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第309話 タイプ・フェノメノン

 変身魔法の構築。

 その集大成となる第三段階は、いよいよ自分自身の生身の体の一部を、「雷」という恐るべき自然現象そのものへと直接変化させるという、前人未到の領域だった。


 夜のザハラ王国のハレム中庭。

 静寂に包まれた空間で、俺は己の左腕を目の前にかざし、深く息を吸い込んだ。


 まずは手始めに、左手の指先から肘までの部位を限定的に変化させる。


 頭の中に描くべきイメージは、これまでの実験と疑似体験を通してすでに完璧にできあがっている。


 そして何より好都合なことに、魔力を体外に放出するのではなく「自身の体内における肉体組織の変換」であれば、俺の特異体質である「魔封印」が干渉して魔法を霧散させる影響も一切受けない。


 俺は極限まで圧縮した闇属性の魔力を、左腕の血管、筋肉、そして骨の髄へと流し込んだ。


 ジジッ……バチバチバチッ!!


 強烈なオゾン臭が鼻を突き、鼓膜を震わせる破裂音が至近距離で鳴り響く。


 痛みはなかった。

 だが、確かな「喪失感」と「熱」があった。


 俺の左腕の輪郭が曖昧にブレたかと思うと、皮膚や肉が瞬時に質量を持たないエネルギー体へと置き換わっていく。


 見下ろせば、俺の左腕は、五本指の「人の形」をかろうじて保ったまま、蛇のようにのたうつ『黒い雷の塊』へと完全に変化していた。夜の闇よりもなお深く、不吉な黒い閃光を放つ稲妻の腕。


「……成功だ」


 俺は漆黒の雷と化した左手の指を、ゆっくりと曲げ伸ばししながら呟いた。


 沈黙の図書館の文献によると――

 獣人族が戦闘時に使う獣化の魔法は、生体を別の生体へと変えることから「タイプ・ビースト(獣型)」と記載されていた。


 ならば、生物の枠を完全に逸脱した、今の俺が使っているこの規格外の変身魔法の分類は、「タイプ・フェノメノン(現象型)」とでも呼ぶべきだろう。



 **


 変化させることには成功した。

 だが、真の試練はここからだった。


 次に、その雷化した状態を「維持」しなければならない。


「くっ……!」


 途端に、全身の毛穴から冷汗が噴き出した。

 結構きつい、などという生易しいものではない。


 己の存在そのものが世界から剥がれ落ちていくような、凄まじい疲労感。

 魔力の消費量も尋常ではなく、まるで底の抜けたバケツのように体内の魔力がゴリゴリと削り取られていく。


(……これでは、長時間使い続けるのは、膨大な魔力量を誇る俺でも流石に難しいだろうな)


 荒い息を吐きながら、俺は冷静に分析する。


 そして何より気を付けなければならない、絶対に越えてはならない一線があった。

 それは、「完全に」純粋な雷へと変化してはいけない、ということだ。


 もし、制御をミスって――

 全身を純度百パーセントの雷に変化させてしまえば、どうなるか。


 答えは「死」あるいは「消滅」だ。


 雷という自然現象は、発生した瞬間に大地へ放電し、いつまでもその場に留まり存在し続けることはできない。

 完全に変化してしまえば、俺の自我も肉体も、一瞬の閃光と共に大気中へ散って跡形もなく消え去ってしまうことになる。


 だから俺が目指すべき最終形態は、雷そのものになることではなく、あくまで人間の自我を保ったまま雷の特性を纏う「雷を擬人化した存在」なのだ。


 『時間を完全に停止すること』が、世界の理から弾き出されるため極めて危険なように、『完全に自然と一体化すること』もまた、人間としての死を意味する危険な行為なのである。


