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act11 マタ、パンとチーズ

 台車は荷の重みでギシギシと悲鳴を上げている。木製の車輪は土に線を引きながらごろごろと転がる。

 フェリシティは深くかぶったフードが外れないように気を使いながら、荷台から前に伸びるロの字の枠を握りしめて押し続ける。

 やがて一軒の家の前に止まった。枠から抜け出て錆びた鉄扉をノックすると、中年の女性が籠を脇に抱えて姿を現した。

「”オリベイラの野菜”です。ご注文の品をお届けにあがりました」

 荷台にかかった布をはぐると、大量の野菜が現れた。乾燥地だけに瑞々しいとは言えないが、貴重な食物繊維だった。そのいくつかを女性から預かった籠に入れていく。

「ちょっとお待ち」

 女性が籠に入ったポテトを掴んだ。

「これ、腐ってるじゃないか」

 でこぼことしたポテトは、確かに底が黒く変色していた。フェリシティはため息をついた。

「もちろん安くするわよね? じゃなきゃ買わないよ!」

 そう言われては、断ることは出来なかった。結局、半分の金額で承諾した。マリサから預かった財布にお金をしまい、再び台車の枠を掴んだ。 

 全体重を前へと傾けた。木の車輪は地面の些細な凹凸にひっかかり、なかなか動き出さない。さらに力を加えた。ブーツが土の上を滑り、やがて摩擦を捉えた。ぎぃ、と軋む音とともに台車が動き出す。

 大通りを外れたドリスの町は路地が複雑で頻繁に方向転換をしなければならなかった。だが、動きを止めれば再び動き出すまでに時間がかかってしまう。慎重に、だが立ち止まらずに、フェリシティは枠を押し続けた。

 前でたむろする若者がこちらを見て迷惑そうに脇へ避けた。

「みろ。亡霊(ゴースト)が行くぜ」

 すれ違いざまに投げかけられたからかいに、腹は立たなかった。

 あの契約からたったの二週間でフェリシティの風貌が変わり果てていた。医療用分子剤はとっくに切れていて、両手のひらは豆が潰れてその上から皮が自然再生するために節くれだっている。シルクのように滑らかだった髪は、乾燥に負けてばさばさと毛羽立ち手櫛すら通りにくくなっている。その上、フェリシティはマリサの命令で家以外の場所ではローブとフードを外さなかった。目から下には薄手の青い布を巻いていて、マリサとサミール以外にほとんど素顔を見せていない。その姿を亡霊と呼ぶのなら、間違いではないと思う。

 マリサはあれからフェリシティに仕事を与えた。わざわざ野菜の出張販売をはじめたのだ。

 悪いことに好評らしく、注文は一日に一〇件を超える。

 広い街ではないし、他にも青果店は存在することから訪問の範囲は限られてはいたが、それでも荷台が空になる頃には太陽は登り切っていた。

 軽くなった台車をがらがらと引っ張って店に戻ると、マリサが軒先に積まれた野菜や果物の奥で茶を飲んでいた。サミールがテーブルの食器を片付けている。

「遅いじゃないかい。ほんとに愚図だねあんたは。とんでもない怠け者と契約しちまったよわたしゃ」

 マリサ罵りながらフェリシティから財布と受け取る。机の上に金をばらまき、ひいふうと数えながら財布に戻していく。最後の一ドルコインを手に取り、盛大なため息をついた。

「足りないね。なんでだい?」

 高圧的な言い方に腹がたった。そんなことはわかっているはずだ。だが、フェリシティは逆らわずに説明した。

「ポテトが二つ、メイズが二袋傷んでました。その分値引きを……」

「勝手なことをするんじゃないよ!」

 マリサが机を叩いた。

「あんたはこの店の主人かい? 値段を決められる立場なのかい!」

「ですが……、安くしなければ買わないと言われて」

「言われれば安くするって? 馬鹿なことを言うんじゃないよ! わたしゃそんなこと認めないね。客がなんと言っても、決められた値段で売るのがわたしの仕事だ。お前はそのわたしの代わりなんだ。次同じことをしたら承知しないからね!」

