愛と絆のハワード・フィッシャー(3)
遠い過去かと聞かれたら、年月的にはそうでもないのかも知れない。ただ、体感としてはずいぶん古い記憶に思えてならない。
私は本当の親もわからないまま月で生まれ、親ではない男に育てられた。
潔癖症の割には誰よりも汚れている、男の印象はそれだった。あまりに幼い頃だったから、初めの所感は思い出せない。それでも、今の言語力に頼って表現すれば、男は清く、それでいて汚れていた。
理由はわからないけれど、どことなく普通の大人ではないことは理解できた。
私以外にも99人、男に引き取られた少年少女がいた。
彼らは個性的だった。活発な少年もいれば、言葉数が少ない少年もいた。大人びた少女もいれば、男子に混ざって勝ち気に遊ぶ少女もいた。絵が上手い子がいた。運動が得意な子もいた。本が好きな子もいたし、パズルが好きな子もいた。
そんな中でも私は、ロボットが好きな子供だった。
当時流行っていた人型ロボット。人の背丈の三分の一程度の大きさで、名前は<ロビィ>。
私は人よりもロボットとよく過ごしていた。ロビィに備わっている機能は歩くこと、それとインターネットから情報を検索しておしゃべりするコミュニケーション機能。それだけの時代遅れの趣向品だ。
子供の相手をするには十分だろう。
「ロビィの夢はなんですか?」
『私の夢はヘレナと一緒にいることです』
「それは夢じゃないよ。だってもう叶ってる」
『ヘレナと一緒にいることです』
「ロビィは私が大好きなのね」
『はい、私はヘレナが好きです』
他愛ない会話は私の日常の一部。出来損ないの人工知能に語りかける遊びがヘレナ・フィッシャーの唯一の楽しみだった。
◯
私の育ての親は、その他大勢の子供たちからハワードと呼ばれていた。なので、私もハワードと呼ぶことにしていた。誰も「お父さん」とか「先生」とか、役割のある名前で呼ばなかった。
ハワードは私にロビィを買い与えた。
彼は私を愛していた。けれどロビィと遊ぶ私は好きでなかったと、思う。
ロビィと話すときの私は、常にロビィと二人きりで、そこにハワードは言及したことはなかった。きっと他の子供たちにも、二人きりにするよう言い付けていたのだと思う。
『私はヘレナが大好きです』
ロビィの声は単調であったが、幼い私はそんな愛の言葉にいちいち喜んでいた。
ハワードが子供たちに「愛している」と微笑んだときと同じくらい暖かい気持ちになった。
私にとってロビィは、ただそこにいるだけで良かったのだ。
◯
10歳くらいだったか。私はロビィとお別れした。
他の子供たちも何かしらの玩具を仕舞ったと言っていた。
ロビィはハワードに取り上げられて、私は、私たちは、戦闘機に乗るための訓練を受けるようになった。
初めは仕組みから学び、シミュレータで動かし方を覚えた。
ゲームみたいで楽しいと喜ぶ男の子たちを、不思議そうに眺める女の子たち。
私はなぜだか、すごく……嫌だった。人殺しの道具だって知っていたから。
戦士になるために生まれたらしい私たちの訓練は、とにかく味方を助けることを教えられてきた。
味方を守るために敵を殺す。
そんな分かりやすい理屈が、当たり前になる訓練。
友達は大事だったし、家族を危険から遠ざけたい気持ちは理解できる。
そもそも、殺すことの意味すらわかっていなかったというのが正しい。
だから、そこに疑問は生まれなかった。
ただ──、人殺しの道具というのが気に入らなかった。
きっと人殺し以外にもいろんなことができると信じていたから。
私はロビィを道具だとは思っていなかった。
友達だった。
99人いる友達に一人、ロビィを追加して、私の仲間。
役割なんかいらない。
ただ、そこにいるだけで十分だと。
きっと戦闘機だってそれは同じなはずなのに──。
◯
訓練に合間に施される「調整」と呼ばれる、ヘッドギアを被る処置があった。
