第二十五章
第二十五章
「……あら?」
厠に立った志津は、夜半、庭に二つの人影があるのを目にして、不審に思った。
泥棒? 曲者?
志津は、表に出て目を丸くした。
決闘でもするかのように、長兵衛と刀十郎が対峙し、剣を構えていたのだ。
「どうしたの、二人とも」
志津は驚いた。こんな夜中に、何をしているのか。奇妙な恋愛関係にある二人が、斬り合いでもするというのか。何があったというのだろう。
「ねえ。どうしたの?」
志津が繰り返し尋ねると、刀十郎が低い声で言った。
「長兵衛の想いに、剣で応えるのだ」
「えええ?」
志津はますます面食らった。
「何言ってるの、刀十郎」
「下がっておれ、娘。危ないぞ」
長兵衛が志津に言う。苛立ったような声。
「でも」
真剣の勝負など、殺し合いではないか。志津が止めようとすると、刀十郎が怒鳴った。
「下がれと言っている!」
「……!」
志津はすくんだ。余人には止められない、入れない、緊迫した空気があった。志津は下がった。
なんで……。何が、どうなっているんだろう……。
志津は、訳が分からなかった。人を呼んでくるべきか、と思ったが、何故か刀十郎と長兵衛の邪魔をしてはいけないように思った。
「では、よいか」
長兵衛は剣を構えた。刃が、月明かりを反射して光る。真剣である。
刀十郎も、剣を構えた。こちらも、真剣だ。
「……参るっ!」
両者が、同時に踏み込んだ。
長兵衛が、剣を振り下ろした。だが、本気で斬るつもりはなかった。愛する人を、斬れるはずがない。峰で打って、降参させるつもりだった。
刀十郎はかわした。かわし様、剣を放つ。刀十郎の攻撃を、長兵衛は剣で弾いた。
刀十郎もまた、本気で斬るつもりはなかった。峰打ちで、勝敗を決するつもりだった。
剣を握っていて、刀十郎は頭の霧が晴れていくように思った。
体が、勝手に動く。
この動きを、俺は知っている……。
塚原道場での稽古の様々な場面が、刀十郎の脳裏を点滅する。思い出す。思い出す。道場での日々。
記憶を取り戻すにつれ、刀十郎の動きが冴えてきた。長兵衛の剣は一つも当たらず、刀十郎の峰が何度も長兵衛を打った。だんだんと、急所を狙うようになる。免許皆伝の剣豪の動き。長兵衛は押された。
いかん、このままでは、負ける。長兵衛は恐慌した。負ければ、刀十郎を諦めなくてはならない。刀十郎が、手に入らない。届かない。
手に入らないくらいなら、いっそ……。
長兵衛は刀を握り直した。
どうしても手に入らないなら、いっそ、殺す!
殺す瞬間、刀十郎は俺のものなのだ!
「アア!」
長兵衛は踏み込んだ。もう、峰打ちなどという、甘さはない。殺す気で、剣を振る。
「!」
殺気を感じ、刀十郎はハッとなった。間一髪、かわす。すぐさま、長兵衛は刀をかえした。素早い動き。相手を殺そうとする、太刀さばき。
長兵衛は俺を殺す気だ。峰打ちなどで相手をしては、やられる!