 ならば、自分で売ればいい。喉まで抗議の声が上がったが、口を真一文字に結んで耐えた。

「昼飯は抜きだよ。わかっているね」

 素直に頷いた。財布を渡す前から諦めていたことだ。

「水汲みをしな。風呂も釜もいっぱいにするんだよ。馬鹿は色気なんて出さずに働いていればいいんだ」

 ぐるぐると鳴る腹を押さえて家に戻った。中庭の畑に隠れて井戸がある。

 ローブを脱いで物干し竿にかけた。男物の服が汗で肌に張り付いている。

 腕まくりをして手押しポンプのレバーを何度か押すと、吐出口から水が放出され、設置してある桶に溜まっていく。

 二〇キロはあるであろう桶を担いで、台所の釜へと移していく。六度ほど往復したところで釜はいっぱいになった。

 次に、風呂場へと桶を運ぶ。空腹で目がまわり、何度も水をこぼした。湯船は釜より大きい。ようやく満杯にするころには手の間隔はなくなっていた。

 井戸の側へ桶を放り出し、建物の影に座り込んだ。汗がだらだらと流れている。達成感はない。どれだけ頑張って水を運んでも、マリサが嬉々として浪費するだけなのだから。

 ――こんなことをいつまで続けなきゃいけないの……?

 マリサの嫌がらせとも思える仕事の指示は、日を追うごとに増えていく。その上ろくに食事もとらせてもらえない。早晩倒れるのは目に見えていた。この二週間、フェリシティの尊厳は徹底的に破壊されていた。

 なじられ、罵られ、自分がいかに無能であるかを説いて聞かされた。気が狂いそうになった。

 例え重労働でも、いまのように一人で作業するほうがよっほど楽だった。

 逃げてしまおうか。何度もそう思った。だが、契約破りは重大な犯罪らしかった。市内に居る限り、かならず逮捕される。市街に逃げたとしても、そこに広がるのは人を拒絶する厳しい世界。フェリシティが生きられるわけがなかった。

「ルーク……」

 何度この名前を呼んだかわからない。だが答えはなかった。

 汗が冷え始めたため、上着を脱いで絞った。滴り落ちた汗が地面に広がっていく。下着は元々つけていたもので、汗を放出する仕組みになっている。洗濯は必要だが、すぐに乾いてくれるために毎日つけていられた。

 突然すぐ側の扉が開いてサミールが顔を出した。フェリシティの格好をみて、慌てて扉の奥に引っ込んだ。

 子供に見られてもそれほど恥ずかしくはない。フェリシティは苦笑して上着を着ると、改めてサミールを呼んだ。

 少年は相変わらず不機嫌だった。だが、ばつが悪そうに視線を逸らしている仕草は歳相応にかわいいと思った。長い髪を後ろで束ねている。切ってあげたいと思うが、なかなかゆっくり話しをする機会がない。

「オババが、あんたを呼んでこいって」

 タイミングの良さにフェリシティはため息をついた。その目の前に、リンゴが差し出された。この地域ではマタと呼ばれている。

「……なに?」

 問うと、サミールは手に持ったマタを投げてよこした。

「腹、減ってるだろ。その……、余ったから」

 フェリシティは苦笑した。ただでさえ少ない自分たちの食事が余るわけがない。下手な言い訳だが、心底嬉しかった。

「ありがとう」

 心からそういうと、サミールは「じゃぁ」 とだけ言って去っていった。

 マタは果汁が少ない。だが、とても甘く感じた。



 道に大口を開ける店には絶えず土埃が溜まる。なんど掃除しても翌日には同じことだ。だが、それはマリサにとって都合が良かったらしい。フェリシティは野菜のひとつひとつを羽ぼうきで掃き清め、木の台に雑巾をかけていく。途方もない作業だった。終わりなどない作業だった。

