しろくまとかき氷
あやうく一年放置するところだった……
「かき氷が! 食べたい!」
「耳元でいきなり叫ぶな」
今日も突然部屋に現れた神様は、つかつかと俺の横に歩み寄り、耳元に思いっきり顔を近づけてそう叫んだ。
「暑いんだよ! この時代! この季節の日本は異常だよ!」
「夏なんだから暑くて当たり前だろう……いや、違う時代もあるのか?」
神様の言い方だと、夏でも暑くない時代がありそうだが。
しかし今の日本、八月半ばのこの時期に、それについて文句を言われても困る。
「用意しますか?」
安里さんは神様の言葉を聞いて、キラキラした目で俺に尋ねた。
善意百パーセントの、ニッと笑ったその顔が眩しい。
「用意してやっても良いんだろうけど……今家に氷とか無いんじゃないかな?」
「そうですね。製氷皿で作った小さい物しかないです」
「たしか、機械はあるんだけど……」
そう言いながら、俺は台所の戸棚を開き、目当ての道具を探す。
たしか以前、福引きで当てたっきり一回も使っていないかき氷機があるはずだ。
そう思い、ごそごそと鍋やフライパンをどけると、その奥のじめじめした所にかき氷機の箱が見えた。
「あったあった。やっぱり、これ塊の氷じゃないと作れないやつだ」
しかも今流行のふんわり氷じゃなくて、ざらざらした昔ながらのやつしか作れないやつ。
青いペンギンの形をしたレトロなものだった。
氷は無いし、それにシロップもない。氷すいは俺も嫌だ。
「ぶー、ぶー! それじゃボクが食べられないじゃないか! 何とかしてよ孝明君!」
「何とかしてよとか言われてもなぁ。というかそもそも、神様なんだから自分で作れよ」
指先一つ動かせば何でも出来るだろうお前。
「お供え物じゃないと味気ないんだよ!」
「お供え物とかお前に関係ないだろう」
この神様は実際の宗教で崇められている某かじゃない。いったい何処の誰が、お前にお供えをしているというんだ。
俺と神様の掛け合いを聞いて、安里さんはクスクス笑っていた。
「じゃあ、じゃあ、氷とシロップがあれば作ってくれるんだね!?」
神様は立ち上がり、拳を握り締めてそう言った。
「いや、俺も食いたいし作っても構わないけど」
言いながら、安里さんの方を確認すると、安里さんも親指を立てて同意していた。
「分担を決めよう」
「分担?」
また、突拍子も無いことを言い始めたぞこいつ。
「ボクは氷を手に入れる。イルちゃんは作る。そして、孝明君はシロップを手に入れて来てよ」
「良いけど、買ってくればいいのか? シロップついでに氷も買ってくるけど」
俺はそう申し出てるが、神様はニヤリと笑って頬の汗を拭った。
「それには及ばないよ。とにかく、孝明君はイチゴシロップを手に入れて来てくれ」
「イチゴシロップ? いや、かき氷と言ったらメロンだろ?」
「へえ、あんな舌がグロテスクな色に染まるのが好きなのかい?」
「ほう?」
いきなり喧嘩を売られた気がする。
いいぞ、買うぞ。喧嘩なら、神様限定でいつでも買うぞ。
神様は、やれやれとでも言いたげに目を細めて溜め息を吐いた。
「夏のポスター、海の家の風景、氷菓アイスの品揃えを見ても、イチゴ味がダントツじゃないか」
「いやいや、メロンっつったら子供達のあこがれ、高級フルーツだぜ? 駄菓子屋で頼むガキ達がどれを選ぶかってったら、メロンだろ?」
「イチゴ」
「メロン」
「イチゴ」
「メロン」
「レモン」
どちらも譲らない俺と神様。ついには至近距離でのにらみ合いに発展した。
「俺が買ってくるんだから、イチゴ買ってきても……レモン?」
あれ、おかしい。第三の味が聞こえてきた気がする。
「どちらも美味しいですし、私はレモンが好きです。三種類買ってきて好きな奴かければいいじゃないですか」
そう、笑顔で口を挟んだのは安里さんだった。
「ふう、いいだろう。孝明君、イルちゃんに免じてここは引き分けだ。早急に、三種類買ってくるように」
「はいはい。果汁無しで良いか?」
神様と喧嘩するのは良いが、安里さんに言われては反対しづらい。
仕方ない。メロンシロップとレモンシロップ、あとついでにイチゴシロップも買ってきてやるか。
俺はよろよろと立ち上がり、サンダルを履いて外へ出る。歩く度に、サンダルが汗でキュッキュッと音が鳴った
三本ともなるとシロップだけでも重たい。奮発してお徳用を買ったはいいが、運動不足の左手が攣りそうだった。
「ふいー、ただいまー」
荒くなった息を整えながら、自室に入る。
そこにあった光景は、目を疑うものだった。
「……何だ、これ……」
「あ、た、孝明さん……! 助け……!?」
安里さんが、腰を抜かして部屋の隅にいる。怯えた様子で、助けを求めて俺を見ていた。
何に驚いているのだろうと、安里さんと反対方向の壁を見る。
そこには。
「グルァァァァァ‼」
大きな大きな白熊がいた。
テレビのような映像ではない。ただ壁に穴が開き、その向こうに熊がいる。そんな感じだ。
「え? 何? これ、どういうこと?」
「か、神様が、神様が氷を取ってくるって……ヒッ!?」
熊がごっつい爪のついた腕を部屋の中へと伸ばす。近くにあったペン立てとボードゲームを引き倒すも、何も取れない事に苛立った様子でまた吠える。
穴の大きさから、こちらには入ってはこられないようだが……。
怖いものは怖い。
「さ、催涙スプレーとかどうかな!?」
「この部屋にそんなものありませんよぉぉぉ……!」
安里さんの前に立ち、庇うかたちになっているのは男の意地だ。だが、本当に怖い。
例えるなら、隙間の荒い檻に入っているライオンの前に立っている。そんな感じだ。
って、よく考えたら全然例えになってない!!
