんで?」
「ダメだと言っています。師父に訊いてもきっと同じことを言いますよ」
理由も言わずにぴしゃりとシャットアウトしてくるのは、母譲りか、義父譲りか。
とかく。
OK。
もういいだろ。言ってもいいだろ。
ルーファーは天才じゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!
キルシュリーゲンの成長促成チートがあるにしても落ち着いている。交渉もうまい。いや、天才は言い過ぎにしても、もともとの知力というステータスには手心は加えないと断言していたが、少なくとも賢い。
たしかに見た目2、3歳児であるから余計に賢そうに見えるということは認めよう。
だがしかし、この幼い三男は決して愚物ではない。
自慢できる息子だからこそあえてここは一歩退こう。
ルーファーは優秀じゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!
という俺のひとり祭りを完全に無視して、
「だいたいですね、どうしてそう簡単に思慮なく、あっさりと手なりで生きているんですか」とルーファーは説教を始めた。
「生きてるって壮大な話になったな」
「事細かに申し上げると時間の無駄になるほど父上はありとあらゆることに思慮と配慮と気配りと気遣いと考えが足りません」
悲惨な言われようだった。
「最近だと、オルドラのことについてです」とルーファーは言った。「言いたくはありませんが、あんなに母上を落ち込ませる必要はなかったはずです」
妻について気遣いが足りないと息子(2歳)に責められる神帝が俺だった。
「シーマから聞いたのか?」
「母上はそんなことを言いませんよ。父上はすこし母上の認識を改めるべきです」とちょっと悲しそうな顔をしてルーファーは言った。「エーヴィル兄さんがイルギィスさまから聞いたそうです」
あのおしゃべりな魔法使いめ。
ちょっとなんか「おしゃべりな魔法使い」という響きが可愛らしいところまで腹が立つ。
「イルギィスさまは養父としてエーヴィル兄さんに説明をしただけですから、責められるのは筋違いです。むしろ、父上がごまかしごまかしやろうとしていることがダメです」
俺は完全にしょげる。
ルーファー、おまえのことばを借りるなら、そこまで俺を落ち込ませる必要はあるだろうか。
「父上はただでさえ反省しない、落ち込まない、下を向かない人間ですから、多少強めに言っても平気です。でも、母上はとても繊細な方ですからね」
繊……細……?
いいかルーファー、繊細な人間は武力で論議を結論づけようとはしないんだぞ。
「わかった」と俺は少々納得せずに言った。「シーマとも改めてちゃんと話をする」
「絶対ですよ? そういう小さなガサツさは、のちのち大きな傷になりますから」と2年の人生のアーカイヴにいったいなにを貯めこんでいるのかわからない幼児ルーファーは言った。
「わかった」
「じゃあ、もういいです。ウワサのことも以後は口にしないでくださいね」
「いや、そっちは納得してないぞ。ウワサの真偽を調べたらダメか? はっきりさせたほうがいいだろう」
「はっきりもなにも、流行ってません」
「なんで言い切れる?」
「とにかくダメです」
くどいようだが、ビジュアルを気にしてはいけない。
ダダをこねているのは俺のように見えるが、それを気にしてはいけない。
「ああ、もう。やはり父上を説き伏せるのは無理でした、師父」と仕方なさそうにルーファーはトゥーリを呼んだ。
「手際はまずまずでしたが、オーリはまともなことを言っても聞きませんから、そこを考えられないようではまだまだですね」とかなんとかヴィジュアルだけ2歳児に言いながら、トゥーリが現れた。
物陰で盗み聞きしているあたりが、こいつも馬鹿親であることを決定的に示している。
「その手のウソに加担してはいけないということです」とトゥーリが言った。
「ウソ?」
「このウワサはそこいらのウワサとは違います。こういうことができるのはあなたとシーマとイルを除けば、アレだけでしょうけどね。ようやく勝負になるような気配がしていますが、犯人の顔を見るまではだれにでも等しく可能性はあるということを忘れてはいけません」
「なにかの魔法だということか?」
「いいえ。魔法であればあなたやシーマやイルギィスがさきに気づくでしょう。これはただのウソです。病はもとから存在しない」
「なんの意味が?」
「なんの意味も」
難しすぎて意味がわからなかった。
つまり、いつものトゥーリの話だった。
いつもの俺ならここで諦めるところではあるが、いまは違う。我が家の最終兵器、ルーファーくん(2)がいるのだ。
「ルーファー! かいつまんで父に説明してくれ!」
「ですから、魔法ではなくウソです。正確に言えば、魔力の込められたウソです。それは魔法による攻撃ではありえません。攻撃ではありえませんが、攻撃になることはあります。その偶然性を御絶対神はいかが裁定するのかというところが目下の課題だと思います」
具体的になったようでさっぱりわからないのは変わらない。
むしろトゥーリより若々しくなってしまっただけに、この若造がッ! と言っておかねばならないような空気さえ感じる。
「さらに簡単に言うと?」
「ジビルガフが流したウワサでことばに魔力が込められていた場合、ヘタに触れるのも危険だと言うことです」
「ほんとに流行病だったら?」
「ありえません。ヤポニアの統制において、各地から報告が上がっていない以上ありえないです」とルーファー。
「信頼してるんだな」
「ひとは信頼できないこともありますが、データとシステムは裏切りませんから」と2歳児は言い切った。
その2歳児とともに、そういう言うことです、というような顔をしてすましこむオッサン。
なんだふたりして。
俺がバカなのかもしれないが、さっぱり意味がわからない。
いや、ちょっとわかるような気もしているが、こうもシンクロされるとわかりたくてもわからないと言うしかないような気もしたりしているような気配もなきにしもあらず、だ。
「トゥーリ、おまえだってそんな理路整然の権化みたいなすまし顔キメこんでるけどな、1年くらいまえにおまえ『目星を絞り込みます』とか言ってたからな。目星はつけるもので、絞り込むものじゃないから!」と俺は言った。
言ってから気づいたが、そんなどうでもいいことを1年以上も抱え込み、かつ鬼の首をとったかのように言い切る世界の覇者が俺だった。
トゥーリは、はいそうですか、言い間違うこともあるでしょうね、とさらりと言った。
そこを流してくれないあたりに、そこはかとない悪意を感じたが、流されれば流されたで腹が立つので痛し痒しである。




