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第276話 激闘の後――

 カストル侯爵領にて――

 「氷結の魔人」絶零ぜつれいのアブソリュートを討伐した。


 俺はしばし勝利の余韻に浸ったのち、すぐに転移を発動し、王都の屋敷──その中庭に併設された薄暗い機体格納庫へと帰還した。


 アブソリュートが降臨していた影響で、現地の気温は急激に低下し、人々が吐く息すら凍りつくほどだった。だが、元凶が消えた以上、それも徐々に元の夏の暑さに戻るだろう。


 俺と魔人との戦闘による余波(衝撃波や熱波)は、少なからず地上にも及んでいた。しかし、幸いにも空中戦がメインであったため、人々への被害は最小限で済んだはずだ。


(後の処理については、王国軍や新領主に任せておけばいいだろう)


 それこそが、多額の税金を貪る彼らに課せられた仕事なのだから。

 俺の優雅な日常には関係のない話だ。


 ツンとした機械油と、かすかに焦げた金属の匂いが漂う格納庫に戻った俺は、静かに駆動音を響かせる二号機の魔導コアから魂だけを転移させ、人間の体へと戻る。


 部屋の隅に設置してあった革張りのソファーに座らせていた、俺自身の肉体へと帰還した。途端に、どっと押し寄せる生身の疲労感。心臓が早鐘のように打ち、喉はカラカラに渇ききっていた。


「ふぅ……」


 重い息を吐き出し、軽く一息つく。


 何と言っても魔王クラスとの激闘の後だ。

 流石の俺も、神経をすり減らして疲弊している。


 俺は軽く首や肩を回して全身の凝りをほぐし、調子を整えた。

 それから、心配そうにそばに控えていたエイルたちに声をかける。


「かなりの強敵を倒してきた。機体の整備を頼みたい」


「はい、お任せください。ゼノス様」


 油で顔を汚したエイルは、きりっとした表情で頷く。


 本当に素直でいい子だ。

 俺の要請を受けると、彼女はすぐに工具箱を手に取り、機体のチェック作業に入ってくれた。


「外見上はひどく壊れてはいないと思うが、念入りなメンテナンスは必要だろう。――特に『火力圧縮機』を使ったから、またふたを設置しておいてくれ。次またいつ使うことになるか、わからないからな」


 重量のある装甲パーツの取り外し作業については、俺が浮遊魔法を使ってサポートを行う。だが、ミリ単位の精密な調整については彼女たちプロの手に委ねている。


(エイルも浮遊魔法自体は使えるが、その精度はあまり高くはない。それに魔力量も決して多くはないからな。そこへ魔力を使わせると、他の作業に手が回らなくなる。機体整備だけでも大仕事になってきたし、そろそろ優秀なドワーフの人手を増やしたいところだな)


