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いつか夢見る人心核  作者: かめったろす
最終章. アダムとイヴ
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凪のある島

 海は荒れていた。灰色の空が水平線まで飲み込んでいる。切り裂くような風が体温を奪い取る。


 ナハトを捕まえたエマは、彼にシャワーを浴びせて簡単な身支度を整えた。そしてその後すぐに二人は船に乗り込んだ。元々エマが手配していたのだろう。近くの漁港に名前のない船がポツリと浮かんでいた。


 エマは疑問を投げ掛け続けるナハトを無視して、船に押し込み、自ら運転している。


 エマは険しい表情を崩さない。事態は一刻を争うというのだ。


「なあ、そろそろ行き先くらい教えてくれてもいいだろうが」


「梶原奈義のいる場所だ」


 海面を掻き分ける船の音がノイズとなり、二人の声を大きくしている。


「それはわかったからよ! お前らが何を企んでいるか話せって言ってんだよ!」


「くどい! 私の口から話すより適任がいるんだ!」


「そいつが梶原奈義か?!」


「行けばわかる! 私はお前が嫌いだからもう話かけるな!」


「奇遇だな! 俺もてめえが大嫌いだよ!」


 船は進む。



        ◆



 二人はいくつか小さな島が点在している海域に入り、その内の一つの島に着港した。人間は住んでいるようだが、電線や自動車など旧世代の産物が残されている。


 海産物の露店の通りを抜けると、舗装された道路が細々と続く。緩やかな上り坂を二人は歩いた。


 ナハトは看板や自販機に書かれた住所を見て、言った。


「小笠原か、ここ」


「…………」


「どうして梶原奈義はこんな所を隠れ家に選んだんだ?」


「本人に聞け」


 エマの返答に取りつく島もないナハト。


「ったく……」


 自殺の旅を終えてナハトが得た結論は、結局のところ彼は死にたくなどなかったという事実。現実を受け入れ、諦めよく終わりを迎えることは出来なかった。死にたくない──その気持ちに気が付けた現状は前進したと言える。


 しかし、問題は変わらない。


 「死にたいから死ぬ」から「死にたくないが死ぬ」に変わっただけだ。


 現実は依然として眼前に立ちはだかる。


 ヘレナに拒絶され、ハワードに殺され、アルバの身体を盗みとった。殺してくれるなら、誰か殺してほしい。恥も外聞もなく、のうのうと生き延びた木偶の坊を、葬ってほしい。


 諦めないことが何より難しいから。


 故に、ナハトがエマに着いてきたのは、彼らの計画に期待しているからではない。


 それは微かな記憶。オルガ・ブラウンが主人格だった頃の記録によれば、その怪物は梶原奈義に殺された。


 であるならば、ナハトも同じ死を遂げたいと考えていた。


 ハワードではなく、英雄に滅ぼされるなら──少し納得ができる。


 人の気持ちがわからない怪物の死因は、読心能力者こそ相応しい。ハワードの憎悪で焼かれるよりも、梶原奈義に優しく殺してほしい。


 そんな暖かな終わりを望んで、ナハトはこの島に来たのだ。


 歩いた先にあったのは、緑の丘の上に建つ、小さな小屋だった。



        ◆



「確かに届けたぞ」とエマは小さく呟いて、ナハトを小屋の前の残してどこかに消えた。


 元来た坂道を下って小さくなる彼女の背中を見送った後、ナハトは眼前にある小屋の扉を開けた。


 蝶番が軋む音。中には小さなベッドと机、キッチン。そして、車椅子に座る老婆がいた。


「初めまして」と老婆は言った。


 その顔は皺で覆われ、髪の大半は白く、痩せた首には太い血管が浮き彫りになっている。


 ナハトはその人物に見覚えがなかったが、見覚えがない自分に違和感を感じるという奇妙な感覚を抱いていた。そう、亡霊でも見ているような、捨てた故郷に戻ってきたような──ノスタルジックを感じていた。


