7-2
「……クソ、遅ぇな」
『Quga』が第十問目の答え、『忘れた場所』として武井崎に教えたのは、廃工場が並ぶ街の南東にある一つの倉庫だった。
倉庫とはいえそれほど大きくはない。
車二台ほどが入りそうな、無機質のくすんだ白壁の倉庫だ。
それが三つずつ、縦に二列に並んでいる。
武井崎がいるのはその内の一番南側、街からは一番離れた倉庫だ。
湿気を含んだ空は既に日が落ち、倉庫の内側にも冷気が満ちている。
第十問、『忘れ物は忘れた場所に』という文章が『Ripper』、つまり武井崎の元に送られてきたのは昨夜だった。
彼が『BlueButterfly』に問題を転送したのは『Quga』がチャットに現れる深夜の少し前だったから、『BlueButterfly』が動くのは翌日である今日だと踏んでいた。
しかしその時間までは分からないため、彼はこうやって朝から倉庫の中で張り込む羽目になっていた。
カビの匂いがする倉庫の中は蛍光灯が外され、外からの光だけが頼りだった。
明るかった外の色は薄汚れた橙色に変わり、そしてそれも先程ついに消えていった。
誰かが粗大ごみ置き場にでもしていたのか、倉庫の中には既にどの家庭でも使われていないような、何世代も前のテレビやパソコン、映写機などが壁際に積まれて埃塗れの布が掛けられている。
武井崎が『忘れた場所』、この倉庫で見つけたのは、その布の上に不自然に乗せられた数枚の写真だった。
「………」
彼はその写真に目を向ける。
この倉庫が『忘れた場所』というならば、そこに不自然に置かれていたこの写真は『忘れ物』ということになるのだろうか。
それが未だこの場所にあるということは、『BlueButterfly』はまだ現れていないということになる。
(これが、『BlueButterfly』の罪、なのか?)
写真には、隠し撮りのようにして二人の人物が映っている。
内一人には見覚えがあるような気もするが、解像度が低いその画像から詳細は判断できなかった。
だがおそらく、武井崎は確信する。
(これが『忘れ物』だ。
こんなもののために、俺は……)
こんなものを得るためだけに『BlueButterfly』に利用されていたのかと思うと、武井崎は舌打ちが抑えられなかった。
彼が常に抱えている欲望は、実に単純で率直なものだ。
上に立ちたい、人を支配したい。
いくら黒狼の平均年齢が若いとはいえ、高校生の黒狼構成員はほとんどいない。
だが自分は、選ばれた。
それだけの価値があるのだ。
昔からガキ大将というには毒のある人間だった。
それでも常に人を支配する側に位置していた。
それが例え、体の大きさと暴力性によるものだとしても、自分にはそれだけの力と価値がある。
彼は自分自身をそう評価していた。
強い人間が弱い奴を使うのは当然だ。
いつだってこの世界は、そうやって動いてきた。
その当然が出来ない奴は、その身を以って楽しませるくらいするべきだ。
女なら黙って男に奉仕して悦ばすべきだし、男なら遊ぶ金くらい持ってくるべきだ。
それも出来ないクズは、サンドバッグになってせいぜい暇を潰すくらいの協力はしてもらいたい。
それすら出来ないなら死んで償え。
そう思っていたら本当に一人死んだ。
金もない、パシリ程度もできない、サンドバッグにするのも飽きたから、殴って寒中水泳の芸をさせてたら動かなくなっていた。
あぁ、本当に。
最期の最期まで面倒でクソな奴だった。
過去を思い出し、武井崎は顔をしかめる。
アイツのせいで、再び自由になってからも生活基盤をまるごと変えて生きなければならなくなった。
それでも非難してくる奴らがいたから、そいつらを片付けるために方々に手を回す羽目になった。
たった一人のクズのせいで、要らない時間を浪費して、経歴に傷がついた。
この街に来た当時の武井崎は、そうやって一人憤慨していた。
だが時間が経つにつれて、この街を選んだのは当たりだと思い直した。
抗争を制してのし上がった王の支配下にあるこの街は、彼の性に合っているのではないだろうかと気付き、そして運良く黒狼のメンバーに滑り込めた。
ここで名を挙げれば、過去の傷など簡単に消せる。
むしろ誰かを殺したことがあるという事実は、王の目に止まるのではないだろうか。
そうなれば自分の能力を更に発揮して、その地位を確固としたものに出来るはずだ。
いつだって支配する側にいたのだから、その資質は大いにあるはずだ。
そう確信していたからこそ、彼は自分より新参者の後藤文一がコネで爪持ちとなったのが気に食わなかったし、それに加えて自分が上層部に登るチャンスを奪われたというのは、どうしても我慢ならなかった。
だから、それを思い知らせてやった。
共犯者と保険の意味を込めて、黒狼スカウト待ちの巳堂悟に目をつけた。
彼には「お前が黒狼になれないのは後藤文一のせいだ」と吹き込み、「後藤を一緒に潰したら俺が黒狼にスカウトしてやる。これは度胸試しだ」と、自分のタトゥーの写真付きでメッセージを送り、そして仲間に引き入れた。
だが武井崎としては、後藤文一襲撃をここまでの事件にするつもりはなかった。
自分に敵がいることを知らしめて、幹部を降りる程度に痛めつけるつもりだった。
それなのに。
いざ目を潰して路地裏に連れ込み暴力を振るうと、何かが外れるような感じがあった。
一発。
もう一発。
自分が振るった力の分だけ、相手の力が抜けていくのを体で感じた。
