過去に捕まる
カメリア教会からの帰り道も、ネイトは馬車の中でミラーナと向かい合わせに座っている。
ネイトが夕暮れに染まった街並みを見つめていると、申し訳なさそうにミラーナが切り出した。
「帰りが遅くなってしまってごめんなさいね。立ち寄るだけのつもりだったのに、ネイトを長々と待たせることになってしまったし、退屈だったでしょう?」
飛び出した謝罪の言葉に、ネイトは思わず目を丸くし、ミラーナを見つめ返した。
精霊たちと別れた後も、ネイトはその場に留まっていた。
程なくして、ネイトを探しにやって来たエルザと共に戻ることにしたのだが、教会内の様子は先ほどとはまったく違うものになっていた。
ミラーナから治癒を受けるべく、年配者たちが列を作って順番待ちをしていたのだ。
嫌な顔をせず、ひとりひとり丁寧に治癒にあたるミラーナの様子は、祝祭の日に目にした光景と変わらない。
その様子を眺めているネイトの元へと、シスターがミラーナの治癒を終えた男性を連れてやって来た。
男性はとても上機嫌で、ネイトの先ほどのオカリナの演奏を褒め称えた。
そして話をするうちに、その彼がネイトのオカリナを造った人物だとわかり、ネイトは驚かされることになる。
その後、男性と国内外で知名度を誇るオカリナ奏者の話などをしていると、他の人々も会話に加わってきて、音楽関連の話が賑やかに広がっていったのだ。
そんなこんなで有意義な時間だったのは確かだったため、ネイトはミラーナに向かってゆるりと首を横に振った。
「おじさんたちがいろんな話を聞かせてくれたから平気」
「可愛い子どもに話し相手になってもらえて嬉しかったって、みんな言っていたわよ」
十九年分の知識があるため、普通に会話を成立させてしまい、相手を驚かせてしまったこともあった。
しかし大抵は、孫と話している気分になるのか、にこにこ笑顔の者が多く、好意的な態度で接してくれたのだ。
「無能でも役に立つんだな」
自嘲気味に呟くと、ミラーナの温かな手がネイトの肩に触れた。
「ネイトは無能なんかじゃないわ!」
ミラーナの真剣な眼差しと真摯な言葉にネイトは息をのむ。僅かな静寂を挟んだ後、強張った表情のまま問いかけた。
「……本当に母さんだよね?」
これまで心の中で積み重なってきた違和感を言葉に変えてぶつけると、ミラーナが困惑げに瞳を揺らした。
「怒られる覚悟で言うけど、別人に見える。あなたはいったい誰?」
もちろんネイトも自分がおかしな発言をしているのはわかっている。けれど問いかけずにはいられなかった。
「私は……」
言葉を選びながらも、しかし、ミラーナは力強く答えた。
「ミラーナ・ミルツェーアよ。あなたの母親で間違いない」
「だ、だよね。変な質問してごめん」
ネイトは思わず苦笑いしたが、ミラーナの真剣な面持ちは崩れず、空気は張り詰め続ける。
「でも、生まれ変わったの。以前の私とは違うわ……って、言葉では何とでもいえるわね。簡単に分かってもらえるとも思ってない。でもね、信頼してもらえる人間になりたいから、これからも行動で示し続けていくつもりよ」
「……今の母さんなら、出来そうな気がする」
ぽつりとネイトが呟くと、ミラーナは嬉しそうに笑った。
「変えてみせるわ。ネイトと共にある未来へ」
(俺と共にある未来)
その言葉も到底信じられるものではないはずなのに、なぜかネイトの心に入り込み、ほんのりとした温かさを生じさせる。
なんの言葉も返せないまま、ネイトはしばらく笑顔のミラーナと見つめ合っていたが、馬車がゆっくり停止したことで、屋敷に到着したことに気づかされる。
「……あら。もう帰宅されていらっしゃるのね」
玄関の前にあるゴードンの馬車に、ミラーナが冷めた声で言った。
ゴードンは日が暮れてからの帰宅が多いというのに、いつもと違う動きにネイトもわずかに顔をしかめた。
(昼間のこともあるからな。嫌な予感がする)
ネイトは庭でのひと悶着を思い返しながら、ミラーナと共に馬車から降り、ゴードンの馬車を横目で見ながら進んでいく。
