晴れているのが、落ち着かない
トコトコ、トコ、トココココ――。
天井から響く音で目が覚めた。
今日は最初の登校日。
窓の外を見ると、灰色の空に濡れたコンクリート。
やっぱり雨だった。
湿気で髪がうねって、くしが通らない。早めに目が覚めたのだけが救いだった。
鏡に映る自分の顔は、どう見てもパッとしない。
化粧の仕方もよくわからない。
子供っぽい顔立ちは、とても高校生には見えなかった。
今日は自己紹介がある。でも今日も、別に何も変わらないだろう。
髪の毛が決まらないのも、気分が上がらないのも、全部雨のせい。
なんで、天はそんなにも私の門出を邪魔するのが好きなんだろう。
「じゃあ雫、私行ってくるからねー!」
「……はーい」
玄関から慌ただしく靴を履く音が聞こえる。
入学式のときとは打って変わって、化粧なんてほとんどせず、ズボンにジャケット姿のお母さん。
雨森催花。
市役所に勤める公務員。
歩みに迷いがなくて、なんでもサクサクとこなせてしまう。
私の知っているお母さんは、そんな人だ。
だから余計に、入学式の時の「母親らしい」格好に違和感があった。
お母さんは、そんな「らしさ」にはまる人じゃないでしょ。
でも、私にお母さんのことを言う資格はない気がしてきた。
「高校生」らしく。
それにうまく馴染めない自分が、情けなくなる。
私はかっこよくもなれないし、堂々ともできない。
トコトコ、という雨音が、今日はやけにしつこく聞こえた。
**
それでも。
学校に着いた瞬間、空が明るくなった。
さっきまでぽつぽつと降っていた雨が、嘘みたいにやむ。
雲の切れ間から、細い青が覗いていた。
「また……晴れてる」
思わず呟くと、隣で雲雀が目を丸くする。
「ほんとだ! この高校、魔法でもかかってるのかな」
「そんなわけないでしょ……」
昇降口は、ざわざわしていた。
靴を履き替えながら、知らない名前、知らない声、知らない匂いに囲まれる。
数日前まで中学生だったはずなのに、みんな「高校生」という感じで、私だけが取り残されている気がする。
クラスの名簿を見ると、雲雀と同じクラスだった。
席に着くと、私は深く息を吸った。弱音を吐きそうになって、慌てて止めた。
自己紹介が始まる。
名前と特技、好きなことを言わないといけない。人に自慢できる特技も好きなこともない私にとっては、ただ苦痛なだけの時間。
おまけに私は「雨森」。前から二番目だ。
私の前にいた高いポニーテールの女子が立ち上がる。
「こんにちは! 安達立夏っていいます。中学はダンス部に入ってて、K-pop大好きです! K-pop好きな人、どんどん話しかけてほしいなって思ってます!」
小麦色に焼けた健康的な肌に、ぱっちりとした猫目。いかにも快活で、陽キャな人。住む世界が違い過ぎて、私が仲良くなることはなさそう。
それにしても、堂々としてるな。
名前を呼ばれて立ち上がる。
「はじめまして、雨森雫です。特技は……」
言葉に詰まる。
頭が真っ白になる。視線が、ちくちくと刺さる。
「……特技は、耳が良いことです。好きなことは……読書です。よろしくお願いします」
着席すると同時に、ほっと息を吐いた。
耳が良いのは雨の音を聞いているから。読書が好きなのは雨の日が多くて外で遊んでこなかったから。有名どころを読むだけだから、好きな作家は特にいない。
たぶん、印象には残らない自己紹介。
それでも、これでいい。目立たなければいい。
そのあと、何人かの自己紹介が続く。
そして、後ろの方の席から、ひときわ通る声がした。
「陽岡颯輝です。特技は走ること。好きなことも走ることです。あと俺、晴男です。行事は全部晴らせてみせるんで、期待しといてください!」
教室が、どっと笑いに包まれた。
……あ。
あのとき、入学式の日に見た、背の高い男子。
晴男と呼ばれていた、さつき。
私は視線を落としたまま、彼の声を聞いていた。
明るくて、少しふざけた口調。
場の空気を一瞬で掴む人。
学級委員決めは、あっさり終わった。
安達立夏と、陽岡颯輝。
二人とも手を挙げたわけじゃないのに、推薦が集中したらしい。
「よろしくお願いします!」
前に立つ二人は、やっぱり絵になる。
教室の空気が、少し明るくなった気がした。
**
放課後。
教室を出ると、窓の外はまだ晴れていた。
「晴れてるなんて……」
ぽつりと呟いた、そのとき。
「雨森、晴れてるの嫌いなの?」
背後から声がした。
振り返ると、そこにいたのは——晴男、颯輝だった。
「え……」
「さっきから、空ばっか見てぼーっとしてたからさ」
少しだけ、困ったような笑い方。
「いや、私……朝雨降ってたから」
「俺の晴男パワーすごいだろー。この学校に俺がいる限り、雨とか降らないから」
そう言って、彼はいたずらっぽい笑みを浮かべる。
晴男と、雨女。
そんな言葉が、ぐるぐると頭の中を回る。
その日、空はずっと晴れたままだった。
それが、少しだけ落ち着かない。
なぜか、颯輝の声だけが、耳に残っていた。
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