刀十郎も剣を握り直した。
「イヤアッ!」
長兵衛が刀を振る。刀十郎はかわしきれず、肉が斬れた。鮮血が散り、志津の悲鳴があがった。刀十郎は構わず、そのまま長兵衛の懐に入り、剣を突いた。もはや、峰打ちなどで茶を濁すことはない。
「アアア!」
躊躇い無く、長兵衛の体に剣を刺す。
その瞬間、刀十郎の頭は真っ白になった。
与五郎を殺したことを、思い出した。
「ぐっ……」
長兵衛の手から、刀が落ちた。
刀十郎の刃は、長兵衛の右肩を貫いていた。
利き腕をやられたのだ。勝負はついた。刀十郎は長兵衛の肩から、剣を抜いた。
真っ赤な血が、ぼたぼたと、止めどなく地面に流れた。それは、長兵衛の涙のように見えた。
負けた……長兵衛は血を噴き出し、愕然と膝をついた。
「医者を!」
刀十郎の叫びで、志津は我に返り、弾かれたように駆け出した。
長兵衛も刀十郎も、命に別状は無かった。刀十郎の傷は浅かったが、長兵衛のほうは、しばらく安静が必要だった。
肩の傷のためばかりではなく、長兵衛は元気がなかった。長兵衛の恋は破れたのだ。
今までの二十八年の人生、長兵衛は何でもかんでも、自我を押し通してきた。どんなことでも通ると思っていた。だが彼ははじめて、どう頑張っても思い通りにならないもの、どうしても手に入らないもの、諦めねばならぬものがあることを知った。
「ぐううう……」
長兵衛は呻いた。歯を噛んだ。胸を掻きむしった。肩の傷よりも、心のほうが痛かった。
長兵衛との戦いで、刀十郎はすっかり記憶が戻った。長兵衛に振り回され、彼のために散々な目に遭わされたことも思い出したが、もう怒る気も恨む気も無かった。
すべてを思い出した刀十郎、志津に、気持ちを確かめた。相愛であることを確認し、刀十郎は志津を両親に紹介した。
「あれあれ……」
驚いたものの、刀右衛門は刀十郎と志津の仲を許した。志津の腕っ節を見た刀右衛門、志津が気に入ったのである。夫が認めるのならと、お房も、祝福してくれた。
「江戸に、行きましょうか」
志津が、刀十郎に言った。今度は志津の家族に、刀十郎を紹介しなくてはならない。刀十郎は頷き、母に声をかけた。
「では、行ってまいります、母上。長兵衛の世話を、宜しくお願いします」
長兵衛もいずれ江戸に戻らなくてはならないのだが、今は怪我で動けない。
散々迷惑をかけられたが、今となっては、志津は長兵衛を可哀想だと思えた。男色だが、長兵衛なりに真剣に愛して、失恋したのだ。
だが志津は、長兵衛を慰めなかった。長兵衛は、刀十郎を奪う志津の慰めだけは、受けたくないであろう。長兵衛にとって志津の慰めは、慰めにならぬ。傷を深くするだけだ。当然、刀十郎も慰めない。長兵衛の愛を受け入れられないのに、中途半端な情けは、残酷なだけだ。
「早く、元気になるといいわね、長兵衛」志津は刀十郎に言った。
「そうだな。まあ、頑丈だけが取り柄のような男だから、大丈夫だろう。生きてさえいれば、いつかは立ち直れるものだ……」
ため息混じりに、どこか辛そうに言う刀十郎を、志津は不審に覗き込んだ。
「刀十郎? どうかしたの?」
「いや……なんでもない」
刀十郎は、笑顔を作った。
刀十郎は、与五郎を殺したことも、思い出していた。相手は悪漢で、仕方がなかったとはいえ、殺人を犯したこと、それ自体には痛痒を感じる。しかし、後悔はしていなかった。
刀十郎は志津を見た。人を殺しても、守ろうとした美しい娘が、そこにいる。
刀十郎は刀の柄に手を触れた。震えはない。また誰かが志津を殺そうとすれば、刀十郎は躊躇い無くその者を斬るだろう。
「行こう」
刀十郎は志津の手を握った。志津も握り返した。
「はひいいいいいっ」
政野助は、まだ逃げ回っていた。
「よく息がもつわねえ」
夕顔はのんびりと、逃げる政野助を眺めていた。戦う気はさらさら無いので、脇目もふらずに逃げている。
「政さ~ん。もう、刀右衛門さんは、いなくなったよ~」
終
お疲れ様でした。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。楽しんでもらえたなら幸い。
他にも、レトロ怪奇小説などを書いています。
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