4:密室、ふたりきり
神帝歴39年――オーリ4年
行の月
遅々として進まない会議というものをご存知だろうか。
俺は知っている。そう、いまのこの状況だ。
メカリア大聖堂に書類が散乱している。
メカリアの事務方を募集した結果、そこそこの人数が集まった。
トゥーリが募集をし、およそ箸にも棒にもという人材をさっぱり切り捨てて、そのうえで俺たち3人に対して軽く下見をしておいてくださいね、というとてもハードルの低い要求をしたところ、よくわからずに書類だけが散乱する結果と相成った。
そして、もはやメカリアとは関係のないロッソアの北伐に話がなぜか及んでいた。
「なあ、もう攻めちまえばいいだろう、北部連合なんて」とヴォーディが言った。
「俺だってそうしたい」と俺は言った。「でも、自国民だっていうトゥーリの主張もわかる」
「勝てないから再独立しないってまではいいんだがな、それにしても再独立しねえなら従うべきだろうよ。中途半端でよくない」
「信仰がねえってのは面倒だよな」とひとごとみたいにシューゼンが言った。「メカリアじゃたいてい信仰だけで統制できるのに。神帝オーリの名前なんてクソみてえな価値しかない」
「おい、言い過ぎたクソ野郎」
「ああ、もうまたなにも進んでないってトゥーリが怒るだろ。人材採用くらいどうにかならんのか」とヴォーディが言った。
「どうにかなるならもうやってる」
「そもそもアレのせいでビビりすぎなんだよ」とシューゼンが言った。
「アレは見抜けなかったなあ」とヴォーディが遠い目をする。
「爺さんが昔のこと思い出してるみたいだぜ」とシューゼンがからかう。「そういやヴォーディ、最近ずっとディジルドいるじゃないか。ちゃんと家に帰ったほうがいい」
「いやに優しいな、シューゼン」と俺は言った。
「まあ、未亡人になりそうな女には恩を売っとかないとな」とシューゼンは言っているが、これはさすがにツンデレのたぐいである。
なにしろ、ヴォーディは俺よりひとまわり以上年上だ。したがって、奥さんもそこそこの年齢なわけである。
ふたりの息子はすでに成人している。
だから、さすがの未亡人好きシューゼンでも範囲外だ……と思いたい。
「俺が死んだあとにメカリア皇帝に面倒みてもらえるなら願ったり叶ったりだ」
とまあ、こんなふうにまったく話が進まない。
あらためて、絶対無敗の剣豪・ヴォーディ、殲滅する聖職者・シューゼン、神帝オーリと、自分も含んでいるのであまり悪くは言いたくないが、見事に頭脳ゼロ集団である。
会議とは進行役がいて初めて意味があるものだと痛感する。
シーマかトゥーリか、最悪でもイルギィスがいれば会議はそれなりに進行するのだが、この3人なら進むものも進まない。
「で、まあ、これをどうするか、だ」とふと思い出したように散乱した書類を眺めてヴォーディが言った。
「ここはあれだ、キルシュリーゲンさまにお願いするってのはどうだ?」とシューゼンがまた話題を変えた。
最悪の案だった。
「できるわけないだろ。なにとられるかわかったもんじゃない」
「訊くだけなら、モノで解決できるんだろう?」とヴォーディ。
「やってみてもいいが、誰を採用したらいいんですか、ってキルシュリーゲンに訊くのか?」
「……まあ、ねえな」とシューゼンは言った。
「あんまりにも畏れ多いな」とヴォーディも言った。
とりあえず言ってみたはいいがひとことで翻意する。典型的な無駄会議であった。
ちなみにメカリア神聖国の民が信仰するのが、いま名前の出たキルシュリーゲンという神であり、俺を含む神とはすこし毛色が違う。
毛色が違うというか、ランクが違う。キルシュリーゲンに比べたら俺を含んだクムズポートで会える神々などせいぜい雇われ店長くらいの偉さしかない。
キルシュリーゲンひとりいればこの世界は成立する。そのくらいのガチ勢神さまである。
かわりにキルシュリーゲンには実体がない。
そんなものに人材採用のお尋ねなどできるはずもない。
会議は完全に迷路に入ったと言っていい。
と。
きゃ、という短く小さい悲鳴が聞こえた。
いや、聞こえたらしい。
気づいたのはヴォーディだけだった。
「静かに」とヴォーディは言って音もなく立ち上がった。「となりで侍女が叫んだ」
まるで気づかなかった俺とシューゼンがマヌケみたいだが、メカリア大聖堂はそれなりの広さがある。
となりの部屋の侍女の声など叫び声でもなければ気づくわけもない。
さすが絶対無敗の剣豪ヴォーディ。会議には使えないが、身体的能力だけならば初老に差し掛かっているいまも、俺やシューゼンよりは優れている。
俺は神帝だからいいとして、つまりこの場でもっとも使えないのは未亡人好きの皇帝である。
「なにも聞こえないぞ」とシューゼンが言った。
「小さく叫んだだけだ。大事ではないだろう。シーマはいないのか?」
「今日は長男のところにいる」と俺は答える。
「いちおう、見てくるか」とシューゼンが言った。
となりの部屋では侍女がワイゼンの世話をしている。
会議が終わったら久々にシューゼンといっしょに遊んでやろうと思っていたのだ。
「そうだな」と俺も言った。
だいたい危険な空気を感じたのなら、ヴォーディがすでに駈け出しているだろう。
というか、会議を切り上げる口実を全員探していたとかまあ、そんなところだ。
俺がやりたいのは美人政務官の面接だけであって、採用にかかる諸雑務ではもちろんないのだ。
「なにかあったか?」とシューゼンがドアをノックして尋ねる。
「シューゼンさまですか? お待ちく――あっ」
