5-3
「……な、何か、有り得ない名前が出てきたような気がするんだけど。
兄貴、今、『マガミ』って言った?
言ってないよね、嘘だよね、冗談だよね?」
「残念だが、本気だ。
本名、真神玲。黒狼のリーダー。
超人無敵のキング様。ケダモノ共の王だ」
「………」
リクに聞かせたくないだけではなく、その名前を自分でも口にしたくはなかったのか、ハルは不機嫌な口調を隠そうともしない。
おそらくリクがいなければ、この街で最も尊大な人間を、より口汚く言い表していただろう。
リクとミズキは引きつらせた顔を、今度は青くして言葉を失う。
そんな緊張した静寂を破ったのは、ライカの笑い声だった。
「ぎゃははははっ! 馬鹿か、お前!
そんなん無理に決まってんじゃねぇか!」
彼はハルを指さしながら、馬鹿にした笑いを顔いっぱいに広げる。
「………」
対するハルは、そんなライカに目を向け、凍ったように動かない。
「ギャングの王様だぜ?
この街で、誰よりも強くて、偉くて、格好良いマガミさんだぜ?
いや、この街どころじゃねぇな。
漢の中の漢、キングオブキング、絶対無敵!!
そんな人に話をつけるとか、無理無理! 馬鹿なこと言うなって!」
「………」
「お前も案外頭弱ぇこと言っ……。
………。
……おい、なんで黙ってんだよ」
いつもなら既に肉体的か精神的か、その両方の攻撃が入っているはずなのに、ハルはじっと黙ってライカを見ていた。
さすがに気持ち悪くなったのか、ライカが笑いを止める。
割って入ったのはカイだった。
「ありゃー。
馬鹿に馬鹿と言われたショックで、ハル君がショートしてる」
時が止まったかのように瞬きひとつしないハルの顔の前を、カイが手をひらひらさせながら説明をすると、すぐさまライカが噛み付く。
「そこまでショックなのかよ!
じゃなくて、誰が馬鹿だ!」
「ハルっ! しっかりして! 気を確かにっ!」
ライカを無視して、アキがドラム缶の上からバチンバチンと手を打つ。
ぴくん、と頭を揺らしてハルは再びゆっくりと瞬きを始めた。
「あーびっくりした。心臓が数秒間止まってたわ」
心臓の辺りを抑えながら、ハルが真剣な顔をして呟くと、飼い主に牙をむいたライカに向かってカイとアキが舌打ちをしながら睨みつける。
「心臓に悪いことを言うな。駄犬のくせに」
「てめぇの脳ミソ鑑みてから喋れってんだ」
「……お、お前らなぁ」
仮にも仲間である三人からの酷い言われように、ミズキが同情の顔をしながらフォローを入れる。
「で、でも確かに、ライカ先輩の言う通りじゃないですか?
キングに直接聞きに行くってのは、いくらお兄様でも無茶ですよ」
「そうそう、その通り。
いきなり訪ねてきたコーコーセーに、ギャングのリーダーが会うかってんだ。
万が一話が出来たとして、どうするんだよ。
お前の部下が切り裂き魔だから、調べさせろとか言うのか?
ぶっ殺されるぞ、普通に」
フォローに気を良くしたライカが、大げさに頷きながら付け加える。
その口調は、まるで憧れの偉人でも語るかのように興奮気味だった。
黒狼を名乗る集団の平均年齢は、裏社会で暗躍する組織としてはかなり低い。
王様のマガミでさえ二十を僅かに出る程であり、構成員の中には学生も存在するということだ。
そんな若者たちが、数年足らずで複雑な組織抗争を勝ち抜いて頂点に立ったというサクセスストーリーは、まさに生ける伝説としてライカのような好戦的な者たちのあこがれの的となっている。
その頂点であるマガミは、殊更だ。
彼には脅威的な身体能力の他に、他者を圧倒する奇妙なまでのカリスマ性が備わっていた。
故に、街の人間は彼を『王様』、と呼ぶ。
「何か黒狼と繋がりでもあれば、話くらいは聞けそうなんだけど」
ギャングやヤクザ、暴力団など、自分の世界とは相容れない。
そう考えているリクが、うーんと唸りながらアイデアを出す。
が、それに対するハルの答えは、リクらにとって意外なものだった。
「あぁ、そこら辺は大丈夫だ」
「え?」
さらっと答えたハルに、眉を寄せたのはライカだった。
「どういうことだ?」
「王様とは面識があるってこと」
さらに続けられた言葉に、ライカが目を丸くする。
「な、なな、なんでだ!
なんでお前みたいな奴がマガミさんと!
ずりぃっ!」
彼のような人間にとって、マガミはテレビに出てくるアイドルよりもずっと価値のある存在だ。
理不尽に喚くライカに、ハルが少し顔を歪める。
「うるせぇな。以前アイツを手伝っていたことがあるってだけだ」
「はぁ?」
「話すと長くなる。簡単に言うと……ビジネスパートナーとでも言えばいいのかな」
納得いかない顔をしているライカに、簡単な説明を加える。
「そ、それって、お前が黒狼のメンバーってことか?
