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 ガレージ内は車が四、五台は入るであろう、かなり広い造りになっていた。

 元は車を整備するための施設だったためか、天井からは今でもそのための器具がぶら下がっている。

 しかしガレージ下部にはそれらしい面影はほとんどなく、なぜか冷蔵庫やコンロや流し台、本棚にデスクと数台のコンピュータ、いくつかのソファ、さらには畳とちゃぶ台の空間といったものが、むき出しのコンクリートの上に自由気ままに設置された、なんとも絶妙な生活味溢れる空間と化していた。


 ハルはその中でも一番奥に置かれていた、ガレージ内で最も高価であると見るからに分かる、柔らかそうな二人掛けの黒革ソファに、身を投げるようにして真ん中にぼすんと座る。

 そのままアキがいる方の肘掛けに身を預けるようにして半分うつ伏せで身を落ち着けると、アキの手元で互いを威嚇する二匹の猫に目をやる。


「そっくりだな、お前ら兄弟に」

「えーそうかな?」


 三毛猫のアン、白黒のアルを複雑そうな顔でアキが見下ろす。


「ほら、飯は終わり。行け」


 アキが手を離すと二匹の猫は、やはり互いに睨みをきかせながら、ガレージの思い思いの場所に身を潜ませた。

 それを見とどけると、アキはそばにある家とガレージを繋ぐドアに背を預けて、やれやれと言わんばかりにため息をつく。


「昨日は突然悪かったな。雨も降ってたのに」


 肘掛けに寄りかかったハルが言うと、アキは少しだけ肩をすくめる。


「別にいいよ、家と同じ方向だったし。しかもつまんないほど平和な結果だったもん」

「そう」


 短くハルが答える。


 昨日リクが帰ったあとに、帰宅途中のアキに電話を入れ、リクを家までつけさせていたのだ。

 勿論、リクには何も言っていない。

 愛想のない態度には慣れているのか、アキは気にもせずに思い出し笑いをしながら続ける。


「にしても弟くん、目立つね。後をつけるのに全然苦労しなかったよ」

「真っ白の頭引っさげて、アホみたいなテンション振りまくお前も、充分目立つと思うけど」

「あ、アホじゃないし! ……ないよな?」


 オブラートに包みもせず淀みなく言い放つハルに、自信無さげにアキが言う。


「ま、無事ならいい。今後もあの馬鹿と、あとミズキってやつを監視しなきゃな」

「クリスの『目』じゃ駄目なのか?」

「監視の方はクリスに任せられるが、いざとなったら動ける奴が欲しいんだ。

 一人だったらお前に任せておけばいいんだが、二人となるとな。それにどうせなら陽光内で……」


 ふと、ハルが言葉を切ってアキの方を見る。


「ん?」


 その視線の意味がわからず、訝しげな表情を浮かべる彼に、ハルがその背後のドアを指さす。


「多分、危ないぞお前」

「は? ……あだっ!!」


 ゴッ! と硬いドアと、割りと硬いアキの後頭部が良い音を立てる。そして、


「……ハル君っ!」


 勢いよく内側に開いたドアから姿を表したのは、アキよりもかなり身長が高い黒いシャツを着て、深紅の宝石付きのループタイを巻いた少年だった。

 彼の腰元には実弟であるアキのものと似た警棒が下がっているが、こちらはスタンガン、懐中電灯、充電器、その他諸々随時彼の手によって改造されるハイテク機器だ。

 癖のあるの長めの茶色い髪の毛を無造作に後ろで括りつけ、前髪は左側で赤いピンで止め、右側は長い前髪でほとんど隠れてしまっている。

 普段は眠そうな眼をしたローテンションの彼が、今は僅かに頬を紅潮させているのを見て、よほど何か良いことがあったのだろうとハルが推測する。


「できたできた、できたっ!」

「新種のウィルスか?」


 少年は若干身を引いたハルに被さるように顔を寄せ、鼻先に小指ほどの小型メモリを得意げに摘んでみせる。

 言葉の少ない友人の様子から、ハルが推測したことを言葉にすると、少年は正解だとばかりに二、三度頷く。


「命名、整形ラクダウィルス」

「……まぁた、反応に困るモンを創出しやがって」

「顔認識ソフトの原理を応用してコンピュータ内の画像ファイルを検出し、人間の顔を認識したら、その顔をラクダに置き換える優れもの!」

「お前ラクダ好きだっけ?」

「全く全然興味ない。ただ、俺の中の何かがピキューンってなったのだ」


 静かに興奮した様子で説明しながら、彼はメモリを愛おしそうに人差し指の先で撫でる。

 メモリを挟んで二センチ先では、ハルが僅かに眉間にシワを寄せている。


「俺はできるだけ多くの顔認識ソフトの仕様を集めてほしい、という旨の依頼をしたはずだったんだけど……まぁいいや。それは一体どこで使うんだよ」