「今日は全部やるんだよ」

 曖昧なマリサの言葉に頭を傾げた。

「全部とは……、具体的にどこまでですか?」

「全部と言ったら全部だよ。馬鹿だねあんたは。この店にあるものを壁からなにまで全部きれいにするんだ」

「そんな……」 フェリシティは信じられない思いでいった。「夜までに終わりません」

「昼過ぎにブロマンジュの旦那が来たよ。知っているだろう?」

 マリサは突然話題をかえた。ブロマンジュといえばこの地域では有名は靴屋で、若くして妻を亡くしたらしく、よく一人で野菜を買いに来る。四〇ぐらいだろうか、いつもニコニコと笑っているのが印象的だった。

「ブロマンジュさんがどうかしたんですか?」

「お前のことを熱心に聞いてきたよ」

 マリサは苦々しく苛立っている様子だった。

「歳はいくつか、恋人はいるのか、いつごろ店にいるのか。お前、フードを取っただろう?」

 フェリシティは思い出した。

「前に、わたしがなにかの病気なんじゃないかと疑いになられて……。もし病気ならここでは買えないと……」

 そして少しだけフードを外した。それがマリサは気に入らなかったらしい。

「そうやって男に取り入るのかい! たぶらかして助けて貰おうって魂胆だろう? 売女根性も甚だしいね。これだから若い女は信用ならないんだ」

 とんでもない誤解だと思った。ブロマンジュは良い人だが、欠片も恋愛対象としては見れない。それに、男をたぶらかす方法などなにも知らなかった。

 だが、マリサはそうに違いないと決めつけていた。こうなるとなにを言っても無駄なのは身にしみている。

「今後、なにがあってもフードを外すんじゃないよ! ブロマンジュの旦那が来たら家に戻るんだ! わかったね!」

 諦観に肩を落としながら頷いた。

 結局、日が沈むまでに仕事は終わらなかった。夜の帳が下りてなにも見えなくなり、フェリシティは雑巾を水の入った桶に投げ入れた。

 月明かりを頼りに家に戻ると、夕食はとっくに終わっていた。風呂の水は抜かれていた。井戸で水を浴びて体を清めた。

 ドリスの夜は寒い。冷えた体を震わしながら部屋に戻った。最初にあてがわれた部屋とは違う。広さは大して変わらないが、ところどころ壁のモルタルが剥げ落ちて積み上げられた煉瓦が姿を晒している。

 窓はガラスがなく、月明かりと冷気が部屋に入ってきている。

 木製の二段ベッドが備え付けてあり、フェリシティは一段目に潜り込んだ。ベッドは狭く、足を曲げて寝なければいけなかった。

 穴の空いたシーツをかぶった所で、二段目から手が伸びてなにかが投げ込まれた。

 こぶし大のパンと、チーズの欠片だった。

「あ、ありがとう」

 心底から礼を言うと、夢中で食べた。腹を満たすには全く足りないが、空腹の痛みは消えた。

「ねえ」

 フェリシティは下から声をかけた。上でわずかに動く気配はするが、返事はない。

「サミールくん。少し話さない?」

 そういうと、しばらくの沈黙ののちに返事がきた。

「なにを?」

 そう言われると困った。特になにか目的があるわけじゃなく、ただ話したいだけだった。

「なんでもいいからさ……。話しようよ。わたしは最近、お客の文句とオババの説教しか聞いてなくって」

 正直にいった。上でもぞもぞと動く気配がした。ベッドの縁からサミールが顔を出し、こちらを見下ろしていった。

「おれをうらんでないの?」

「え?」

 フェリシティは驚きの声をあげた。サミールは歯切れ悪くいった。

「おれ、あんたを騙したんだぜ。オババが企んでいること、教えなかった。隠れて、ずっと見張ってた」

「でも、すすんで騙した訳じゃない」

「騙したことには変わらないだろ。おれ、ずっと恨まれてると思った」

 その言葉で、フェリシティはようやく気がついた。少年のよそよそしい態度は、罪悪感からだったのだ。

「恨んでないかないよ。最初からそんなこと思わなかった。だって、仕方ないじゃない」

 サミールは不思議そうにこちらを見下ろしていた。しばらくなにかを考えこんだあと、少し笑った。はじめてみる笑顔だった。

「あんた馬鹿だな」

 侮蔑の意図はなく、感想を呟いただけのようだった。フェリシティは思わず苦笑する。

「わたしもそう思う」

 この二週間ほど、自分の無力さと愚かさを思い知る日はなかった。星系連合職員という自負は砕け散り、自分がかつて文明社会の一員であったことでさえ今はもう星の彼方だった。

