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いつか夢見る人心核  作者: かめったろす
一. 紀村ナハトの生存戦略
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梶原ヘレナのエマージェンシー

 宇宙の戦場は常に孤独との戦いだ。


 それに絶えられない戦士から順番に命を落としていく。方向感覚が乏しく、自身の位置が掴めない。それが更なる孤立を深めていく。


 だからこそ、自らが乗る人型戦闘機を信じ抜かなければならない。この巨大な人形は、高価な棺などでは断じてない。自分の分身であり、命そのものであると強く、強く意識した。


『現在…………通信……受けて…………、作戦…………通信妨害……』


 ノイズの激しい音声から伝わる内容は、ノイズそのものから読み取れた。EMP(電磁パルス)機雷による通信妨害は、宇宙の戦いではもはや珍しくもない。


 梶原ヘレナはもはや役に立たない長距離通信系をオフにした。


 あらゆる意味で繋がりが断たれた暗黒。人型戦闘機はこの地獄にこそ相応しいと誰もが納得する世界で、梶原ヘレナだけがその考えに異を唱える。

 

 少なくとも、民間武装組織『明龍』に所属する新人パイロットであるヘレナは、暴力の業界に身を置くなかで、自分だけが異質であると思っていた。


「戦闘機の戦いかあ、イヤだなあ」


 その台詞は、辛うじて生きている近距離通信によってペアを組んでいる先輩パイロットに聞こえていた。


『じゃあなんだ? なんの戦いならいいんだ? 雛鳥チック


 雛鳥とは新米パイロットであるヘレナの愛称である。

 ヘレナ本人は嫌ってはいないが、少なからずからかいの意味が込められている。


「あ、ミックさん。……戦いがイヤなんですよ」


『はあ? また訳のわからんことを言っているな』


「戦闘機を動かすこと自体は得意なんです。じゃなきゃパイロットにもならないですし。だけどこう……しっくりこないっていうか」


『しっくり?』


「この子を戦いの道具として使いたくないっていうか、戦いのために操縦したくない感じ?」


『戦闘機で戦うのがしっくりこないって、理解不能だよ、それ。戦うための戦闘機だろうに』


「用途、とか目的とか、そこまで重要なのかなって……おかしいですよね、もうここは戦場なのに」


 明龍所属の戦闘機パイロット、ミック・マクドナルドは少し黙ってから、応じた。


『……俺はお前がそんな悩みで仲間の足を引っ張るほど柔じゃないとわかってるけど、もし明龍がゴリゴリの軍隊だったら……、その発言で信頼を失っているよ』


 その後、ノイズのさざめくスピーカーの向こうで「仲間にしたくない」とはっきり言われた。


「……はい」


『聞かなかったことにしてやる。なにも考えるな。戦うぞ、俺たちは」


「はい!」


 2169年、L2宙域。月の裏側の基地から出発して二時間後、梶原ヘレナは人生最大の戦場に向かおうとしていた。


 未熟な精神のまま。



        ◆



 任務の背景は先日、国連宙軍所有の軍事衛星〈マルス〉が破壊されたことにある。


 メディアでは「未だ犯行グループからの声明はない」と発表されているが、国連宙軍はすでに当たりをつけて捜索を行っているようだ。


 国連から明龍への依頼もすでに二十時間前に通達されていた。


 戦闘機による月周辺の巡回強化にヘレナたちも加わり、当の国連は月面都市の捜査に躍起になっていた。


 緊張感が宇宙全体に広がっている。


 ヘレナとミックはデブリの少ない宙域を偵察して、偽装天体や未登録船がないかを確認している。


 一隻の核燃料密輸船を捕らえ、国連に身柄を渡し、一仕事終えた空隙。唐突にミックは口を開いた。


『ところで雛鳥』


「なんですか?」


『お前、本当に知らないのか?』


「なんの話ですか?」


『お前の母親はどこに消えちまったのか、だよ』


 ヘレナの母親、という言葉は単純に生みの親という意味より複雑な含みがあった。


「…………」


『あの戦いから、奈義さんは姿を消した。普段通りの最強っぷりで、月面防衛戦線をボコボコにして……生還したはずなんだ。それから、奈義さんは明龍から抜けた。もういない人間の行く末をどうこう言う資格はないのはわかってる』