ギャングなの? ヤンキーなの? お前が!?」
「あー……まぁ説明が面倒だから、とりあえず今はその認識でいい」
「正確に言えば、メンバー『だった』だけどな、俺達」
少し懐かしそうにアキが口を挟む。
「へぁ、俺『達』?」
「ハルと、俺。
もっとも俺はハルに拾われたから、キングの部下じゃないけど」
「……う、嘘だろ?」
事も無げにアキがそう言うが、ライカの頭はさらに混乱をきたす。
片手で頭を抑え、衝撃の事実を整理する。
まさか、こんな身近に黒狼の関係者がいたとは思わなかった。
……いや、違う、そこじゃない。
野生の勘にも似たライカの危機管理能力が、小さくアラームを鳴らしている。
もし彼らの言っていることが本当ならば。
ライカの脳裏には、さっき考えていたよりも、ずっと事の悪い現実が写ってくる。
「ちょ、ちょっと待って。ちょっと待て。
いったん落ち着け。
えっと……お前らは元々黒狼のメンバーで、マガミさんの下にいた。
だけど今は、別のチーム組んで、こういう訳の分からねぇ活動をしてるってことだよな?」
「色々語弊があるが、面倒だからそれで良い」
あくまでマガミとの関係性について、ハルは深く語りたくないようだ。
事実確認の後、ライカは考えを先に進める。
「なるほどオッケー。
そういう理由で、マガミさんと面識があるっていうのは、信じがたいが一応理解した。
……ただちょっと気になるんだが。
お前が黒狼を抜ける理由とか状況とか、そういうのって……」
彼が気になっているのは、そこだ。
今現在黒狼のメンバーであったほうが、まだ良かった。
問題は、彼らが『元』黒狼であること。
なんせ、ハルの性格だ。
相手が誰であろうと、王であろうと神であろうと、彼は彼を突き通すようにしかライカには思えない。
つまり彼ら、特にハルが穏便に黒狼を抜けたとは、どうしても考えられなかった。
ライカがちらりとハルを見ると、再び彼は肩をすくめた。
「俺とマガミは、それぞれ己の目的のために組んだだけ。
で、ちょうど色々片付いた辺りで、ちょっとした事件があってな。
そろそろ潮時だと思ってたから、さよならしようって言ったんだけどね。
俺が優秀すぎて手放したくなかったのか、アイツが『抜けるのは許さない』、とか言うからさぁ。
仕方ないから、『もう互いに利用価値は無い』って言って、アイツの目の前で自分のタトゥーにナイフ突き立てて、それで終わり」
「……えぇー」
「マガミの野郎、それが気に食わなかったのかな。
今じゃ街でエンカウントすると、九割の確率で俺を殺しにかかってくるんだよなぁ。
アイツ、本当うざいわ」
ハルはさらりと、幾つも重大なことを言ってのける。
つまりハルはマガミと単に組んでいただけではなく、黒狼の証であるタトゥーまで持っているようだ。
そして彼の言い分が本当ならば、相当信用を得ていたことになる。
それなのに辞め際、事もあろうにリーダーであるマガミに喧嘩を売って出てきた。
そして今現在、その王様に命を狙われている真っ最中らしい。
ライカが思っていたよりも、割と最悪の部類の現実だった。
「お前それ!
『面識』があるんじゃねぇよ!
『因縁』があるって言うんだよぉお!」
叫ぶようにしてライカが突っ込む。
マガミと知り合いであるというだけでも、ライカにとっては驚愕の事実であるのだ。
それが、よりにもよって、因縁の仲であろうとは思ってもいなかったのだろう。
感動と絶望が、彼に同時に襲いかかる。
「そういう言い方もできる。日本語って難しいな」
「そういう言い方しかできねぇよ!
こういうときばっかり外人ぶってんじゃねぇよ!
つぅかそれ、え?
お前、それ逆に無理じゃね!?
情報もらおうとか、そういう話じゃなくね!?
裏切りモンがノコノコと、なんで殺されに行ってんのって話じゃね!?
ねぇ、大丈夫なの? お前さぁ!」
しれっとしているハルに、矢継ぎ早にライカが問い立てる。
その様子が面白かったのか、僅かにハルがにやりとする。
「なんだよお前、心配してくれてんの?」
「心配だよ!
主にお前の頭ん中とか行動原理とか危機管理とかな!
あと、お前の弟たち、ついてきてねぇよ、もう話についてこれてねぇよ!
見ろよほら、ポカーンとしちゃってるよ!」
見ると確かに、リクとミズキが口を開けて放心している。
ギャングとか裏社会など遠い世界の存在だと思っていたのに。
まさかここに、しかもリクにとって大事な兄が、その仲間となっていたとは。
その様子を見ながら、カイが微笑ましそうに言う。
「リクとミズキは純粋だから」
「そんなレベルじゃねぇって!