 その観点からいえば、先ほど懸念していた「俺の闇属性の魔力で作った黒い雷」という異質な性質は、結果的に非常に都合がよかった。


 純粋な自然の雷ではない、俺の闇魔力が色濃く混じった『不純な雷』だからこそ、それが世界に溶け込むのを防ぐ強固なアンカーとなり、俺は自我と形を保っていられる。


 自分の姿と意識を見失うことなく、この神をも恐れぬ魔法を自在に使いこなすために。

 これからは、左腕だけでなく全身をこの黒い雷の状態にすること、そしてそれを戦闘に耐えうる時間だけ維持するための、過酷な修行に入る必要がある。


 もちろん、それは一朝一夕でできることではない。

 焦りは禁物だ。



 ***


「ふぅ……今日のところはこの辺で良しとするか」


 俺は魔力の供給を断ち、左腕を元の生身の肉体へと戻した。

 ドッと押し寄せる疲労感を堪えながら、柱の陰でガタガタと震えているカリムに向かって声をかける。


「じゃあな、カリム。場所を提供してくれて感謝する。また明日来る」


「……もう二度と来ないで下さい、と喉まで出かかっていますが、どうせ私が何を言っても無駄なのでしょうね……」


 もはや恐怖を通り越し、魂の抜けたような虚ろな目をしている悪徳大臣。

 その完全に達観した哀れな見送りを受けながら、俺は転移魔法を展開し、人間界の自邸へと帰還した。


 屋敷に帰ると、有能な使用人たちによってすでに温かい食事の用意ができているとのことだった。


 俺は空腹を満たすために極上の料理を平らげ、熱い風呂にゆっくりと浸かって極度に消耗した精神と肉体を解し、泥のように眠った。


 翌朝。

 窓を開けると、冷たい風の中に微かな温もりが混じっていた。


「そろそろ、卒業か……」


 長く厳しかった冬が徐々に終わりに向かい、王都の街路樹にも柔らかな春の兆しが芽生え始めている。


 それはつまり、俺が通っている王立魔法学園「アルカナム」を卒業する時が、ついにやって来たということだ。


 だが、それは決して平穏な日々の始まりではない。

 むしろ、俺が知る限り――

 それこそが新たなる血生臭い騒動の幕開けを意味していた。



 ***


 俺には、時間を操る魔術を扱うことができる。

 一番最初にその規格外の力を使ったのは、専用武器である「クロノス・ヴァイス」に、初めて莫大な魔力を込めた時だった。


 その際、意図せずして発動してしまったのが『未来視』の能力だ。


 術者の精神を削るあまりにも危険すぎる力だと判断し、それ以降は意図的に封印して一切使っていない力だが……あの時、脳裏に焼き付いた絶望的なビジョンだけは、今でも鮮明に覚えている。


 ――きらびやかな卒業式のダンスパーティー。

 ――そこに、狂気に満ちたルカ・ドルトンが突如として乱入し、血みどろの破壊の限りを尽くして暴れまわる。

 ――そして大混乱の最中、俺の配下の「転移の魔人」アシュラフが、あろうことかこの世界の主人公である『リアム王子』を殺害する。


 俺がその未来のビジョンを事前に見てしまったことによって、俺の無意識の行動がわずかに変わり、バタフライ・エフェクトのように未来の形はすでに変化しているかもしれない。


 しかし、俺自身が「意識して未来を変えようと直接的な行動を起こしていない(例えば、事前にルカ・ドルトンを暗殺して排除するなど)」以上は、世界の強固な修正力によって、結局は予知した通りの悲惨な未来が訪れる可能性が極めて高いだろう。


 この世界の主人公の死、それは世界の破滅を意味するだろう。


(……座して破滅を待つ趣味はない。確実な対策が必要だよな)


 数日後の放課後。

 俺は学校の授業が終わってもすぐには帰宅せず、一人静かに廊下を歩いていた。


 向かう先は、もうすぐ凄惨な血の舞台となるであろう、卒業式のダンスパーティーが開催される大講堂。

 俺は冷たい沈黙が支配する講堂の重い扉の前に立ち、その取っ手に手をかけた。

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