疎ましいと思っている奴が、自分の足元で蹲ってなされるがままにされている。
自分を貶めていた奴が、泣きながら許しを請うている。
哀願する腫れ切った瞼から覗く目。
鼻から流れ出る血の筋。
折れた歯の間から覗く血に濡れた舌。
気がつくと止まらなかった。
アルコールが回っているような高揚した笑い声を体中から吐き出しながら、殴り蹴り続けた。
途中でミドウの止めようとする声が聞こえたが、それを振り払ってナイフを取り出し、そして当然のように刺した。
彼が誰の親族か、その行為が後でどんな事態を引き起こすのか、その時の武井崎の頭にはなかった。
切っ先が肉に収まる瞬間の感触を、武井崎は今でも覚えている。
あの時以上の興奮を、彼は経験したことがなかった。
問題はその後だ。
誰にも分からないような場所で後藤を襲ったと思っていたのに、どこからかそれが漏れた。
まだコードハント:ネイビスなど知らない時だ。
下駄箱に手紙が入っていた。
『お前の犯行を知っている。現場で待っている』
その一文を見て、彼は即座に後藤を刺した路地裏に舞い戻った。
しかしそこには誰もおらず、その後も何度か見に行ったが、結局誰一人現れなかった。
手紙をただのイタズラだと判断し、数日経ってそのことを忘れかけた時だった。
同じクラスの仲間の一人が賞金十五万円の暗号解読ゲームを行っている、そう言って楽し気にとある画像を見せてきた。
それが、まさにあの路地裏だったのだ。
混乱し、息を呑み、汗が一筋背中を流れるのを感じた。
誰かが、現場を知っている。
偶然なんかじゃない。
こんな誰も来ないような場所を、このタイミングで、ピンポイントで指定するだなんて。
そしてさらに、もう一通の手紙が下駄箱に投げ込まれた。
『ようこそ。
コードハント:ネイビスへ』
明らかに後藤の事件を知っている人間の手紙だ。
ネイビスの『ディーラー』は武井崎にゲームに参加しろと、そう言っているのだ。
なぜそんなことをするのかは分からない。
だが、意味がないとも思えない。
いずれにせよ、放っておくわけにはいかなかった。
問題を進められたら、次は何を暴かれるのか。
放っておいて自分が犯人だと暴かれたら、黒狼の連中に何をされるか分からない。
後藤文一は、キングの片腕であるロックの従兄弟だ。
以前、黙ってドラッグを捌いていた連中が、上部連中にガス室で三日かけて殺されたという。
おそらく自分はそれですらすまないだろう。
しかし頭を使うのが得意ではない武井崎には、プレイヤーを襲ってゲームの進行を妨げること、また自分の犯行現場に近づく人間を排除するので精一杯だった。
だから賞金の半分と引き換えに問題を解くと申し出た『BlueButterfly』の言葉はありがたかった。
武井崎は『BlueButterfly』からのチャットを思い出す。
『Ripper』としての乱暴な手口を責めるプレイヤーも多かったが、『BlueButterfly』は違った。
ゲームと言えど金を賭けた勝負であり、他プレイヤーは敵だ。
やるならば利害を図って同盟を組み、敵を徹底的に潰したい。
もしも武井崎の目的が賞金ではなくクリアすること自体にあるのならば、代わりに問題を解くので同盟を組みたい。
そう『BlueButterfly』は武井崎に語りかけた。
しかし実際は、プレイヤーを脅してクリアを目論む『Ripper』が自分と同じ状況にあることに気付き、状況を理解した上で都合よく使うことが目的だった。
『BlueButterfly』にしか分からない問題。
『Ripper』にしか分からない問題。
同じ状況に置かれ、焦る二人のプレイヤー。
確かに『Quga』の言う通りだ。
もっと早く『BlueButterfly』の本心に気付くべきだった。
たとえ優秀なパートナーだとしても、そのお陰でクリアできたとしても。
支配者の自分を、だまして利用するなど、あってはならない。
「………ちっ」
身を隠すように座り込み、足の上で組んだ手の甲に爪を立てるようにして、武井崎はもう何度目か分からない舌打ちをする。
だが、この写真さえあれば。
苛立ちの中で、自身の中に僅かに高揚するものがあるのを武井崎は感じていた。
後藤文一を殴り倒し、動かなくなった彼の足にナイフを突き刺した時の、爆発するような高揚感。
プレイヤーの男子高校生たちが、武井崎の暴力に怯えて耐えるのを見下したときの、腹の底から湧くような高揚感。
怯えた女子高生を押し倒し、口をふさいでナイフを走らせ、耳元で脅迫をして縮こまる体の服を剥ごうとするときの、情欲に濡れた高揚感。
この写真で『BlueButterfly』を脅し、そして、もう一度あの感情を味わいたい。
今度はもっと長く、ゆっくりと。
どちらが支配者か、教えてやろう。
ここを教えた『Quga』もそのうち引っ張り出し、そして同じようにしてやる。
噂通り『Quga』がリッパーズ・ストリートの探偵クーガならば、常人離れした美少女だと聞いている。
どれだけ頭が良くとも、所詮女だ。
捻り上げて、その後は……。
不安、焦り、欲望、暴虐からの快感。
倉庫の中で、様々な感情が武井崎の胸の中で波のように引いたり押し寄せたりを繰り返していた。
「あぁ……早く来いよ、『BlueButterfly』。
俺の、相棒」
呻くようなささやくような声で、武井崎は一人呟く。
苛立ちでさえ舐めて味わうようにして、彼は自分の共犯者をじっと待ち構えた。




