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【完結】ヴォイドの呼び声Ⅰ虚無の跫音  作者: 逆立ちハムスター


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「この街は初めてか?」

深いフードの影が男の表情を完全に物語から隠していた。見えるのは影の中で微かに動く口元と、そこから漏れ出る言葉だけだ。それは、街のノイズを切り裂くような、低く、湿った声。

男の問いかけは、まるで古びた地図の空白をなぞるような、含みのある問いかけのようだった。

「ああ。で、お前は?」

「なあに、しがない商人さ。新顔には必ず声を掛けていてな」

「商品はなんだ?」

「特別な品さ」

周囲の者達は男が見えていないのか、俺に奇異な視線を向けてくる。

「ふむ」

「見ていくか?」

「いいや、遠慮しておく。先を急いでいるんでな」

「チャンス逃すと、後悔するぞ。それに、そんなに急いでも、時間は君を追い越してはくれない」

「確かにな。二度目は訪れないかもしれない。だが気付いていないとでも思っているのか? デーモン」

「ハッハッハッ、さすがはリッヂだな」爆ぜるような哄笑と共に、奴は漆黒の正装服に身を包み、地獄の住人へと変貌を遂げた。

「いやはや、リッヂと会うのは久しい。少しばかり油断してしまった。では改めて自己紹介といこう。我が名はアガレス。ヘルの公爵にしてアルケインの統治者。そして、我が別荘へようこそ、ヴォイドの使者よ」

「なぜ俺を引き込もうとする」

「他意はない。私はただ珍しい物が好きなんだ。詮索する必要などないぞ」

「それで、デーモンがこの街になんの用なんだ?」

「ふ~む。別荘というのは抽象的な表現ではないんだ。だがよくぞ聞いてくれた。ここは謂わば、私のお気に入りの1つ。アルケインの景色もまあ良いが、やはり飽きてしまうのでな。特にイニティウムの外遊は心を満たす物がある」両手を広げ、優雅に辺りを見回す「だが私が少しばかり留守にしている間、害虫共が蔓延り始めたんだ。まあ重い腰を上げ、駆除に来たというわけだな」

「随分と長い間、休暇を取っていなかったようだな」

「ハッハッハッ」陽気な声質は次第に変わり、デーモン特有の声へ変貌する「ヘルは忙しくてな」

「背後の者を恐れているのか?」

「確かに。お前もそうだが。得体の知れない者は、いくらデーモンといえど恐れうる存在なのは確かだ。だが、それはさほど気にしてはいない」舌を軽く鳴らす「背後にいる者が誰であれ。それは娯楽の1つに過ぎないからな。あ〜、退屈こそ真の恐怖だ」

「俺に手伝って欲しいのか?」

「お前は真のアンデッドであり、死体を欲っしていることだろう。お互い都合が良いじゃないか。どうだ?」


〘⇄〙

はっきり言っておくか。

濁すか。


「まあ、考えておく」

「フッ、返答は早めにな。私は待たされるのが好きじゃない」

アガレスは深紅の霧となって霧散した。行き交う群衆は、その怪異に気づくこともなく、ただ無機質な日常の歯車を回し続けている。

……害虫の類か。のんびりとした観光気分は、霧とともに霧散してしまったな。

だがいいだろう。デーモンの煙を吸い込んだ魂が、狂おしく脈打つのを感じる。ああ、この感覚は一体……。

待っていろ、アガレス。いずれ魂ごと頂く。


ドワーフ2人が話している。すれ違い様に聞き取る。

「夫が戦争は終わりそうにないって言ってたわ。益々酷くなっているみたい」

「はぁ~、怖いわね。ここは大丈夫だって言ってた?」

「ええ、ここはまず心配ないって、でも実際のところ怪しいわ」

「そうね…。でも一先ずは安心ね」

「ええ、一応次の避難先を考えておいた方がいいかも」

「そうよね」


情報の蓄えを探し、大通りを逸れ、古びた錆と蒸気にまみれた路地裏へ足を踏み入れる。

奥へ進むほどに、都市の影は濃くなり、浮浪者や難民たちが吐き出す息で、空気は湿り気を帯びていく。それはかつての秩序を喪失した、混沌の掃き溜めのよう。かつての記憶にある均一性は跡形もない。種族の境界線は曖昧に溶け合い、不快なほどに己の魂を穢しているようだ。


煤けた煉瓦の影、湿った路地のよどみの中に、その男は彫像のようにたたずんでいた。

周囲の環境に決して溶け込むことのない、危険な色彩を放つ風体。不潔な壁に背を預け、武器に触れるその指先だけが、異様に滑らかに動く。

目が合った瞬間、路地の奥から重苦しい気配が溢れ出した。影が動き、ドワーフの仲間たちが、まるで壁そのものが歩き出したかのように姿を現す。ほお、不可視化に精霊のベールか。だが全身から漏れ出る生命力の光で丸見えだ。俺がアンデッドとは理解できていないようだな。


男は薄笑いを浮かべながら、地面に影を投げかけ、威圧を具現化するような歩調で正面へ近づいてくる。空間が奴らの圧迫感に包まれ、路地の空気が凍りつくように静寂が訪れた。

