雨女伝説十五ページの一行目
「まただ」
真新しいテカッテカのスクールバックから折り畳み傘を取り出しながら、私は呟いた。
つま先のちょっと先で、雨粒がパシッと音を立てて飛び散る。
昨日の夜は晴れていたし、天気予報も今日の関東甲信は晴れだと言っていたはずなのに。
私の伝説がまた増えた。もちろん、良いことじゃない。
私は昔っから雨女だ。
生まれた日から今日に至るまで、私の人生の節目はだいたい雨とセットだった。
中でも私の伝説に拍車をかけたのは、中学最後の体育祭が雨で三度延期になったことだ。
おまけに、ようやく開催された体育祭の日、私は風邪をひいて寝込んでいた。
そして今日、高校の入学式の日も雨を降らせている。
しかも、雨はこの地域にだけ降っているらしい。遠くに青空が覗いている。
「雫はほんっと雨女だよね」
いつもはしないメイクをして、似合わない水色のワンピースを着たお母さんが、傘を開きながらそう言った。塗りすぎたファンデーションが、既に眉間でひび割れている。
「別にいいでしょ。入学式なら室内だし、天候関係ないじゃん」
「桜が散っちゃうの」
いつもは花なんて見向きもしないくせに、こういう日だけ季節の移ろいを感じられる文化人気どりだ。無関心だったり、興味を持たれたり、桜もその忙しさに戸惑ってるに違いない。
「桜なんて、もう散りきってる頃じゃないの。三月には咲いてたから」
最近は気温が高くて、桜が咲くのが早いらしい。春と秋という過ごしやすい季節はほぼなくなり、夏と冬で一年が回る。季節の移ろいもあったもんじゃないのだ。
私が水たまりを避けた時、お母さんは隣でバシャッと水を飛ばした。足を思いっきり突っ込んだらしい。文化人気どりのお母さんは、空模様を見ながら歩いていた。だから似合わないキャラはやめればいいのに。
そもそも私が雨女なのは、雨森雫、なんていう名前だからだと思う。雨森はお母さんの家の名字だ。雫っていう名前をつけたのも、お母さんらしい。
全部、お母さんのせいじゃないか。
恨みを込めた視線を隣に送ると、お母さんは靴の中はどうにか守ったらしく、足元を警戒しながら再び歩き始めていた。
「あ、しずくーぅ!」
駅についたところで、灰色の雲をも突き抜けそうな明るい声に呼び止められた。
振り返ると、私と同じ灰色のブレザーに、くすんだ赤と黒のチェックのネクタイの制服を着た女の子がいる。白すぎる肌に、色素の抜けた茶色い髪。
「雲雀じゃん」
「おはよー! 今日も安定の雨だねぇ。また記録更新だぁ」
「うるさいなぁ」
「あはは、ごめーん」
おしゃべりな雲雀は、軽口を叩いてはさらっと去っていく。そのつつき過ぎないところが、雲雀が人気者な理由なんだろう。私だと暗い印象にしかならない制服も、彼女が着ているとおしゃれに見える。
「あれ、浮橋さんも弓橋高校? 雫ったら、教えてくれればよかったのに」
「うふふ、実はそうなのよー。雫ちゃん、高校でも雲雀をよろしくねぇ」
雲雀のお母さんは、私のお母さんとは大学のサークル仲間らしい。共働きのうちと違って、雲雀のお母さんは専業主婦。家が近いこともあって、親がいない時はよく雲雀の家に遊びにいっていた。
「はい、こちらこそです」
よろしくしたいのは私の方だ。私には雲雀以外、仲のいい人がいないから。高校でもさんざんお世話になるに違いない。
「うわぁ、すっかり大人になっちゃって。雲雀にも見習ってほしいわぁ」
「そんなことないよ、うちだってまだまだ子供っぽくって。この前だって……」
ちょうど、電車のドアが閉まる。
話が長くなりそうな二人から離れ、私と雲雀は並んで座席に腰を下ろした。窓の外は相変わらず灰色で、雨粒がガラスを叩いている。
「高校、楽しみだねぇ」
雲雀が足をぷらぷらさせながら言った。
「……そうだね」
正直なところ、不安の方が大きい。新しい環境、新しい人間関係……。
環境は絶対に変わるとして、新しい人間関係の方は私には築けないかもしれない。それに、また行事ごとに雨を降らせるんじゃないか。
高校こそは行事に参加したい。そんな夢も叶わないのだろうか。
電車が走り出してしばらくすると、ふっと車内が明るくなった。
窓の外を見ると、雲の切れ間から細い光が差し込んでいる。
「あ、晴れてきてない?」
雲雀が言った通り、雨はいつの間にかやんでいた。
学校の最寄り駅に着く頃には、さっきまでの曇天が嘘みたいに、空は青くなっていた。
「……珍し」
思わず呟くと、雲雀がにやっと笑う。
「雫の伝説、ついに終わり?」
「そうだといいけどね」
足元のアスファルトはまだ濡れていて、日の光に照らされて輝いていた。
「弓橋って山近いんだねぇ。東京だと思えないや」
高校への道を歩いている間、雲雀はずっと隣ではしゃいでいた。
「ねぇ、雫、聞いてる?」
「あ、ごめんごめん」
「ほら、まぁた下向いてー。上見てみ、空近くない? ここ高台なのかなぁ」
「そうだね」
弓橋高校も一応東京だけど、郊外だから景色が全然違う。青い空の先に、白い校舎が見えてきた。
校門をくぐると、地面には、雨に濡れて紫になった桜の花びらが落ちていた。
あ、また下を向いていた。
でも、顔を上げるとキラキラした制服姿の新入生たちを見てしまう。
晴れた空の下、写真を撮る親子、友達同士で笑い合う人たち。
私だけ場違いな気がして、雲雀の後ろをついて俯いて歩いた。
**
入学式は滞りなく終わった。
体育館を出ると、校庭にはしっかりと陽が差している。
この学校で、3年間。きっとあっという間だけど、あっという間だからこそ、嫌な思いはしたくない。今晴れてるみたいな奇跡がずっと続きますように。雨が降りませんように。
「お前、ほんっと晴男だよなぁ。さつきっ」
ふいに聞こえた声に、足を止めた。
晴男。
私とは正反対な人。
いいな。
何となく気になって、振り向いた。
中学校が同じだった人たちのグループなんだろう。何人かの男子が集まっていて、その中心に、背の高い男子がいる。
「ほんとだよなー。朝は雨だったのに」
そう言った男子に、背の高い男子が小突かれた。
「でも、天気予報は元々晴れだったじゃんか」
背の高い彼が、さつきと呼ばれた晴男なんだろう。
「天気予報より、さつきだろー」
なんとなく目が離せなくて、しばらく見ていた。
その瞬間。
——バチッ。
晴男と、目が合った。
しまった。慌てて目をそらす。
どうしよう。入学早々、じっと見てくる気持ち悪いやつだと思われたかも。
まぁ大丈夫か。
そう自分に言い聞かせて、私は前を向いた。
きっとこれからの高校生活の中で、彼と関わることなんてない。
——そのときは、本気でそう思っていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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