裏切り者と英雄
紀村ナハトが島に訪れてから、半月が経った。
夜になると、島の中心に近い山から見下ろす家々の光が灯り、星空のようだった。肝心な本物の夜空は昼間からのさばる厚い雲で隠されている。湿度の高い温帯の空気が、エマの肺に入り込む。
雲さえなければ、軌道エレベーターが見える景色。彼女は草を踏みつけながら歩いていた。担いでいる大きな荷物は望遠鏡だろうか。しかし、それなら生憎の空模様のため、使う場面は来ない。
感情というものは厄介だ。
本来の願いや思想を、あっという間に翻してしまう流行病。エマもその熱にかかった一人だった。
父と同じ軍隊に入り、家に、血に、脈々と流れていた誇り高い教えは、働く父の姿に打ち砕かれた。
弱い人を守る。秩序を乱す痴れ者の敵となる。それがエマが描いていた軍属のあるべき姿だったし、そのために士官学校で常人以上の努力が続けられた。
しかし、実際に現場を見てみれば──当たり前のように腐敗が蔓延っていた。戦闘機開発は経済を回す。ヒューマテクニカ社のお伺いを必死に立てる父を見て、エマの内側にあった火が嘘のように消えた。
ヒューマテクニカ社は国連軍に戦闘機を提供すると同時に、各地の戦争の火種にもなっていた。ヒューマテクニカが戦争というエネルギーで回る永久機関の一部になることで国連軍は存在を繋いでいた。
そういう形で生き長らえたおかげで、宇宙戦争という本当の有事に国連軍が意味を示したという事実もあり、この仕組みは必要悪となった。
結局のところ、エマだけが潔癖症で──多くの人々が折り合いをつけてきた。
それでも、視野の狭い正義感が悲鳴をあげる。
こんなのは違う。間違っている。正義や秩序はなにかの模倣だったのか。
そんなとき、彼女は狂信者たちと出会った。
当時の狂信者たちは、臨界突破者適性のある戦士を探していた。狂信者たちのリーダーは明龍のリーダーでもあるらしい。そのため、彼らは明龍の特殊部隊のような側面があった。
特殊な粒子と人体模倣の秘密はエマにとって、スリリングだった。
今の国連軍よりもよっぽど真実に忠実で、正直だと感じたのだ。なにより明龍は打算がない。特にリーダーの思想に共感できた。
彼は人類を救いたいそうだ。
その理想は、エマが焦がれて止まなかったものだったから。
彼女は狂信者のエージェントとなった。
そして、彼女は命令通り、臨界突破者適性のある戦士を探した。
たどり着いたのは一人の男。若くして国連軍大佐の地位についた天才。梶原奈義との接点もある。
エマ・シェルベリは六分儀学と出会った。
彼女の懸命な裏工作によって、学の補佐官として彼の隣にいることができた。
六分儀学。
エマは彼と出会った、その一日で──。
父も国連軍も狂信者も明龍も、真実、彼女に与えられなかったモノを、エマは六分儀学から受け取ってしまった。
彼は嘘をつかない。
どこまでも正直にその力を振るう。
彼の正義は真実で、疑念や欺瞞が入り込む余地がない。
どこまでも輝き、整然と配置された完全結晶。それが彼だったのだ。
「柄ではない、なんて思わないよ。私はずっと彼に恋をしていたんだ」
曇天の夜空に放った言葉。勝手に人々に絶望し、欺いてきた彼女が紀村ナハトに抱く思いは、きっと同族嫌悪だ。
お互いに屑。正義感や良心など、行いからして遠い感情。結果として、エマ・シェルベリは裏切り者だ。
父と国連軍を裏切り、今では狂信者ですらない。
今はただ、彼に会いたい。
──大佐。
エマは学の本心を知っていた。
だからこそ、許せないことがあった。
紀村ナハトも根性が腐っている。ルイス・キャルヴィンは優しすぎる。だから、これは嫌われ者である自身の役割だと、思ったのだ。
山道を歩いた先にあったのは、コンクリートで出来た小屋。分厚い壁には端末が嵌め込んであった。
担いだ荷物を降ろして、タッチパネルを操作。エマは小屋の中にいる人物に声をかけた。
「エマ・シェルベリだ。開けろ、梶原奈義。話がある」
◆
『今は話したくない』
「だまれ、早く開けろ。でなければ扉ごと吹き飛ばす」
エマは荷物から砲状の金属を取り出した。自動で伸びる固定脚を地面に差し込んだ。
「簡易荷電粒子砲だ。早く開けろ」
そこで通信はプツリと途絶えた。
「わかった、引きこもり。今から撃つ!」
トリガーの安全装置を外すと砲身が赤く光った。円形に加速されたプラズマがうねりを上げる。排熱がエマを足元に煙をつくった。
そして、弾が発射される十秒前。
扉が開いた。
「そこまで言うなら仕方ないわね」と頭を掻いて現れた梶原奈義。
「え?」
奈義は自身に向けられた極大の殺意に困惑した。
「え?」
エネルギーは十分。必殺の弾丸が超加速で飛び出す直前。
「急に出てくるんじゃないわよ!!!」