子供たちのみんなが行うそれは、「同調率を引き上げるため」だと言う。
子供たちはその間意識はなく、ただ夢をみていた。
夢の内容は具体的には思い出せないけれど、他の子供たちと冒険したり、遊んだり、とにかく皆と一緒にいる夢だった。
私たちは「調整」を行うたびに仲良くなった。
お互いのことが好きになった。
それはきっと良いことだ。
言葉にするより隣の子がなにを考えているかわかるほどに、子供たちはお互いを理解し始めていた。
絆。
戦争が始まるそのとき、ハワードは私たちに名前をつけた。
『君たちは、<絆の戦士たち>だ』
なんでだろう。私はその頃にはロビィのことを忘れてしまっていた。
◆
そして、夢は砕け散る。
私は白い空間にいた。
そこにはあの時過ごしたかつての皆がいた。
名前は誰一人として忘れない。
その内の誰かが言った。
『ヘレナ、私たち、もっと強くなれるわ』
私は答える。理由はわからない。でも、私はこの時、忘れていたロビィのことを思い出していた。
「強くなる必要なんかないよ。皆そんなこと願っていなかった!」
『ああ、そうか。ヘレナははぐれてしまったから、仕方ないね。私たち、戦争に負けたのよ。月は地球に負けたの』
「………!!!」
『戦争のあと、私たちは強くなりたいと思ったの。もう負けたくないって。あなたは戦争が終わったとき、どこにいたの?』
「私は、母さんと一緒にいた」
『母さん?』
『母さんって誰?』
『私たち以外に家族ができたの?』
『ねえ、誰?』
『誰なの?』
『教えて?』
「母さんは…………」
『ああ、梶原奈義のことね』
そして、子供たちの身体に火がついた。彼らは燃える。復讐のようにどす黒く消えない炎。立ち上る轟音は讃美歌のようで、ヘレナを飲み込もうとしている。
『梶原奈義! 最強の戦士!』
『梶原奈義を倒せば私たちは誰にも負けない!』
『ありがとう! ヘレナ! 梶原奈義を教えてくれて!』
『ありがとう! 一緒に戦いましょう?』
「待って! 私は……」
───私は。
◆
「私は梶原ヘレナ。梶原奈義を撃ち落とす者よ」
ヘレナは見たことのない表情を浮かべていた。
好戦的な笑みは、彼女には似合わない。歪につり上がる口角がヘレナに宿る別人の存在を浮き彫りにする。
「ヘレナ、お前なに言ってるんだよ。人心核イヴってどういうことだよ!」
ナハトは這いつくばりながら、怒鳴った。それしか出来ない自分に腹が立つ。痛みすら忘れるほどの理不尽に思考が追い付かない。
燃え盛る格納庫。天井から降り注ぐ火の粉と瓦礫。建屋自体が限界を迎えつつある。そんな辺獄に立つ二人の影。
ハワード・フィッシャー。
梶原ヘレナ。
「やあ、ヘレナ。気分はどう?」
「悪くないわ。なんでもできる気がする」
「それなら良かった」ハワードは子供を眺める優しい瞳で、ヘレナの頭を撫でた。
「ほら、ヘレナ。もう脱出する。紀村ナハトにお別れを言いなさい。殺すかどうかは任せるよ」
ヘレナはゆっくりと歩き、ナハトの前にしゃがんだ。
「ヘレナ……!」
「君、私が好きなんだって?」
「────!!」
ナハトは梶原ヘレナと共にいたい。どんな困難も彼女となら耐えられると思ったから。勇気を出して愛を告げた。
今、その返答が来る。
「私は君が大嫌いだから。もう、二度と会いたくない。
だから」
ナハトはヘレナの顔を見た。片目から涙が流れていた。
「───絶対に助けに来ないで」
「…………!」
──ああ、そうか。
この日、紀村ナハトは再び決意した。
幸せになるためには、きっと、梶原ヘレナと共にあることを目指す必要がある。
自分の目に狂いはなかった。
「必ず! 助ける! 待っていろ! 俺が必ず!!」
踵を返して離れるヘレナの背中は、十日前の戦いのとき送り出したそれと同じだった。