 けどな、とミック。


『あの人がいない宇宙は、あまりに物騒だ。最強の戦士がいないだけで、明龍の戦力は半分じゃすまないほど弱体化した』


「……私は」


『悪いな、今回の任務、お前と組むとわかったときからこれだけは聞こうと思ってたんだ。


 梶原奈義はどこに消えた? もう戻ってこないのか?』


 梶原奈義、明龍が誇る救世の英雄、世界最強の戦士。


「ごめんなさい、私にもわからないんです」


『わからない?』


「五年前私は宇宙で奈義(母さん)に拾われて、地球で一緒に暮らしていたんです。だけど、一年前私が明龍に加わると同時に、母さんは姿を消しました。だから……私にもわからないんです」


『そうか……楽しい話じゃなかったな、すまない』


 もうすでに英雄のいない戦場で、二つの機体は闇を漂っていた。



        ◆



 異変が起きたのは、そのときだった。


 否、異変が起きていたと気が付いたのは、そのときだったと言うべきか。


 巡回のスケジュールを大方こなし、基地に戻ろうとしたところ、微弱な通信障害を感じた。


『お……ヘレナ………どうなっ……て』


「ミックさん? 近距離通信を使ってください。よく聞こえません」


『…………………』


 戦争中に残された電磁波発生源は今も無数に散布され、10キロメートル以上の距離を通信することはできないのが現状だ。


 だから、より強固な電波を使い、バックグラウンドノイズを計算によって処理することで、開発された近距離通信に限られる。


 けれども、現在。


 近距離にいるはずのミックの声が聞こえない。


 つまり、この広大な宇宙の超近距離にある通信妨害源があるという当たり前の結論に至る、その前に。


『逃…ろ! ヘレナ!』


 ミックは全てを理解したようだ。


 途端に機内を埋め尽くす警告音。接敵の合図は唐突に叫ばれた。


 尋常ならざる事態をいち早く察知し、敵影を補足しようとミック。彼の機体は腰にある突撃砲を手に取ろうとしたとき、異変に驚愕した。


 ミックの機体がまんじりともせず、動かせないようだった。あたかも戦闘機がまるごと錆びついたように、ぎこちない動作で震えていた。突撃砲まで腕が伸びないミックの機体をモニターで凝視するも、なにも見えないーー。


「いや、なにか……いる……?」


 ヘレナの細めた目に写ったのは暗闇で揺らぐ『影』のようで。


『こいつだ……! こいつが衛星をぶっ壊した野郎だ!』


「こいつって」


 ミックの機体は辛うじて動く右足で、正面の暗闇を蹴った。すると、ミックの機体は反作用で移動した。そう、反作用。すなわち、蹴ったものが存在しているわけで。


 ここまで整理できるともはや明白だ。ここにいるのは、不可視の機体。目には映らない何者かである。


『ザザ……こいつが、……衛星を……レーダーにも目視でも見えないから』


「だから、即座に対応できなかったんですか……」


 破壊された人工衛星は、民間の研究用ステーションでも、通信衛星でもない。有人飛行を前提とした軍事衛星だ。それを襲撃せしめることは警察署に強盗にいくような暴挙ではあるが、それを成功させたテロリスト。目の前にいるはずだが、認識できない怪物。


 ミックの機体は先程まで、この敵機と組み合っていたのだ。見えない敵の不意打ちに対応し、全滅を防いだミックの実力は伊達ではない。奇跡に近い勘、卓越した技能がなせる離れ業には違いない。


 けれど、敵機の対策ができているわけでない。依然、異常事態は続く。


 その時、見えないはずの敵機の右腕ーーだろうかーーがわずかに光り、それを取り出した。武器、なのだろうか。判別不能の機体を注意深く観察する暇はない。手に持ったものを重火器だと認識する前に、ヘレナは飛行ユニットを噴射させた。

 

