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宮廷の筆跡~一筆の奏でる宮廷謎解き録~  作者: 鑫鑫
第1章 偽筆の影と真実の光

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第2話 予兆

「皆様、筆を止め、しばし耳を傾けてくだされ」


突然、主催者である鎮安侯(ちんあんこう)――静蘭(せいらん)の父親の声が響き、にぎやかだった庭園が水を打ったように静まり返った。


「本日の詩会にあたり、我が邸にまことに畏(かしこ)き賓客(ひんきゃく)をお迎えすることができた。

皆様ご承知の通り、光真帝(こうしんてい)の系譜を引く、慈愛深き長楽(ちょうらく)公主殿下であらせられる。

本日は特別に、我々が紡ぐ雅な集いへ、その身を運んでくださった」


侯爵の言葉に合わせて、一斉に平伏する貴族たち。


「公主殿下、どうぞ皆の前へお進みください」


挿絵(By みてみん)


その間を通り抜けるようにして、一人の若きお姫様が現れた。

肩を覆う半臂(はんぴ)には星屑(ほしくず)を散りばめたような細工がなされ、気品と可憐さを同時に引き立てている。

胸元を彩る牡丹の花を思わせる、鮮烈な真紅と漆黒の対比が目を引く豪奢(ごうしゃ)な大袖の衣装を纏っている。贅沢な金糸で大輪の花々が刺繍された襟元は、公主の毅然とした美しい首筋をいっそう際立たせていた。牡丹の文様は、熟練の職人がひと針ひと針縫い上げた金糸。歩くたびに微かな光を放ち、その神々しさに誰もが息を呑む。

艶やかな黒髪は高く結い上げられ、顔立ちの美しさを際立たせている。眉間を飾る花鈿(かでん)は、希少なカワセミの羽と純金を重ねた鳳凰の紋様。吸い込まれるような青緑の色彩が、彼女の冷徹なまでの美貌をいっそう引き立て、まるで春の女神が舞い降りたかのような艶やかさだ。


宮廷の中で、若くして強い発言力を持っている公主。今日は侯爵からの度重なる熱心な招きに応じる形で、この場に足を運んでいた。


「本日は美しい詩歌の数々、誠に楽しませていただきました。侯爵が催されるこの宴(うたげ)は、いつも東風(こち)の如く心地よろしゅうございますね。皆さまの紡ぐ言葉には、宮廷の庭園に咲く花々よりも鮮やかな情景が浮かびます。引き続き、素晴らしいひとときをご一緒させていただけますと幸いです」


鈴が転がるような美しい声で皆に挨拶を済ませた公主は、そのまま、人だかりができていた文机へと歩み寄った。

そこにあったのは、先ほど静蘭(せいらん)とライバルの彩霞(さいか)が完成させた、あの詩と書が重なった一枚の紙だ。

公主はその作品を、しばらく静かに見つめていた。

その横顔を隣でじっと見守る静蘭(せいらん)の胸に、小さな緊張が走る。


やがて公主は、優しく、けれどどこか寂しさを含んだ声で語りかけた。


「……見事なものですね。清雅帝(せいがてい)がまだ健やかであられた頃も、こうして若い才ある者たちが、美しい言葉の花を咲かせていたと聞き及んでいます」


公主の瞳に、ふっと冷たい影がよぎった。

柔らかな微笑みをたたえた唇とは裏腹に、その瞳の奥からだけ、すっと温もりが消え去っていく。まるで春の日差しを一切跳ね返す、底知れない深淵のような冷たさだった。


「けれど……その美しさへの想いが行き過ぎてしまったことが、今のこの宮廷を引き裂く、争いの種になってしまいました。美しいものは、時として、毒にもなるのですね」


ハッとして、静蘭(せいらん)と彩霞(さいか)は思わず顔を上げた。


公主はそんな二人の様子を見て微笑みながら、そっと二人の手を引き寄せ、重ね合わせた。重なった彩霞(さいか)の指先は、驚くほど冷たく、けれどかすかに震えていた。


「あなたたちの筆が、この国を照らす光になるのか。それとも、かつてのように、この国を惑わせる引き金になってしまうのか……わたくしは、楽しみに見ていますよ」


それだけを告げると、公主はしなやかに背を向けた。

息を呑む貴族たちが作る道を、絢爛(けんらん)な衣装の裾を静かに引いて歩み去っていく。振り返ることもないその凛とした後姿と、衣が擦れるかすかな音だけが、庭園の静寂を静かに支配していた。


残された静蘭(せいらん)は、重なっていた手を、ゆっくりと離した。

彩霞もまた、何かを堪えるように自分の手を強く握りしめている。


――彼女も、きっと同じことを感じているのかもしれない。


そう思うと、静蘭(せいらん)の胸に、言葉にできない親しみのようなものが、静かに広がった。


やがて緑豊かな庭に、いつもの和やかな賑わいが戻ってきた。

扇子の陰で誰かが小さく笑い、極上の茶の香りを勧め合う声が響く。その心地よい空気のなか、少し離れた場所に集う貴族たちの、こんな世間話がふいに耳に届いた。


「そういえば、近頃、都で妙な詩が流行っているそうですよ」

「ほう、それはまた……はてさて、どんな詩なのやら」

「晩生にも教示くだされ」

「なんでも、『光真尽』だの『血』だのとおどろおどろしい言葉が並んでいるとか……」


深い意味などなさそうな、軽い調子の会話。静蘭(せいらん)はそれを、特に気に留めることもなく聞き流したはずだった。

だが――なぜか脳裏から離れない。


(『光真』……現皇帝ご自身のお名前が、『尽きる』ですと……?)


言葉そのものの異様さもさることながら、書を嗜む者としての本能が、静かに警鐘を鳴らしていた。もしそれが単なる戯れ言ではなく、誰かの手によって紙の上に「書かれた」ものなのだとしたら。どんな墨で、どのような歪んだ筆圧によって叩きつけられた文字なのか――。

一筆の滑りや掠れの中に潜む狂気の気配が、肌を刺すような寒気となって静蘭(せいらん)の背を駆け抜けた。


ふと強い視線を感じて顔を上げると、少し離れた場所に立つ父である鎮安侯(ちんあんこう)と目が合った。

鎮安侯(ちんあんこう)はいつもの厳めしい顔のまま、鉄のように硬い口元を、ほんの一筋だけ和らげている。

だがその眼差しには、我が子への密かな誇りと共に、これから静蘭(せいらん)を待ち受けるであろう過酷な運命を懸念するような、重い影が落ちていた。

父は一瞬だけ深く眉根を寄せると、静かに目を逸らし、他の客人たちのほうへと向き直った。


(父様……? 何か、懸念があるのですか……?)


胸の奥で、言葉にならないざわめきが冷たく広がっていく。


庭園の向こうでは、まだ冷たさを残す春の浅い風に誘われて、白木蓮の白い花びらが一枚、また一枚と、名残惜しそうに静かに地面へ落ちていく。その潔い白の落花は、まるで先ほどまでの美しい書の余白に、そっと添えられた最後の点画のようであった。


澄み切った水面に一滴の濁った墨が落ち、静かに滲んでいくかのように――。

これから起こるただならぬ出来事の気配が、人々の笑い声の裏側で、ゆっくりと宮廷を蝕み始めていた。


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