とエマは咄嗟に砲身を上にあげた。飛び出すプラズマ発光。一瞬の閃光が辺りを覆う。一条の光線は空へと消えた。
それはあまりにも不恰好な、英雄の復活を告げる祝砲だった。
◆
「で、話ってなにかしら」
と不信感たっぷりに聞く奈義。
黒い長髪は腰まで伸ばし、大きめのティーシャツからは痩せた長い手足が伸びている。戦士というには筋肉量が足りない。どこにでもいる女性だった。化粧は当然していない。永い引きこもり生活のせいか、声も小さく、不健康な印象だった。
部屋の中は病室のようで、ベッドとキッチンと小さな机と椅子だけがある。ネットワークも繋いでいない孤立した空間で、彼女は五年過ごしていたようだった。
「質問するな、怪人。心を読めばいいだろう」
エマは先ほどの殺人未遂を全く謝るつもりはないらしく、ふてぶてしく悪態をつく。
「客として来ているなら、自分の言葉で話してほしいわね」
「ふん」
エマは、梶原奈義相手に会話をするという茶番に耐えて、口を開いた。
「戦う決心がついたようだな」
「ええ……」
「どういう風の吹きまわしだ? お前が急にやる気を出したから、オルガ・ブラウンなんて悪党をこの島に連れてくる羽目になったんだが」
「知っているでしょう? ヘレナを今助けないと手遅れになる」
「はっ! そんなこと言うやつは、初めから引きこもりなどしないんだよ。第一、梶原ヘレナを人体模倣研究所の送り込んだのも、お前の指図だ。ハワードの動きが予測できなかったとはいえ、こんな事態になったのは間違いなくお前の責任だよ、英雄」
「わかっているわ」
「じゃあ、なんで」
「彼が戦ったからよ……」
「彼……?」
「六分儀くん」
そこでエマは血管がはち切れたのではないかと疑うほどの激昂を見せた。椅子から立ち上がり、奈義の元へ歩き、胸ぐらを掴んだ。
「なにを勝手なことを言っているんだ! あんたは!」
「…………」
「六分儀大佐はな! お前が戦うべき相手に、代わりに立ち向かったんだよ! お前のせいだ! それをなに被害者面して、わかったようなことを言っているんだ! 虫酸が走る! 私にお前の力があったなら、彼はハワードに負けなかった! こんなことにはならなかったんだよ!」
「私の力?」
奈義は冷たく応えた。
「そうだ! 英雄! さっさと敵を殺してこい!」
「あなた、私の力が羨ましいの?」
「…………!」
奈義はエマの全てを見通していた。透き通る水晶のような瞳で真実を言い渡す。
「私の力のどっちを言っている? 臨界突破? 読心能力? 生憎だけどね、切っても切り離せないのよ、二つは。私は……」
奈義は目を見開いた。
エマは急に目の前にいる女が、宇宙そのものだと錯覚した。あまりに大きな存在。自身が立っている大地が巨大な生き物の背中だと気づいたような、そんな感覚。
「あなたが私の力を手に入れて、正気を保っていられるとは思えない」
「…………」
「この部屋もね、少しでも『声』が遮断できるよう特殊な壁が使われているの。大容量の情報がネットワークよりも速い速度で頭に叩き込まれる。そんな世界が想像できる?」
「だから、引きこもっていたのか?」
「違うわよ」
奈義は発作に耐えるように震える片腕を掴んだ。
「私はね、女神なんですって」
「はあ?」
「私だけが人類を孤独から救えるの」
「おい、なにを言って──」エマは奈義の様子がおかしいことに気がついた。
「女神になるには、ヘレナからイヴを奪う必要があるから……。人類はバカなのよ、愚かだから、私が助けないと──」
「おい! しっかりしろ!」奈義の頬を叩いたエマ。
「…………っ!」
エマはこの奈義の様子を見て、察した。ぶつぶつと呟く口振りがあまりにもあの怪人に似ていたからだ。
「ハワードの心を読んだのか」
「ええ。声が、日に日に強くなるの。ハワードは近くにいないはずなのに……」
「……あと、どれくらいもつんだ?」
「楽観視して、一年かしら」
「それが戦う理由か?」
──時限爆弾。今戦わなければ、梶原奈義がハワードになる。
「それは違うわ。さっきも言ったでしょう? 六分儀くんだって」
「どういう意味だ?」
「単純な話よ。私は敵討ちしたいの。許せないもの。あの人が私以外に負けるなんて」
「はっ!」エマは快活に笑った。
「訂正するよ。あんたは英雄なんかじゃない」
「自分から言ったことなんて一度もないんだけど……」
「ただの面倒な女だ。六分儀大佐は面倒な女に付きまとわれるらしいな」
奈義は笑った。
「自分で言ってて悲しくならない?」
「私よりもヒドイ奴が目の前にいるからな」
エマと奈義は同じ男に焦がれた者同士。奇妙な共通項を抱いている。
これは、ナハトが<コンバーター>を製作するまでの間、人知れず行われたやり取りだった。