 だが、それらは言葉にならない。小屋の窓に映る曇り空は今にも泣き出しそうだった。地面からは既に雨の臭いがしている。


「初めまして……俺を呼んだのはあんたか?」


「ええ、そうよ」


「あんたは誰だ」


「私は、ルイス・キャルヴィン。貴方をずっと待っていたの」


 ずっと──それがどれくらいの期間を指すのか、ナハトには見当がつかない。


 確か、ルイスは20年前、人体模倣研究所でオルガ時代のアダムと出会っている。梶原奈義の覚醒に寄与した人物。怪物オルガによる謀が生み出した愚かな被害者でもある。


 そんな間抜けが今になって、どうしてナハトと出会おうとしたのか。


「貴方のことは何と呼べばいいかしら」


 その質問自体が、今のナハトの歪さを認識している証拠だった。もちろんここに呼び出している時点で多くのことを知っているのだろう。けれど、人心核アダムに蓄えられた人格のどれを重要視しているかで呼び名は違ってくる。


 少なくとも、エマはナハトを「オルガ・ブラウン」と呼んだ。

 

 では、ルイスは──。


「紀村ナハトでいいかしら? アルバ・ニコライだと貴方きっと怒るものね」

 

「────!」


 ルイスは微笑んだ。その皺の多い骸骨のような手で、ナハトを席に座るよう促した。


 ナハトは黙って従う。向かい二人の男女は、年齢こそ離れているけれど──複雑な懐かしさを帯びていた。


 全く理解できない。この白黒の写真に色を付けるような時間は──。

 

 ナハトは完全にオルガの記憶を見てはいない。特に人心核に纏わる人生の後半は不透明なことが多い。


 故に、ナハトはルイスがどんな人間か分からず、もしかしたらオルガに復讐しようとしているのではと疑い始めていた。


「俺に何の用だ」


「エマから聞いたわ。自殺しようとしているって」


「お前に関係ないだろう」


「ええ、ただその前に、力を貸してくれないかしら」


「────何をしようとしている?」


「私はヘレナを助けようとしているの」


「無理だっ!」


 ナハトは思わず声を荒げた。それができないから、ナハトは自罰を繰り返したのだ。


「イヴは既に核弾頭も利かないほど強くなっているんだ! 敵にはハワードもいる!」


「梶原さんが戦うわ」


 ナハトの血液は沸騰した。振り上げた拳を机に叩きつけた。




「だったら!!! 初めから!!! 梶原奈義がやれよ!! どの面下げて戻ってくるんだよ!!!

 英雄だったら、どうしてもっと早くその気にならねえんだよ! なあ!!」




 ルイスを睨みつけるナハト。それはこれまでの理不尽全てが英雄の不在に起因していることを呪う、弱者の傲慢さがにじみ出ている。


「梶原奈義がいないからだろうが! 全部! ヘレナがあんなことになったのに! 顔一つ出さねえじゃねえか! 聞いてあきれるぜ! 何が人類未到達戦力だ! 何が最後の希望だ! 笑わせるな! 本当だったら! 初めから…………こんなことには……なってないのに……」