なんでお前らはそうやって、方向性がとっ散らかってんだよ!」
どこまでが本気なのか分からない態度に、ライカがカイにも突っ込む。
「あ、兄貴、兄貴がギャング、ギャング……」
まるで地面に投げ出された金魚のように、リクが口をパクパクさせながら呻く。
「しかも『爪持ち』だよー、ハル君」
「ぐぅっ」
『爪持ち』の意味はリクでも知っている。
マガミに信用され、中核とならなければ与えられないタトゥーだ。
カイの言葉に、見えないボディブローでも食らったかのようにリクが再び呻く。
ふとミズキが、「あ、だからあの時、腕を」と呟く。
公園でバイク男に襲われて撃退した後、ハルは彼に腕を捲って見せていた。
その意味が分かったようだ。
バイク男の目に映ったのは、自分を追っていると思ってた黒狼のタトゥー。それも爪付き。
だから怯え、そしてハルの言葉を信じた。
「しっかりしろよ、リク。
昔の話だ。
俺はアイツを利用しただけ、アイツも俺を利用しただけ。
ビジネスライクなお付き合いだ。
……ちょっと拗れたけど」
「その『ちょっと』で、九割方殺されそうになってるわけですが……」
とんでもない人だとは思っていたが、まさかここまでとは思わなかったようだ。
ハルの情報で脳みそにノックアウトを食らったミズキが、力なく呟く。
ミズキもライカと同様に、こんな状況下でマガミから情報を貰うなんて無理だと思っているようだ。
しかし、ハルは先程と同じように、平然とした態度で細い人差し指を横に振って見せる。
「安心しろよ。
街中で会うとほぼ確実に襲われるが、アイツの根城ならその割合が七割くらいに減少する。
よって、今回は城まで出かけて行って、マガミに話を聞こうと思います」
「お兄様、それでも七割方殺されてますよ。
っていうか、保身に走って大変申し訳ないんですが、俺らの身は安全なのでしょうか。
巻き込まれたら、一瞬で死ぬ自信があるんですけど」
一体どこに安心できる要素があるのだろうかと、さらにミズキが力なく言う。
「あぁ、それなら大丈夫。
アイツ、俺が出て行ったのが気に食わないから、殺してでも連れ帰りたいってだけだからね。
家族や仲間に手を出さないっつぅか、興味ないよ。
俺に対してだって、いつも殺す気満々なわけじゃない。
その気がなけりゃ、家に来て飯食ってたりするしね。
アイツなりのルールの範囲で、殺されそうになってるだけ」
「……俺にはお兄様の方が大物に見えるんですが。
とりあえず、俺らが安全なのは分かりましたけど、やっぱり情報を聞き出すのは難しいってことですよね?」
異星人とやり取りしている気持ちになってきたミズキが問うと、ハルは案外気楽に答えてみせる。
「どう転んでも、マイナスやタダにはならないように手は打っておくさ」
兄はこともなげにそう言うが、それがどれだけ危険なことか。
裏社会などか関わりがないし、関わりたくもないリクにだって分かる。
「で、でも! ギャングだろ? 黒狼だろ?
本当に大丈夫なのかよ」
「現代日本のご時世に、ギャングとか言っちゃってる奴らだぜ。
大丈夫なわけねぇだろ。
脳ミソが蒸し風呂にでもなってるんじゃねぇの?」
なぜヤクザじゃないんだろうなぁ。せっかくの日本文化なのに、勿体ない。
と、ハルは的外れな疑問を呈している。
意を得ない兄の答えに、リクがぶんぶんと首を振る。
「そうだけどそうじゃなくて!
そんなところに行って、兄貴が大丈夫なのかってことだよ!」
「むしろ俺以外であのクソキングから情報取ってきて、且つ生きて帰れる奴なんていないだろ」
「じゃ、じゃあだったら! だったら俺も行く!」
ガタンと椅子から立ち上がってリクが言うが、ハルは一瞥して
「馬鹿言うな。危険なことはするなと言ったばかりだろうが」
ひやりとするような声で、そう言うだけだった。
「でもっ!」
「自分の身もロクに守れねぇのに、抜かしてんじゃねぇ。
いいからお前は大人しくゲームをクリアすることだけを考えていろ」
「……うぅぅ」
取り付く島もない。
兄弟の関係は修復できても、当然ながら前の通りとはいかないようだ。
リクには未だ、兄との距離感を感じざるを得なかった。
「マガミのことは、俺に任せておけ。
さっきも言ったように、お前らはゲームクリアを目指せ、いいな。
ネイビスの問題配信時間を考えると、『Luis』には今日中に第八問目が送られてくるはずだ。
リクは問題がきたらカイの方に転送してくれ。
カイは問題を解くことに専念して、リクとミズキは……いいか、くれぐれも、目立つことはするな。
普段通りの行動を心がけろ」
ハルが直近の方針を短く指示する。
彼の言う通り、リクにできることはそれしかない。
王に挑もうとする兄に対して、自分がどれほど矮小か、リクは実感せずにはいられなかった。
だが焦って行動したら、廃工場での出来事の二の舞だ。
それが分かっているからこそ、リクは歯がゆかった。
「それじゃ、解散」
リクの思考をよそに、ハルが手を軽く打って会議を締めくくる。
未だ信じられないという顔や、納得の行かない顔を残したまま、本日のガレージ会議は解散となった。