「おい、道に迷ったのか?」

「手っ取り早く金を稼ぎたい」

「俺達もだよ」

「「「ハッハッハッ」」」

男の仲間が笑い合う。

男が腰に差していた短剣を抜き、俺の腹へと突き刺す。

「なっ!?」

動じない俺を見て動揺している男。

騎士の顔を剥ぎ、本来の姿を見せる。

「おい嘘だろ!?」

男と、周囲の男の仲間が動揺し後ずさる。男たちは一瞬の静寂の後、死の気配を察してざわめき立った。引きつった表情で身構えると、金属が擦れる鋭い音と共に剣が音を切った。

腹に刺さった短剣を抜き、地面に捨てる。


〘⇄〙

やり返すか。

無視するか。


「働き口を探しに来ただけだ。挨拶が済んだのなら、通してくれるか?」

「はぁ…。こりゃ驚いた。ああ、お前みたいにイカれたタフな野郎は歓迎だ。ボスも喜ぶだろう。おい見張ってろよ」

「分かった」緊張が取れていない様子の男の仲間。

「お前も一緒に来い」

「マジかよ」男の仲間が引きつった表情で俺から距離を取る。

「早くしろ。さあこっちだアンデッド」

男は言葉もなく顎をしゃくった。それは死角を指し示し、先導していく。

男の先導に従い、古びた店の裏手、時間が止まったような空間に、その岩はあった。一見すれば無骨な石の塊。しかし、男が指先で空に奇妙な記号を描くと、岩の表面が陽炎のように揺らぎ、実体を失った。幻影の向こう側に広がる暗がりの奥へ、男はためらいなく足を踏み入れる。

男の背中に続き、男の仲間も俺の後へ続く。


通り抜けた岩の先は岩肌を穿うがつ、煤けた松明の灯り。それは呼吸をするように瞬き、荒涼とした狭小な空間を、ただ影と沈黙だけで満たしていた。

男が硬質な壁を四度叩く。乾いた音が、壁の向こうへ秘密の合図を運ぶ。

「俺だ、開けろ」

その声が消えるか消えないかのうちに、正面の重厚な岩壁が、重苦しい音を立てて右へとスライドした。

奥の部屋の左隅、ひっそりと佇む簡素なテーブル。そこはまるで、物語の始まりを告げる祭壇のようだった。

テーブルの真ん中には、名前を刻まれるのを待つ薄茶色の名簿。その傍らに、インクを吸った羽ペンが静かに眠っている。

それらを従えるように、木目の美しいジョッキには、琥珀色の酒が波々と注がれ、ほのかに甘い芳香を漂わせていた。ネクタルが恋しい。


部屋に入ると、薄暗い室内の奥、影に溶け込むような男の指先が、冷ややかな金属のレバーを引く。微かな機械音を合図に、部屋の壁を構成していた巨大な面が閉じていく。

先導する男が奥に立つもう一人の男へと歩み寄った。

「昨日はどうだった?」

「ダメだ。また負けちまった。あいつは絶対いかさましてるぜ。間違いねえ」

男がテーブルの側にある椅子へ座る。

「ずっとそれ、言ってるよな。いい加減負けを認めろよ」

「うるせえな、さっさと下に行けよ」

男が葉巻を咥え、指先から放った魔法で火をつける。


部屋の奥にあるアール開口の木製扉を先導する男が開けると、下へ続く階段が目に入る。

薄暗く湿った階段を下りていく。

階段を下りながら先導する男が振り向く。

あんたにとっちゃ、ここは居心地が良いだろう?

面白い奴だな。確かに最高さ。あまりの居心地の良さに、危うく心臓が止まるかと思ったよ。おっと、もう止まってたんだ。

ハッハッハッ。笑う男。その仲間も、俺の隣で笑みを浮かべ軽く頷いていた。俺はこいつらの処理の仕方を頭の中で巡らせる。

あんたも内臓の代わりに、ユーモアを詰め込んでいるみたいだな。なあ、あんた名は?

「挨拶代わりに短剣をくれるお前に、教える名などない。とっとと前を向け」

隣にいた男の仲間が険しい表情に変わり、俺から少し距離を取る。

「ああ…その…、気分を悪くして悪かったな。さっきの事は…まあ謝るよ。すまない」

「さほど気にしていない」

「ああ……そ、そうか。なら良かった。俺はゲイグだ。よろしくな」

「……よろしくな」握手を求めこちらに手を差し出す男。

差し出されたゲイグの掌。……それが恐怖ゆえの震えか、あるいは好奇心による武者震いか。俺はただ、無機質な視線でその手を見つめ返した。俺が触れれば、腐敗へと堕ちる。 『……。無駄な接触は不要だ。前を向け』男が慌てて手を引っ込める。その気まずい沈黙こそが、俺たちには相応しい距離感だった。


「ネクロマンサーというか、アンデッドを実際に見るのは初めてなんだ。昔、リベルタリアの連中と色々あったから、死霊術にちょっとばかし興味が湧いてな。それであんたに会えて…まあ…良かったよ」

目を細める。

「…………」

「お、おう。了解、了解だ。もう口を閉じるよ」

ゲイグが階段を下り終え、鉄製扉を開ける。

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