〝混妖の才能〟
2人が背中から降りると、ミネコは「今日はケロさんのとこに戻る」と言い残してふたたび鳴瀬山へと消えて行った。
「とらのすけさ、随分すんなり受け入れたよね」
「何を?」
「混妖として戦うこと」
「あー……というかさ、戦っても死ぬわけじゃないよね? みんなノリが軽いし、環花奈さんもゲーム扱いしてたし」
「死なないわよ。戦闘は妖力の削り合いだから、体内の妖力が全部飛んだら記憶が消えるだけ」
「記憶喪失!? 結構ハードじゃないかそれ」
「全部じゃないわよ?妖力と妖に絡んだ記憶だけ。 今持ってる妖力に記憶が保管されてるような感じなのかな……多分」
「なんか色々と考察する必要がありそうだ」
虎之助は自動販売機のボタンを押してコーンポタージュを取り出すと、環花奈に手渡した。続けて、オレンジの炭酸飲料のボタンを押す。
なぜ「混妖」であることや、戦う事をすんなり受け入れられたか。その明確な答えは既にあった。
「別に、混妖になっても戦わない人なんてたくさんいるんだよ?」環花奈が缶のプルトップを弾きながら言う。
「えっ!そうなの!?」
「そうよ? 妖がいくら戦いたいって言ったってさぁ。肝心の混妖が、妖の世界なんて知るか!戦わないぞ!なんて言い出したらどうしようもない訳じゃない。 ケロだって戦うように誘導はしてたけど……強制じみた事は言ってなかったでしょ?」
「うーん……そう言われてみれば……」
叶えてもらった願いの大きさにもよるのかもしれない。「戦わない!平和に暮らしたい!」と思う人間ーーいや、混妖もいるのだろう。
確かに虎之助は、大切な人の命を救ってもらったという恩義の深さから、ケロの要求には応えなくてはならないと凝り固まっていた部分もあった。
「じゃあ逆に、環花奈さんはなんで戦うことを選んだの?」
「それは、みーちゃんが私と一緒に戦いたい、って言ったから!」
環花奈は優しく微笑んで、明るい声で即答した。
「感謝してるんだぁ、私のお願いを聞いてくれたこと。なるべくみーちゃんのやりたいことに協力してあげたい」
彼女は両手を上にあげて、「んーっ!」と伸びをした。
虎之助は彼女の胸元を凝視する。
この女は「隠れ巨乳」に違いない。
ミネコが川を越えた時に感じたあのふくよかな感触は、この視覚情報と辻褄が合わない。「隠れ巨乳」とは一体、どんなメカニズムなのか。
虎之助の脳は回転数を上げていた。
「才能あるって驚かれたり、褒められたりするのは嬉しかったしね! それに私、人見知りであんまり友だちがいな……」
環花奈は顔を赤らめて咳払いをした。
「とらのすけにはどうでもいい事まで喋りそうになるわね、子供みたいだから」
虎之助は人並みの性欲を備えた17歳である。 彼女の言葉は左耳から右耳へ通り過ぎていた。
「そうだ、ケロは明日から稽古って言ったけど……とりあえず教えときたいことがあるんだ。説明すれば、家でも練習出来るやつだから覚えて帰って」
環花奈は掌の上に球状の妖力を出現させる。
「さっき見せたけど、これは〝アポート〟って言ってね。 身体の中に流れてる妖力を形にして、出力する技術。これが基本中の基本、これが出来ないと戦いのスタートラインにも立てないの」
「ふぅん、……どうやって出すの?」
「えっとまず、妖力って血液みたいに、常に身体の中を循環してるのね。同じところに留まる事がなくて、グルグル回ってる」
「ふむふむ」
「まずはそれを捉えるの。これはすぐにわかると思う。私は10分くらいで感覚を掴めたし……。 集中してると、妖力が身体のどこを走っているのか、それがどのくらいのスピードなのかが分かるようになるから、まずはそれを覚える」
「なるほど、血液か……うん」
「このイメージが苦手な人は、まず掌に流れてる妖力を捉える事から始めるんだって。部屋を真っ暗にして、掌だけにライトを当てて、じいっと見つめ続けるらしい」
確かに血液の様なものだろう。ただし、血管のような管の中を通っているような感覚ではない。比較的自由に走っていて、決まった道を通っている訳ではないらしい。僅かに膨らんだり縮んだりするし、速度も等速という訳ではなく、その箇所その時々で微妙なブレがある。
それは常に全身に連続して存在していて、指の先から足の先まで、体内の妖力は繋がった1本のエネルギーのようにも思えた。
虎之助は環花奈の説明を聞いた瞬間に、「妖力の循環」と「そのスピード」を捉えていた。
環花奈の言葉から連想したよりもずっとゆっくりと、穏やかに流れているように感じられた。
「環花奈さんの妖力は、基本どのくらいのスピードで走ってるの?」
「私は流しそうめんくらい」
「振り幅が広くないかそれ」
「本題のアポートだけど、〝体内に流れる妖力〟の感覚掴んだら、えっと……最初は球体が1番やり易いんだけど……綺麗な球体を頭の中にイメージしながら、手のひらに流れてきている妖力をえいっ!って一瞬堰き止めて……それを掬い上げるような……」
言葉尻に向かって、自信なさげに声が小さくなる。感覚で覚えたものを言語化するのが初めてなのだ。
「……イメージなの?」
「いや俺に問われても」
「んなー。教えるのって難しいなぁ、最初どうやって出来たんだっけなぁ」