 ナハトは力なく項垂れた。


 ヘレナを助け出せるなら、もっと早くに動いている。


「もう、いい加減にしろよな…………」


「梶原さんが今まで隠れていたのは……<静かの海戦争>でハワードから精神汚染を受けたからよ。今の彼女は、ハワードの思想に共感する自分と戦っている」


「そんなんでヘレナを助け出せるのか? どうして今になってやる気になったんだよ」


「梶原さんはこれまでずっと耐えてきた……。梶原奈義を女神にするという思想から、必死に逃げてきたの。だけど、もう限界が来ようとしている」


「…………精神汚染ってのはつまりなんだ……読心能力者である梶原奈義が、ハワードを深く理解しすぎてしまったってことか?」


「ええ。理屈じゃないのよ。ハワードという男はそれほどまでに、真剣に人類を救おうとしている。誰かが人類の理解者にならなければと、本気で考えている」


「……知ったことか」


 ナハトはハワードの思想を浴びた。痛みと共に刻み込まれたハワードが描く新世界の女神の物語。誰も孤独を抱かない、人の模倣などガラクタになる、本物だけが尊い世界。


 人の型を真似た程度では、辿り着けない真の共感がそこにある。


 ナハトは、それを心底下らないと一蹴したが、代償として手痛い呪いをかけられた。


 人間ではない者に、新世界を享受する資格なし。人間を冒涜するな、紛い物。人の気持ちを理解できない怪物。故に、ヘレナの心が分からない。


 確かに、ハワードが垂れ流す理想は、鮮烈で──共感しすぎると、その身が焼かれるかもしれない。


「梶原さんは、今しかないと考えている」


「そこまで追い詰められたのか…………」


「もう時間がないの」


「じゃあ、梶原奈義がハワードの思想に飲まれたら、どうなるんだ?」


 ルイスは現実を受け止めるように、目を閉じた。


「梶原ヘレナを殺して、人心核イヴを自ら飲み込むでしょうね。それがハワードが描く女神の第一歩だもの」


「…………それは、駄目だ」


 ヘレナには生きてほしい。救われてほしい。


 この際、ヘレナの隣に自分はいなくてもいい。どうせ理解できないから──それでも。


「俺は何をすればいい?」






「紀村ナハト……オルガ・ブラウンの頭脳を持つ貴方にしか頼めない。


 <コンバーター>を完全な形で作り直してほしいの」





        ◆



 梶原奈義がヘレナの戦う決心を決めた、らしい。


 今までハワードから逃げ続けていた英雄が表舞台に上がってくる。ハワードの精神汚染と向き合いながら、人心核イヴが操縦する<SE-X>と戦うという離れ業。作戦が成功する見込みがあるのかはナハトには分からない。


「梶原奈義が全てを打倒したあと、ヘレナに弾丸を撃つシナリオか」


「いいえ」ルイスは、ナハトを安心させるような笑みを浮かべた。


「その必要はないわ」


「イヴの主人格をどうやって変えるつもりだ」


「現在のイヴの基本プログラムを知っているかしら?」


「…………なるほどな」


 ナハトはロサンゼルス基地でのイヴの言動を思い出した。特に、ヘレナがイヴを取り込んだ直後の、宣誓のような言葉。イヴはあの時、ゆらりと立ち上がり、自身を梶原奈義を打倒する者だと叫んだのだ。


「梶原さんが、イヴに勝ったとき、イヴの基本プログラムは砕け散る」


「…………人格の選び直しで、ヘレナが主人格を得る見込みはあるのか」


「それはわからない。梶原さんは、ヘレナ以外にあり得ないと言っているわ。梶原さんはヘレナの基本プログラムの予想がついているみたい」


「そうか……」


 つくづく思う。梶原奈義は反則だ。あらゆる不和を、困難を、悲しみを、一気に覆すだけの力がある。台風の目だ。梶原ヘレナの気持ちが理解できない自分には到底たどり着けない、ヘレナの真実。


 考えなかったわけではない。ヘレナがイヴの一部になった後、人格の一つとしてマザーに管理される彼女の魂。ルールに従えば、当然、基本プログラムが定義され、タグ付けが行われる。


 基本プログラムは人格の生前の願いがベースとなる。梶原奈義は、少女期のヘレナと共に過ごしたこと、そしてその読心能力によって、ヘレナの基本プログラムが分かるのだろう。


 ナハトが喉から手が出るほど欲しかった、ヘレナの本音である。


 この時、ナハトは一つの決心をした。


 ヘレナを助けるこの旅路の、正しい終わらせ方を描いた。


「わかった……。コンバーターは作り直してやる」


 ぐしゃぐしゃに丸めた紙を開くように、絡まった糸をほどくように──自身の願いと身の丈を確認した。


 梶原ヘレナを救う物語に自分の役目は、きっと英雄に剣を渡す存在で──ヘレナの隣にふさわしいのは自分ではない。


「だから──」


 ナハトは、鬼のような形相で、焼けた鋼を飲み込むような表情で──。


 ルイスを睨みつけた。


「必ず、助けろ」


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