ようこそワンダーランドへ
◇
チックタック
時は刻まれる
チックタック
彼女はどこに?
チックタック
私が刻む
チックタック
世界を刻む
チックタック
チックタック
チックタック
―――そして世界は死ぬのだろう
◇
「大丈夫、これは現実じゃないわ」
少女は自身に言い聞かせるように呟いた。
シミの一つもない真っ白な肌の美しい少女。彼女の少し吊り上がったアーモンド形の目に映るのは・・・禍々しく膨れ上がった己の右手であった。
ギュッと両目を閉じる。
こみ上げる恐怖から必死で目を背け、ゆっくりと息を吐きだした。
(大丈夫、怖くない)
そっと瞼を開く。少女の目の前には普通の大きさに戻った右手が存在しているのだった。
別にこの現象を初めて経験したわけではない。物心ついた時から、彼女はこの現象に悩まされてきた。両親に相談するとあちこちの医者に連れていかれたが、原因は不明。治療しようがないそうだ。
少女は深いため息をつき、ベッドに腰掛けると身の回りをぐるりと見まわす。
部屋は年頃の女の子に相応しいかわいらしい調度品で飾られている。
ピンクのカーテン。クマのぬいぐるみ。センスの良い机と椅子……視界がぐにゃりと歪む。原型を留めていない玩具、血に染まったお気に入りのセーター、足の折れた椅子。
「なに……これ」
バラバラになった絵本ひび割れた窓ガラス奇怪な笑い声をあげる観葉植物羽ペンは踊り時計は時を刻まない 狂気が現実を侵食する狂ったような叫び声が鳴り響き腰掛けたベッドはガタガタとダンスを始めて少女を振り落とした。
―――さあ、時間が無いよアリス
外套を身にまとった白兎がニヤリと笑った。
次の瞬間、フローリングの床が崩壊する。少女の叫び声は奈落の底へ吸い込まれ、どこまでも落下していく。
どこまでも
どこまでも
落ちて……
≪やあ、来たようだね僕のアリス≫
「私はアリスじゃないわ」
≪そんなことはない。君は僕のアリスだ≫
「あなたは誰?」
≪僕かい? そうだな、キャロルとでも呼んでくれ≫
「何も……見えないわ」
≪そうだろうね、今の君には体がないのだから≫
「私はなんでここにいるの?」
≪おかしなことを聞く。君はここで生まれたんだ≫
「そんなはずない」
≪君が否定しても事実は変わらない≫
「だって私のお母さんは……」
≪君に母親なんていない≫
「だって……」
≪さあ、戯れの時間は終わりだアリス。君にはこれから仕事をしてもらう≫
≪それを成し遂げるにはとても長い時間が必要だ≫
≪だから君には私の時間をプレゼントするよ≫
突如目の前に光があふれた。眼球を突き刺すような暴力的な光が、少女の目から体内へ侵入して全身をぐちゃぐちゃにかき回す。
咆哮
変わっていく。自身の記憶、人格、その体を構成する細胞の一つすらも全てが上書きされる。
人から、人ならざるものへ……
気が付くとそこは森の中であった。不思議なもので、見覚えのないその場所がやけに懐かしく感じられる。
「やあアリス」
背後から聞こえたざらつく奇妙な声に、少女は驚いて振り返る。
「ようこそワンダーランドへ。ご冥福を申し上げるよ」
外套をまとった白兎が、いやに人間臭い様子でにやりと笑った。