「はやく、このことをみんなに伝えないと……!」


 ミックを置いて逃げることに躊躇いはない。そこを躊躇うことは、戦死ぬよりも罪深い犬死を招きかねない。ミックははじめに逃げろと言った。それを理解したから、ヘレナは高速で移動する。


 敵機の特徴は三つ。


 一つ目は、近距離通信を阻害するほどの通信妨害装置を搭載していること。


 二つ目は、赤外線レーダーばかりでなく、目視ですら認識でないステルス性を有すること。


 三つ目は、重火器を使うときはその部分だけが不可視化が解かれること。


 最後の特徴は、熱源を起動させると隠すことができないのだろうか。断定はできないが、なにも無敵というわけではなさそうだ。


 ミックさんなら勝てる。そう信じて、加速するヘレナの機体。


 振り返る余裕すらない疾駆で遠ざかる。すでにミックの戦闘機のマーカーも確認できないほどの長距離を移動した。


 きっと、うまくいく。


 きっと。



        ◆



 ミックのKIE(戦死)が認定されたのは、ヘレナがシャクルトン月面基地に着いてから一日後であった。


 通知は『明龍』人事部から形式ばった文書に記されていた。あらゆる手続きは彼の遺書によって滞りなく進められている。


 ヘレナは起きたすべてのことを報告する義務があった。そして十八時間にも及ぶ取り調べにも似たブリーフィングの果てに届いた知らせが、これだ。


 彼女の眼には、疲労のせいで涙になりきれない水分が、現実との膜を張っていた。


 実感が湧かない。笑うことも、泣くこともできない。そんな無力感が彼女を苛んだ。きっと今は、大声を上げて泣いていいのだろう。しかし、彼女は戦士だから、そんな覚悟もなく戦闘機に乗ったのか。そもそも誰のせいで、ミック・マクドナルドは死んだのか。


「ぁぁあぁああ……」


 ベッドに頭を押し付ける。握りこんだ通知書はくしゃくしゃになっていた。


 彼女の自室にあるもの。貰い物の化粧品と仕事服、愛読書の小説、食べかけのスナック菓子。それと梶原ヘレナという弱い生き物があった。


 武装組織に勤めるということ、戦いを生業にするということ。理解不足だったのか。理解していたら防げたのか。


 ヘレナは思わず、母の名前を呼んだ。


「母さん……助けてよ」


 ヘレナが母と呼ぶ人物はただ一人、五年前からヘレナの育ての親を自称する梶原奈義である。


 かつて梶原奈義は、ヘレナの発する小さな「助けて」を聞き取り、駆け付けた。


 脱出機構の壊れた戦闘機で一人、宇宙に取り残されたヘレナの孤独を打ち払ったヒーロー。無敵の英雄。


 けれど今はそんな都合のいい存在はいない。梶原奈義は、いないのだ。


 無力を噛みしめるしかできないヘレナ。


 それが悔しくて悔しくて――。


「ああ……」


 悲しみは彼女を諦めへと誘う。


「ああ…あああ……ぁぁぁ」


 そして、




「あぁぁあああああ! ちっくしょおおおお!!!!」




 叫んだ。


 ベッドから飛び上がり、食べ残してあったスナック菓子を一掴みして豪快に口へ詰め込んだ。それをボリボリ言わせながらかみ砕き、咀嚼。ストローボトルの飲料水をありったけ飲んで――吠えた。


「うじうじ悩むのは性に合わないわ! こういう時はまずは行動! 行動!行動!」


 死んだ仲間も、消えた母親も、ヘレナが止まる理由にならない。止まらない理由にしか、ならない。


「誰が休んでいいといったのよ、ヘレナ。梶原ヘレナ! あの母さんの娘! 私はなんでもできる!」


 これが梶原ヘレナの落ち込んだときの対処法。叫んで吠える。


 地球外建造物の壁は厚い。彼女の声は彼女以外には聞こえない。


 パイロットスーツに着替えたヘレナは、トレーニングルームへ向かおうと部屋を出たその時。


 彼女の端末にメッセージが届いていた。


『緊急任務、最重要案件』と件名にはある。すぐに文面を読もうとしたとき、見慣れない差出人の名前が目についた。




『明龍情報部7課――課長 ルイス・キャルヴィン』

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