環花奈はおでこを片手で抑えながら空を仰ぐ。虎之助はそのチンパンジーのような仕草を愛らしく感じている自分に気付き、強引に正気を取り戻した。
「みーちゃんなんてね、〝出そうと思えば出るよぉ!〟って、それだけだったんだから、アドバイス」
「ケロも適当だよな、やたらノリ軽いし。近所のおっさんみたいなポップさで喋る」
環花奈は腕を組んで眉間にしわを寄せている。
虎之助が「どうしたの?」と問うと、「記憶を検索中です……」と答えた。
「……うん、思い出した! そうそう。さっきも言ったけど、妖力ってイメージとしては血液が1番近いの。だから、流れてる妖力を出すって言うのは……血が吹き出すような感覚で捉えてた」
「そこそこエグい感覚で捉えてたな」
しかし虎之助は、その意味をなんとなく理解できた。この妖力を外に出せと言われれば、その感覚でイメージするだろう。
「ちょっと考え方を変えてやってみたの。手のひらから〝出す〟じゃなくて、〝引っ張りあげる〟」
「引っ張り上げる?」
「ほら、注射器で採血するイメージ! あれは血を引っ張り上げるじゃない」
「ほうほう」
環花奈は右手を開いて上に向けると、左手を開いて虎之助に見せた。「この左手が注射器ね」そう言って右手に被せるように合わせる。
「右手に流れてる妖力を……左手の注射器で引っ張り出す」
左手を引き上げると、それを追うように球状の妖力が現れた。
「そうそう、この感覚で成功したんだ。靴ひも結ぶのと一緒で、一回覚えて反復してると身体が覚えてオート化していくから、こんな感覚忘れちゃうけどね」
「なるほど」虎之助は顎に手を当てて2、3度頷く。
環花奈の実演した手順を真似て、両手を合わせた。
「手のひらに流れてる妖力を……引き出す!」
貧相な手のひらが虚しいだけだった。
「そんなにすぐ出る訳ないでしょ。 家で何度も何度も何度もイメージしながらやってたら、忘れた頃に出てくるから」
「なくした爪切りもそろそろ出てくるかな」
「思い出しちゃったから出てこないわね」
「イメージかぁ。 そもそも、どうして球体なの?」
「え? そりゃあ……入門としては1番シンプルでイメージしやすい形だからじゃない?」
虎之助には球体よりもイメージしやすい形があった。毎日触り続けた事で、指先がその形を完全に記憶している。多方向からの精密な立体図も正確に脳内で展開できる。彼はもう一度同じフォームを作ると、目を瞑って精神を集中した。
「左手で引き上げる」
環花奈は目を見開いて呆然としていた。
口までだらしなく解放している。
「う、うっそぉ……」環花奈が驚嘆の声を漏らす。
「で、出た……」虎之助が固まる。
「ていうか、何……?この形……」
「ブロックを……イメージした」
淡い光を放つブロックがゆっくりと回転しながら手の上に浮かんでいる。大きさは環花奈の出していた球体に近く、虎之助が普段弄っているブロックよりも遥かに大きい。
「小さいのイメージしたんだけど……」
互いに驚きを隠せず、言葉を失ってしばらくそのブロックを眺めていた。
「えーっと環花奈さん、しまう時はどうすんの?」
「とらのすけ!本当は知っててやってるんじゃないの! 」
「いやいや、知らないよ! 何か意味あるのそれ!」
「私をコケにするために……」
環花奈は頬をぷくっと膨らませて、顔を真っ赤にしながら瞳を潤ませている。
「そんなに根性歪んでないよ!」
「絶対にウソ! あんたねぇ! 」
「あ、あれ……? 勝手に動いた……」
環花奈が大きな声を出しながら詰め寄ったタイミングで、妖力が手のひらから胸の前に高速で移動したのである。
「それ、無意識なの……? とらのすけ」
「うん、か、勝手に動いた。気持ち悪いぞこれぇ……」
すると環花奈は何歩か後退し、右手から棍棒を抽出した。それをくるり回転させてからピッ、と斜め下で静止させる。完全に目つきが変わっていた。
「なんか穏やかじゃない光景が……そこにあるな。ちょっと待って、何で振りかぶるのかな?」
「動かないで、とらのすけ。 私の予想が外れてたらごめん!」
「薙ぎ払う寸前のモーションやめてぇ! 」
「私の予想通りなら大丈夫!」
「予想が外れたら!?」
「かなり痛いかも!」
「怖いわぁ!」
振り下ろされた棍棒が鈍い音と共に弾かれる。虎之助の胸の辺りで浮かんでいた妖力のブロックが、棍棒の攻撃を防ぐ為に瞬時に移動したのを環花奈はハッキリと目撃していた。ブロックがはらはらと霧散していく。
「やっぱり、自動自己防衛機能…… 。初めて見た……!」
「なんだブロック叩いたのか、急にビックリしたわ! 叩いたら消えるんだね」
反射的に目を閉じて両腕で頭を庇った虎之助は事の顛末を知らない。一方の環花奈は背筋にゾクゾクと緊張が走り、身震いした自分をはっきりと自覚していた。
「とらのすけ、明日からビシバシ行きます」
「……目からSっ気が滲み出てるんだよなこの人。 どうかお手柔らかにお願いします」
虎之助は両手を合わせてお辞儀した。
その時、道の先からパタパタと誰かが駆け寄ってくる音がする。
「あー!トラ見つけたぁ!」
「あ、まこちゃん……」
その聞き慣れた声には、虎之助を現実に引き戻す充分過ぎるほどの引力がある。彼はそれを聞いた瞬間、驚くほど流麗かつ滞りのない所作で地に跪き、土下座のモーションに入るのであった。