玄関から屋敷の中へ入った時、ちょうど廊下の先にある応接室のドアが開いた。
不機嫌な顔で出てきたゴードンがこちらを見たため、ネイトは自然と足を止める。
「……おい。ネイトを連れ出して、何をしている」
ゴードンの冷ややかな言葉はミラーナに向けられたものだが、エルザとジョセフは居心地悪そうに瞳を伏せた。
一方、ミラーナに怖気づく様子は一切ない。
「息子と出かけたら、いけませんか?」
ミラーナが立ち向かうように言い放つと、ゴードンがにやりと笑い、持っていた紙を見せてきた。
「まあいい。行動を共にするのもこれで最後だろうからな。今すぐ、離縁の合意書にサインをしてもらう」
「それは、ネイトの親権を私がもらうことに同意してくださったと理解してよろしいかしら」
「そんなものに同意する気はない」
「同意しないなら、サインしないと言ったはずですが」
きっぱりと拒否したミラーナに対し、ゴードンは苛立ちを込めて大きく息を吐き、応接室の中へと視線を送った。
すると、部屋から神官の男性が三人出てきた。その中のひとりが筒から紙を取り出し、ミラーナに向かって読み上げ始める。
「ミラーナ・ミルツェーア。あなたは、自身の子どもであるネイト・ミルツェーアを虐待し、殺めようとした。たとえ母親であろうとも、そのような危険人物に親権を渡すなどもってのほか。離婚成立後も、息子に会うことを一切禁止する」
文面を読み終わるよりも先に、残りの神官ふたりがネイトの元にやってきて、ミラーナと引き離しにかかった。
「ネイト・ミルツェーア。大変でしたね。でももう大丈夫ですよ。あとは私たちに任せて、部屋に行きましょう」
そのまま神官がネイトを連れて行こうとしたため、ミラーナは声を張り上げた。
「ちょっと待ってください。私がネイトを殺めようとしたですって? なにを馬鹿なことを!」
ミラーナはネイトを奪い返そうとしたが、もうひとりの神官によって邪魔され、表情に余裕がなくなっていく。
「馬鹿なことをしたのは事実でしょう?」
もうひとり、応接室から得意げな顔で女性が出てきた。
それが、ミラーナに解雇されたあの眼鏡をかけた侍女だったため、ネイトたちの間に衝撃が走る。
「タリファウスト神殿での魔力鑑定の帰り道、私はこの目で、あなたがネイト坊ちゃんの首を絞め、長階段の上から突き落とそうとしたのを見ました。エルザ、あなたも見たわよね?」
エルザが息をのむ音が小さく響く。ミラーナも何も言い返せず、狼狽えるように唇を噛んだ。
「確かに見ました。でも……」
「ほら、聞きましたよね! この女は自分の息子を殺そうとした最低な女なんです!」
眼鏡の侍女は、嬉々として神官たちに訴えかけた。先ほど文面を読み上げた神官はこくりと頷き、ミラーナに歩み寄った。
「タリファウスト神殿は、あなた方の婚姻の破棄を承認します。もし認めない場合、ミラーナ・ミルツェーアを罪に問います」
愕然とするミラーナに、ゴードンは勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「今すぐサインをしてもらう。そして明日にはこの家から出て行ってくれ。……ネイトを部屋に」
ゴードンはエルザではなく、なぜか眼鏡の侍女へ指示を送る。眼鏡の侍女も迷うことなく頷いて、すぐさまネイトの元にやってきた。
「さ、行きますよ」
「お待ちください!」
ネイトの腕を乱暴に掴んだ眼鏡の侍女に、エルザも黙っていられない。
ふたりを追いかけようとしたところで、間髪を入れずゴードンが声を荒げた。
「エルザ。お前はクビだ」
眼鏡の侍女に腕を引っ張られながらも、突然の宣告にネイトは驚いて振り返る。
「旦那様、なぜですか!」
「それはこちらが聞きたい。どうしてミラーナのネイトへの仕打ちを黙っていた。明日、お前もミラーナと一緒に出て行け」
愕然とするエルザと悔しそうに拳を握りしめているミラーナの姿が見えなくなるまで、ネイトは何度も振り返った。




