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辺境にある都②

 出迎えてくれたフロンテラ伯爵を一目見た感想を求められたら、熊と答えるだろう。

 私たちを案内してくれた男性も随分と体格が良かったように見えたが、伯爵はそのさらに上をいっていた。腕や脚はまるで丸太のようだったし、肩から背中はこんもりとした丘がつらなっているようだ。細身のヴォルフザイン公爵と背はそれほど変わらないはずなのに、体重の差があるせいか猶更大きく見える。また、なんといっても顔を取り囲むように生やした髭が、熊っぽさに拍車をかけている。

 薄い茶色の頭髪に茶色の髭。豪快で粗野な武人にも見えるが、熊のイメージが強い。

 着ているものは艶があるので上等なのだろうけれど、熊が人間の衣服を剥いで担いでいるようにしか見えなくて困ってしまいそうだ。なるべく凝視しないようにしないといけない。

 そんな私の思惑など知らない伯爵は、応接室で髭に囲まれた顔に笑みを浮かべて私たちを迎えてくれた。後ろは女性が数人と子どもがいる。着ているものからして家族だろうか。


「遠いところよくいらしてくれましたな、ヴォルフザイン公爵閣下」

「フロンテラ伯直々のご招待とあれば、応じないわけがないでしょう」

「王都や公爵領に比べれば何もないところですがね。どうぞごゆっくり視察なさってください」


 お互い笑顔で握手を交わしているがどことなくよそよそしさを感じる挨拶を終えると、伯爵が背後に立つ人々を手招きした。


「こちらは我が家族です。妻のバリシア、息子のビトー、娘のカリナ、セリナ、ビビアナです。さあ、公爵に挨拶を」


 促されると、家族が順番に名乗り頭を下げていく。ずんぐりとした体形の息子さんと、華奢で折れてしまいそうな娘さんたちだった。

 娘さんは十代後半、前半、そして六、七歳くらいだろうか。女性陣は小さな末の娘さんも含めみんな上品な微笑みを浮かべて静かに膝を曲げ、その様は堂に入っている。

 一番小さな子はまだはしゃぎたい年頃だろうに、しっかりしてるなあと感心していると前に立つ公爵が体を傾けた。そして私のほうへ手を向けると伯爵の家族たちに会釈をする。


「ご丁寧な挨拶、ありがとう。ユリウス・カイ・ヴォルフザインです。こちらは私の婚約者であるエルネスタ・エマ・ヅィックラー男爵令嬢。以後、お見知りおきを」


 非公式な場の正しい挨拶だろう。だけれど婚約者っていうのは訂正してほしい。というか、訂正していなかったのか。じろりと睨むが、公爵はそっぽを向いてしまった。

 仕方ない、追及は後回しだ。

 私はスカートをつまみ上げ膝を曲げた。


「エルネスタと申します、フロンテラ伯爵、フロンテラ伯爵夫人。お目にかかれて光栄に存じます」

「……これはこれは、こちらが噂の婚約者殿でしたか」


 髭を撫でながら伯爵が私をねめつけた。好意的とは言い難い視線にどきりとするが、努めて平静を装い姿勢を直す。伯爵はふんっと鼻を鳴らした。


「使いの者が、馬車に乗っているのは公爵と侍女だと言っていたものでね。いやはや失礼した」

「いいえ、私はしがない男爵家の出ですのでお気遣いなく」

「滞在の間に使ってもらう部屋も、侍女のものを用意してしまったんだ」


 ぎょっとしたように目を見開く公爵とは反対に、どうかねと伯爵は片眉を吊り上げ意味ありげな笑みを浮かべた。口元に生えた髭が頬の動きを大きく見せているのだろう。にやにやと品定めされているようで気分が悪くなる。


「まあ、男爵家のご令嬢には失礼でしたかな? 別の部屋を用意させよう」

「今の私の職は公爵家令嬢の家庭教師ですから、使用人のお部屋で結構ですわ。どうぞお構いなく」

「それは困る。エルネスタ嬢は大切な私の婚約者だ。使用人の部屋ではなく私と――」

「結構です」


 私の腰に手を回そうとした公爵にぴしゃりと言い放つ。いらだちが伝わったのか、公爵が一瞬怯んだ隙にその手の先から体を離した。そもそも公爵の婚約者になった覚えはない。以前のあれは、潜伏しているマルガリータをおびき出すための「フリ」だったのだから。


「私の身分はここにいらっしゃる誰よりも低く、アメリア様の家庭教師が公爵様の補佐をするということで伺っております。使用人で結構です」

「待て。君は俺の婚約者として招かれているはずだぞ? 使用人部屋ではなく俺と同じ部屋でいいじゃないか」

「資料の作成やお打ち合わせの際は公爵様のお部屋に伺いますのでお呼びください。なんだったら定時を決めましょう。そのほうが効率がいいと思います。あと荷物ですが貴重品のみ公爵様にあずかっていただいてよろしいでしょうか。細かな本などはこちらでお預かりできますが――」

「……わかった、わかったから」


 がっくりと肩を落とした公爵は観念したように項垂れた。どさくさに紛れて同じ部屋に泊まらせようとしたようだけれどそれは雇用主と使用人の線引きをはっきりさせておきたい。

 しかしその様子を見ていた伯爵が煩わしそうに顔をしかめた。からかったつもりが不発だったのが面白くなかったのだろうか、明らかに気分を害している表情だ。


「主に対する態度ではないな。賢しい女は甘やかしているとつけあがりますぞ、ヴォルフザイン公爵?」

「甘やかしているつもりはないがね」

「でしたらしっかりとしつけることです」


 随所にちくちくと要らない言葉を差し込んで人の神経を逆なでしてくる御仁である。第一印象の素朴な熊というイメージはすっかり消え、私の伯爵に対する評価は底辺まで落ち込んだ。

 大体初対面の女に向かって「賢しい」とはなんという物言いだろう。ご自身にだって娘が三人もいるのだから、娘がそんなことを言われてもいいというのだろうか。

 そう思ってふと伯爵の家族を見た私だったが、その瞬間に自分の眉根が寄ったのが分かった。

 伯爵夫人も、三人の娘たちも、皆まったく表情が動いていなかったのだ。さっき見た通りの上品な微笑みを浮かべたまま、眉も頬も動いていない。外野がどうあれ鉄壁の表情を崩さないとは、貴婦人としては完璧である。

 すぐ気持ちが表に出てしまう私は見習うべきお作法だった。

 ちょっぴり反省しながら、私は伯爵に指示された夫人に連れられて使用人部屋へと下がったのだった。


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