「俺のコンピュータに侵入しようとする輩をダミーにおびき寄せて感染させる。

 次の瞬間から、奴らの思い出はすべてラクダと化す!」


 胸の前で握りこぶしを作りながら、彼は解説を続ける。


「お前のそういう、クソ以下レベルのどうでもいいところに情熱を注ぐところは、割りと好きだぜ、カイ」

「ふふ。やっぱり俺を理解できるのは、ハル君だけだ」


 見て取れないほどの微細な苦々しい表情を浮かべたハルの眼前で、カイが得意げに笑う。


「そりゃいいけどさ。

 お前の後ろで毎秒三人くらい眼力で殺しそうな目をしてる弟のことも、少しは理解してやってくれよ?」


 ハルが指さした先には、瞳孔を開いて実兄に殺気を飛ばすアキがいた。

 先程までの親しみやすい表情は消え、つり上がった目が威嚇するようにカイを睨めつける。

 かつての白獅子と呼ばれていた人格と、現在の人懐っこい人格の臨界点は、実は限りなく低い。


「いたのか、人間凶器」

「脳ミソ凶器の奴に言われたくねぇんだよ!」


 顔から笑みを消したカイと、こめかみに青筋を立てたアキが睨み合う。


「一言ぐらい謝りやがれクソオタク!」

「黙れ愚弟。頭の一つや二つダメにしても、どうということはない」

「一つしかねぇよ俺の頭は! どうってことあるんだよ!」

「その一つは元々ダメだ。今更ダメになったところで、腐った豆腐に納豆投げつけるようなものだろ」

「意味分かんねぇけど喧嘩売られたのは分かってんぞてめぇ!」


 やっぱり似てるじゃないか。

 ギャンギャンと売り言葉に買い言葉でヒートアップする兄弟げんかを横目に、ハルが頬杖をつきながら、物陰に潜む二匹の猫の姿を思い出す。


「ハル君、役立たずは放置して作戦会議しよう」


 たっぷり三分、ハルがあくびをかみ殺している頃だった。

 未だにハルの膝に座っているカイが話を振る。


「誰が役立たずだ!」

「口挟むな愚弟。時間の無駄」

「ぐぬ……ハ、ハル!」


 完全にカイにペースを飲まれたアキが、ハルにフォローを求めるが、彼は既にそちらには興味が無いようで、パーカーのポケットから出した携帯電話を耳に当てている。


「クリスか。今から始めるから、ちゃんとカメラをつないでおけよ。

 スピーカーもつなげておくぞ」

「ハルっ!?」


 肩透かしを食らったアキをニヤリとカイが笑う。

 了解しました、ハル様。という鈴の音のような声が聞こえ終わるとともに通話を終わらせると、呆れた顔でハルがため息をつく。


「そういうの、ルリちゃんの前ではやめとけよ、お前ら」


 携帯電話を順番に向けられながらハルに言われ、カイとアキの兄弟は、純粋で兄想いの少女を思い出して僅かにバツの悪そうな顔をする。

 子は鎹、というが、彼ら兄弟にとっての鎹は妹のルリらしい。


「ほれ、ちゃっちゃと作戦会議に移るぞ」


 寝そべったままハルがクッションに下に埋もれたのリモコンに指を這わせると、クレーンのような機械音とともに、ソファの前に大型のスクリーンが降りている。

 睨みつけるアキの視線を受け流しながら、カイは邪魔にならない位置に立てて置かている錆びついたドラム缶の傍まで行く。

 その上にドラム缶とはまるでそぐわない最新型の薄いノート型コンピュータを設置して起動させ、画面の映像をスクリーンに映し出す。

 アキはどこからかホワイトボードを引っ張りだしてスクリーンの横に設置すると、横に倒したドラム缶の上に身軽に座る。

 ハルがそれを見て、傍らにあった小型のスピーカーのスイッチを人差し指で弾くようにして電源を入れ、ソファの背もたれにちょこんと座った白いウサギのぬいぐるみに視線を向ける。

 よく見なければ分からないが、右目の部分が透明なレンズとなっており、そこからリアルタイムでクリスの元へと繋がるようになっていた。

 白兎の傍らには、白・黒・三毛の三匹の猫と、おどけた顔をした狐のぬいぐるみが所狭しと並んでいた。


「聞こえるか、クリス」

「えぇ。『目』の方も感度良好ですわ、ハル様」


 涼し気な声がスピーカーから聞こえる。

 それを聞いて僅かに頷くと、ハルがガレージ全体を見やるように伏せがちの目を上げた。

 そうすると不思議なもので、場違いな高級感溢れるソファを相応とさせるほどの威厳や貫禄という類の雰囲気を、ハルは途端に纏わせる。


「さて、それじゃ」


 小さな権威者は背もたれによりかかり、パーカーの袖に隠れた指を、胸の前で軽く組む。

 二人プラス一ぬいぐるみの視線がハルに集まる。


「始めるか」

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