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読切短編 白いまま

作者: 黛 文彦
掲載日:2026/05/24

 父が死んで半年が経った。入院してからは、一度も海に戻らなかった。


 私が実家に戻ったのは、悲しみのためではなかった。実家を閉めるのは、結局私しかいなかった。


 海辺の町は、記憶よりも小さかった。駅から商店街を抜けると、父が三十年やっていたサーフショップがある。シャッターに南京錠がかかっている。私の手元にある鍵は三本。どれが合うか分からないまま、三本とも試した。最後の一本が回った。


 店の中は、思ったより片付いていた。


 父とは、私が十八で家を出てから、まともに話していない。今さら思い返したい話でもなかった。 ただ、ショップの売上が落ちていると風の噂で聞いたとき、連絡しようとして、やめた。そういう関係だった。


 倉庫に入ると、ボードが並んでいた。


 二十枚以上。壁に立てかけられ、天井に吊られ、床に重ねられ。古いものも新しいものも、古いワックスの匂いの中で、ボードは壁にもたれていた。


 全部に、日付が書いてあった。


 油性ペンで、ボードの裏面に。数字だけ。年月日。最も古いものは、私が生まれる前の日付だった。最も新しいものは、父が倒れる三週間前の日付だった。


 父はサーフボードに日付を書く人間だった。父がそんなことをしていたなんて、知らなかった。


 一枚だけ、日付がないボードがあった。


 白い、何の傷もないボード。他のボードが潮と時間で焼けているのに、それだけが、使われなかった物の白さのまま、倉庫の一番奥に立てかけられていた。


 翌日、店の常連だったという老人が様子を見に来た。岬の上の民宿をやっている人で、父とは四十年来の付き合いだと言った。


「ああ、そのボードか」


 老人は倉庫に入って、白いボードの前でしばらく黙っていた。


「お前さんが生まれた年に買ったやつだ。毎年磨いとったが、一度も海に入れなかった」


「なぜですか」


「さあ。俺には分からん。ただ、買った日に親父さんが言っとったよ。これは娘のぶんだ、と」


 老人が帰った後、私は一人で倉庫に残った。


 白いボードを両手で持ち上げてみた。指先に乾いた粉がわずかについた。


 軽かった。


 父が一度も海に入れなかったぶんだけ、軽かった。私はしばらく、それを床に戻せなかった。

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