音速でドアを開いた。
いや、同じく音速でドアを開こうとしたシューゼンとぶつかって、ドアは開かなかった。
ふたりの男が突き指をしただけだった。
「ぐっ……なにしてんだ」と俺。
「痛ぇ……急いで開けようとしただけだ」とシューゼン。
「いや、いまの速さはそういうのではなかった」
「どういうのか説明してくれ」
「わからんが、なにか悪い気を感じた」
「バカ言うな。それはおまえのほうだ。俺は純粋にワイゼンの身になにかあったのかと思っただけだ」とシューゼンはすまし顔で言った。
「俺だって純粋だ」
「いいや、むしろおまえがヨコシマななにかだ」ともう完全に侍女の「あっ」に釣られたクセになに言ってんだこいつ状態のシューゼンは言った。
「おまえは未亡人好きなんだからいいだろ」
「語るに落ちたな妻帯者。いまは性癖の話は一切してない」
「いいや、おまえの耳がもはやピンクモードだった」
「おまえなんて年中発情期だろうが」
「バカ言うな。ここまで40年浮気なしの俺に向かって」
「できないのとやらないのはちがうだろ」
「ほら、さっさと入って来い」とさっさと部屋に入っていたヴォーディが言った。
中ではワイゼンを抱っこした20すぎくらいの侍女が申し訳なさそうにヴォーディのうしろに立っていた。
目立つ顔立ちではなく、気の弱そうな娘だったが、決して不美人ではなかった。
冬に山で拾ったアーカナー族のソタルよりはすこし垢抜けていて、歳がソタルより上だからか、しっかりとした女性らしさがあった。
しっかりとした女性らしさ。
つまり、胸部に鎮座おはしますシンボルマークがなかなか平均以上だった。
飛びきりではないが、完全に平均を越えており、大きいが大きすぎない。
具体的に言えば木行神級よりやや小さい程度であり、充分に俺の射程距離内と言えた。
射程距離内と言うが、このあたりは大きな論争になることだろう。
吾輩が思うに、大きいことはいいことだ派と、神は細部に宿る派と、形がすべて派と、大事なのはピンク比率派など様々な派閥が存在している。
そのほとんどは自身の属する派閥以外すべてを認めないという過激派で構成されているが、吾輩に至ってはもはやあるがまますべてを愛する派という超越者とも言ふべき派閥に属する。
もちろん元は大きいことはいいことだ派であるから、小さいよりは大きい方がいいが、かと言って小さいものに神が宿ることも理解できる。
すなわち、すべてのおっぱいはいいものである。QED
「おまえは未亡人だったりしないのか?」と大きいことはいいことだ派のシューゼンが訊いた。
「まさか」と侍女が言った。
「おい、落ち着け変態皇帝」と俺は紳士的に言った。
「で、どうしたんだ?」とヴォーディが訊いた。
「いえ……あの……そのぼっちゃんが私の胸を……」と申し訳なさそうに侍女が言った。
「胸?」とヴォーディは怪訝そうに尋ねる。
完全にセクハラだった。
「まさか。まだワイゼンは1歳だぞ」
「ですから、それはないだろうと思っていたのですが……毎回なのです。ほかの侍女はそんなことはないと言うのですが」
「大きいことはいいことだな」とシューゼンが言った。
また完全にセクハラだった。
だが、なるほど、我が次男、なかなか才能を感じずにはいられない。
大きいことはいいことだ派の素養を見せているようだが、これから先どんなふうに変化していくかはわからない。
まあ、いまはせいぜい母の乳を求める幼児ということだろうけど。
「母が恋しいころだからな」とヴォーディが言った。
「でも……あの……シーマさまにはそんな素振りはないのです。離乳もじつにすっきりとしたものだったので」
いやいやいや、たまたま。
たまたまだって。
早すぎるだろ。
いかに俺の子とは言え、エーヴィルはそんな素振り見せないし、そもそもまだ1歳だぞ?
あれでも俺、3歳くらいで幼稚園の先生のパンツ好きだった気がするんだけど、それになにか興奮とかした覚えはさすがになくて、でもあれ、よく考えたら落ち着くような気はしてたんだけど、それが性の芽生えとかでは全然なくて、そのあと10年くらいはとくにそういうことなにもなかったし、いやでも――
「私のときだけなんです」と侍女は涙目で言った。
ぽふ、とその瞬間、ワイゼンがまたタッチした。
「あんっ、もう!」とまた侍女が声をあげる。
ワイゼンは嬉しそうに笑った。
なるほど、これは傑物であった。
「ああ、もう。ワイゼンさまったら」
「ま、まあ、たまたまだろう」となんの意味ないフォローをヴォーディがした。
「しかし、それだけではなくてですね……」
「まだあるのか?」とヴォーディがもはや焦りながら言った。
「あの……下着にもひどく興味を持たれるんです」
「俺もすごく興味があるが」と俺は即座に答えた。
「はい?」と侍女は聞き返す。
「いや、どういうことだ?」と俺は言い直す。
言い間違いは誰にだってあることで、致し方ないと言えるだろう。
「油断してると、スカートをめくられるんです」と侍女はやっぱり涙目で言った。
1歳児、スカートをめくる。
いや、早くね? 早すぎじゃね? いや、でも待てよそうか、つまり。
おっぱいとパンツは本能。
これが決定的に証明された瞬間かもしれない。
「さすがにそれはたまたまだろう」
「ええ、そうかもしれません。ひらひらしているものが、珍しいだけかもしれません」と侍女は自分を納得させるように言った。
しかし、その瞬間、ワイゼンの見事なタッチが侍女を襲った。
さすがは俺の子だった。