30
春の陽だまりの中、毛布にくるまってまどろむ。
「ひよちゃん? 寝てるの?」
たどたどしい、かなたんの声が聞こえていたけれど、わたしは目を閉じたまま。
するといつものように、小さな手のひらがわたしの髪をなで、それから頬にあたたかいものが、ほんの一瞬だけ触れた。
「ひよちゃん、起きなよ。ご飯だって」
「うーん……」
本当は起きているのに、寝たふりを続ける。
もっとその手で、ふわふわして欲しいから。もっとその唇で、チュッってして欲しいから。
「日和っ、起きろ!」
突然降ってきたその声に、わたしはあわてて飛び起きる。
夢と現実の区別がつかないまま、顔を上げると、大きなスポーツバッグを脇に置いた奏多が、わたしの前でしゃがみ込んでいた。
「奏多……」
頬がほんのりとあたたかい。夢の中でかなたんがしてくれたキス。あれって……。
「帰ってきたよ」
わたしに向かって奏多が言う。わたしはそんな奏多に、笑顔を見せる。
「お帰り。奏多」
春の日差しがあたたかい、日曜日の昼下がり。縁側の先からやわらかい風が、この部屋の中へ穏やかに吹き込む。
「誕生日だね」
「二十歳になった」
「おめでとう」
照れくさそうに笑った奏多が、ゆっくりと手を伸ばす。そして肩下まで伸びたわたしの髪を、その手でそっとすくい上げる。
「髪、伸びたな」
「そう?」
「この感触、昔と全然変わらない」
一つの布団の中で、わたしの髪を触りながら、安心したように眠った奏多。
奏多に触れられる感触が心地よくて、やっぱり安心して眠ったわたし。
どことなく寂しい気持ちを、わたしたちは寄り添い合いながら、二人で乗り越えてきた。
「日和……」
奏多のささやくような声を聞きながら、目を閉じる。
髪に触れていた指先が頬をなで、あたたかい唇がわたしに触れる。
お互いの気持ちを確かめるように、とろけそうな舌先を絡め合った時、すぐそばで携帯の着信音が響いた。
「奏多……ちょっと待って……」
深く息を吐きながら、奏多の体を離す。
「そんなの無視しとけよ」
「でも、急用だったら困るから……」
携帯の画面には、会社の名前が出ている。休みの日に仕事の電話なんて、めったにかかってこなかったけど。
「もしもし?」
ふてくされた顔の奏多の前で、電話に出る。すると聞き慣れた声が耳に響いた。
「ああ、日和? おれだけど」
「慶介くん?」
その名前に反応した奏多が、さらにふてくされた顔つきをする。
「もしかしてそこに奏多いる?」
「え、いるけど?」
「おれのところに、あいつからメール来たからさぁ。今から日和をおれのものにするって。ふざけんなっつーの。十年早いんだよって、言っておけ」
「……自分で言ったら?」
わたしの声に、電話の向こうの慶介くんが笑っている。
「あとついでに、これも言っとけ」
「なぁに?」
「誕生日おめでとう。だがな、お前がここまでまともに育ったのは、おれのおかげだからな」
それはちょっと大げさだけど、でも慶介くんの「おかげ」もあると思う。
「それと、今度飲みに連れてってやるってな」
もう一度豪快に笑って、慶介くんは一方的に電話を切った。
「なんだって? あの人」
すねたように聞く奏多に、慶介くんの言葉をそのまま伝える。
「誕生日おめでとう。お前がここまで育ったのは、おれのおかげだ。それと、今度飲みに連れてってやる、だって」
「誰があんなおっさんと飲みに行くかよ。だいたいなんでこういうタイミングで電話してくるわけ? しかもわざわざ会社の電話使って」
「でも先に連絡したの、奏多の方でしょ?」
お互い文句ばかり言っているけど、やっぱりこの二人仲が良いんだ。
わたしには話さないけど、二人で時々、食事に行ったりしているみたいだし。
奏多はわたしにできない相談を、こっそり慶介くんにしたりして、実は頼りにしてるって知ってる。
「連絡って言えば、この前風子ちゃんからメールもらったよ?」
「風子から?」
「奏多は知らないのかなぁ? 風子ちゃんね、大学で彼氏ができたんだって」
「へぇ……」
「写メも送られてきたの。彼氏はすっごく背が高くて、イケメンの男の子。風子ちゃんもすっかり大人っぽくなっちゃったし。お似合いの二人だよ」
「ふうん」
どうでもいいような顔をしているけど、実はちょっぴり気になってるはず。
――とっても好きな人ができたので、やっぱり奏多くんのことは、あきらめます。
風子ちゃんから来たメールには、そう書かれていた。
――二年後のことなんて、わからないものですね。
そうだね。今になっては、二年前が懐かしい。
「あ、もうこんな時間」
「え?」
「なんか作ろ? お腹すいちゃった」
立ち上がったわたしを見上げて、奏多が言う。
「それより、さっきの続きは?」
「ご飯が先。奏多も手伝って」
「はぁ? 日和、お前なぁ……」
「チョコレートケーキも、買ってあるの。後で一緒に食べようね」
奏多に笑いかけて台所へ向かう。文句を言いながらも、奏多はわたしについてくる。
今日は何を作ろうか。久しぶりに二人で食べるお昼ご飯。そしてこれからは毎日一緒だ。
ずっと夢見ていた、春の陽だまりのようなあたたかい生活が、今日、奏多と一緒に始まる。




