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ヴォイドの呼び声Ⅰ 虚無の跫音  作者: 逆立ちハムスター


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18

鉄製扉の向こう側は、地上の清潔な大理石とは真逆の、欲望が発酵したような熱気に満ちていた。

長いテーブルには、街の陽光を拒絶する「裏の住人」たちがへばりついている。トランプの擦れる音、酒の滴る音、そして誰かの指が切り落とされるかもしれないハンドナイフトリックの風切り音。

「ボスは、あの最奥だ」

ゲイグが指し示した扉は、この喧騒の終着点のように重く沈んでいた。


案内役の二人が去った後、俺は煙と脂の臭いを掻き分け、奥へと進む。

その時、一本の柱に背を預けていた「色」に目が留まった。

燃えるような赤髪。右頬に刻まれた深い傷跡。マンティコアの皮を贅沢に使った鎧は、彼女が並の傭兵ではないことを雄弁に語っている。手にしたパイクには刃がないが、それが逆に「刃など不要」という傲慢な自信に見えた。


「まさか、スケルトンが迷い込んでくるとはね」

女の声は、湿った空気の中で乾いた火花のように響いた。

「アンデッドは嫌いか?」

「ワオッ!? 喋った……。スケルトンじゃなく、リッヂ(高位死霊)だったのね。これは……驚いたわ。想定外の収穫ね」

品定めするような視線が俺の骨をなぞる。

「お前も、ここの住人には見えないがな」

「当たり。……で、あなたは何をしにここへ?」

「それを聞くなら、お前から名乗るのが筋だろう」

「なら用はないわね」

俺が歩き出すと、女が慌てて腕を伸ばしてきた。俺の肘に触れようとした瞬間、彼女は「おっと」と呟いて手を引っ込める。

「……触れない方がいい。お前のその白い肌が、一瞬で冬の腐肉に変わるぞ」

「うー、怖い怖い。そうだったわね、リッヂの魔力は毒より性質タチが悪い。……自己紹介させて。私はルビー、ただのしがない傭兵よ。あなたは?」

「ロルフだ」

「ロルフ。覚えておくわ」

ルビーは片手を差し出し、舞台役者のような所作で道を譲った。

「忙しいところを引き止めて悪かったわね。さあ、どうぞ。『元締め』が待ち兼ねているわよ」


ルビーと別れ、さらに奥へ進む。

手すりにもたれたテグー(トカゲ人)たちが、ドラゴンの噂を囁き合っていた。

「一狩り行くか?」

「……次の日にはドラゴンの糞の中だ」

「ハッハッ、違いねえ」


下卑た笑い声が背中を叩く。

ドラゴンの糞にすらなれぬ連中の末路など、語るまでもない。


元締めの部屋の前には、死刑執行人の如き大斧を携えた巨漢のドワーフが立ちはだかっていた。

「何の用だ?」

「お前の主に、働き口の相談に来た」

「駄目だ。墓場へ帰れ」

鉄壁の拒絶。だがその直後、内側から扉をノックする音が二度響いた。巨漢は不服そうに鼻を鳴らし、扉から身を引く。


扉を開けた先は、外界の喧騒が嘘のような静寂に包まれていた。

壁一面を埋め尽くすのは、野生の命を剥ぎ取った「トロフィー」たち。狼、熊、ヒポグリフ、そして小型のバジリスク。死を飾り立てる趣味は、俺と通じるところがある。

デスクで筆を走らせていたスキンヘッドのドワーフが、戦化粧の施された顔を上げた。


「いやあ、来る頃だと思っていたよ!」

陽気な、だがどこか上擦った声。ドワーフは髭を弄りながら、一定の距離を保って歩み寄る。扉の脇では、虚ろな目をした女ドワーフが、音もなくかんぬきを閉めた。

「俺を知っているような口ぶりだな」

「もちろんだとも。こう見えても昔は腕利きの狩人だったんでね。……もっとも、今回は俺の『知恵』ではなく、ちょっとした『助っ人』が君の到着を教えてくれたんだがな」

「ほう。特別な品を扱う商人か?」

ドワーフの顔が、一瞬で土色に変わった。

「……っ! ま、まあ、なんだ。それで……リッヂ様がこんな掃き溜めに、何の御用で?」

額に滲む汗。先程アガレスの名を出した時の動揺からして、この男、デーモンの掌の上で踊らされているらしい。

「俺に合う仕事はないかと思ってな」

「仕事? 仕事なら山ほどある。だが、君にやらせるような……いや、失礼、君に相応しい仕事は、今のところ在庫切れだ」

「そうか。ならば邪魔したな」

俺が踵を返した瞬間、ドワーフが悲鳴に近い声を上げた。

「待て! まあ待て、そう急ぐな! せっかくの御高名なリッヂ様だ。仕事の話はさておき、我が自慢の『商品』を見ながら、少し親睦を深めようじゃないか。なあ?」

「なぜだ?」

「なぜって……商売人だからだよ。俺は常に金を稼ぎ、常に面白い情報を求めている。アンデッドと酒を酌み交わしたなんて話、酒場の最高のつまみになるだろ?」

この男、俺を逃がすまいとしている。あるいは、アガレスからの指示で俺を繋ぎ止めておく必要があるのか。

「いいだろう。案内しろ」

ドワーフは安堵の溜息を漏らすと、魔力を帯びた鍵束を掴み、さらに地下へと続く階段を指し示した。


階段を下りる際、ジョッキを持ったドワーフたちの嘲笑が聞こえる。

「なんでスケルトンがここに?」

「中身スカスカじゃねえか。酒も飲めやしねえ」

「ハッハッ! 飲んだそばから婆さんの乳みてえに全部垂れ落ちちまうな!」

下劣な笑い声が地下に響く。

……かつての俺なら憤っただろうが、今の俺はただ、彼らの内臓がどれほど「新鮮な素材」になるかを計算するに留まった。


「この先だ。さらに深い地下にな」

ドワーフの元締めが、暗がりの奥へと俺を誘う。

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