4-7
あぁ。
また、ここだ。
幼いリクは物置の中にいた。
外から一枚隔てた、白く薄い鉄の扉の内側。
四年前の、あの事件の日。
扉にそっと手を触れて、軽く横に引いてみようとする。
しかしそれは彼が思っていた以上に重く、気味が悪いくらい冷たかった。
だがそれを振り払うように一度拳を強く握り、そして再度扉に触れる。
ただ横に引くだけ。
それだけで、この扉は開くのに。
リクは一気に力を込める。
しかし扉は微動だにしなかった。
もう一度、今度はもっと強く。
しかし結果は一緒だった。
叩けば簡単に揺れる程度の厚みしかない扉が、まるで外からコンクリートを流し込まれたように、少しも動かなかった。
「どうして」
焦燥感がリクを襲う。
早く出たかった。
ここから出て行かなければならなかった。
焦る気持ちを、小さな手に込める。
「なんで開かないんだよ!」
泣きそうな気持ちになる。
顔を歪ませながら、リクは必死で扉を開こうと力を込める。
その時だった。
「開けちゃ、だめだよ」
「……え?」
扉の向こうから、誰かの声がリクに語りかける。
優しく柔らかい声だった。
柔らかく、だけどしっかりと芯を持つ声。
「でも、僕は外に出なくちゃいけないんだ」
リクはその声に答える。
「どうして?」
外からの声は、優しくリクに問う。
問われたリクは、少し困ったように眉をひそめる。
焦れた想いを鎮めるように、ぎゅっと右手で服の上から胸を抑える。
「だって……。
だって、ここにいたら、何も思い出せないんだ」
「思い出す? なにを思い出すの?」
温かい声は、リクの焦燥感を削ぐように、じんわりと体の中に染みこんでいく。
「事件の、こと。
あの日何があったか、思い出さなきゃ」
これは、あの事件の記憶。
失ってしまった、大切な記憶。
そして、兄とのつながりを絶ってしまった原因。
四年間、ずっと探していたものだ。
ずっと探していたはず、なのに。
そう言いながら、リクはどこかで疑問を感じていた。
本当に思い出さなければならないのだろうか。
胸に染み込んだ温かさが、先程までの義務感にも似た衝動を包み込む。
「そんなこと、しなくていいんだよ」
外からの声は言う。
そうかもしれない、とリクは思う。
心の棘が、さらりさらりと溶けていくような感触。
心地良い声は、催眠術のようにリクの頭の中で優しく響く。
「ずっと、この物置にいたんだよね?」
「……そう、僕はずっとこの物置にいた」
何度も頭の中で繰り返された言葉を口に出す。
そう、そのはずだ。
物置の中にいたのだ。
だから、事件の後も、そう答えた。
『ずっと物置の中にいた』と。
嘘なんかじゃない。
『ずっと物置の中にいた』、だから『僕は何も知らない』。
そうだ、これで良い。
リクはほっとした気持ちで、また物置の中に座り込もうとする。
白く薄い鉄の扉を前に、細かい砂がざらつくコンクリートの床にしゃがみ込む。
だが。
その床を見てはっと目を開く。
そこには、赤い数滴の血痕が散らばっていた。
「っ!」
右の目の上に鋭い痛みが走る。
反射的に右目を抑える。
床に散らばる血は、周りを侵食するように広がる。
違う。
だってずっと物置にいたなら、なぜ自分は外で発見された?
なぜ目を怪我した?
どこで?
誰が?
どうして?
そのすべての答えを、リクは知っている。
なぜなら、『自分は、ここにはいなかった』のだから。
雨の音が、辺りを包む。
この心地よさに、ずっと浸っていたかった。
それがきっと一番良い選択なのかもしれない。
幼かった頃のリクには。
だけど、今は。
リクが体ごと扉に飛びつく。
ぬるま湯のような幸福感を捨ててでも、この扉を開けなければならない。
「開けて! 開けてよ!」
外にいる声に向かって叫ぶ。
「どうして?」
外の声は、先ほどと同じ調子で優しく問う。
「思い出さなきゃいけないんだ!」
両の拳を、動かない鉄の扉に叩きつける。
先程以上の焦燥感が、リクを突き動かす。
「だめだよ、ここにいなきゃ。
約束、したよね?」
僅かに悲しみを込めた声が、リクを宥める。
胸が傷んだ。
外にいる声は、リクのことを本当に想っているのだろう。
だからこれほどまで暖かく心地よい。
だがリクはそれを振り払うように首を振った。
「嫌だ、僕は行くんだ!
だって外には……っ!」
ガタン。
岩のように動かなかった扉が、わずかに揺れる。
迷いはあった。
ここから出たら、自分は自分ではなくなるかもしれない。
全てを思い出すことで、何かが壊れて変わってしまうかもしれない。
外の声も、それを心配しているのだろうか。
だが。
それでもリクは外に出たかった。
出なければならなかった。
―――ここにいるんだ。
―――出てきちゃだめだよ。
―――大丈夫。
―――兄ちゃんが、守るから。
―――お前だけは、絶対に守るから。
―――すぐに、戻ってくるから、それまで開けちゃだめだよ。
この扉は、そうやって閉じられた。
だけど、兄は戻ってこなかった。
だから。
「兄ちゃんのところに、行かなきゃいけないんだ!」
ガタン。
扉の端が僅かに隙間を開ける。
そこから、真っ白な光が飛び込んだ。




