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不完全な女神と加護なしの少年。~迷宮都市グラナートで目覚める力~  作者: s-rush
プロローグ

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第001話 伝承——加護を与えられなかった神

昔、神々の間で大きな戦いがあった。


下界に伝わっているのは、それだけだ。


何が争いの火種だったのか。

どちらが勝ったのか。

語り部に訊ねたところで、首を横に振られるのが落ちだろう。

天の上で起きたことを、地を這う人間が知る術などなかったのだから。


ともあれ、戦いは終わった——神々はそう信じ、天界には静けさが戻った。

その静けさの中で、新しい神がひとつ生まれた。

いつ、どのようにして生まれたのか。

それもまた、伝承は語らない。

ただ、戦いのあとに生まれた神はその一柱きりだった、と古い歌の一節に残るばかりである。



やがて、下界に迷宮が現れた。


底の知れない、深い迷宮。

人間たちは剣を取り、松明を掲げて、その闇へと下りていった。

そして、ほとんどが戻ってこなかった。

浅いところを覗き込むのが精一杯。それ以上を望めば、骨も残らない。

人の手には負えない——誰の目にも、それは明らかだったのである。


だから、神々は天界から降りてきた。

人間と契りを結び、己の力の一部を分け与える。

分け与えられた者は、人の身のままで、人を超えた力を得る。


人々はそれを、加護と呼んだ。




神々が初めて降り立ったのは、迷宮の口を見下ろす、なだらかな丘の上だった。

のちに迷宮都市と呼ばれる街が築かれる土地だが、

この頃はまだ、風が草を撫でるばかりの荒れ野にすぎない。


丘には、噂を聞きつけた人間たちが集まっていた。

鍬を捨ててきた農夫もいれば、錆びた剣を背負った流れ者もいる。

迷宮に家族を呑まれた者も、少なくはなかったはずだ。


神々は一柱ずつ、彼らの前に立った。

差し伸べた手のひらから、淡い光がこぼれる。

光は人間の胸元へ吸い込まれ、ほんの一瞬、その身体の輪郭を内側から照らして——消えた。


それで終わりだ。


加護を受けた者は、自分の手を握ったり開いたりして、何かを確かめるように息を呑む。

それから深く頭を下げ、次の者に場所を譲っていく。

丘のあちこちで、同じ光景が繰り返されていた。



その神も、そこにいた。


生まれてまだ間もない、新しい神。

ほかの神々に混じって丘に降り立ち、見よう見まねで、人の列の前に立っている。


天界から見下ろしていた下界は、降りてみると、思っていたよりずっと騒がしかった。


人の声。

土の匂い。

踏み荒らされた草の青臭さ。


丘の麓にぽっかりと口を開けた迷宮からは、ときおり、低い風の音が這い上がってくる。

その神は少しだけ首をすくめ、それから、前を向いた。


周りを見れば、やり方は分かる。

手を差し伸べ、力を渡す。

それだけのことだ。

神であれば誰にでもできる、呼吸のように当たり前のこと——のはずだった。


「お願いします」


その神の前に立ったのは、若い男だった。

日に焼けた肌に、ところどころ継ぎの当たった服。

腰には、刃こぼれした鉈を下げている。

男は緊張した面持ちで、両の手を胸の前で組んでいた。

兄を、迷宮に呑まれたのだという。

列に並んでいる間、隣の者にぽつりとそう漏らしていたのを、その神は聞いていた。


その神は小さくうなずき、ほかの神々がしていたのと同じように、手を差し伸べる。


……何も起きなかった。


光はこぼれない。

指先は男の胸元のすぐ手前で止まったまま、温もりのひとつも伝えられずにいる。

男が、ちらりと顔を上げた。


その神は一度手を引き、もう一度、差し伸べる。

今度こそ、と力を込めて。

自分の内側にあるはずのものを、手のひらの先へ押し出すように。


けれど、届かない。


渡そうとしたものは、確かにそこにある気がするのに。

指先まで来たところで、ふっと、どこかへ溶けて消えてしまう。


なぜだろう。

やり方が違うのだろうか。

それとも、まだ生まれたばかりだから、うまくできないだけなのか。


三度目は、試せなかった。

男の組んだ手が、ほんのわずかに強張ったのが見えたから。


答えは、どこからも返ってこなかった。


「あの……」


男が、困ったように眉を下げた。

責める響きはない。

ただ、どうしたらいいのか分からない、という声だった。


「……ごめんなさい」


その神が口にしたのは、それだけだった。

男は少しのあいだ迷うように立ち尽くし、それから、ぎこちなく頭を下げる。


「いえ。その……ありがとうございました」


何に対する礼なのか、きっと男自身にも分からなかっただろう。

彼は踵を返し、隣の列へと歩いていった。

ほどなくして、その列の先で、淡い光がひとつ灯る。

男の背中が、ほっとしたように小さく揺れた。


その神は、それを黙って見ていた。


誰も、その神を咎めはしない。

近くにいた神の一柱がちらりと目を向けたが、

何も言わずに、また自分の前の人間へと向き直っていった。

丘の上には、変わらず光が灯り続けている。

ひとつ、またひとつ。



その神は、自分の手のひらに視線を落とした。


白く、小さな手だった。

ほかの神々と何ひとつ変わらない、ありふれた神の手。


握ってみる。

開いてみる。


さっきの男がしていたのと、同じように。

けれど、そこには何も残っていない。

渡せなかったものも、渡すはずだったものも——最初から、どこにもなかったかのように。


その神は、泣かなかった。

声を上げることも、誰かに理由を訊ねることもしない。


ただ、いつまでも、空っぽの手のひらを見つめていた。

風が丘を渡り、草を揺らしていく。




それから、数百年が経った。


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