 今日のところはひとまず外観を目視でチェックし、本格的な機体の整備は明日から始めることになった。


 俺はかなり疲労しており、今すぐふかふかのベッドに飛び込みたかったので、一度屋敷に戻ってゆっくりと休むことにした。



 **


 季節は夏の終わりだ。


 戦場だったカストル領は極寒の寒さだったが、この王都はまだ相変わらず暴力的な熱気を孕んでいる。


 俺は屋敷に戻るなり専属メイドのリーリアを呼び出して、すぐさま「心のメンテナンス」に入った。


 今日は闇魔法だけではなく、『超魔獄炎波』という規格外の魔法を行使した。

 魔力酔いのような倦怠感が襲ってくる。


 彼女の柔らかい肌のぬくもりで癒やされなければ、俺の心が持たないのだ。


「ご、ご主人様……いけません。まだお掃除の途中で……っ」


「そんなものは後回しで良い。お前は何も言わずに、こうして俺に組み敷かれていればよいのだ」


「そんなっ! ご無体な……! ああっ、いけませんわ! おスケベですわ!」


 困惑の声を上げ、顔を真っ赤にしながらも――

 リーリアはノリノリで俺の相手をしてくれる。


 実によくできたメイドだ。

 俺の疲労も、少しずつ溶けていくような気がした。



 ***


 やがて王立魔法学園「アルカナム」の新学期が始まった。

 だが、学内を見渡しても、リアム王子をはじめ、討伐軍に従軍していたエリオットたちの姿はどこにもなかった。


 予定では、もっと余裕をもって登校できるスケジュールだったはずだ。

 おそらく、俺とアブソリュートが戦った後の凄惨な現場の後始末(異常気象の対応など)に追われているのだろう。


 怪我をした領民の治療に、氷漬けになって荒廃した領土の修復。

 さらには、規格外の怪物を見て傷ついた人心を落ち着かせることも急務だ。


 かといって、王族がいつまでも地方に釘付けでいるわけにもいかない。

 不安は国中に伝播してしまうからだ。


 王国軍の帰還は予定よりも大幅に遅れたが、それでも数日中には登校するだろうという話が広まっていた。


 一方で、カストル領を襲った「氷結の魔人の襲撃」という噂は、既に王都の市中へと流布していた。


 だが、思ったよりも民衆は落ち着いている様子だった。

 あまりに人知を超えた神話のような戦いであったため、かえって正確な情報が噂として広がりにくかったようだ。


 実際に最前線で騎士団200名と王国軍500名がその戦いを目撃していたが、彼らは一様に口をつぐんでいる。


 戦いの詳細については王家から厳重な口封じ――かん口令が敷かれていることもあるだろう。だがそれ以上に、彼らにとっても「鋼鉄の巨人(俺)」が乱入してきたなどという訳の分からない事態は、積極的に口にしたい話ではないようだった。


 直接的な戦闘を見ていない者たちも、夏の終わりだというのに一面に霜が降り、家屋ほどの氷の塊だらけになった異常な光景だけは目にしているはずだ。


 しかし、実際に戦いそのものを見ていなければ、実感としてその凄まじさは分からない。


 そのせいで、人々の噂は様々な形へと歪曲していった。

 中には「襲撃してきた恐ろしい魔人を、駆けつけたリアム王子が聖なる光魔法で討伐した」などという尾ひれまで付く始末だ。


 少しでも安心したいという民衆の願望が、そういった英雄譚を作り出しているのかもしれない。俺としては、それで人心が落ち着くのであれば好都合極まりない。


 何はともあれ、これほどの事件が起こったにしては、人々の慌てようは小さかった。魔王クラスの魔人が襲撃してきた事態に対し、一般市民がパニックになったところでどうしようもないのだ。


 落ち着いていることは、ある意味ではいい事なのだろう。



 ***


 学校での退屈な座学の授業を終え、帰宅した俺は魔界の魔王城へと転移した。


 アブソリュートという巨大な戦力が抜けた後の、魔界の情勢を確認するためだ。


 薄暗く、濃密な魔力が漂う玉座の間。

 俺は玉座でルシフィールの寝室で彼女の滑らかな銀糸の髪を撫でて愛でながら、ミュリルからの報告を聞くことにした。


「絶零のアブソリュートが姿を消したことで、これまで膠着状態だった魔王候補同士の争いにも大きな動きが出始めている」


「やっぱり、あいつは魔界でもかなりの大物だったのか」


 俺の何気ない呟きに、ルシフィールが横からうっとりとした声で答える。


「ええ。魔王候補の中でも、間違いなく五指に入る実力者でしたわ。……んっ」


 だろうな。

 実際に戦って機体をボロボロにされた俺が一番よく分かっている。


「特に、アブソリュートを激しく警戒していたオルカスは、奴の気配が消えたことで一気に動きを活性化させている」


(ああ、そうだな。オルカスの能力から考えれば、アブソリュートの冷気は天敵といっていい。そいつが消えたとなれば……)


 俺がこれからの魔界の覇権争いの展開について真面目に考え事をしていると、不意にミュリルが顔を赤らめ、恥じらいながら声をかけてきた。


「き、貴様……その、そろそろ……私にも……っ」


 俺がルシフィールのことばかり可愛がっているので、それを目の前で見ながら真面目に報告を続けていた彼女は、どうやら我慢の限界を迎えてしまったらしい。


 ツンデレの鑑のような態度だ。

 まったく、可愛い奴め。


 俺は結局、魔界の情勢確認はそこそこに、二人同時にたっぷりと愛でてやることにした。


 これが俺の、平穏で充実したスローライフの形なのだ。

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