「こういうことってよくあるの?」

「なにが?」

「わたしみたいに騙されて働く人間」

「いないよ」 サミールはきっぱりと答えた。「オババは旅人をみかけるたびに騙そうとしてたけど、あんな手に引っかかるやつは居ないって思ってたよ。あんたが現れるまでは」

「そ、そんなに……?」

 やはり少しショックだった。

 フェリシティは頭の良さには自信があった。星系連合体の採用試験を突破したのは伊達ではなかった。だが、それは所詮机の上での話だったのだ。安全な箱のなかでこそ優秀だが、一度危機やプレッシャーに晒されるとまるで役立たずだった。

 自分が、いかに優しい世界で生きてきたかを思い知った。

「ねぇ、サミールくん」

「なに?」

「サミールくんはずっとここで働くの?」

「馬鹿言うなよ」 少し声が荒くなった。「こんな家畜みたいな暮らし、いつまでもするわけないだろ」

「……うん、そうだよね」

 フェリシティは少し安心した。少年は希望を失っていない。それがなぜか心強く感じられた。

「でも、どうしたらいいんだろう。サミールくんも契約を結んでいるんだよね」

「うん……。たぶんあんたのと同じだよ。でも、それはおれが子供だったからだ。選びようがなかった」

 今でも十分子供だと思ったが、男の子なりの尊厳を傷つける必要はない。話題を変えることにした。

「どうにか出来ないかな」

「出来るならもうしてる」

 言わずもがなというやつだった。だが、サミールは続けていった。

「でも、考えてる。なんか方法はないかって」

「思いついた?」

「いくつかは。でも無理なんだ」

「なんで?」

 そこで沈黙が訪れた。もう一度聞こうとしたら、返事が来た。

「そのうち教えてやるよ。今はダメだ」

 どういう意味かは分からなかったが、フェリシティは「うん」と従った。サミールは顔を引っ込めていった。

「明日は早いからおれはもう寝る。あんたも早く寝たほうがいい」

「うん。でも……」

 ずっと気にかかっていたことがあった。いまなら言えると思った。

「あんたって呼ばれるの嫌だな。なんか、寂しく感じる」

「じゃあなんて呼べばいいんだ」

「好きに呼んでいいよ。フェリシティでも。……友達はフェリとかだったな」

 五年以上会っていない友人の顔を思い浮かべた。かれらは今、フェリシティより五年ほど歳をとっているだろう。もしかしたら結婚している人も居るかも知れない。子供を抱いて、公園をのどかに散歩しているかも知れない。ミーシャは三〇歳まで独身を貫くと言っていた。会社を立ち上げて荒稼ぎするんだと息巻いていた。成功しただろうか。失敗しただろうか。

 どちらにしろ、フェリシティより悪い暮らしをしているとは思えなかった。

「姉ちゃん」

 ふいに、上からつぶやきが漏れた。考え事をしていたフェリシティは一瞬気付くのが遅れたが、それがサミールの選んだ呼び名だとわかった。

 姉ちゃん。一人っ子だったフェリシティはそう呼ばれたことがなかった。悪い気はしなかった。

「うん」

 そう返事をすると、上で木の軋む音がした。寝返りを打ったらしかった。

「おやすみ、姉ちゃん」

 ぎこちない言い方だった。フェリシティは口元を抑えながらくすくすと笑って、挨拶を返した。

「おやすみ、サミールくん」

 上から腹の鳴る音が聞こえた。体は冷えていたが、温かい気持ちに包まれてフェリシティは眠った。

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