俺だけならまだいい。部屋の外に行けば、何ともないだろう。
だが、安里さんは最悪だ。この部屋から出ることが出来ない彼女にとって、出来ることといえば部屋の隅で震えて待つだけだ。
手が届く範囲にいなければ問題は無いのだが、それでも怖い。
何にそんなに興味があるのか、白熊は一向にそこをどかない。
手を入れてくることは無くなってきたものの、それでもジーッと俺達を見ている。
「……肉を投げてみる……とか?」
「や、野生のクマにあげちゃいけないって、この前お昼のワイドショーで……」
「……だよねぇ……」
熊に人間が食物を与えると、人間の匂いを覚えて人を襲うようになると聞いたことがある。この白熊が人里に現れるかどうかは置いておいて、確かに避けるべきかもしれない。
でも、今目の前にいる熊が、つぶらな瞳でこちらを見つめているのは事実であり、そして興味を持っているということも確かではないだろうか。
「と、とりあえず、こっちには入って来れないみたいだから、安里さんは玄関の方に避難してなよ」
「た、た、孝明さんは……!?」
リズムを取るように俺の名を呼ぶ安里さんは、震えて俺の腕を掴む。その白い顔に向けて、安心させるように俺は言った。
「大丈夫、俺は熊が入ってこないように見てるから」
「は、入ってきたら?」
「大丈夫、出来るだけ死なない程度に食べられるから」
「ぜ、全然大丈夫じゃありません!!」
安里さんが思いっきり俺の袖を引っ張り避難させようとする。でも、駄目だ。そんな大きな声を出したら……。
「ガアウ!」
威嚇するように白熊が吠える。刺激したようで、口から涎を飛ばしていた。
そんな二人で震える恐怖の時間。救世主という者は、突然現れるものだ。
「あれー、お客さんー?」
白熊と穴の隙間から、ニョキリと青い髪の毛を垂らし、神様が覗き込む。何もわかっていなさそうにポカンと開けられた口は、手を突っ込んでやりたいほど場違いな声を発していた。
「違えよ馬鹿! 早く、早くそいつを何とかしてくれ!!」
困ったときの神頼みと言うが、本当に神様に頼み込むとは思わなかった。俺が指さした白熊を神様はゆっくりと見ると、「んー」という抜けた言葉を発し、そしてもう一度俺を見た。
「えー? こんなのが怖いの? 本当に? 本当に?」
笑顔が腹立つ。いつもの俺ならスパコンと後頭部を張り倒しているところだが、今はそうはいかない。
「……お願い、します」
頭を下げると、神様は嬉しそうに胸を張った。鼻も実際に少し伸びている。
「ククク、ようやく孝明君にもボクの存在の偉大さがわかったようだね!」
「うるせえ馬鹿、早く何とかしろよ」
だが、その態度に苛ついたのか、俺の口はいらないことを口走った。慌てて口を押さえるが、神様は機嫌良く掌を出し、嬉しそうに微笑んだ。
「よきかな、よきかな。そうだねぇ、小さいキミ達が、偉大なボクに精一杯の強がりを口にしちゃうのは当然だよねぇ」
俺たちの顔も見ずに、神様は振り返る。そこには、もうすでに固まり動きを止めた白熊がいた。
「ま、そんなわけだから、ごめんだけどキミはどっかいってね」
そして神様がチョンと白熊を突くと、白熊は透けて消えていった。まるで、安里さんが出てきたときの逆再生のように、向こうには青空が透けていた。
よいしょ、と穴の縁に足と手を掛け、塀を乗り越えるように神様は部屋に入ってくる。そして指をパチンと鳴らすと、その穴はしぼんで消えた。
「じゃあじゃあ、偉大なボクが所望したかき氷を作ってもらおうか! 孝明君、シロップの準備は万全かい!?」
「シロップだけは、な」
今の騒動を、何事もなかったかのように処理する神様に呆れ半分で、そう嫌味を言う。だがそんなことを察する様子もなく、神様は小脇に抱えた氷の塊を、いそいそとテーブルの上に置いた。
「氷は、ここにセットするのかなー? イルちゃん!?」
「は、はい!?」
俺の腕を掴み、固まっていた安里さんが再起動する。そして、ヨロヨロとテーブルに駆け寄っていくと、かき氷器の蓋を開いた。
「孝明君! 孝明君! 回してもいい!?」
「あー、ああ。結局お前がやるのな」
そしてキャッキャとハンドルを掴み、力一杯回す神様の笑顔。その満面の笑みに、怒る気も失せる。
その後かき氷を食べて、三人そろって頭を抱えた。
三人で食べたかき氷は美味しかった。外で食べるものよりも格段に。
その理由はなんとなくわかる。だが、あまり認めたくない。
美味しかったのは、北極の氷のおかげだ。
そういうことにしておこう。